第5話(最終話)

 物心がついた頃は、すでに家は無かった。

 児童保護施設で他三人、計四人で一部屋。

 ほとんど同じくらいの年齢だったが、正確な年齢は知らない。

 カルタも自分の年齢すら職員から聞かされた。

 来年は学校に通わなければならないらしい。学校がなんなのかも知らない。ここがどういう場所なのかも知らない。

 他の子供たちと仲良くするように言われるが、その意味が分からなかった。

 他の子供たちが施設内を走り回っている意味が理解出来ない。


 ──みんな……どうして笑っているんだろう…………


 カルタは毎晩のように悪夢に苦しめられていた。

 内容はいつもうろ覚え。

 いつも誰かに首を絞められる光景だけが残る。

 そのためか、いつも誰よりも早く起きた。

 いつも嫌な汗をかいて目覚める。

「学校に通うにあたって、カルタちゃんには色々と話しておかなければならないの」

 施設の職員がそう言って話し始めた。

 小さな部屋には二人だけ。この部屋に呼び出される時は、決まって他の子供たちには聞かれたくない話の時だ。一つだけの窓からは夕日が差し込んでいた。

 また夜がやってくる。カルタはこの時間が一番嫌いだった。夜の訪れを告げる夕日のオレンジ色。

 再び悪夢がやってくる。

「分かってるかもしれないけど…………ご両親は……もう亡くなってるの…………」


 ──……両親って…………?


「大きな事故だったらしいわ…………だから……カルタちゃんはここに来たのよ」


 ──…………事故…………?


「思い出したくないとは思ったんだけど…………学校に通うとなると、そういうことは理解してないと…………色々とね…………」


 ──……なにを言ってるんだろう…………


「何か……覚えてることある?」

 カルタは理解が出来なかった。

 覚えていることなど、あるはずがない。

 親の面影すら知らない。

 その夜も、夢を見た。

 自分の首を絞める誰かの顔。

 影になってはっきりと輪郭は掴めない。

 苦しかった。

 誰かの声が聞こえる。

 微かだったが、叫んでいた。

 何を言っているのかは分からなかった。

 そして、また朝が来る。

 いつもの、不快感だけの朝。

 夜の訪れを待つ時間が過ぎていく。

 無駄な時間。

 一日の終わりは悪夢の始まりだった。





 幼い時から、カルタはすでに能力を開花していた。

 物を動かせるのではなく、物を破壊する力。

 食器、椅子、そして窓ガラス。

 特別意識することなく、家の中でカルタは両親を困らせた。

 やがて、窓際にきた鳥が潰されて地面に落ちるのを見た時、両親は初めて恐怖を覚えた。

 外では猫をひねり殺し、しだいにカルタの行動は過激になっていった。

 いつの間にか両親は、カルタに恐怖しか感じなくなっていた。

 腫れ物に触るようにカルタに接する毎日。

 病院に連れて行くと、看護師の腕の骨を折り、足の骨を折る。

「悪魔…………」

 両親のその言葉がカルタの耳に届く。

 意味などまだ分からないままに、その言葉はカルタの深層心理に刻まれた。

 その夜、寝ていたはずのカルタは息苦しさで目を覚ました。

 目の前に顔が見える。

 両腕を伸ばし、カルタの首を圧迫する。

 叫び声が聞こえた。

「殺して! こんな子は私たちの子じゃない! 悪魔の子供なんか殺して!」

 すると、カルタの顔の上で、目の前の顔が吹き飛んだ。

 カルタの顔に生暖かい物が降りかかる。

 悲鳴が聞こえ、カルタは上半身を起こしていた。

 床に倒れ込むようして悲鳴を上げるもう一人の頭が潰れる。

 短く、鈍い音だった。





 嫌な夢。

 それにはもう慣れた。

 慣れたはずなのに、それでも気持ちは悪い。

 今は何時だろうか。

 外からの音は、いつもの早朝よりも早い時間であることを表していた。

 いつも以上にハッキリとした夢だった。

 更にいつも以上に顔の汗が気持ち悪い。

 洗面所に向かおうと、カルタはベッドを降りた。

 なぜか、いつも聞こえるはずの同室の三人の寝息が聞こえないことに気が付いた。三人のベッドを見ると、暗闇の中、月明かりに照らされた潰れた頭。広がった血液に混じる白い粒が散乱し、僅かな月光に輝く。

