第18話 たいだん。始まりの現況へ学生の僕は歩み出す

「ひっ君、ひっ君!」

「何だよ、騒がしいな。美羽みわ


 夕焼けが教室を照らすなか、美羽が僕の肩を遠慮がちに揺らしていた。

 学校の制服姿の美羽が間近にいるということは、どうやら現実世界に無事に戻れたようだ。

 でも僕らは実際は二十歳越えの社会人のはずなのに何で高校生なのだろう……。


「いつまで寝てるの? もう下校時間だよ」

「ゲコゲコ」

「キモ、カエルの鳴きまねとかしないでよ」

「残念だな。今日の晩飯にごちそうしてあげようと思ったのに」

「食用ガエルなんてやだよ」


 知らないのか、カエルの足の肉って鳥肉みたいで美味しいんだぞと強調してみたかったけど、僕自身も食べたことはない。


 親から耳にした話ではスズメに続いて、日本の居酒屋の鉄板メニューだったと聞かされた思い出がある。


 今でこそ日本は衛生管理が徹底しており、安全な食にありつけるが、昔の日本人は毒味がてら興味本意で色々な物を口にしてきた。

 串に刺さったカエルの肉さえも何とも思わずに……。


「所でひっ君、明日展示会の日だよね?」

「なっ、はやまるな、美羽。ここで脱ぐのはやめろ!?」

「なに顔トマトにして言ってるの。アニメート初の絵師の展示会に決まってるでしょ」

「あっ、そうだったな」


 僕はどうしてそのようなことを忘れていたのだろう。

 後に恒例となる大きな一大イベントなのに……。


「えっと、それでね。ひっ君がすこなキノミノコという絵師を調べてみたんだけど」

「何だよ、モジモジして?」

「ひっ君って意外とむっつりなんだね」

「……いや、あれはだな。絵師という人が描いたキャラが好きで決してよこしまな気持ちでは見ていない」

「じゃあ、このきゃるるんな本はなに?」


 美羽が自身の学生鞄から、猫耳の美少女がスクール水着を着て、指先で銃のフォルムのポーズをする絵柄が描かれた全年齢同人誌『キノミノコハカイチャー総集編』の一巻を出して見せつける。

