第45話 タンデム自転車の設計

梅雨のさなか、カート部が総力を挙げてシャシーの製作をしている頃、サイクリングサークルは小路を中心として、冷房の効いたCAD室でタンデム自転車のフレームの設計作業に取り組んでいた。


CAD室に集まったサイクリングサークルの面々は一つのテーブルに集まっている。その中心で少路はA3サイズの紙に手描きでタンデム自転車の大まかな設計図を描いていく。

「だいたい、こんなもんかな?」

三人乗りのタンデム自転車を横から見た図を描き上げた。

「うまいもんですね」

「まあね。このサークルでは一番上手いんじゃない?」

少路は絵が上手いので、今回の設計に抜擢されたことに彗はようやく気づいた。


「トップチューブは水平にするよりも、少し後が下がるように傾斜させた方が良くない?」

森川が図面とにらめっこしながら言った。

「なんで?」

「背の低い人も乗れるように」


トップチューブは、自転車のハンドルとサドルを繋ぐ二本のチューブのうちの上側のチューブのことで、このチューブが低いとサドルにまたがりやすくなる。ロードバイクは、トップチューブが水平に近いけれど、ママチャリは傾斜して乗りやすく設計されていた。


「うーん。でもそうすると、トップチューブとシートチューブを繋ぐラグの角度や位置が変わるから設計に負担がかかるんだよね。そもそも誰が乗るかも決まってないうちに、背が低いとか高いとか、考える必要なくない?」

「いや、ここは森川の意見を採用しよう。レースに出場するだけがすべてじゃない。誰もが乗りやすい自転車にするというのは賛成だよ」

「そういうことなら、少し下げて……こんな感じ?」

消しゴムで少し消して描き直す。

「いいんじゃない?」


「あとは、剛性を高めるために、シートチューブの上から後ろのシートのペダルのボトムブラケットまで補強用のチューブを追加した方がよさそうだね」

一般的にロードバイクのような自転車のフレームは横から見ると、三角形を二つ並べたような形をしている。トップチューブと、ダウンチューブと、シートチューブの三本のチューブが前側の三角形を構成している。

ダウンチューブはハンドルとペダルのボトムブラケットを繋ぐチューブのことであり、シートチューブは、サドルが取り付けられるチューブだ。

ボトムブラケットは、ペダルのクランクが回転できるように支承しているところだ。そして、シートステーと、チェーンステーと、シートチューブの三本で後側の三角形を構成している。

シートステーは、サドルと後輪を繋ぐパイプのことであり、チェーンステーはペダルのボトムブラケットと後輪を繋ぐパイプだ。その二つは、後輪を挟み込む形なので、それぞれ二本ずつある。


図面に描かれた三人乗りのタンデムは、それらに加えて、前後に三つ並んだサドルとボトムブラケットを繋ぐチューブがさらに必要になり、横から見ると、三角形を先頭にして四角形が二つ並び、最後に三角形が一つくっついた形をしていた。

ただし、四角形は変形しやすいので、対角線上に補強用のチューブを入れることが提案され、少路がそれを描き込むと、三角形が六つ連続して並ぶ形になった。


そこに各部分の寸法や角度を丁寧に描き込んでいく。それらはオリジナルのタンデム自転車を実測した値をそのまま使用することにした。というのも、バラしたオリジナルのタンデムの部品はインチを採用しているらしく、そのまま流用するには、実測してメートル単位に直した方が理解しやすかったからだ。


「よしよし、だいたい形ができてきたなあ」

「あとは、ラグとボトムブラケットとチェーンテンショナーと、その他諸々か」

「そうだね」


そうこうしているうちに、福本先生が忙しい時間を縫ってCADの使い方を教えに来てくれた。

「集まってるね。やるか。でもちょっと人数が多いな。三人くらいにしてもらえるか?」

「はーい」

「じゃあ、とりあえず少路と、他は……」

環が部員を見回すと、「私やりたいです」と、彗が立候補した。

「お、いいねー。積極的で」

「私が役に立てるのって、多分これくらいしかないと思うので」

「わかった。じゃあ、立花と、あとは森川で良いか」

「マジか」

「イヤなの?」

「がんばる」

「よし。じゃあ、よろしく。私たちは、プレハブに戻って材料集めたり、加工の準備したりしてるから」


少路、森川、彗の三人がCAD室に残ってCADを勉強することになった。

「製図の基礎からやるから、プリント回してくれ」

「え? CADじゃないんですか?」

「まずは、基礎からな」


基礎から始まった放課後の自主的な設計の勉強は三日間続き、受講していた三人はCADの簡単な使い方を覚え、四日目からは実際に自転車の製図をすることになっていた。

その四日目の放課後、三人はクーラーの効いたCAD室でパソコンの電源を入れて、いつものように先生が来るのを待った。


「そういえば、カート部のマシンづくり、そろそろ終わるみたいですよ」

彗がCADのアプリを立ち上げながら、隣の森川に雑談を振る。

「じゃあ、加工場があくから、自転車が作れるね」

「うん。でもこっちはまだ一枚も製図できてないからなあ。急いで二週間とちょっとで完成させないと」と少路。

「え? レースって八月の中旬でしたよね? まだ一ヶ月以上ありますけど」

「あ、試験期間中は部活禁止だよ。中間試験のときもそうだったでしょ?」

「そういえばそうでした。二週間も部活できなくなるんですね」

「うん。だから結構急がないとヤバイかも」

「今日から製図するけど、予め担当を決めておいた方が早いと思うんだ」

「そうですね」

「私と森川で全体の製図を手分けしてやるから、彗ちゃんはラグとボトムブラケットをお願い。ラグが六つと、ボトムブラケットが三つ必要だけど、基本的には似たような構造だし、コピペでなんとかなるっしょ」

「分かりました。全力でがんばります!」


「それで、ラグって何? 床に敷くやつ?」

彗のPCデスクの隣に座った福本先生が真顔で訊いてきた。

「え? 床かどうかは知りませんけど、自転車のフレームのチューブとチューブを繋ぐやつです。こういうの」

彗はぼろぼろになった自転車のカタログを取り出し、ラグのページを見せた。


「なるほど。これは製図はできるけども、作るとなると骨が折れるぞ」

福本先生は難しい顔をした。タンデム用のラグは単純な四つの円柱を組み合わせた物なので、製図するのは簡単でも、実際に溶接してくっつけるとなると、かなり高度な技術を要求されるのは明らかだった。


「無理ですか? 私たちの夏は、もう終わりですか?」

「いや、夏は終わらせない。というかまだ始まってもいない。これは金属3Dプリンターの出番かもしれない」

「3Dプリンターってそんなこともできるんですか?」

「うん。三次元CADで3Dモデルを作れば、大抵の物は作れるから」

「三次元CAD?」

「三次元空間内に立体形状を製図するCADだけど、ひとまず普通の二次元CADでスケッチを製図しよう。そうすれば、ほとんど自動的に三次元形状も作ってくれるから」

「えぇ! そんなに便利なんですね」


「それにしても、ぼろぼろのカタログだな」

「中学の時に買ったヤツですから」

「立花は中学の時は自転車部だったそうだな」

「はい。事故で握力が弱くなってからは辞めましたが」

「そうか」

その話はそこで終わって、製図に取りかかった。彗たちの努力と先生の協力もあってか、製図はそれから三日で完了することができた。

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