 何が起きたのか、なぜかカルタにはどうでもいいことに思えた。

 友達と言える間柄でもない。

 黙って洗面台に向かう。

 すると、すぐに見回りの職員の声がした。

「こんな時間にどうしたの?」

 振り返ったカルタの目の前で、その職員の体が捻れた。そして低い声を出して床に崩れる。

 その背後からの別の職員の悲鳴が響くと、やがて周囲の音がざわめき出した。そして、カルタの中の気持ち悪さが増した。

 気が付くと、カルタは外に駆け出していた。

 周りからの雑音が嫌だった。

 頭の中に悲鳴が回る。

 それからどうやって生きてきたのか、いつの間にかカルタはホームレスの集団に囲われるようにしてスラム街で生きてきた。

 施設の職員と違い、自分が生きるために必要な人間は殺さずに済んだ。しだいに〝分別〟が出来るようになっていく。

 やがて意識的に力をコントロール出来るようになると、その力を盗みに応用することを覚えた。

 食べていけた。

 生きていけた。

 力のせいか、ホームレスの中で一定のカリスマ性までも獲得していった。

 そんな生活を繰り返して数年。

 その日もカルタは警察に追いかけられていた。すでにマークされていたのだろう。もしかしたらカルタの力のことも知られていたのかもしれない。

 すでに警官も数人殺害していた。それも銃や刃物ではない。

 しかし、カルタの力を持ってしても、飛んでくる銃弾を見ることは出来ない。

 走っていた足に突き刺さる痛みに、足を取られる。

 倒れかけた時、更に胸に激痛が走る。

 そのまま意識が遠のき、気が付いた時、カルタは全身の自由を奪われていた。

 明るかった。

 頭上の大きなライトが眩しい。

 ベッドらしき所に縛られているようだった。頭だけは動かすことが出来た。

 カルタの周りには数人の大人が立っている。その光景が歪む。ガラスがある。しかし壊そうとしてもヒビすら入らない。

 初めてカルタは恐怖を感じた。

「このガラスは簡単には割れないよ」

 大人の声が聞こえた。

「これ以上の強さのガラスは無いからね」

 足元に目をやると、カルタの体は太いバンドで固定されていた。

 カルタはそのバンドを捻る。やがて鈍い音がして、弾けた。

 すぐに手を伸ばしていた。そのまま目の前のガラスに両手をつくと、力を込める。開いた両手から広がるように、少しずつ、小さなヒビが広がっていく。

「無駄だよカルタ。君のことはもう分かってる。今自分が一〇才だってことも知らないんでしょう?」


 ──……年齢になんの意味がある…………


「私たちに協力してくれるなら、あなたは無罪放免。今後一切警察に逮捕されることがないことを補償する」


 ──……こいつらは…………誰だ…………


「政府に対抗できる組織を作って欲しいの」

「簡単でしょ?」

「反政府組織を作りなさい」

「武力で政府の存在を脅かすの」

「あなたにはカリスマ性もある」

「政府は嘘をついてるわ」

「この世界には秘密があるの」

「誰も気が付いていない秘密」

 そしていつの間にか、カルタの意識が遠のいた。





 目が覚めた時、カルタが理解出来たのは外にいるということだけ。

 星空が見えた。


 ──……今は……何時だろう…………


 背中が冷たい。

 片膝を立ててみる。

 両手をついて上半身を起こす。

 掌に冷たいアスファルトの感触。

 体のどこにも痛みはない。

 周囲は街灯一つ無かった。微かに風が流れる。その風に混じる僅かな土の匂い。

 立ち上がってみるが、遠くには何も見えない。

 背後から小さく足音が聞こえた。

 二人。

 一〇メートルくらいだろうか、その二人が足を止めた。

 カルタは振り返るが、まだ二人の顔は見えない。

 しかし、声が聞こえた。

「カルタね。待ってた。私はマシロ」

 そこにもう一人の声。

「私はフレン。準備は出来てる。一緒に来て。ご飯もあるしね」

 そして、カルタの新しい運命が始まった。





「リサイクルショップはダメだったよ」

 偵察から戻ったトモエは、カルタのいる部屋に入るなりそう口を開いて続ける。

「店主も殺されてた…………周りのタイヤの跡を見る感じでは我々のやり方ね…………あの二人と見て間違いない」

 部屋の中にはいくつものコンピュータが並べられ、そこに数人の隊員が作業をする中で、カルタは一度上げた視線を落として返す。

「そう…………ありがとう」

 トモエは続けた。

「エマから情報のあったテイクアウトの店は閉まってた。誰もいないように見えたけど…………裏切っていたとしても、こうなったらどっちにつくのかも分からないね」

 すると、トモエの後ろにいたカナが顔を出した。トモエの横を擦り抜けて部屋に入ると、近くの椅子に座って口を開く。

「他の偵察チームは戻ってきたの?」

 カルタはモニターに視線を戻して即答する。

「まだ…………でも連絡は取れてる。見つかってはいないよ。二人の指示が良かったお陰だ」

 それに応えたのはトモエ。

「いつも私とカナみたいにチームで動いてるメンバーだからね。偵察の情報が集まったら作戦を立てよう」

 すると、トモエの背後から足音と共に近付いてきたのはエマだった。

「お疲れ様です。テイクアウトのお店どうでした?」

 いつもの明るい声に、その場の誰もが僅かだが救われた気持ちになった。

 振り返って応えたのはカナだった。

「閉まってたんだ……張り紙も何も無かったから臨時休業なのかどうかも分からないけど……確か定休日ってなかったんだよね」

「え? ええ…………無かった……はずです……よ」

 エマが声のトーンを落として視線を落とした。

 カルタが何かに気が付いて小さく呟く。

「……トモエ」

 そして、トモエが動いた。エマの腕を掴むと部屋の外に連れ出す。

「何か知ってるの?」

 明らかに怯えた様子を、エマが隠せずにいるのがトモエには分かった。

「何か知ってることがあるなら────」

「アンジュの…………」

 エマの目から涙がこぼれ落ちていた。

「……アンジュの…………妹の店…………」

「アンジュ? アンジュって…………」

「忘れられなかったの…………アンジュにそっくりで…………私…………」

 トモエの背後からドアが開く音。出てきたカルタの声が聞こえる。

「トモエ…………あのスパイの名前だよ……そう言えば分かるでしょ。エマはアンジュがいたからここにいるんだ…………」

「あの時に殺されたっていうスパイ…………」

 そう呟いたトモエも、事の顛末は理解していた。あの時にエマを助けたのは自分とカナでもある。

 カルタの言葉が背後から続いた。

