第4話

 エマは、いわゆる富裕層に育った。

 学校に入った頃にはそれを明確に意識し、もちろん両親からもエリートへの道を促される。

 この世界のエリートと言えば、その多くは公務員だ。収入の安定と、エスカレーター式の人生の階段が待っている。

 エマもそれを望んだ。何の抵抗も疑問もない。希望の就職先はどこの政府機関に行きたいか、それを考える日々。それでも興味のある分野に進みたかった。

 卒業間近に選んだのはバイオ工学の研究施設。そのための勉強も欠かさなかった。コンピュータにも人より多く触れ、本人の希望は揺るがないものとなっていた。

 上位の成績で学校を卒業し、エリートとして研究施設に迎え入れられる。

 しかし、現実は違った。

 コンピュータルームでのデータ入力作業ばかり。

 最初こそ新しい環境での日々は楽しいものだった。職場での新しい友達も出来た。しかしエマは決して人付き合いの得意なタイプではなかった。友達と言っても表面上のものに過ぎない。

 それでもいつかは、エリートとしてセントラルセンターの研究施設に行けることを夢見ていた。

 しかし、なかなか恋人も作ることが出来ないまま一年以上が過ぎた。

 職場の環境は変わらない。部署の移動願いを出したこともあったが、何度出しても受理されることはなかった。どこの部署も人員は溢れていた。一度公務員になってからその肩書きを捨てようとする者は少ない。

 しだいにエマは仕事に対して不満を募らせていく。そしてそれは同時にプライベートのストレスも蓄積させていった。

 一五才で最初の恋人が出来た。

 プライベートでの充実から、仕事の現実を受け入れていく。

 恋人と肌を合わせることで、何かを誤魔化していた。側から見れば何も問題のない人生に見えただろう。しかしその裏側の寂しさは誰にも見ることが出来ないまま。

 エマは元々持っていた目的をいつの間にか見失っていた。生活に困らない収入はあるが、求めていた人生ではない。

 何かが違った。

 描いていたエリートの世界とは違う。

 恋人との生活にも刺激がなくなっていく。事務的に肌を合わせていることに気付いたエマは、いつしか仕事の中に刺激を求めていく。

 入ったことのないネットワークの階層まで辿り着く。それを発見したのはあくまで偶然だった。

 しかし、胸が高鳴った。

 自分の知らない何かが強固なパスワードに守られた所に存在した。

「エマさん、私はもう上がるけど」

 上司にその声に、エマは少しだけ慌てて返していた。

「あ、私はもう少し…………残業して帰ります」

「そう、無理しないでね」

 この職場では、誰も他人には深く干渉しない。与えられた仕事をいつも通りにこなせばいい。あまり頭を駆使する必要もない現場だ。

 上司が部屋を出るとコンピュータルームにはエマだけが取り残された。窓からはすでにオレンジ色の陽の光が差し込む。

 今日こそパスワードを突破したかった。

 恋人との約束の時間まではまだ時間がある。

 パスワードの解析には何度も失敗してきた。しかし計算とコンピュータの得意なエマにはそれすらも楽しい。解析用のプログラムを作成する中で、やっと変動するパスワードの規則性に辿り着き、その日はどうしてもそれを試したかったのだ。

 そして、エマの見立ては間違っていなかった。

 パスワードを解除した先のデータについに触れる。


 ──……これ…………なに…………?


 恋人との待ち合わせに駆けつけると、恋人は眉間にシワを寄せて言った。

「最近忙しいの?」

「……うん…………ごめん……」

 エマの鼓動は早いまま。

 恋人の顔を見ても落ち着かない。

 走ってきたからではない。


 ──……アレは…………見てはいけない…………


 しかし翌日、再びエマはパスワードを解除していた。


 ──……私たちは…………人間じゃないの?

 ──…………命って………………なに?


 その夜は、久しぶりに恋人のほうから体を求めてきた。

 エマも断る理由はない。

 体の相性はいい。

 と、エマは思ってきた。

 しかし何故だろう。

 恋人の舌が首筋を這っても、エマの体は疼かない。

 体も気持ちも、反応しなかった。


 ──…………人間って…………なに?