 表紙の右端には黒マジックで『キノミノコ』と可愛く表記された文字。


 これは紛れもない作者『キノミノコ』様からの高校時代に頂いた大事なサイン入りの本。


 僕の体が一瞬、石像のように固まり、そこからヒビが細かく生えた。

 どんな形であれ、こんな場面で偶然にも再開するとは……。


「おっ、お前。それ僕の本じゃないか。最近になり、気になって探してもないと思っていたらいつの間に。いつ持ち出してきたんだよ!?」

「えっと、この前の週末、ひっ君の家にエンカ(遊び)に行った時」

「何だよ、そんな昔から盗られていたのか。勝手に人の家の中を荒らすなよな」


 タンスやツボの中を無断で漁るRPGじゃあるまいし、人の家の物を勝手に取ったら泥棒だぞ。


「ほら、その同人誌返せって。これから社会人になったら貴重になる初版だぞ」

「嫌だよ、悔しいんなら取り返してみ?」

「何だと、男の力をなめるなよ」

「「あっ!?」」


 僕の行動を読んだのも関わらず、美羽の手から滑った同人誌が軽々しく空を舞い、バーコード頭のおっさんの足先に滑り落ちる。


 それを拾った相手の顔が見事にひきつっていた。


 極厚の眼鏡からでも悟れるのだ。

 全年齢対象とはいえ、いかに僕の持ち物が怪しい代物かと……。


「ほお。江弐えし。この本はどういうことだ?」

「せっ、先生?」

「学校という教育の場にこのような不健全な本を持ち込むとは。ちょっと今から生活指導室に来い」

「先生も物好きですなあ」

「あまりふざけていると内申書に書くぞ」

「はい、すみませんでした」


 来年受験を控えた高校三年。

 まだ僕は進路という選択を諦めたくない。

 大学を中退し、バイトに仕事にがむしゃらでオタク趣味だけが楽しみだった毎日にうんざりしていたのだ。


 もう一度、高校生活がやり直せるのなら、あんな未来に骨を埋めたくない。


 僕は教師に素直に謝り、その背中ごしへと続く。

 頭頂部は寂しいが、一家の大黒柱を象徴するような大きな背中だな。


「じゃあ、美羽。ちょっと行ってくるよ」


 こうして僕は担任教師とともに夜のネオン街へと消えた……。


「下らんひとりごとはいいからさっさと来い」

「先生も地獄耳ですなあ」


 鬼の角が生えていそうな先生に引きずられながらも、僕は美羽に軽くウインクをするのだった。


 美羽は呆れてものが言えない状態で僕を無言で見送っていたけど……。


****


 寒々とした部屋の遮光カーテンの隙間から暖かな光が漏れ出る翌日……。


 季節は師走、胸踊る十二月。

 真冬の日中の太陽はなぜこんなにも僕の胸を蝕むのだろう。


「美羽、居るんなら何で起こしてくれないんだよ!」

「いやあ、気持ちよさげにすやーだったから。てへぺろ」


 そう、僕は少女の無頓着さに心を蝕んでいた。


「もう八時半過ぎだぞ。今からじゃ展示会に間に合わないじゃないか」

「心配しないで、私、近道を知っているから」

「本当か? 美羽の言うことは当てにならないからな」


 僕はタンスから着替えを急いで出して、美羽に目配せするが、彼女はただ笑顔でこちらをじーと見ている。


「それよりも美羽さん」

「ん?」

「今から着替えるから外に出てて」

「てへぺろ。きゅんです卍」

「そこはハズいだろー!?」


 僕は美羽を部屋から追い出し、中から鍵をかける。


 こうでもしないと美羽は覗き放題だからだ。


 いつぞやの家族水入らずで行った温泉旅行を思い出す。

 高校入学と同時に両親は仕事の都合上、海外に行き、離れて住むようになったけど。


「これで心おきなく着替えられるな」


 邪魔者を排除し、下着を着替えようとした時、廊下側から美羽の話し声がした。


『もしもし、ひっ君のママ。私ね、今ひっ君から散々弄られて強引に追い出されて……顔が良いからって、ぴえん』


 この声、誰かと通話しているのか?

 だとすればその相手とは……。


 僕は扉を大きく開け放ち、廊下の隅にいた美羽の首根っこを掴まえる。


「つまらん理由で海外電話をするな」


「……と、言いたい所だが本当はL○NE通話だよな」


 僕は美羽の持っていたスマホを覗き見る。


「ひっ君、いつから気づいてたん?」

「初めから全部だよ。さあ、その通話先の首謀者と話をさせてくれ」

「でもそれには……」


『いいじゃないか。ワシもちょうど声が聞きたかったんじゃから』


 スマホから年配のおじいちゃんの声がする。

 頑固に拒否する美羽の対応とは逆に、通話の相手は何事にも動じない会話を向ける。


「でも……」

『安心せい。彼のことじゃから、このことは余所よそには口外せんじゃろう』

「でも万が一のことがあったら……」

『我が最愛の孫娘よ。ワシを信じなさい』

「うん。わかりみ」


 美羽がスマホを差し出し、僕はその相手と話し合った。

 最初は挨拶から始まり、話の流れで各々おのおのの自己紹介へと話が変わった。


 僕は何もかも見抜いていた。

 通話先の相手は美羽のおじいちゃんで、元ゲームのプログラマーの職業に就いていたことも。


「──それでこれから僕たちが向かう場所は体験型VRルームだったと」

『すまぬ。悪気はなかったんじゃ。ただ異世界という自由な場所を使って絵師のカードで闘いたかったゆえに……』


『まあ、世界征服はカード使いで一番になりたくて、牛丼屋経営も昔からの夢じゃったんじゃ。そしてカードを集めるのはワシの小言で、もう知っての通りただのプログラムの書き換えに過ぎぬ』