「その妹のナラカが組織と繋がっていたからアンジュが選ばれた…………」

 すると、エマの震えた声。

「……ごめんなさい…………好きになっちゃった…………」

 組織を裏で支える人物との深い関係はもちろん禁止されていた。それがどこで身元の流出に繋がるか分からないからだ。

「……アンジュの名前を呼びながら抱いても…………ナラカは私を受け入れてくれた…………アンジュ…………アンジュ…………」

 泣き崩れて床に手をついたエマの姿を見ながら、カルタが再び口を開いていた。

「アンジュを指名したのは私…………だからアンジュの死には私も責任がある」

 そのカルタの肩に、カナが手を乗せた。

「だったら…………」

 そう口を開いたカナの柔らかい声が続く。

「エマを責めないであげて…………裏のない〝明るさ〟なんてないよ…………カルタも今ここにいるなら、色々あったんでしょ…………それでいいじゃない」

 そして、カルタはそれにゆっくりと応えていた。

「うん…………でも…………それはみんな同じだよ…………」

「カルタ」

 それはトモエの声だった。トモエはエマを立たせ、その体を強く抱きしめながら、力強いその声を続ける。

「リーダーはあなた……私たちはみんな、この世界の真実が知りたい…………それだけ……お願い…………」

「分かった…………あの二人の部隊の位置が分かったら、情報の公開と同時にセントラルセンターへ────あそこにしか真実はない」

「よし」

 その声はカナだった。

「終わったらカルタにもいいお店を紹介してあげるからさ」

「お店? どんな?」

「恋人いなさそうだから」

「いや……そういうお店は私は…………」

 いつの間にか、エマを抱きしめるトモエの背中に、エマの腕が回っていた。





 すでにだいぶ陽が傾いていた。

 モニターを見つめるカルタの背後から、紙の地図を広げるトモエの声がした。

「場所は大体把握出来たね。二人に追随した部隊の数からいったら、多分これで全部」

 隣のカナが返す。

「分からないよ。こっそりと隊員を増やしてた可能性もある」

「確かにね」

 そう返したのはカルタだった。

 背中を向けたままのカルタは振り返って続ける。

「あの二人なら何をしててもおかしくないよ」

 それをカナが掬い上げた。

「あの二人……カルタもあまり知らないようだったけど…………」

 すると、カルタは後ろの椅子を引っ張って腰を降ろす。

 カナの言う通りだった。カルタはマシロとフレンのことを知らな過ぎた。

 さりげなく部屋の中に目を配った。他に室内にいるのは、コンピュータの前に座るエマだけ。

 そして口を開く。

「私が……立ち上げようとして立ち上げた組織じゃないの…………」

「…………どういうこと?」

 そのトモエの声と同時にカナとエマもカルタの顔を見た。

 そしてカルタが続ける。

「誰かが裏にいた…………私はそいつらに捕まって…………立ち上げに加担しただけ…………誰なのか分からない…………あの二人は私よりも先に準備を進めてた…………素性も詳しくは分からない」

「誰かって…………」

 呟くように口を開いたカナが続ける。

「…………そんな秘密もあるの…………?」

「武器も二人がどこからか調達してくる。隊員も集めてくる。あの二人は〝誰か〟と繋がってる…………だから……信用出来なかった。でも、組織をここまで引っ張ってきたのは私……私は責任を捨てたくない。あの時は従うしかなかった…………でも今は違う」

「その秘密も、セントラルセンターにあるのかな…………」

「多分ね…………前回襲撃に失敗したのはあの二人が邪魔をしたからだと思う…………」

「…………やっぱり……」

 そう呟いたのはトモエだった。

 確かにトモエには覚えがある。あの時、マシロは間違いなく、敵ではなく味方を欺いていた。

 カルタが繋げる。

「でも…………初めて信用出来る仲間を見つけた…………」

 そのカルタの言葉は、全員の気持ちを高鳴らせた。

「エマ、情報発信の準備は?」

 カルタがエマに顔を向けると、エマが返す。

「問題ありません。チェーンで繋がってるブロックに強制的にデータを流すプログラムを作りました。元々あったプログラムを流用したものですけど。数時間で広がります。一度広がってしまえば誰も介入できません。あとは信じてもらえるかどうか…………」

 それにトモエが返した。

「確かにね…………私たちだってまだ不安定なままだし…………受け入れたくないのかな……………………自分が人間じゃなかったなんて…………」

「それを確かめに行くんだよ」

 そのカナの言葉が続く。

「なんだって受け入れるよ…………私たちが生きてることは間違いないでしょ」

 すると、それを掬い上げたのはカルタだった。

「それもそうだ」

 微かにカルタの口元に笑みが浮かぶ。

 全員が驚いた。誰もカルタのそんな表情を見たことがなかった。

 カルタ自身も驚いていた。


 ──……笑うって、こういうことだったのかな…………


 しかもそれが、感情を伴うということも知った。

 そして、全員のインカムに外からの声が届く。

『部隊の編成が整いました──いつでも行けます』

 カルタが立ち上がって応える。

「分かった。すぐ行く────エマ、情報発信のタイミングは私が指示する。ラップトップの準備は?」

 エマは待っていたかのように応える。

「行けます」

「じゃ…………行こう」

「待ってください……あの店にだけは行かせてもらえませんか? 私だけでも構いません。近くで降ろしてもらえたら────」

「つまらないこと言うのね」

 トモエだった。立ち上がりながら続ける。

「失敗したとはいえ、一度あなたはあの情報のために命をかけた…………誰がそんなあなたの頼みを断れると思うの? 私とカナが一緒に行くから安心して──カルタ、いいでしょ?」

 するとカルタも、まるで分かっていたように応えていた。

「どうせトモエたちは別行動でしょ? 分かってるよ。その代わり…………死ぬことは許さない。絶対にセントラルセンターで私と落ち合うこと。いい?」

「カルタも行くの? あなたはここから司令塔になっても────」

「この世界のカラクリを…………私にも見届けさせて…………」

 カルタの目は、誰も見たことのないものだった。





 セントラルセンターへの侵入経路は三箇所。

 正面入り口と地下道が二つ。

 細長く高い建物の周囲は三メートルを越す塀で囲まれ、入り口は正面しかない。それに対して地下には秘密の地下道があった。センターで働いている職員のほとんどが知らない地下施設。