「どうしたの? 疲れてる?」

 耳元の恋人の柔らかい囁きすら、今のエマにはまるで機械音のようだった。

「ごめんね…………少し…………変だね…………」

 そう応えるのがやっと。


 ──〝核戦争〟って…………なに?

 ──〝外の世界〟って…………なに?

 ──…………〝人工妊娠〟って…………なに?


 ──……私たちって…………


 恋人の唇がエマの唇に触れた。

 その舌が自分の舌に触れた瞬間、エマは猛烈な吐き気に襲われた。

 そして慌ててトイレに駆け込んだ夜が、恋人との最後の夜だった。





 プリムラのテロと暴動のニュースが連日の報道を賑わしていた。

「エマさんも帰りは気を付けてね。最近この近辺物騒だから」

 上司のこの言葉もエマにはあまり響かないまま、当たり障りのない返答をする。

「はい……気を付けます」


 ──この人も……人間じゃないんだ…………


 エマの頭の中で、プリムラが掲げる主張が意味を持っていた。

 〝我々は騙されている〟

 〝政府は何かを隠している〟

 都市伝説によくあるような陰謀論。

 エマはその程度だと思っていた。そんなもののために武器を持って人まで殺す。

 活動すること、そのものが目的と化している世捨て人の集団なのだろうと思っていた。

 しかし、そうなのだろうか。

 少なくともエマが見た秘密のデータは確かに知らない単語ばかり。そして、今まで信じていた常識を覆すもの。

 政府が隠しているもの。

 その〝事実〟に触れた。

 プリムラは〝何〟を知っているのか。

 なぜ〝事実が隠されている〟ことを知っているのか。

 エマはいつの間にか組織のことを調べ始めていた。

 最初に組織のトップであるカルタのデータが見付かる。出生データはあるが学校に通った記録は無い。小さな犯罪歴が並ぶが、一〇才でそのデータは途切れ、それ以降は反政府組織を立ち上げたという記録だけ。

 それだけを見れば、世界の真実に近付いたとはとても思えなかった。むしろ、ただ行政に反発しているだけとも取れる。

 エマの見付けたデータも、エマの技術があって初めて見付けられたものだ。

 それでもあまり有要なデータとは思えなかった。しかもトップスリーの他の二人のデータはほぼ皆無。

 マシロとフレンに関しては警察のデータでも名前だけ。出生記録すら無い。何者なのかイメージを膨らませることも難しい。

 そして建前の割に、組織の起こすテロ活動は〝混乱〟を引き起こしているだけのものが多いのも事実。都市伝説めいた妄言で人心を惑わしているだけなのか、だとしたらその理由は何か。

 もしかしたら、プリムラも〝情報〟を求めているのかもしれない。

 その考えにエマは至った。

 何かきっかけがあったとしても、確たる証拠を見付けられていないのかもしれない。


 ──……忘れよう…………

 ──……自分には関係のないことだ…………

 ──…………私は…………人間だ…………


「ねえ、エマは結婚願望ってあるの?」

 ランチタイム。施設内の食堂で突然エマは声をかけられた。

 アンジュ、一八才。

 ここ一年くらい受付でよく見かけた。受付で何度か声をかけられたことがある。最初に声をかけられたのは恋人と別れてすぐ。少し馴れ馴れしい印象だった。何度か仕事帰りに誘われたこともあったが、エマは適当にはぐらかしていた。

 しかし昼のランチで声をかけられたのは初めてだった。

 もっとも、いつも一人で素早く食べて職場に戻っていたエマの存在感は薄いものだっただろう。

 急に隣に座ってきてかける言葉とも思えない。

 エマは戸惑いながらも、いつもの調子で適当に応えていた。

「いえ……ありません」

「恋人と別れたって聞いたからさ。どうなのかなって思って」

 アンジュはそう返しながら、エマの顔を覗き込む。

「もう一年の前のことです」

「最近は? 特定の人はいないの?」

「いません……今は興味がないので」


 ──いい加減にしてよ…………


「〝アレ〟を見たから?」


 ──…………え?


