第21話 くちなし。絵師の物語には意外な落とし穴が潜んでいた

「クチナシに染まるこの僕を、慰める相手はもういない~♪」


 ピンクのミラーボールのライトが点滅しながら光輝く狭い個室。


 僕は繁華街で人気なカラオケボックスでド派手な演奏な失恋の歌を熱唱していた。

 爆音に混じって僕の華麗な美声が加わる、そのはずだったのだが……。


「あははっ、ガチウケるわ。私が目の前にいるのにww」

「ほっとけ、男はな、ヘビメタが無性に歌いたい時もあるんだよ」

「ふーん、恋人通しでも分からんことって沢山あるんやなー」


 ──あの日、美羽みわが遠方に引っ越すということを知った僕は、心からありのままの想いを彼女に伝えた。


「そんくらいわーってよ」


 顔から火が出そうで恥ずかしい僕を見つめながら、ゆっくりと、はにかみながら笑って呟いたその彼女の言葉の先は……。


「じゃあ、好き通し、付き合っちゃおうかー卍」


 ……友達から恋人へと変わるメッセージへと変わっていた。

 それプラス引っ越しの祝いも兼ねて、このカラオケ店へと無料招待したのだが……。


「──まさか、引っ越し先が隣街の神奈川だったとはね……」

「まあ、遠方には違いないでしょ」


 ──僕は見事に彼女の術中に落ちていた。

 彼女の思い詰めた表情から読んで、もう二度と会えないと思い、ここを最後の語らいの場所として選んだ。


 最後だから沢山のコースを自費で奮発した。


 八時間歌いたい放題、ソフトドリンク飲み放題、他に別料金のメニューも追加。


 このつぎ込みに合計で数枚の万札が予想される。

 みんな平等を唱えたにも関わらず、一番高い人物にまで上り詰めたお札がニヤリ面で、レジ前で優雅に羽ばたくに違いない。  


 僕は様々なメニューに戸惑いながらも接客する新人店員に要点を伝え、美羽自身も驚いているのを尻目に、意気揚々と指定された席に続く廊下を突っ切った。


「ひっ君、大丈夫そ? 今日はただのカラオケって聞いて、そんなにお金持ってきてないよ?」

「ああ、安心しろ。今日は全部僕のオゴリで美羽のお別れパーティーだ。食べ物もじゃんじゃん注文していいからな」

「えっと、何か誤解みたいだけど、お別れって言うてもね……」


 美羽の口から出てきた『神奈川』という地名に僕は目を宙に泳がせながら、妄言を吐くしかなかった。


「こうなったらもうヤケだ。食べて飲んで叫んで吐き尽くすまで、このカラオケ店を満喫してやる」

「ひっ君、表現が汚いわー」

「誰のせいだよ、誰の?」

「一方的に話をキャッチしたひっ君が悪いんじゃ?」

「はい、そうです。すいません」


 僕は美羽に頭を下げながら禁煙席の個室へと入っていく。


 ここ近年、カラオケボックスに来たことがなかったが、禁煙席と喫煙席とで部屋が別々に区切られている部分にもビックリした。

 ここも色々と理解がある場所になってきたんだな。


****


「──さっ、さあ、次は美羽の番だぜ」


 ハイトーンなキー(高い声の歌)に立ち向かい、息を切らせながらも歌いきった僕は美羽にもう一本の消毒済みのマイクを手渡す。


「ありがと。何にしようかなー」


 美羽がタブレットを器用に使いこなして歌う曲の番号を入力している。

 そんな中、僕の体の奥からほどばしる本能が呼び覚まされた。


「ちょっとごめん、美羽、僕漏れそうだから」

「はいはい。おじいちゃんいってらー」


 美羽が流行りのJPOPを歌うなか、僕は何とか部屋を抜け出し、目的地へと向かう。

 全ての元凶となる、そのめくれた場所を求めて……。


****


「ここだな」


 僕はトイレとはかけ離れた廊下の片隅でとある場所を見つめていた。

 ちょうど曲がり角が近い場所の壁から飛び出た突起物。


 それは壁から二センチほど剥がれかけていた異質な白いクロス(壁紙)のはみ出し。

 その開いた空間の隙間からは木材や消音材とかではなく、漆黒の闇が漏れだしていた。


 僕は反射的(本能的)に、ここの異変にいち早く気づき、美羽に嘘をつき、トイレに行くふりをしたのだ。  


「じゃあ、いくぞ……」


 僕は周りに人がいないことを念入りに確認し、破れかけたクロスを指で掴んで、思いっきり縦へと引き裂いた。 


「秘技、駄目も駄目よも好きのうち!」


 その破かれたクロスの合間からこぼれ出る闇の煙が僕の体を襲うのに数秒もかからなかった……。   


****


『カタカタカタ……』


 静まり返った闇からぼんやりと浮かび上がる小さな四角い光。


