第46話 タンデム自転車の製造

カート部のシャシー組み立てが終わり、加工場があいたので、サイクリングサークルはタンデム自転車の作製を始めることにした。


彗たちがCAD室で製図をしている間、他の部員は鋼管やクランクなどの必要な材料を集めていたので製図が終わると同時に加工場にそれらが運び込まれ、加工が始まった。

ラグとボトムブラケットは、加工場の一室にある3Dプリンター室の金属3Dプリンターで出力することになっていたので、彗は福本先生を呼びに行き、遅れて加工場に入った。

加工場には、サイクリングサークルの部員だけでなく、カート部の部員も三人ほど手伝いに来てくれていた。


「設計手伝えなくてごめんね。代わりにこっち手伝うからさ」

「ありがとうございます。ところで、天雲さんは来てないんですか?」

「天雲……、ああテンテンなら部室の方で色々と作業してるよ。何か用があるの?」

「あ、いえ。そういうわけではないんです」


手伝いのカート部員にお礼をいって3Dプリンター室の前で待っているとすぐに先生が来たので、鍵を開けてもらい中に入った。意外にも中は冷房が効いて涼しかった。

パソコンと3Dプリンターらしい大小いくつもの箱状の物が並んでいた。


「こっちだよ。データは持ってきた?」

福本先生がパソコンを立ち上げる。

「はい。これです」

製図したラグとボトムブラケットのデータが入ったCDを渡した。

「じゃあ、まず、三次元CADで製図したラグの一つで試してみるか」

そう言って、CADのアプリを立ち上げて、データを読み込んだ。

「三次元モデルに問題のないことを確かめたら、STLファイルに変換するんだ」

「はあ」

「STLというのはポリゴンデータのことだよ。粗くすればデータ容量は軽くなる分、カクカクした形状になる。逆に細かくすれば滑らかな形状になる代わりにデータ容量がものすごく重くなる。適当な値にするわけだけど、今回は、ラグの中にパイプをはめ込むわけだから、あまり粗いと上手く嵌合しない可能性もあるんだよな。少し細かく設定した方が良いかもしれないな」


オプションの数値をデフォルトから少し変更して、STLファイルを出力し、同時にファイルのエラーチェックも行われ、問題なく完了した。


次に、3Dプリンター用のアプリを立ち上げ、3Dモデルがどういう向きで積層造形されるかの確認を行う。自転車のラグみたいに掌に載るようなサイズなら、そのまま造形しても問題ないけれど、もう少し大きな物だと、3Dプリンターの造形できる範囲を超えてしまうことがある。そういう場合は、3Dモデルの向きを調整して、より広く使える対角線の上で斜めに造形すれば収まることもあるので、どういう向きで造形するのかは重要な要素だった。


今回造形するタンデム用のラグは、たくさんのチューブを一カ所で繋ぐため、いびつなヒトデのようになっていて、これを立てた状態で造形すると横に飛び出した部分が楕円になりそうだということで、横に倒した状態で造形することにした。


彗はその一連の手順をせっせとノートにメモしていた。

それらの作業と検証が終わると、ようやく積層造形が始まった。


黒い筐体の中で、ノズルヘッドがせわしなく動いていた。灰色の金属の粉末の上をノズルが走ると、幾何学的な模様が描かれ、その上にまた金属粉末が敷かれていく。それを繰り返しているようだ。


「これで何でも作れるなんて、魔法の箱ですね」

「そうでもないぞ。何でも作れるわけじゃない。3Dプリンターは、土台の上に材料を積層して、さらにその上に層を重ねていくから、土台になる層がない場所には造形できない。よく言われるのは、建物の模型を作るとき、軒の部分はそのままでは造形できないんだ」

「じゃあ、どうするんですか?」

「そのときは、サポートという支持部分を造形して、造形が終わったらサポートを切り離すんだよ」

「ということは、今やってるラグも、そのサポートの切り離し作業があるってことですね」

「いや、その必要はないんだ」

「へ?」

「この粉末タイプの3Dプリンターは、バインダージェット方式といって、粉末を敷き詰めて造形するから、粉末自体がサポートになって別にサポートを用意しなくても良いんだ」

「なるほど」


「とりあえず3Dプリンターが仕事をしているうちは、もうできることはないから、他の仕事をしていた方が良いけど、とはいえ何かのトラブルが起こったときに早めに対応できるように監視を続けるのがいいけどね。先生は研究室に戻るから、造形が終わったら声かけて」

「分かりました」


福本先生が一時的に戻ると、それを見計らったようにサイクリングサークルの部員が代わる代わる3Dプリンター室にやって来た。みんな3Dプリンターが気になるから見に来たと言っているが、本当のところは涼みに来たのだろう。