 アンジュの低い声が続く。

「大丈夫……私しか気付いてないから」


 ──……何の話を…………


「見たんでしょ? あのデータ…………」

 そのアンジュの言葉に、エマは全身の神経が強ばるのを感じた。瞬時に鳥肌が立ち、悪寒を感じる。

「何のことですか…………」

 エマはそう応えながらも、僅かに自分の声が震えているのに気が付き、それが更に恐怖を増長させていく。

「戻ります」

 そう言って立ち上がりかけたエマの手に、アンジュの手が重なる。

 エマは硬直して動けない。

 アンジュの指が、エマの指をなぞる。


 ──……だめ…………


 アンジュが声を落とし、口を開く。

「……大丈夫…………私しか気付いてないから…………」

 アンジュの指が、エマの体を疼かせた。

 そのアンジュの声が続く。

「今夜…………定時で上がったら…………受付の裏のロッカールームで待ってる…………」

 エマはアンジュの手を振り解くようにして戻った。


 ──……だめだ…………だめだ…………


 エマはデスクに座ると、パスワード解析用のプログラムを削除した。そのプログラムを入れてきたディスクを割ってゴミ箱に捨てる。


 ──……やめて…………私は何も知らない…………


 定時まで、落ち着かない時間が続く。

 吐き気にも襲われながら、仕事は手に付かないまま。

 定時と共にエマは立ち上がる。

「今日はお先します」

 捨て台詞のように言葉を吐き出し、足早に部屋を出るとやがて受付が目に入る。

 気になりながらも目を逸らし、その前を通り過ぎた時、後ろから手を掴まれて足を止める。

 振り向きざまにエマは手を引かれ、そのまま受付裏のロッカールームに押し込まれた。

 アンジュだった。エマの体をドアに押し付け、さりげなく鍵をかけた。

 エマは思わず声を上げる。

「何ですか──こんな────」

 唇を塞がれ、エマの言葉が途切れた。

 素早く体を包まれる。

 背中に伸びたアンジュの両手が、エマの神経を刺激した。

「……我慢しないで…………」

 そう言ったアンジュが足を絡めた直後、エマのハンドバッグが床に落ちる。

 アンジュの柔らかい声が、エマの耳元で囁いた。

「アクセス記録は私しか見てない…………あなたも見たのね…………私もやっと辿り着いた…………」

 体に力が入らない。

 抵抗出来ないまま、エマはいつの間にかアンジュの唇を自ら求める。

 アンジュの首に両腕を回し、エマは体の中心に何かが走るのを感じていた。




「ごめんね」

 アンジュの部屋のベッドでエマと肩を寄せ合いながら、アンジュが続けた。

「可愛いなって…………思ってたのはホント…………あなたとこういう関係になるのは私の本来の仕事じゃなかったのに…………」

「いいよ…………」

 エマはアンジュと指を絡めながら小さく応えていた。

 アンジュが続ける。

「あのデータを見た人が他にもいるって気付いて…………この気持ちを共有したかった…………」

 アンジュはプリムラのスパイだった。

 元々施設の職員として働いてきたが、組織に買収されたのは一年程前。

 借金を重ねて経済的に困窮していたアンジュが弱みを握られたような形で、首を縦に振るしかなかった。組織が欲しがったのは情報。政府のトップシークレットの情報を欲していた。それは、離れかけた世間の求心力を維持するため。そのために、世の中に開示できる強い材料が欲しかった。