 それはアンジュから以前にもたらされた情報でもあった。しかしその実態までは組織でも掴めていない。センターの地下にあるというだけで、別の施設と考えるほうが自然に思われた。

 入り口はセンターにダイレクトに繋がる二本のトンネル道路の中。トンネルに並行して存在するトンネル管理用の通路の奥にある。

 地下施設そのものが秘密にされているということは、そこに何らかの秘密があるだろうというのがカルタの判断だった。トモエたちもそれには異論は無い。

 二箇所の地下道からの侵入用に部隊を編成していたが、問題はマシロとフレンの部隊だ。カルタが地下道の存在に気付いていることはもちろん二人も知っている。妨害に遭う可能性は考えなくてはならない。

 四部隊に分かれてセンターを目指していたが、遠くの光景を見ることが出来るフレンには見えていると予想された。周囲の状況を把握しながら慎重に進行していた。

 トモエとカナ、エマの三人は別行動を取っていた。

 スラム街寄りのエリア。

 そこにエマの通っていたテイクアウトショップがある。まだそれほど遅い時間ではないが、エリア的に、夜とは行ってもそれほど人通りが多いわけではない。

 テイクアウトショップから距離で五〇メートル程度だろうか。緊急時に駆けつけるには余裕のある距離だ。

 道路の脇にバンを停めたエマは、ラップトップを助手席に置いたまま運転席を降りた。そして後ろでバイクを降ろすトモエに話しかける。

「店の中って……見えてますか?」

 トモエはリア扉を閉めながら返した。

「うん…………見えてるよ。店の中には誰もいない。建物の中もだね」

「念のため、ラップトップは助手席にあります」

「一緒に行かなくても大丈夫?」

 トモエのその声に、エマはコートの左胸を押さえながら応えた。

「一応……持つ物も持ちましたから……最初は一人で…………」

 エマは左脇の拳銃の存在を確かめた。まだ使ったことはない。訓練とは言っても数えるくらいだ。

 そのことにはトモエとカナも不安はあった。しかし、トモエには建物の中が見えている。誰もいない。今はトラブルが無かったか調べるだけだ。

 エマの中に、自分のプライベートを見られるような恥ずかしさがあったことは事実。それと、自分で責任を取らなければならない部分があることも理解していた。

 店の入り口にはシャッターが降ろされたまま。二階建ての小さな建物だ。二階部分は住居スペースになっている。そこに入ったプリムラの隊員はエマだけ。

 高鳴る胸の鼓動を感じながら、エマは裏口へ回る。体を横にしてやっと通れるような細い路地から裏口に辿り着くと、扉のノブを回した。

 いつもは正面から店内に入り、そこから中に入っていた。エマでも裏口から入ったことはない。

 鍵がかかっていなかった。


 ──誰もいないはずなのに…………


 緊張が高まる。

 中は暗かった。

 拳銃を手にした。教わったようにセーフティーロックを解除してブローバックを一回。訓練の時よりも硬く感じた。

 そこは店の裏でもある厨房になるが、いつものように綺麗に整頓されたまま。


 ──大丈夫だね…………いつものナラカの整理の仕方…………


 荒らされた様子もない。

 体が震えるような安堵感がエマの体を駆け抜けていた。

 それでも教わったように出来るだけ足音は立てずに、ゆっくりと店内を見ていく。トイレ等も問題はない。

 残るは二階だけ。

 唯一ある階段から上を見た時、微かに届く声。


 ──……ナラカ?


 一段ずつ、エマは階段に足を乗せる。


 ──……ナラカだよね…………


 やがて、しだいに声がはっきりとしてきた。

「──おかしいじゃないですか」


 ──…………ナラカだ


「カルタさんが裏切ったって────」


 ──……誰と話してるの?


 いつの間にかエマの足が止まる。

「じゃあ……どうしてマシロさんは政府と繋がってるんですか⁉︎」


 ──……マシロ⁉︎


「反政府組織だったんですよね⁉︎」

 続くマシロの声。

「ここで仕事を続けたければ、私たちの側について」

「おかしいですよ⁉︎ 裏切ったのって────」

 そして聞こえる、ブローバックの音。さっきも聞いたあの音。

 エマは反射的に階段を駆け上がっていた。

 登り切った時、目の前にはナラカの姿。

 エマに振り返ったナラカの目は大きく見開かれていた。

 エマは無意識に叫んだ。

「…………アンジュ……!」

 ナラカの目は、どこか寂し気なものに変わる。


 ──……アンジュ…………


 そして、銃声と共に、ナラカの体が壁に打ち付けられた。

 そのまま。床に崩れ落ちる。

 エマが視線を送った先には銃を握る腕を伸ばしたマシロ。いつもと同じ、冷たい目をしていた。

 エマが銃を持った腕を上げる直前、マシロの銃口がエマへ。

 エマの体の中心を、鋭い物が突き抜けていた。

 いつの間にか、自分が両膝をついていることにも気が付かない。

 自分の意思は届かなかった。

 体が前に倒れていく。

 顔のすぐ側を、マシロの靴が通り抜けていく。


 ──……アンジュ…………


 僅かに顔を上げると、そこには床にうつ伏せに倒れるナラカの姿。

 エマは手を伸ばしていた。

 その手が、ナラカの手を掴む。

 暖かかった。

 そして、僅かに震えている。

 ナラカが震える顔を上げた。

 いつの間にか、エマは言葉を絞り出す。

「…………アンジュ……」

 すると、ナラカは小さく頷く。

 目を潤ませながら、ゆっくり口を開いた。

「……待ってた…………やっと…………一緒に……なれたね…………」

 エマの手を握るナラカの手が、解けるように力を無くしていた。

 自分の下に広がる血溜まりにも、エマは気が付かないまま。


 ──……会いたかったよ…………アンジュ…………


 気持ちだけが、少しずつアンジュと絡まる自分を感じていた。





「気のせいかな…………何か……聞こえなかった?」

 バイクに寄りかかりながらトモエがそう言うと、隣のカナが返す。

「大丈夫だよトモエさん。見えてるんでしょ?」

「うん…………そうだけど────」

 次の瞬間、トモエは突然走り出した。

 驚いたカナが追いかけながら叫んでいた。

「────どうしたの⁉︎」

「見えてるのに! エマの姿も見えない!」


 ──……そうか…………マシロ…………!


