第4章 空いた絵師の存在が塞がらない

第10話 いどもう。逃げていても始まらない

「旦那様、これは何の真似ですか?」

「見て分からないのか。キノミたちを助けるために案を練っているのに……」

 

 肌寒い風が時おり吹く夕暮れ時、たき火の近くで旦那様は何を思っていたのか、大量の食料と水をリュックに詰めこんでいた。


「どうしてこんな物まであるのですか?」


 地面に転がっていた水色の洗濯ばさみを摘まみ上げ、疑問を浮かべる自分。


「川での洗濯用ですか?」

「そんな日本昔話のおばあさんみたいなことはしないよ」

「じゃあ、なぜですか?」

「分かんないかな。ポテチの袋を開けて、全部食べきれない時のためにこの洗濯ばさみで口を閉じるんだよ」


 なるほど、保管用か。

 それなら行動が一致する。


「所でなぜバナナやミカンまであるのです?」

「バナナやミカンはおやつには入らないんだろ。予算がまあまあ厳しくてさ」

「予算って遠足じゃないのですよ?」

「ああ、それは分かってる」

「ならなぜそんなことを?」


 旦那様が顔色を変え、自分の発言に耳を塞ぎながら、小刻みに体を震わす。

 見えない何かに怯える小動物のように……。


「……実は怖いんだよ」

「えっ?」

「僕が必死になってまで絵師のカードを集めている最中に向こう側からそれを取り戻そうと力でねじ伏せてきた」

「そうですね。なすすべもなかったです」

「そして仲間たちが敵に捕まり、キノミまでもが犠牲になった。カードで魔術が使えると調子にのって遊んでいた罰なのかもな」

「旦那様、それは考えすぎです」

「ああ、分かってるつもりなんだけど体がこうも震えてさ。そう思うと多少ふざけていても遠足気分で持ち直した方がいいかなと思っていてさ」


 話の内容からようやく理解した。

 旦那様は目の前の凶悪さに心を潰されそうになっていたのだ。

 だから心だけでも遊び心のようにゆとりを持っていて……。


 恐怖に抗おうとする弱くても強い部分。

 人間なら誰にでも通る道だ。


 なら自分はどうなのだろうか。

 自分も人間らしく生きれているだろうか。


「ヒナ。ありがとうな。というかどうした?」

「えっ、いや、何でもないです」

「だったら何で泣いているんだよ?」


 心配そうに自分に気遣ってくれる旦那様の輪郭がゆらゆらと滲む。


「自分、泣いていますか?」

「ああ、包丁で玉ねぎを切ったみたいにガンガン涙流してる。僕がなんか悪いことでも言ったかな」

「いえ、旦那様は何もそのようなことは言っていません」

「そうか。でもあまり無理して一人で背負い込むなよ」


 その優しくて逞しい面影が忘れかけていたあの方を思い立たせる。


「あっ、アンソニー」

「はあ? あんこ餅?」


 しまった。

 思わず、心の声を口に出してしまった。

 だけど旦那様には偶然にも聞こえていなく、冗談で交わされた。


「す、すみません。何でもありません」


 らしくもない。

 何を物思いにふけっているのか。

 どんなに願ってもあの人は帰って来ないのに……。


 今は私は絵師なんだから、もっとしっかりしないと。

 あの人のためにも……。


****


 ここ数日、ヒナの様子がおかしい。

 一緒に旅をする時に、彼女に声をかけても『はい、そうですね』と軽い返し方で上の空。


 空を眺めてはため息を漏らし、僕と目を合わせても僕じゃない誰かを見ているようで居たたまれない。

 そんなヒナは誰かに想いを寄せているようだった。

 