 組織が公にした政府の不正情報のいくつかはアンジュが流したものだ。そして、アンジュは偶然にも最深部に辿り着く。

 想像を絶するものだった。

 自分たちの世界を根底から覆すもの。

 学校で刷り込まれた歴史と、世界の理の嘘。

 自分たちが何者か。

「まさか…………エマに全部話しちゃうなんて…………」

 アンジュはそう言って小さく笑った。

「どうして話したの?」

 エマは隣のアンジュの顔を覗き込むようにして、その首筋に顔を埋める。

 アンジュが応えた。

「……もう……色んなものがどうでもよくなっちゃった…………のかな」

「そんなこと言わないで…………」

 エマがアンジュの体を包む。

 すると、僅かに声を震わせたアンジュが返した。

「…………怖かったの…………見ちゃいけないものを見た気がしたの…………」

「うん…………分かるよ…………私だって未だに整理がついてないもの…………」

「どうしよう…………みんながあのことを知ったら…………」

 アンジュを抱きしめるエマの両腕に力が入る。

 アンジュの体がエマに絡まる。

 口を開いたのはエマだった。

「今は…………忘れようよ…………」

 エマは、貪るようにアンジュを求めた。





 翌朝、二人の覚悟は未だ定まらないまま。

 情報を本当に組織に流すべきか、アンジュは迷っていた。それほどの大きな情報だった。データはすでにディスクにコピーしている。いつでも組織に渡すことが出来た。

 二人でコーヒーを飲みながら、アンジュの口から出てくる話はリアルなものだった。

「指定された時間に指定された場所に行って、その時間になったらこれを手に持って軽く振るの」

 そう言ってアンジュは、エマの首にスカーフを巻いてみせた。

 薄い生地に柔らかい水色。

 しかし、そのアンジュの目が落ち着かない。

 エマが返した。

「これからなんでしょ?」

「うん……あと一時間くらい…………そんなに遠くないから…………」

「迷ってる?」

「うん…………ちょっとね…………あんなもの…………本当は知らないほうがいいのかも…………」

「でも……ディスクを渡す約束したんでしょ?」

 エマはアンジュの身を案じていた。

「…………そうだね」

「どうするかは組織の人が判断することだよ。アンジュは悪くない。そこなら私も分かるし、着いて行こうか?」

「だめ…………怪しまれるし…………あなたを巻き込むのもイヤ…………」

「でもアンジュ…………昨日の約束忘れてないよね…………」

 エマはそういうと、アンジュの首筋に手を伸ばして続ける。

「これで終わり…………追われるようなら…………二人で逃げよう」

 エマを見つめるアンジュの目が僅かに潤んでいた。

 そして小さく頷く。

 エマは覚悟を決めていた。

 世界の真実に触れた。その二人だけで、世間から隠れて二人だけで生きていこうと思った。簡単でないことは分かっていた。でもどんなに貧しい生活でも構わない。二人だけで秘密を共有したまま、誰にも秘密のまま、そのまま死んでいくべきだと考えた。

 昨夜、二人は激しく肌を合わせながら想いをぶつけ合った。

 涙を流しながら、相手を求めずにはいられなかった。

 エマが、アンジュが首に巻いてくれたスカーフを取ろうとした時だった。

 玄関の向こうから足音が聞こえる。

 嫌な感覚が二人が包む。

 インターホンが鳴った。

 モニターには数人の警官が映っている。

 アンジュは反射的にハンドバックを手に取って口を開く。

「逃げて」

「え? だって──」

「窓から!」

 直後、玄関で大きな音。

 鍵を破壊されたドアが大きな音を立てた。

「逃げて‼︎」

 アンジュは叫びながらハンドバッグをエマに。

 エマは窓を開けて身を乗り出す。

 集合住宅の二階。

 下には隣の家の屋根。


 ──アンジュ!