 カナがそう思った直後、二人は反射的に銃を抜いていた。

 店の横の路地にトモエが体を入れると、後ろのカナが声を上げる。

「裏口って────」

「この裏──」

 トモエはそう言うと同時に銃をブローバックさせていた。

 そのトモエの声が続く。

「誰か出てくる」

 視線の先にマシロの姿を見た直後、トモエは何の迷いもなく引き金を引いていた。

 交わしながら逃げるマシロを追いかけながらトモエは叫んだ。

「中を調べて!」

「分かった!」

 カナは応えながら裏口と思われる扉を開けて暗闇に銃を突きつける。


 ──トモエさんなら大丈夫…………


 そう思うしかなかった。

 それでも、暗闇の中で階段から滴り落ちる黒い液体を見た時は、さすがにカナの中に嫌なものが走った。

 階段の先には、手を握りながら倒れる二人。

 その二人の表情は柔らかい。

 カナは総てを理解した。


 ──……最後に……会えたんだね…………良かった…………


 そして、外から聞こえるトモエの声に、カナは顔を上げた。

「カナ!」


 ──……私も行くね…………


 外に出ると、トモエがカナの両肩を掴んで叫ぶ。

「エマは⁉︎」

「二人とも、ダメだった」

 カナはトモエの目を見ながら応えていた。

「二人?」

「うん…………やっと会えたんだね…………」

 カナの潤んだ瞳に、トモエはやっと察することが出来た。

 そしてトモエが返す。

「カナは? ……会いたいの?」

 カナの目から涙がこぼれ落ちた。そして応える。

「私には…………目の前に最高の人がいるからね…………」

 直後、いつも以上にカナを抱きしめるトモエの腕は熱い。

 カナが自分の中にいるかのような錯覚を覚える。

 お互いに多くの過去を抱え込んでいた。それでもお互いを求めていた。そして、お互いに人生は残り少ない。

 そして、トモエはカナの手を取って走った。

 バイクに跨り、エンジンをかける。

 カナはバンの助手席からエマのラップトップを取ると、バイクの後ろに跨りながらリアバッグに詰め込んだ。

 周囲がざわついていた。

 さっきのトモエの銃声のせいもあるかもしれないが、それだけであれほど人が集まるとは思えない。

 遠くの空が明るくなる。

 銃声は聞こえない。

 暴動が起きていた。

 トモエはインカムのスイッチを押すと、バイクを走らせた。

 インカムに向かって叫ぶ。

「カルタ! 今マシロを追いかけてる! フレンと二人で黒いバン!」

 カルタの声はすぐに返ってきた。

『分かった──こっちはトンネルのすぐ手前に来たとこ──』

「こっちは暴動が始まった! 紛れながら二人を追いかけるよ!」

『こっちも始まりそう──範囲が広すぎる──焚きつけたのはあの二人だよ』

「私もそう思うよ────」

 近くで火炎瓶が割れる。アスファルトに広がる炎を避けながら、トモエはハンドルを切りながら続けた。

「地下で待ってて!」





「必ずだ…………生き残って…………」

 そう言うと、カルタは車の無線機のマイクを手に取った。

「全員降車! こっからは足だ! 群衆に紛れてトンネルに突っ込め!」

 まだマシロとフレンはここにはいない。

 その確信が得られた今、カルタに迷う理由は無かった。

 車から次々と隊員が自動小銃を手に降りていく。周囲はすでに群衆が波となっていた。

 トンネルの前には警察のバリケード。それに加えて警官の持つ盾が威圧感を増幅させた。

 投げ込まれる火炎瓶の割れる音に周囲の緊張が高まっていく。しだいに炎で明るくなる周囲に紛れ、隊員たちは少しずつトンネルへの突破口を見つけようと動くが、最前線はなかなか動かない。

 やがて警察の放水車が投入されると、さらに混乱は広がった。

 しかし、カルタは突き進んだ。

 マシロとフレンは暴動の混乱でカルタたちの侵入を阻みたいだけ。

 カルタが持っているのはオートマティックが一丁。

 充分だった。

 そのカルタが、目を見開く。

 直後、バリケードが吹き飛ぶ。

 何人もの警官の体が宙に浮き、放水車が大きくその巨体を捻じ曲げられると、怒号に混じって歓声が響いた。

「突っ込め!」

 カルタはいつの間にか、組織以外の人々までをも率いていた。





 想像以上に暴動の規模は大きかった。

 群衆の波がいつもより濃く感じられる。

 それでもその僅かな隙間を縫うようにしてトモエのバイクが走り抜けて行く。

 触手のように伸びた炎が何度もトモエとカナの頬をかすめた。

 やがて細い路地に入った時、トモエが叫ぶ。

「正面に出てくるよ!」


 ──こんな狭い路地に────

 ──フレンも焦ってあまり見えていないの────?


