塩味のカップ麺

北島宏海

塩味のカップ麺

 昼休みの購買は生徒で満ちあふれている。

 お弁当を忘れた子や持参した昼食では足りない子が、おにぎりやパン、お菓子などを求めて群がるのだ。

 育ち盛りの高校生には、与えられた食事だけでは到底足りない。


 わたしは柱の陰から顔だけ出して、目的の人物をきょろきょろと探していた。

 さっきからずっと見張っている。


 あいつはいつもこの時間に来る。昼休みの前半は友だちとのお喋りに費やし、ようやく思いだしたように買いに来るのだ。


 早く来い。

 焦れるような思いとともに、懸命にその姿を求める。


「ミドリ、なにやってんだ?」


 不意に背後から声をかけられ、飛び上がった。


「な、なによもう! おどかさないでよね!」


「おまえ、まるで不審者だぞ」


「失礼ね! あんたを待ってたんじゃない」


「え、おれ?」


 赤石はにやにやしてまんざらでもなさそうな顔になる。


「バカ! なに勘違いしてるのよ」


「バカはないだろう。バカは」


 ふくれっつらをするところが子どもじみている。

 これだから男ってやつは、手がかかるんだ。勝手に都合のいいように思いこんだり、機嫌をそこねたり。

 まったく同じ高校生とは思えないわ。


 わたしはイライラを押し隠し、とっておきの笑顔を浮かべる。


「あのさ、頼みがあるんだけど」


 相手はうさんくさそうな顔になった。


「頼みごと? おまえの頼みごとはロクなことがないからなあ。セミが羽化するところを見たいって言うから、わざわざ幼虫を捕まえてやったのに、勝手にすっぽかすんだから」


「それは小学生のころのことでしょ! 男はいつまでも小さなことにこだわらないの!」


 赤石は仏頂面をした。

「それで、頼みごとってなに?」


 わたしは購買の横に据えられた自動販売機を指さした。そこにも生徒たちが並んでいる。


「その……あそこの自販機でカップ麺を買ってほしいの」


 やつはすっとんきょうな声をあげる。

「カップ麺? それくらい自分で買えるだろうが。おまえは子どもかよ!」


 子どものあんたに言われたくないわよ。


「あんたね、デリカシーをどこかに置き忘れてきたんじゃないの? わかるでしょ、女の子が自分で買えない理由」


「弁当だけじゃ足りないのを知られるのが恥ずかしいからだろ。でも、おまえ、中学生のころは平気で買ってたろうが」


 わたしは声を押し殺す。

「声が大きい。いまと昔じゃ違うのよ」


 赤石はわたしの肩越しに購買のほうを見る。


「なるほど……高溝がいるからだな。とうとう色気づいたか。おまえ、自分が大食いだってこと、知られたくないんだろう」


 図星を指されてうろたえる。


「バ、バカ! 大食いってなによ。健啖家と言いなさい。そんな言いかただから、わたしに振られるんでしょう」


 痛いところを突いたようだ。

 今度は赤石がしどろもどろになる。


「そ、それこそ中学時代だろ。おれだって大人になったんだよ。もはや、おまえみたいなガキじゃなくて、成熟した女性が好みなの!」


 なにが大人よ。どこから見ても子どもじゃない。

 まったく、高溝くんとは大違いね。

 かたや、成績優秀、スポーツ万能で落ち着いた風格。もう一方は、声が大きいだけの元気坊や。

 爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。


「それで、なにを買ってほしいんだ?」


 わたしが答える前に、なにか思いついたらしく警戒するような口調になった。


「断っておくが、おごらないぞ。おれは毎日、ぎりぎりの予算しか持ってきてないからな」


 そういえば、赤石がお弁当を持ってきているの見たことないな。

 お母さんが早くに亡くなったから、作り手がいないのだろう。


「だれもあんたなんかに、たからないわよ。なんだったらドリンク代くらい、出してあげてもいいわよ」


 途端に表情を崩す。

 現金なやつめ。


「いいぜ。それでご希望の品は?」


「緑のたぬき」


「緑のたぬき? おれは赤いきつね派だけどな」


 だれもあんたの好みなんか聞いてないわよ。


「ボリューム感があるほうがいいのよ。さっさと買ってきてよ」


 元気坊やはぶつぶつ言いながらも自販機の列に並び、目的の品を購入する。

 次いでお箸を取り、備えつけのポットからカップにお湯を注いだ。


 ふーん、ちゃんと気をまわせるのね。少し見直したわ。


「買ってきたぜ。どこで食べるんだ?」


「屋上」


「仲良しグループのところに戻らないのか?」


「うん。ほかのふたりは少食だから、わたしだけ追加で食べるのも恥ずかしいし」


「ひとりの食事は味気ないぞ。おれもこれからだから、一緒に食べよう。ちょっと買ってくるから待ってな」