 あの時、ヒナの口から溢れたアンソニーという言葉。

 その場しのぎで食べ物と思って、別の言葉を滑らせたけど、本当は気になってしょうがなかった。


 ヒナは僕に何か隠し事をしている。

 でも向こうから打ち明けてこない反応からして踏み込んでほしくない領域なのだろう。


 誰にでも話したくない経歴はある。

 例え、仲間になった絵師という間でも、言いたくない口を強引に割らせるなど、もってのほかだ。


 いずれ心を許し、話してくれる時が来るかも知れない。

 その時が訪れるまで待ち続けようと胸に刻む。


 まあ、今日も野宿確定だけどな。

 ふかふかの布団が恋しいな……。


「さてと問題となるのは敵さんの本拠地なんだが。ここの場所もよく分からないんだよな」

「ここはトーギョーという場所ですよ」

「へえ、そうなんだ。現実世界の東京と地名が似てるなあ」

「はい。似てるも何もここは元は東京でしたから」

「はっ、何だって!?」


 目を真ん丸にして、ヒナの様子を見るが冗談を言っているような表情ではない。


「はあ、やっぱり、このことを少しずつでも話していくしかないですね。できればもう少し時間を置いてから話したかったのですが、やむを得ません」

「それにはあのアンソニーという相手とも関係してくると?」

「やっぱり聞こえていましたか」

「こう見えても地獄耳でな。特に気になる話題なら余計にだ」

「そうですか……ではまずはアンソニーのことについてですね。

あれは自分がまだ人間だった時でした……」

「ふーん。妖怪人間の昔話ねえ……」


 その場で大きなたんこぶを負った僕は無言で頭をさすり、たき火の火加減を調整しながら彼女の言葉に聞き入った……。


◇◆◇◆


「駄目だ。こんな武装じゃ歯が立たねえ」

「そりゃ、片方は闘いが素人のベレッタな少女でも、もう傍らの相手がコルトを使いこなすプロの拳銃使いだからな」

「よし、俺が少女を攪乱かくらんさせておとりになる。お前は後方から援護してから、あのアンソニーというおっさんの相手を頼む」

「ああ、了解だ」


 東京タワーからの夜景を背に、二人の武装した戦士の声が聞こえてくる。

 わたしは最上階に潜むアンソニーさんの耳にそのことを伝えると不敵な笑みを浮かべた。


 アンソニーさんは耳が悪かった。

 何でも幼い頃から銃の発砲音が激しい裏社会で暮らし、耳元で拳銃の音が鳴り響くなんて日常茶飯事だったらしい。

 それが原因で何度も鼓膜を傷つけ、のちの聴力に障害がでたらしいとか。


「ああ、分かった。だけどそんな相手なんかに遅れはとらないさ」


 赤髪に赤い瞳をしていたアンソニーさんというチリチリパーマの男性は被っていた灰色のシルクハットをさらに深々と被り、腰に忍ばせたホルスターから二丁の黒い拳銃を構える。