 振り返った時、初めて近くで聞く銃声。

 いつの間にか拳銃を構えていたアンジュを、警官の銃弾が貫いた。

 そのまま、アンジュの体がベッドに倒れ込む。

 まだ二人の温もりが残る布団に、アンジュが沈む。

 エマは反射的に窓から飛び降りていた。

 想像していた以上に、足への反動が大きい。

 足首に激痛が走った。

 倒れそうになりながら、エマは屋根から降りられそうなところを探し、覚悟を決めた。

 背後から銃声が聞こえる。

 細い路地に降りたエマは、不思議なくらいに足が重いことを自覚するが、それでも走っていた。

 自然と足を引きずっていたエマのすぐ横で、銃弾が弾ける。

 恐怖で気がおかしくなりそうだった。


 ──……アンジュ…………


 次に銃声が聞こえた直後、手にしていたハンドバッグが弾け飛ぶ。

 アスファルトの上で中身がバラけた。

 そこに見えたのは、無惨にも押し潰されたディスク。


 ──…………アンジュ…………


 いつの間にか、涙が溢れた。

 エマはそのディスクを手に取ると、走った。

 背後から銃声が聞こえても、それでも走り続けた。

 足を引きずる度に痛みが走る。

 大きな通り。

 アンジュが言っていた場所だ。


 ──あの店の前の……街灯…………


 警察の銃声に、辺りがざわついた。

 周囲に人がいる中では警察も発砲しずらい。

 やがて街灯に辿り着いたエマは、立っているのがやっとの状態で首のスカーフを外す。

 腕を伸ばし、ただ、闇雲にスカーフを振り続けた。


 ──……お願い…………アンジュ…………


 銃声が顔をかすめる。


 ──……アンジュ…………


 エマの体が浮いた。

 体の中心から引っ張られる。

「バイクで三人はキツいってトモエさん!」

「しっかり捕まって!」

 そして、エマは意識を失った。





 研究施設でのテロ騒ぎが世間を騒がした翌日。

 夜。

 街の西側。

 砂漠地帯に入った所に、忘れ去られたようなエリアがあった。開発途中で放り出され、荒廃したエリアとなって長い。

 反政府組織以外に近付く者はいなかった。

 半ば暗黙の了解。

 誰もがプリムラの根城となっていることには気付いていた。

 だからこそ誰も近付かない。

 その中でも、そのビルはまだ形になっていた建物でもある。カルタが活動の中心にしている所でもあった。久しぶりにマシロとフレンが集まり、エリアに常駐している隊員たちは緊張していた。

 三人と向かい合っているのはトモエとカナ、そしてエマ。

 六人は五階建てのビルの屋上にいた。

 誰にも話を聞かれにくいと判断したからだ。

 肌に張り付くような冷たい風が六人を包んでいく。

「データを見たよ…………」

 口を開いたのはカルタだった。

 そのカルタが続ける。

「トモエとカナは見たの?」

 誰も、すぐには応えない。

 カルタも無理に応えさせようとはしなかった。

 しばらくの間が開いた後、トモエがやっと口を開く。

「見たわ…………でもその前に、情報を流した裏切り者を知りたい。あれは偶然駆けつけたって数じゃなかった。あまり優れた攻め込み方じゃなかったから良かったけど」

 カルタが応える。

「…………今調べさせてる。もう少し待って。裏切り者は許すわけにはいかない。これだけは信じて欲しい…………」

「分かった……頼むわ」

 そこに挟まったのはエマだった。

「どうするんですか? あのデータ…………公表するんですか?」

 エマの中で、公表してほしい気持ちと、逆の気持ちがせめぎ合う。


 ──……アンジュは……どうしたかったんだろう…………


 再びの間が開いた後、ゆっくりとカルタが口を開いた。

「正直…………信じられないような情報だった。簡単に受け入れられるものではないと思う…………公開するタイミングも考えたほうが────」

「やめようよ」

 フレンだった。

「どうせ誰も信じないよ。あんな話…………突拍子過ぎてさ」

 カルタが返す。

「アレは出所もはっきりした間違いのない公文書だ。そのために以前もスパイの一人が犠牲になってる。今回やっとエマのおかげで手に入れられた…………無駄には出来ない」

 そこにマシロも挟まる。

「アレを大衆に信じさせることが出来たとして、それでカルタは何がしたいの? 現実を受け入れられない大半の人たちは気が触れるかもね」

「私は…………公表して欲しい…………」

 呟くようにそう言ったエマが続ける。

「頭が狂いそうになる感覚は味わいました…………でも、だからこそ、知らなかったフリは出来ない」


 ──……アンジュの犠牲は…………無駄にしない


「私とカナも──」

 トモエが続ける。

「公表するべきだと思う。確かに信じられない話だった…………まるで太陽と月が入れ替わったような感じ…………正直、まだ感覚的には受け入れられていないと思う。でも…………事実でしょ。そして、その真実があるのがセントラルセンターってことも分かった。あそこには総ての証拠がある」