「おいっ!」


 僕はその光の前で、ある一定音を鳴らし続ける人物へ声を投げかける。


「おいっ、聞いてるのか!」

「ひいっ、いきなりなんだい!?」

「どうも見かけないと思っていたら、こんな所に隠れていたのか。アンソニー」

「何だ、一筋ひとすじ君か。こんな所に何のようだい?」

「それはこっちが聞きたいよ。ここで何をしてる?」

「何って、君のいる世界のプログラムの書き換えだけど?」

「お前、いつもそれだな……」


 アンソニーがノートパソコンをあぐらの上に置いたまま、モニターの数字を見ながらキーボードを手慣れた手つきでカタコトと鳴らす。


「ここはどこなんだ? 辺りも真っ暗でそのノートパソコン以外、他に何にもないよな。僕のいた現実世界と繋がっていたけど?」

「ここは幾度にも重なったパラレルワールドを作るための異世界の空間さ」

「なるほど、異世界か。それでパラソルとは?」

「パラレルだよ。君たちが住む世界には様々な現実世界が存在していて、君はその世界の狭間を行き来してしまったのさ」

「どういう意味だ?」

「二十六歳のオタクな社会人の世界と高校生三年になり、将来の人生設計を決めかねている世界。

絵師のいた異世界に長期間いたせいで、偶然にもこの二つの時間帯がずれてきてしまっているのさ」


「……ふーむ。ということは、あの異世界に居すぎたせいで余計な現実世界が一つ増えたということか」

「まあ、正確には何十もある世界から一つに絞って生きてきたけど、異世界から現在世界に戻るさいに、誤って別の谷に転落したみたいな感覚さ。

だからこの通り、大急ぎで君の今いる世界を修復している最中なのさ」


 アンソニーがよく分からないことばかり言ってきて頭がおかしくなりそうだ。


「なあ、それじゃあ、元の社会人生活に戻れる方法はあるのか?」

「どうしてそんなことを聞くんだい?」


 文字の入力を止めて、そのままのあぐらの体勢でこちらに体を向けるアンソニー。


「美羽とは恋人通しになれたのはいいけど、何かその関係に疲れちゃってさ。彼女とは友達以上恋人未満の方がいいかなと思って」

「えっ、勿体もったいないなあ、あんな美少女相手に?」

「だから社会人の頃の気軽な関係に戻れることならそうしたいんだ。それならわざわざ書き換えとかもしなくてすむだろ?」

「まあ、君がそう言うのなら無理にとは言わないけど。本当にいいのかい?」

「ああ。自分の人生くらい自分で決めたいからな」


 僕の一大決心を受け止めたのか、アンソニーが真面目モードに戻り、話を切り出す。


「そうかい。それなら目をつむって強く想いを念じて」

「何だよ、そのパソコンでちょちょいで終わりだろ?」

「はあ、分かってないね。物事には雰囲気作りが大切なんだよ。早く」

「ああ、了解」


 僕が目を閉じた途端、魂ごと宙に浮くような感覚がして、意識が闇へと吸いこまれていった……。


****


「ひっ君、ひっ君!」

「何だよ、美羽か。もう少し寝かせてくれよ」

「いいの? 今日、アニメートでひっ君のすこなキノミノコのサイン会だよ?」

「それを早く言わんかい‼」 


 僕は興奮して叫びながら、被さっていた掛け布団を天井に思いっきり蹴りあげる。


「きゃっ、イキらんでも良かろ?」


 ピンクのルージュがワンポイントな大人びた格好をした美羽をスルーし、手元にあった手鏡を覗いてみると、そこには見覚えのある髭面姿の自分がいた。


 それと同時に周りを見渡すと、代わり映えのない部屋の壁を異色したと貼られた、絵師の描いた美少女のイラストとサインたちが視線に飛び込んでくる。


 その最近の漫画イラストに視線を向けると僕が二十五の時にサインをしてもらったキノミノコの目新しい色紙もあった。


 さらに横に貼られた壁掛けカレンダーからでも分かる年号と十二月の日付け。


 僕は今度こそ帰ってきたのだ。

 二十六歳のおじさんという本来あるべき場所に……。


「ようやくここに戻ってきたんだな」

「ひっ君、キショ。まさかナルーさんだったなんてね」

「ペルーでもカンガルーでも何でも構わないさ。美羽、これからも友達でいような」

「はっ? 意味不明なんだけど?」


 部屋の暖房が暑いのか、ベージュのコートを脱ぎ、白いセーター姿の美羽が僕を気持ちの悪そうな目つきでガン見してくる。


 それもそうだ。

 美羽にとってはここが自身の居場所なのだから。


「ひっ君、とりま、変質者あるある?」

「いや、僕はただのサラリーマンさ」 

 