 年齢は三十代後半、あご髭だけを残したやさぐれたような顔つきで三角眼で眼光は鋭く、イケメンとは違い強面だけど、少し渋い感じのおじさん。

 服装は灰色のスーツでとある映画に登場する荒野のガンマンを想像させるが、これはカッコつけではなく、彼の実力は本物だった。


 俗による殺し屋。

 それが彼の職業だった。


「さあ、階段を上がって来るぞ。自分の言う通り拳銃を構えな」

「でもアンソニーさん、わたし怖くて」

「ははっ、自分のパートナーの癖をして腑抜ふぬけたことをほざくなよ」

「うっ、うん」

「安全装置の外し方は分かるよな。後は敵さんの頭に向けてズドンだ」

「うん。でも殺すんでしょ。わたしにはできないよ」 

「大丈夫だ。お前はできる子だ。自分が保証する」

「むう、また子供扱いして。わたしはもう十七だよ」

「はははっ。そう言う所がまだ子供なんだよ」


 今までタワーの建造物の柱に隠れていたアンソニーさんがわたしの前に飛び出して、二丁の拳銃をクルクルとひとさし指で回転させる。


「いいか。日奈ひな。自分の動きをよく見とけよ」


 アンソニーさんが二人の戦士の前に特攻を仕掛ける。


「無茶だよ。アンソニーさん。敵も二人だし、二人とも拳銃を持っているんだよ‼」

「それがどうしたって言うんだ?」

「えっ……」


 わたしが心配な声かけをした合間に頭から崩れ落ちる二人組。


 目で追いつかない手つきで速かった。

 二人とも額に穴を開けられていて、すでに息はない。


「人間には躊躇ためらいという感情がある。生き物の命を奪おうと行動すると一瞬の間に心の中で葛藤かっとうが生まれる」

「それはつまり、頭の中で善と悪の両方の感情が芽生えて心の中で闘うということ?」

「うーん、確かにいい線を言ってるけど日奈の想像とはちょっと違うかな」

「そうなの?」

「ああ。自己の防衛本能というやつかな。本当は人間は意味のない殺し合いとかはしない主義なんだよ。ましてや己自信の手も汚したくない。それなりの理由がないとね」

「それってテレビとかでやってる殺人犯にも理由があるということ?」

「ははっ。さっきから質問責めだな。あまりいい気がしないよ」

「あっ、ごめんなさい……」

「いや、謝ることもないさ。好奇心を持つことはいいことだよ」


 アンソニーが銃をしまい、わたしが手に持っていた拳銃をそっと握らせながら苦笑いを浮かべる。


「殺し屋という職業はその躊躇いを無くすために訓練をするからさ、時たま人間として感情が薄れるのさ」


「そんな時に君と出会った。両親から見放されたにも関わらず、一人で頑張ってスラム街で生活していた君と……」


「……君は自分にとって天使のような存在なんだよ」


 アンソニーはポケットから煙草を出して口に加え、豪快に煙を吸い込む。

 わたしはその煙をまともに吸ってしまい、その場で咳き込んでしまう。


「あっ、悪いな。物心ついた頃から気管支が弱いんだったな」

「アンソニーさん。わたしの前では煙草は吸わないって約束したのに」

「えっ、そんなこと言ったかな?」

「もう、すぐにしらばっくれて。破った罰として今日の晩ご飯はメザシにします」

「うわっ、あれ苦手なんだよな。ごめんごめん」


 煙草をもみ消して、わたしに弁解の余地を求めるアンソニーさん。

 少しだけ彼が可愛く見えた。


『クックック。可愛らしい恋人通しじゃな』


 そんなおどけているわたしの頭の中に突然響いてくる老人の声。

 アンソニーさんの方に無言で合図すると、彼も神妙になって応じる。


「アンソニーさんにも聞こえるんだ」

「ああ、しっかりとな。どうやら嫌なヤツと対面したみたいだな」

「嫌な相手ってこの脳内テレパシーの?」

「まあな。自分の業界でも有名な絵師使いの魔王というヤツさ」

「えっ、魔王ってゲームじゃないんだから」

「まあ、この世界自体がゲームみたいなものに染まっているからさ」

「えっ、何言ってるの?」


 アンソニーさんの喋っていることが理解できない。

 わたしは彼がまた下らない茶化しを入れてきたのかと感じていた。


「それに日奈も自分もこの世界では実験体のような身分だからさ」

「ねえ、さっきから何を言ってるの?」

「日奈、いいから自分から離れて」

「きゃっ!?」


 アンソニーさんから突き飛ばされて、床につんのめるわたし。


「ごめんな。でもコイツだけはどうにかしたい相手だからさ」

「アンソニーさん、コイツって?」

「業界ナンバーワンの懸賞金がかかった凶悪犯の強者だよ。そこで見てれば嫌でも分かるさ」


 アンソニーさんが拳銃に弾丸を込めながら、静かに両目をつぶる。

 そして、見えない敵に対して真っ向から駆け出した。


「アンソニーさん‼」

「心配するな。自分は天下無敵の殺し屋さ!!」


『バキューン、バキューン!』


 アンソニーさんが建物の柱に向けて発砲音を鳴らした瞬間、胸の辺りから血飛沫がして、ゆっくりと地面へ倒れていく。


「ぐっ、魔術で弾いたか……」


 穴のほげた壁から水のように流れ出てきた老人。

 その床で倒れているアンソニーさん。


「アンソニー!」


 わたしは彼の元に駆けつけ、身の安否を確かめる。

 胸の辺りからの出血が激しく、彼がゆっくりと目を開ける。


「おおっ、日奈か。いけねえな。逃げろと言ったはずなのに……」

「逃げろとは一言も言ってないでしょ」

「そうだったかな。歳はとりたくないもんだな……」

「しっかりして。今止血するから」

「自分なんか捨て置いていいから逃げろ……」

「逃げろと言われても」

「胸が痛いのに何度も言わすな……。好きなヤツには生き抜いて幸せになってほしいんだよ……」

「アンソニー、わたしは!!」

「達者でな……」

「アンソニー!」


 アンソニーが静かに目を閉じて、体全体の力が抜ける。

 わたしは魔王とやらの力で何が起ころうと、もう彼を抱いたまま泣くことしかできなかった……。


****


「これがアンソニーとの出会いと別れでした……」

「なるほどな。そういう仲だったのか」


 あれから夜になり、たき火のそばで暖をとるヒナが僕の渡したコーヒーの入った白いマグカップをすすりながら、言葉を止める。

 僕はその話を聞いて、正直ブルーになっていた。


「まあまあ、そう真面目に受け止め過ぎですよ。今となっては、もうただの昔話ですから」


 ヒナが慌てて両手を振りながら誤魔化すと同時に僕の頭にマグカップがのっていた。


「ほわっ、あっ、あぢいぃぃー!?」

「ああっ、ごっ、ごめんなさい!?」


 僕の頭にヒナの手からのコーヒー攻撃を受けて、地べたに転がり込む。


 これはめっちゃ熱い。

 中身は沸騰していたばかりの飲み物だぞ!?


「人が親身になって聞いていたのに、何の罰ゲームをやらされてんだよ!?」

「ごめんなさい。自分の風の魔術で乾かして……」

「止めんか、豚の細切れみたいになるだろ‼」

「豚の? 最近肥えましたか?」

「お主、人が最近気にしているのに言ってはならぬことをー!!」

「あはは。ごめんなさい♪」


 僕はたき火の周りで逃げまとうヒナを追い回しながら思う。

 しんみりしても起こってしまったことはどうにもできない。


 でもその先の未来ならどうにかして変えられると。

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