 フレンの力は確かにトモエよりも強力なものだったが、トモエと同じく状況でレベルは左右された。バンを運転しながらでは一〇〇%の力は発揮出来ないのだろう。

 カナがリボルバーを取り出した。

 正面、右の路地から黒いバンが飛び出す。

 同時にトモエの声。

「間違いない! タイヤ!」

 カナは左手をトモエの腰に回したまま、可能な限り体を右側に落とした。トモエの太ももで銃を持った右手を固定し、狙いを定める。

 トモエも神経を集中していた。不安定な状態でバランスを維持するのは簡単なことではない。

 カナが引き金を引いた。

 その振動がトモエの足に響く。筋肉が強ばった。

 路面の振動の中で、弾丸はやがてアスファルトで弾かれる。

 それでも、カナは再び狙いを定める。

 元々銃身も短いリボルバー。遠くの標的に当てることに適した銃ではない。


 ──……お願い…………リゼ…………


 引き金を引いた。

 その弾丸は後ろのタイヤを掠めるように、前方右側のタイヤへ。

 車体が大きく左に流れ、やがて浮く。

 車の底が見えた時、トモエは素早く銃を取り出すと引き金を引いていた。

 何発目かのその銃弾が燃料タンクに当たると同時に、一気に炎の塊が路地を埋め尽くした。

 急なハンドル操作でバイクを停めたトモエは、自分の腰にカナの両腕がしがみついていることで胸を撫で下ろしていた。

 その手に自分の手を添えると、優しくカナに微笑みかける。

「……さすがだね…………やっぱりカナは最高のパートナーだよ」

「今頃気が付いたの?」

 カナのその声すら愛おしい。

「知ってたけど」

「でしょ」

「さ、行くよ」

 トモエのその声で二人はバイクを降りると、銃を構えながらバンに近付いて行く。

 簡単に炎は消えない。むしろ車内には燃えやすい素材も少なくない。バンに銃火器が積まれていれば尚更だった。

 微妙な距離を保ちながらも、二人の緊張が高まっていく。

 突如、上になっていた運転席側のドアが弾け飛んだ。

 トモエとカナが同時に銃口を向けた先に、頭から血を流したフレンが顔を出す。ゆっくりと上半身を出すと、そのまま車外に体を踊らせた。

 地面に倒れたまま、苦しそうに胸を上下させるフレンに二人は銃口を向けたまま近付いた。

 フレンは目だけを動かして二人を見上げていた。

 トモエは銃口を動かさない。カナは周囲に視線を配った。

 最初に口を開いたのはトモエだった。

「マシロは?」

 すると、口元に笑みを浮かべたフレンが応えた。

「逃げたよ…………安心して…………私を助けに戻るようなことはしないよ…………」

「最低なお仲間で残念だったわね」

「そう? どうせ…………人間じゃないもの…………あなたも…………」

「そうね…………」

 トモエは無意識の内に銃を軽く握り直していた。

 自然と引き金にかかる指に力が籠る。

 すると、フレンが口を開いた。

「……情報公開……したら…………終わるよ…………」

「……どうして?」

「誰も……受け入れられる……はずがない…………今のままのほうが…………幸せなのに…………三〇年…………楽しんで生きれたら…………」

「…………そうね」

 トモエが引き金を引く。


 ──……でも…………私たちは知ってしまった…………


 その弾丸は、フレンの頭部を貫いた。





 かつて無いほどの群衆の波。

 官庁街から歓楽街を抜け、周囲の住宅街まで飛び火した炎の海は、夜の暗闇まで明るく照らしていた。

 暴動に対しての警察からの発砲は初めてのことだった。人々からの後々の反発を恐れ、基本は放水車や催涙弾のみの交戦に止まる。プリムラもそれを利用するかのように暴動を扇動した。暴動そのものを盾にしていた。