『……あと、カードが美少女イラストなのは無類のギャルのイラストが大好きでの』


 そうか、全部、己の欲望のためだったか。

 年寄りとはいえ、随分ずいぶん強欲ごうよくでお盛んだったんだな。


 まあ、分からないわけでもない。

 僕も一時期は絵師を目指してイラストを描いていたけど、あまりの下手さに美羽からおちょくられたし。


 その幼少期の出来事がトラウマとなり、今では絵が描けなくなったのだ。


「だったら勝負しようじゃないか。この世界で。どっちの絵師のカード使いが強いのかと」

『お主、正気か? できればリアルでは会いたくもないのじゃが?』

「ああ、リアルはどうあれ、どうもあの結果が消化不良で納得がいかなかったんだ。最後の決着をこの世界でつけようじゃないか」

『分かった。場所は展示会の中じゃが、今から来れるかの?』

「ああ、オタクの移動スピードをなめるなよ」

『では待っておるぞ』


 通話はそこで途切れ、不安げな美羽の頭を荒っぽく撫でる。


「心配するな。僕はこれでも東京最強の絵師のカード使いだぞ」

「うん……」


『自称だけどな……』と心で呟きながらズボンの後ろポケットに眠る二枚のカードに触れる。


 この世の神様とやら、どうか、僕の戦いを見守ってくれますようにと……。


****


 東京、秋葉原にあるアニメショップ。

 そこで行われるアニメート初になる絵師展示販売会場。


 開店から一時間は経過しているとはいえ、その盛り上がりは大盛況だった。


 僕は会場でキノミノコファン印のピンク色のゴム仕様(当初はエコの紙仕様ではない)のリストバンドを付け、あの場所へ悠々と向かっていた。

 将来のキノミノコの看板メニューとされる猫耳でサンタの格好をしたクリスマス仕様の彼女のイラストの前に……。


「さあ、魔王のじいさん来たぞ」

『左様か。ならば絵の額縁の前に手を差し伸べよ』

「手を出せばいいんだな?」


 額縁の天井からの黒いスピーカーから響くおじいちゃんの声に僕は素直に反応する。


「ひっ君……」

「何だ、美羽。そんな顔して?」


 そうして魔王の指示に従い、手を伸ばそうとすると、その僕の手を思わず掴んだ美羽が声をかけてきた。


「どうした美羽?」

「大丈夫そ? 勝てる予想はあるん?」


 美羽の真顔の表情は崩れ、不安な要素で満ちていた。 

 心なしか、小刻みに体も震えている。 


「何言ってるんだよ。勝算のない勝負なんかしないさ。ここで黙って待っていてくれ」

「うん、りょー。嘘ついたら針千本飲ますー卍」

「せめてその針を青汁に変えてくれないか?」

「駄目ンゴ。最近の青汁美味しいから罰ゲームにならないから」

「そういうもんかね」


 僕は最近の青汁事情は知らないが、健康趣向の美羽が言うなら確かなのだろう。


「まあ、そんな顔するなよ。ただのカード遊びなんだ。勝ち負けはどうあれここに戻れないわけじゃない」

「うん」

「じゃあ、行ってくるよ」


「ひっ君」


 美羽が僕に近づき、頬に柔らかい感触を残す。


「美羽? これは一体?」

「にゃはは。やっぱ口にはできないねw」

「今のはキスだよな?」

「もう皆まで言わんで。ハズいんだからww」


 美羽が俯き、長い髪で顔を隠す。

 彼女なりの精一杯の愛情表現か。


「ひっ君。ほんとすこだよ。私、ここで帰りを待っているからね卍」


 美羽が笑顔で手を大きく振る。

 多少気恥ずかしいが、周りに僕ら以外に人がいないからよしとするけど。


「じゃあ、いってらー卍」

「ああ。ありがとう」


 ──美羽との別れを交わし、キノミノコの額縁に触れた瞬間、黒い人の手が僕の体を包み込む。

 これは僕が逃げられないようにする何かの手品なのだろうか。


 そう思うさま、額縁が自動ドアのように左右に分かれ、黒い手から解放された行く先には一本道の通路が続いている。


『さあ、来るんじゃ。絵師使い。すべての準備は整っておる』


 数秒ほど歩いていると通路はすぐさま終わり、先には大きな応接間が見えた。


『本来はこの先は黒い手から強引に誘い込むVRルームなのじゃが、現地でカード勝負をしたいというお主の意見をくみ取り、この場所でのVRの映像は切らしておる』

「ご協力感謝するぜ」


 またもや、天井のスピーカーから流れる声。

 応接間に着いても、肝心の対戦相手は中々姿を現さない。


「君が一筋ひとすじ君か。社長、いやマスター様から噂はかねがね聞いているよ」


 部屋の隅にいた赤髪のチリチリパーマの中年のおじさんが僕の隣へと足を運ぶ。

 僕よりも長身で灰色のスーツが様になっていたが、いかせん腹が出ていて締まりがない。


 それよりもどこかで会ったような……。

 僕は黙って人間観察を続けると相手の正体が判明してくる。


「何だ、眼鏡をしてないから誰かと思えば、魔王の隣にいたプログラマーじゃないか」

「ああ、そうだよ。この世界ではマスター様に仕えるなか、カードゲームの審判もやらせてもらってる。名前はアンソニーとでも呼んでくれ」

「そうか。お前さんもこの世界の人間だったんだな。よろしくな」


 アンソニーと手堅く握手をした僕は応接間にあった大きな木目調のテーブルに座る。

 テーブルの上には山積みにされていた黒いカードが伏せられていた。


 恐らくあのカードで魔王と対決をするのだろう。


 現実での魔王はどのような姿形なのだろう。

 僕は手に汗をかき、緊張の糸がほどけないでいた。


「では、マスター様と一筋君による待望のご対面ー‼」


 ドキドキ。

 アンソニーの呼びかけにより、条件反射か、思いのほかの緊張で座席から立ち上がる。

 僕の心臓がはち切れるように激しく鼓動を繰り返していた。


「やあ、待たせたのお」

「ぷっ!」


 そんな中、すらりと登場した魔王は予想もしないチビのおじいちゃんだった。


「あははっ。えっと、魔王ちゃん?」

「だあー、じゃからワシはリアルではつらを会わせたくなかったんじゃ!!」


 身長百四十くらいのおじいちゃんが可愛く飛び跳ねながら何やらほざいている。


 アンソニーといい、魔王といい、リアルで出会うキャラとのギャップにビックリするなあ。

 僕も中身おじさん、見た目高校生だし。


「それで、お主は何でワシの前で泣いておる?」

「分かるよ。異世界でくらい背伸びしてカッコつけたかったんだな」

「はあ? 言うとる意味がよく分からんが?」


「……まあよい。まずは知っていると思うが、恒例のルールを説明する。アンソニー!」

「はいっ、マスター様」


 おじいちゃんがアンソニーを呼びつけ、アンソニーがテーブルにあったカードを切り出す。


 僕もいつまでもちっこくてキュートな魔王に同情しても仕方がない。

 甘えを捨てて、戦闘モードという思考に切り替えなければ。


 本当の勝負はこれからなのだから……。




 

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