第50話 鈴と環

「お前、私を嵌めたな?」

鈴は環を睨みつける。

「ここに来たのは、偶然。たまたまだよ」

「こんな時間にそんな都合良く――」

抗弁する鈴を環が遮る。

「鈴。私は、あんたに弱いと思われるのが怖かった」


鈴は環の次の言葉を待った。しかし、沈黙が訪れた。沈黙に耐えきれず鈴が口を開く。

「辞める前に、どうして一言私に相談してくれなかった?」

「……」

「私のことを信じられなかったからか? お前が本当に弱い人間だとして、私がそれを笑うとでも思ったのか?」


それは、ここ数年、鈴が何度も聞こうとしたけれども、怖くてついに聞けずにいた質問だった。口にした以上、もうあとには引けなかった。もし、環がそれを積極的に肯定するか、そうでなくても沈黙を続けて消極的に肯定するなら、環のことを友人だと思っていたのは自分だけで、環の方は鈴のことを大勢いる部員の一人としてしか見ていなかったことが明らかになる。それは鈴にとっては最も知りたくない事実だった。


鈴は、祈るような気持ちで、ただ自分の鼓動だけを聞いていた。

「もし」と環が鈴を見た。「私があんたに相談すれば、鈴も一緒に辞めるんじゃないかと思ったから」

「私は……、私は、それでも良かったよ」

「え?」

「一緒に辞めても良かったんだ」

「鈴」


環は何かを言おうとしたが、やめた。鈴の目に涙が溜まっているのに驚いたから。

「話は聞かせてもらった! 彗ちゃんの作業は、私が引き継ごう!」


気まずい沈黙を破ったのはミユと一緒に環の後に控えていた遙だった。

「え? どういうことですか?」

彗は目を丸くした。


「私が3Dプリンターの面倒を見るってことよ。使い方は分かるし、お茶の子さいさいだよ」

「でも、もう夜も遅いし」

「なーに、ここで卓を囲めば良いだけのこと」

そう言って遥は素早くスマホでメッセージを打つと、ものの五分もしないうちに麻雀卓と麻雀牌を持った学生寮の麻雀部のメンツが集まった。


「なかなか趣のある部屋ですね」

「寮より涼しい」と口々に感想を言っている。

「ささ、お子様たちは帰った帰った」

一番お子様に見える遥がそう言いながらミユたちをせき立てるのは滑稽だったけれど、一同は遥の流れるような手際の良さと、麻雀部のフットワークの軽さに感心していた。それと同時にまた、安堵してもいた。鈴と環はもちろんのこと、ミユも彗も事態の収拾をつけられなくなっていたから、あのタイミングで遥がうやむやにしてくれたのはありがたかった。


四人は加工場の外に出されると、「私はもう帰るから」とだけ言い残して、鈴が自転車に乗り、あっという間に暗闇に消えた。

「ほら、おぶってやるよ」

環が彗の前でかがんだ。

「え、でも」

「いいから」

彗は環の背中に体を預けた。


彗を背負った環とミユは学生寮に向かって歩き始めた。すぐに彗は寝息を立て始めた。環はふと空を見上げた。雨こそ降ってはいないが、梅雨は明けていないのでどんよりとした夜空がひろがっていた。

「星は、一つも見えないな」と、環が呟く。独り言だったのかもしれない。

「そうですね」とミユは相づちを打った。先月、繭と見上げた空とは同じ空とは思えなかった。

ミユは環の横顔をチラリと見たが、夜空とは対照的にずいぶんすっきりとした顔をしていた。

それきり二人は言葉を交わさず、寮へと続く坂道を黙々と歩き続けた。

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