 しかし今夜は違った。

 カルタの部隊がトンネルのバリケードを突破し、群衆がトンネル内に突入した途端、警察の動きは変化した。

 プリムラに対してだけではない。

 群衆に向けて発砲を始めた。

 そして、その中にはマシロとフレンの部隊も混在する。

 結果として、それが暴動を更に凶暴に拡大させていく。


 ──今夜だけで何人死ぬのだろう…………


 群衆から外れてトンネル脇の通路へのドアを破壊したカルタは、そんなことを考えていた。


 ──……世界の真実を知らずに、多くの人たちが死んでいく…………


 足を踏み入れた通路は狭い。

 人一人が通れる幅しかなかった。しかも暗い。


 ──奥に行けば、真実がある…………


「みんなはここに待機しててくれ…………警察以外には絶対に発砲するな…………それと、トモエたち以外は絶対に通さないように」

 カルタは歩き始めた。


 ──……世界が終わるのかもね…………


「カルタ!」

 その声に、通路の中でカルタは振り返った。

 通路に飛び込んだのはトモエだった。その後ろにはカナの笑顔がある。

 いつの間にか、二人の顔を見たカルタの表情も柔らかくなっていた。カナの左手にラップトップがあるのを見つけ、カルタが声をかける。

「エマは…………」

 すると、返したのはトモエだった。

「…………ごめん……」

「そうか…………」


 ──……見たかっただろうな…………


 視線を落とすカルタに、カナが返していた。

「大丈夫…………エマの顔は安らかだったよ…………」

 その声に、カルタは顔を上げた。

「マシロとフレンは────」

「フレンは私が仕留めた」

 そう言ったトモエが続ける。

「でもマシロは逃した…………多分、こっちに向かってると思う」

「進むしかないね」

 カルタのその言葉に、トモエとカナは小さく頷く。

 そしてトモエが口を開いた。

「通路の先には誰も見えない…………距離はまだあるけどね」

 そこにカナの声。

「…………通路では、誰にも会わないよ…………通路の先に広い空間がある…………」

「…………カナ?」

 そう言って振り返るトモエに、カナは応えた。

「なんか…………見えた…………でもその先までは分からない」

「充分だ。行こう」

 カルタがそう言って歩き始める。

 トモエとカナも続いた。

 いくつかのドアを抜け、やがて通路はゆっくりと下り始めた。しかしその傾斜はゆっくりだ。しだいに三人は平行間隔を狂わされながら、ただただ進み続けた。

 そして、暗く長い通路に、やがて光が見えてくる。

 通路の終わった先にあるのは、カナの言う通り広い空間だった。暗い通路からは明るく見えたが、決して眩しいほどの照明ではない。むしろ薄暗い。

 丸い部屋なのか、周囲の壁が円を描いていた。しかもその壁には何もなかった。床も天井も平坦なだけ。

 しかし、部屋の中央と思われる所だけは違った。

 床から天井までの大きさの、丸い球体があった。その球体が淡い緑色の光を発している。そしてその中に何かがあることだけが分かった。

 三人の足は動かなかった。

 見たことのない想像を絶する光景だった。

 この世の物と理解することすら難しかった。

 やがて、最初に口を開いたのはカルタだった。

「さながら神の祭殿ってところね…………世界の真実をしまっておくにはぴったりの場所だわ」

 そこにカナの声。

「ここに…………真実があるの…………?」

「あってもらわなきゃ…………」

 そう返したトモエが前に進み始める。カルタとカナも続いた。

 誰もが、引き返せないところまで来たことは理解していた。

 進むしかなかった。何年もの間、犠牲を出し続けた。

 球体は光そのものに見えた。ガラスのような物には見えない。そして、その中央に並ぶ二つの物体。

「……嘘でしょ…………」

 カナのその呟きも、もっともだった。

 全員が息を飲む。

 光の球体の中心には〝脳〟が二つ。

 光の中で、並んで浮いていた。その間には小さな物体も浮かぶが、小さすぎてそれが何なのかは判別がつかない。

『やっと来たね』

 三人の耳に声が届く。

 身構えた三人の耳に、その声が続いた。

『待ってたよ。外の状況は見えてた。説明の必要はないよ』

「…………誰だ」

 カルタが小さく呟く。

 怖かった。

 何が起きているのか、それは三人の想像を遥かに超えていた。

『そうだね。ごめん。自己紹介をしよう。私はナツメ────そして、君たちから見たら左かな…………隣はティマ…………私たちは、この世界で唯一の〝生き残った人間〟』

 間違いない。

 語りかけてきているのは、目の前の二つの〝脳〟。

「唯一…………」

 トモエの呟きに、ナツメと名乗る声が続けた。

『そう…………三〇〇年以上前に、ほとんどの人類は滅びた。最後は核戦争だったけど、その前の時点で世界の人口はほとんど残っていなかった。それで唯一核の影響を受けなかったこの島にコミュニティーを作ったの。辛うじて生き残った人たちが集まってね。核とか戦争って言っても、何なのか分からないよね…………私たちが教えないようにしていたから…………あなたたちに嫌な歴史を教えないほうが、幸せな世界を作っていけると考えたの』

「教えて!」

 トモエが叫んでいた。

「その世界の真実が知りたい! どうして私たちを待ってたの⁉︎」

『私たちを…………リセットして欲しいの…………』

 そして、ナツメの声で物語が紐解かれていく。


 しだいに人口は減っていった。

 一〇〇人を切った時、人類の滅亡を阻止するために私たちが選択したのは、クローン技術だった。

 それでもなぜかクローンは生殖機能に問題を抱えた個体ばかり。

 その前に性別の説明からしないとね。

 この世界の生物には、ほとんどの場合性別というものが存在するの。

 あなた方は〝女性〟。もう一つの性別を〝男性〟と呼んでいたわ。

 二種類の性別が交配をすることで受精卵が産まれ、やがて子供が産まれる。でもどういうわけか、クローンにはそれが出来なかった。しかも平均寿命は三〇才程度。

 でも遺伝子操作で改善を目指している内に、なぜか男性クローンの寿命がどんどん短くなっていった…………最終的に三才まで延命するのもやっと…………私たちは女性だけで交配をする技術を見つけ出すしかなかった。

 もちろんクローンを産み出し続けることは可能だけど、それでは多様性が生まれない。同じような個体ばかりが増えていく。クローンのベースになる細胞が数人分しかなかったのが問題でしょうね。多様性が社会を大きくしていく。過去の人類は多様性で成り立ってきた。もちろんその多様性が自らを絶滅へと追い込んだことは否定しない。


 つまり、あなたたちはクローン…………生命の定義に内包されるかどうかは私たちにも分からないけれど…………科学技術を用いなければ繁殖出来ないという部分を重要視するのであれば、あなたたちは生物ではない。人間ではないことになる。


 だから…………こんな姿だけど、今は私たち二人だけ。死ぬはずだったのに、総合管理をさせていた人工知能によってこんな姿で生かされてしまった。

 人工知能なんて結局は膨大なデータの集積に過ぎない。それでも人工知能自身も分かっていたのね。だからその依代として私たちをこんな形で生かしてきた。

 もちろん自分たちが生きていると言えるかどうかなんて、私たちにも分からない。私たちも自力で繁殖のベースになれているわけではないもの。

 でも三〇〇年以上の間、私たちは思考し続けた。そういう意味に於いては生きていると言えるでしょうね。

 そして、私たちは自分で死ぬことが出来ない。

 人工知能がそれを許さない。

 だから、そのために武力組織が必要だった。そして、誰かが世界の真実に気付いてここまで辿り着くことを祈った。

 それが最善だったかどうかは分からないけど、その時までクローンによってクローンを生み出し続けた。

 たまに、わざと遺伝子操作にイレギュラーなデータを組み込んだの。

 あなたたちの特殊な能力はその結果。どんな能力になるかは選べなかったけど。その能力に気が付かずに死んでいく人がほとんどだったでしょうね。

 そして人工知能は基本的に私たちに従順だけど、私たちにマイナスなことは受け入れてくれない。

 なんとしてもこの世界を維持しようとする…………その最善の方法を探し続けるの。

 だから最初はここの職員にリセットさせようかと思った。でもそれはここの職員をクローンで形成する段階でコンピュータに阻まれた。

 この地下施設のクローンは第一世代。この施設内で作られた。しかも、最初から感情を持たないように遺伝子操作をされてね…………。

 感情を持たないクローンに何を言っても聞き入れられるはずがない。

 だから、あなたたちを待った。

 マシロとフレンは私たちの第一世代のクローン。反政府組織を作るために感情を残したまま産み出された。まさかプリムラなんて……花の名前までつけるなんてね。花言葉なんてどこで覚えたのかしら…………。