 フレンがトモエに近付く。

 コートの下でリボルバーを握るカナが、僅かにフレンに視線を配る。

 フレンはトモエの前で立ち止まると、胸ポケットから取り出したディスクを片手に口を開いた。

「ひっくり返るよ──世界が────多分、終わるかも」

 その無機質なフレンの目に、トモエは低く返す。

「何のために活動してきたの…………政府の嘘を暴きたいんじゃなかったの? やればいいじゃない」

 トモエが口元に笑みを浮かべる。

 その時、カナはカルタを見ていた。

 カルタがそれに気が付くと、カナは小さく頷く。

 カルタは少しずつ足を後ろへ。

 それを見たエマも広がる。

「動かないで──」

 マシロはそう言うと、カルタに銃口を向ける。

 直後、フレンの銃口がトモエへ。

 そしてマシロが続ける。

「公表は許さない────この世界を崩壊させるわけにはいかないの」

「へー」

 それまで一言も発さなかったカナの声。

 その声が続いた。

「残念だなぁ…………まだ残ってたよ…………」

 そう言うとカナは、コートの下から手榴弾を軽く放り投げる。

 マシロとフレンの間に転がる手榴弾を見て、全員が瞬時に動いた。

 床に伏せた全員の頭上を爆風が飛ぶ。

 その直後に、全員が銃を構えていた。

 煙と共に、マシロとフレンだけが消えていた。

 屋上の柵から下を覗いたカルタが叫ぶ。

「外壁から下に逃げたか──あの二人だ! 裏切り者を捕まえる!」

 一階に降り、カルタは隊員たちに号令をかける。

 しかしざわつく隊員たちを沈めるのは簡単ではなかった。

 すぐに数部隊が行方を眩ましていることが分かった。マシロとフレンについて移動したと考えられた。

「まだそれほど遠くには行けないはずだ。すぐに追いかけるよ」

 そう言って小型車に乗り込もうとするカルタの肩をトモエが掴んだ。

「待ってカルタ──あの二人は必ず街中で待ち構えるはず。そのほうが攻撃されにくい──今行ったら内戦状態になる」

「ならどうする⁉︎ 敵対組織をのさばらせたら、私たちは反政府活動どころではなくなるのよ」

「それがあの二人の狙いかもしれない…………あの二人の素性は何? 何者なの?」

「分からない…………私より先に組織を立ち上げる準備をしてた…………」

「とにかく今は待って…………街中で内戦状態を作り出すことは向こうの思う壺…………警察と三つ巴になる」

「だったらどうやって────」

「情報を発表するの」

「ディスクは二人が────」

「まさか」

 そう口を挟んだのはエマだった。

「マスターディスクは私です」

 ディスクを見せながら更に続ける。

「今回は失敗しない……やっと手に入れましたから」

 カルタは手を握りしめていた。

 まだ、カルタ自身の中にも迷いがあった。

 そしてそのカルタが口を開く。

「まずは情報を集めて……あの二人の動きを探る。同時に情報の発表の準備を────エマ、そっちの流れは任せていい?」

「もちろんです。お任せを」

「よし、拠点はここで────トモエとカナは情報収集の中心になってもらえる? 全ての部隊は臨戦態勢で待機させるから」

 カルタの言葉にカナが口元に笑みを浮かべ、それを受けるようにトモエが返す。

「前からもっと話してみればよかった」

 そう言って、トモエは笑みを浮かべた。





      〜 「虚構の慟哭」第5話(最終話)へつづく 〜

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