それ以外にも何人かの学生が、3Dプリンターを使いに来ていた。彗は知らなかったが、3Dプリンターは人気のようで、放課後はちょくちょく学生が利用しているのだという。


おしゃべりをしているうちに造形が終わり、先生を呼びに走った。

造形が終わったプラットフォームの中の金属粉末の中から、今まさに造形したばかりのラグを取り出した。それは紛れもなく自転車のラグだった。何人か集まった部員たちも歓声を上げた。

「これで完成ですか?」

「いや、ここからさらに作業が必要になる。これは金属粉末を接着剤でくっつけただけだから、すごく脆い。今からこれを脱脂して焼結する必要がある。言うなれば粘土をこねて作った湯飲みを、窯で焼いて陶器を作る感じかな。焼結には、かなり時間がかかるから今日はもう無理そうだな」

「先生、テスト期間まで時間があまりないんです。なんとかなりませんか?」


彗だけでなく、他の部員も福本先生に不安そうな目線を送る。先生は少し逡巡するようなそぶりを見せ、「わかった。じゃあ、まずプリンターの予約をしてくれるか」と、パソコンで何かのファイルを開いた。


それは3Dプリンターの予約用のファイルのようで、それで時間の管理をしているようだ。見ると、金属3Dプリンターもそれなりに予約で埋まっていた。今日は先生が予め予約を入れておいてくれたようだ。

「こうしてみると、テスト前だけ明らかに予約が詰まってるね」

「みんな考えることは同じだなあ」

口々に部員が騒ぐ。


比較的枠の空いている夜を中心に、予約を埋めていった。3Dプリンターを使う彗は高専に隣接した寮で暮らしているので、多少夜が遅くなっても問題ない。


予約作業が終わると、造形されたラグを電気炉に入れ、脱脂が始まった。先生曰く、脱脂というのは、炉を高温にして、金属粉末を造形したときに含まれる有機物を取り除く作業のことのようだ。それが終わると、そのまま焼結作業に入った。作業の終了まで数時間かかるそうで、彗は鍵を預かった。鍵は夜八時までなら福本先生がいるから、先生の研究室に返せるが、それ以降は、守衛さんに返却して欲しいとのことだった。


そのうち学生寮の夕食の時間になったので、いったん寮に帰る必要ができたけれど、焼結作業中に持ち場を離れるのも良くないと思い、加工場で作業中の先輩を呼び、代わりに見て貰うことにした。


足早に寮に戻り、急いで夕食を食べて加工場に戻ると、まだ多くの部員が作業していた。夏至の時期なのもあって、外がまだ明るいからだろうか。

焼結作業を交代して貰った先輩にお礼をいって、再び宿題をしながらラグの焼結が終わるのを待った。


ふと気づくと眠っていたようで、窓の外は完全に暗くなっていた。時計を見ると夜の八時をとっくに過ぎている。焼結炉を確認すると、焼結作業も終わっているようだった。ひとまず、加工場を覗くと、すでに今日の作業は終わったようで、最後まで残っていた数人の部員が帰り支度を始めていた。

ちょうどそこへ福本先生が現れ、3Dプリンター室に様子を見に来てくれた。


「一応、終わったみたいです」

焼結炉を指さして彗が言うと、福本先生は焼結炉内の温度を確認した。

「うん。冷えたら取り出そう」

「先生は、いつもこんなに遅くまで働いてるんですか?」

「講義の準備に、学生の指導、自分の研究論文とか、いくら時間があっても足りないくらいだよ」

「すみません。そんな忙しいのに」

「あ、いや、そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」

ばつが悪そうにしながら先生は椅子の一つに座った。

「それより、立花は、本当はレースに出たいんじゃないのか?」

「え?」

「タンデム自転車の乗り手として」

「いえ……。もう、無理なので。自転車に乗ることはもちろん、実はチューブの機械加工も私には難しいんです。道具や材料を両手で持ったり押さえたりするのが難しいから。他の人とは違って、私にはここで3Dプリンターを使うくらいしかできないんです」

「そうか。他の人よりもできることが少ないというのは若い頃は短所と思うかもしれない。でも時間は有限で、選択肢が多いからと言って全部を選択することはできないし、選ばなかった道の方が良かったかもしれないと後悔することもある。だから始めから選択肢が少ないというのはある意味でいろんな物に煩わされずに取り組めるから、悪いことばかりではないと思うよ」

「そういうものですか」

「うん。でも、それが分かる頃には、もう大人なんだろうな」

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