 僕はベッドから起き上がり、寝床にある目覚まし時計を見る。


 今は朝の六時半。

 どういうわけか、やたらと起こされる時間が早い。


「珍しいな、何でこんな時間帯に?」

「あっ、察した? 本当はね……」


 美羽が僕から視線をずらして恥ずかしげな顔になる。


「夢を見たんよ。展示会という尊いイベントがあるのに、遅刻ギリで起こされたひっ君が大慌てで着替えていく様子をね……」


 夢の中まで僕は時間と美羽のイタズラに振り回されているのか?


「そして絵師の展示会で私とひっ君が、ひっ君がめっちゃすこなイラストに飲み込まれて……。ガチでこわたんだった」


 その台詞に僕は思うがままに問いかけてみた。


「……美羽、それは俗に言う正夢まさゆめ?」

「あははっ、それはないって。漫画じゃあるまいし、絵に飲み込まれるなんて普通はありえないじゃん」


「まあ、それよりも早く着替えなよ。私、後ろ向いててあげるから」

「とか言いながら覗く気満々だろ?」

「はいはい。わーた。部屋から出るから。後、お髭もちゃんと剃ってよ。みっともないから」


 あれこれと指示をしていた美羽がそのままドアノブへと手をかけようとして、その場で立ち止まる。


「ひっ君。私たちこれからも仲良しだよね?」

「ああ、いきなり何を言ってるんだよ?」

「……ううん。私じゃあ、頼りがいがないかも知れないけどね……」

「うん? よく聞き取れなかったんだけど。もう一度言ってくれないか?」


「はぶし!?」


 その途端に僕の顔面に降ってくる数枚の大学ノート。


「ベーだ。何でもありませーん!!」


 美羽が可愛く舌を出して、部屋のドアから出ていく。

 そこにはいつもの反応の美羽がいた。


 ──数分後、僕の着替えが終わり、再び入室してくる美羽。

 なぜか不思議と、今回は覗きも暴動も起こさなかった……。


「あーあー、どこかにいい男転がってないかな」

「ゴミなら山ほど転がっているけどな」

「ほんとそれな。いい大人なんだから部屋掃除くらいして」

「そのつもりはない。我は常に平和的交渉を求めている」

「あのねえ、ゴミをめぐる戦争ごっこなら他所よそでしてよね」


 そう、僕はこういう関係を求めていたんだ。

 恋愛ベッタリではなく、何でも気さくに話せるこんな気軽な仲を……。


「はあ、こんなんじゃ、これから先が思いやられるわ……」


 美羽が左手の薬指にはめられたダイヤモンドの指輪をちらつかす。


「はははっ。何だ。何だかんだで美羽も他の男と結婚してるじゃないか。

それにそのダイヤ。小さからず大きすぎず。どこぞの石油王から貰ったのやら」

「……」


 僕の発言が気に病んだのか、美羽が両肩を震わせながら顔を俯かせ、何かに必死に耐えている。  


「……」

「あれ、美羽お嬢。さっきから何で黙ってるんだ?」  

「なん、いつまで寝言ほざいてんの。あんたがくれた指輪でしょうがぁー!」

「はひっ、僕なん!?」


 世の中は何が起こるか分からない。

 そのことを思い知った僕だった……。


****


 ──これは絵師が描いたイラストをこよなく愛した一人の男の物語。


 彼が旅する絵師が過ごす世界は否応いやおうなしか。

 真実はこの物語の奥底に眠っている……。


「……はずじゃ」

「マスター様、美味しい所だけは持っていくのですね」

「ワシは魔王じゃからのう」

「そのくだり、もう何度目ですか……」

「さあ、仰山ぎょうさんありすぎて、すでに忘れてしもうたのお」

「この痴呆な迷惑じいさんは……。ならば今日はマスター様の記憶力の維持のため、晩ご飯はメザシにします。日奈ひな、いいかな?」


「はい、かしこまりました。それではわたしがこんがりと焼いてきますね」

「アンソニー、日奈。それだけは堪忍やー!?」


 fin……。

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絵師の描いたキャンバスボードに飲まれた先の空間ではカードスキルを巡る異世界だった ぴこたんすたー @kakucocoro

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