 言い残して店のなかに入っていった。

 わたしはぼんやりとその姿を追う。


 ひとりの食事か。

 あいつは毎晩、ひとりきりの食卓でコンビニ弁当を食べているのかな。


 やがて戻ってきた。

「待たせたな。行こうぜ」


 すでに昼休みも半分を過ぎている。屋上の人影はまばらだった。


 わたしたちはフェンスの近く、眺めのよい場所に陣取り、床に直坐りして食べることにした。

 眼下に広がるのはグラウンド。バスケットコートでは、高溝くんがドリブルで敵陣を切り裂いている。


「あいつ、背が高いからすぐわかるな」


「うん」

 わたしは音をたてておそばをすする。


「ミドリ。おれたち、もう二年だろう。年度が変われば三年になる。そうしたら受験勉強で余裕なんかなくなるよな。伝えるべきことがあるなら、いまのうちに言っておいたほうがいいぜ」


 その横顔はどこか寂しげだった。

 きっと亡くなったお母さんのことを考えているのだろう。


「うん、そうだね」


 その日を境に、わたしたちの屋上ランチ会がはじまった。

 赤石は毎回、早く行動を起こせと迫る。

 よほど心残りがあったのだろう。


 一か月後、その言葉に背中を押されるように決行した。


 高溝くんは友だちが多いので、なかなか近づくのがむずかしい。

 赤石が登校時間帯を調べあげてくれて、そのときに偶然を装って出くわすことにした。


 たくらみに気づかない高溝くんは、他愛もない話をはじめる。

 少し盛りあがってきたところで思いの丈を打ち明けた。


 結果は玉砕。


「ごめん。ほかに好きな子がいるんだ」


 そりゃそうよね、これだけ人気があるんだもの。

 わたし程度のレベルの女の子なんて、星の数ほどいるもんね。いままでにも、いくらでも告白されているよね。


 そう自分に言い聞かせた。


 ……それでも胸が痛い、悲しい。


 わたしに振られたときの赤石も、こんな気持ちだったのだろうか。



「あれ、ミドリ。お弁当持って来なかったの?」


「うん。ちょっと食欲がなくって……」


本当は持ってきているけれど、とても食べる気になれない。


「そういえば、朝から顔色がすぐれないよね。大丈夫?」


「ちょっと保健室で休んでくるね」


 わたしはなにも持たず、ひとり校庭の裏庭に出た。

 いまはだれとも顔をあわせたくない。

 ベンチにひとり腰かけてうつむく。


 告白なんてしなきゃよかったな。

 そうすれば、いまでも楽しく、毎日どきどきしながら過ごせていたのに。

 どうしてしちゃったんだろう。

 ばかみたい。

 ひとりで浮かれて。

 どうしてほんの少しでも、高溝くんの彼女になれると思っていたんだろう。

 ばかみたい。

 都合の良い夢ばかり見て。


 涙が止まらないよ。


「お、こんなところにいた」


 赤石の声がした。

 地面を踏むざくざくという音が近づいてくる。


 バカ。こんなところに来ないで。


 わたしはうつむいたまま、顔を上げない。

 赤石がどかりと腰を下ろすのがわかった。


「屋上にいなかったからさ」


 隣で声がする。

 わたしはただ地面だけを見つめていた。

 茶色い土と雑草。


「ほら、昼飯。食べてないんだろう」


 突き出されたカップ麺とお箸が視界に入った。

 食欲なんてないと思っていたけれど、空腹なのに気づいた。

 黙って受けとり、両手に持つ。


 赤いきつね。


 顔をあわせず、うどんを口に運ぶ。


「な、うまいだろう。赤いきつねも」


「……しょっぱ過ぎるよ」

 流れる涙をカップ麺のせいにした。


「そうか。そうかもな」


 それ以上なにも言わず、ただグラウンドから響いてくる生徒の笑い声だけが宙に流れた。


 しばらく黙って食べ続ける。


 お腹が満ちると声も出るようになる。

 まだ鼻声だけど、聞いておきたいことがある。


「ねえ、赤石」


「なんだ」


「こうなることを見越して、早めに告白しろと言ったの? 三年になってからじゃ、受験勉強に身が入らなくなるから」


「そんなわけないだろ。おまえなら間違いない、そう思ったから後押ししたんだ。あれは本音だよ」


「買いかぶり過ぎだよ」


 赤石は答えなかった。

 少し沈黙したあと、ぽつりと付け加える。


「それに……おまえがうまくいけば、おれも早くあきらめられると思ってさ」


 赤石。

 本当にわたしのこと好きだったのね。

 こんな、なんの取り柄もないわたしのこと。


 そのとき、赤石のお腹の虫が盛大に鳴った。


 人が悲しんでいるのに。


「バカ」


「ごめん」


 ……大好き。

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