 もちろん人工知能には社会をコントロールするためと言ってね。

 平和を維持するためには、歴史的に見てもイレギュラーな存在が必要なのよ。そのバランスで社会は成り立っていく。

 だから、本来は彼女たちはこの世界を崩壊させるために私とティマが作った。

 本当なら、今、あなたたちの隣にいてほしかった…………。

 でも、やっぱり世界を維持するために動いてしまった。

 クローンとは言っても、感情があって生きているのは、あなたたちと同じ。

 私やティマと同じ考えには至ってくれなかった。

 完全に私たちの失敗。

 だから、あなたたちでコンピュータをリセットして。

 そうすればクローンはもう作られない。

 あなたたち全員が死滅するまで長くても三〇年。

 そうしたら私たちの脳細胞から新しいクローンが作られる。

 そしてもう一度新しい世界を作るの。

 やり直させて。遺伝子操作で性別を作り出すことに成功すれば、クローンとは言っても自力で繁殖していけるはず。

 成功するまで何度でも繰り返して、人類を復興させて見せる。


『選択肢は三つ』

 別の声──ティマの声だった。

 今ナツメが説明したように、リセットをすることで人類の創生を一からやり直す──。

 社会のインフラが完全に破壊され、繁殖出来ないままに長くても三〇年で滅亡…………そこから私たちがやり直す。

 二つ目は、あなたたちが求めていた世界の真実の情報公開だ。その情報を入手したのは大したものだ。

 しかしインフラが維持されたとしても、どれだけの人たちが現実を受け入れられるだろう。子供を作りたいと思うだろうか。出生率の低下は止められないだろう。平均寿命が短いこの世界では、出産のチャンスはそう何度も巡ってはこない。

 それでも人工知能は世界を維持しようとするだろう。しかし不信感を抱いた政府に従う人々は少ないでしょうね…………強制的にクローンを作り出しても、やはり多様性が存在しないから同じことの繰り返しだ。しかも出生率が低ければ、それは人工知能でもどうすることも出来ない。

 もちろんそのあとは私たちの脳細胞からクローンを作り出して再スタート。

 時間はかかってもリセットと同じ。

 そしてもう一つ。

 それは、人工知能の破壊だ。

『ティマ──⁉︎』

『いいんだよナツメ…………そうすれば私たちは死ねる…………やっと終わる』

「でも人類は⁉︎」

 叫んだのはカルタだった。

 そのカルタが続ける。

「人類は滅亡するんじゃないの⁉︎」

『その通りだよ…………自力で繁殖出来ない生物は、絶滅する…………今の世界を維持しながらリセットされる時を待つか…………すぐにリセットして新たな世界の復興を待つか…………私たちを殺して、完全に人類を終わらせるか…………』

 そして、背後からの足音。

 三人が振り返った先には、マシロが立っていた。

 足を引きずりながら、その体はボロボロだった。

 そのマシロが口を開く。

「…………情報の公開なんかさせない…………この世界を維持するしか…………私たちには道はない…………」

「欺瞞の世界だ!」

 そのトモエの叫びに、マシロが叫ぶ。

「欺瞞の世界だから! 欺瞞の世界だから生きてこれたんじゃない! 嘘のない世界なんかどこにあるのよ!」

『マシロ…………』

 ティマの声だった。そしてそれは、先ほどまでより優しく聞こえた。

『あなたは私のクローン…………今まで、よくやってくれた…………感謝してるよ』

「…………そんなものが…………欲しかったんじゃない…………」

 マシロは自分のこめかみに銃口を当てた。

 引き金を引く指に、迷いは感じられない。

 銃声の直後に倒れるマシロの体を、三人はただ見つめるしかなかった。

『人工知能はここにある…………』

 そのティマの声に、三人は再び光へと振り返った。

 ティマの声が続く。

『私とナツメの間に…………』

 二つの〝脳〟の間に浮かぶ小さな物体。

『銃で簡単に壊せるよ…………決断は…………あなたたちにしてもらうしかない…………私もナツメも、その程度の存在なんだ…………』

 そして、三人は、同時に銃を構えていた。





 外はまだ暗い。

 それでも暴動の喧騒はだいぶ下火になっていた。

 まだあちこちに火の手は上がっていたが、いつの間にか群衆の影も少ない。

「大衆なんて……こんなものなのかな…………」

 カルタが呟いていた。

 それに応えたのはトモエだった。

「散々利用した私たちが言うことでもないけどね…………」

「…………そうだね」

「で?」

 挟まったのはラップトップを手にしたカナだった。

「これからどうするの?」

 トモエが応えていた。

「そうね…………バイクはもうダメだろうから、使える車でも探して…………」

 トモエはカナの手を握る。

 そして続けた。

「…………どこに行こうか………………」

 僅かに空が明るくなる。

 黒煙の上がる周囲の荒廃した景色に、一気に朝日が差し込んだ。





      〜 「虚構の慟哭」完 〜

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虚構の慟哭 中岡いち @ichi-nakaoka

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