第7話 迷宮の玄室

 キースは縦穴の開口部から垂直に降下した。穴底に到達すると、あたりは薄暗く、冷んやりとした湿気に包まれる。足元から腐葉土の匂いが立ち上る。湿気を多く含んだ苔のせいか、足元は柔らかく、しかし泥濘むことはない。魔女の森では降雨日も多いが、縦穴の底に水溜りなどは見当たらない。何処かに都合良く排水溝でもあるのだろう。

 キースは、念の為、全周を警戒する。穴底の壁面は、半分ほど枯れた状態の蔦で覆われている。上層部とさほど変わった様子はない。落下した倒木が複数折り重なり、その表面を苔が覆っている。隅の方に大型の獣の骨が複数体分転がっている。誤って落下したものだろう。自分たちに敵対するような獣や魔物の気配はない。

 上を見上げて、手信号を送る。綱の途中で降下を一時停止し、弩を構えていたカネヒラが、降下装置ディセンダーを緩めて、しゅるしゅると音を立てながら降りてきた。


「問題なし」とカネヒラ。


「了解」とキース。


 彼は、相棒の接地を確認すると、ゆっくりとした足取りで油断なく目標の場所に近づく。壁面の小さな石の門扉だけは、蔓性の植物や地衣類などに覆われてはいない。そこだけ綺麗に切り取ったように露出していた。


 石の門扉の右側、備え付けの石柱は、門を操作する絡繰を起動するための溝がほりこまれており、そこに掌大の石印を嵌めれば、音を立てて、門を塞ぐ石が横に移動した。玄室までに続く横穴の入り口が現れる。

 高さも幅も二肘呎クシャ一米1メートル)程の正方形をなしている。雨水の侵入防止であろうか、半シャデュア一五糎15センチメートル)ほどの二段の登り階段の後、ゆるやかに降下する通路は、玄室まで続いているが、入り口からでは、先は暗く、玄室までは見通せない。下降通路というよりは、通気口に近く、その長さはおよそ六〇〇600シャデュア一八〇米180メートル)、勾配は一二分の一。通気口の全面は、長方形の石材によって整然と組み上げられている。


 カネヒラが弩に爆裂する弾頭をつがえて、通気口に狙いを定める。姿の見えない何者かを察知しようと耳をすましている。


「わかるか?」とカネヒラ。


 キースは、腰の低い位置に装備した双剣の柄に手を添え、気配を探るように目を瞑っていたが、暫くすると瞼を開き、僅かに笑みを浮かべた。


「ん——。多分、迷宮核はままだね」


 懸案事項の一つが解消されて、気が楽になったようだ。


「そうかい。それじゃ続きだ」とカネヒラも笑顔になる。


 キースたちにとって、使い慣れた道には違いないが、滑りやすく、人力で重量物を引き上げるのはかなり厄介で作業となる。今回は特別な機材を用意した。

 ジェフリーが、縦穴上部から制動策を使って降下器を巧みに操作し、巻取機や金属製の縄梯子を順番にゆっくりと穴底に下す。穴底側のカネヒラが補助綱を操作しながら装備が石壁に触れない様に加減している。

 その間、キースは、縦穴の底面に巻き上げ器や縄梯子を固定する大きめの杭を打ち込む。固定器具の準備が完了する頃合いに、玄室からの回収作業サルベージに必要な全ての装備は、ジェフリーとカネヒラの連携によって支障なく、縦穴の底に下ろされていた。


 最初の縄梯子の端を杭に固定し、通気口に投げ入れる。カラカラと音を立て、先の見えない玄室へと伸びてゆく。縄梯子の全長が通気口の先で伸展すると、「カチッ」と何かがハマる様な音を立て、二本の軌条レールの様に形状が整った。


「先を伸ばすね」


「気をつけろよ」


 キースは、梯子を器用に伝って、通気口をするりと降りて行く。やや有ってからキースの透き通った声がカネヒラの耳に届いた。


「次を下ろして」


「おう」とカネヒラが応える。


 カネヒラは、固定器具でしっかりと固定された巻取機から索綱を伸ばし、で接続された台車を梯子の上にはめ込み、その上に次の縄梯子を乗せ、玄室へとゆっくり滑らせる。最先端まで台車が走ると、自動で止まったことがわかる。


「台車を引き上げて」


 キースは、比較的大きな声で開口部に向かって声をかけると、縄梯子を接合させ、丸られた縄梯子を更に下へと転がして、伸展させると、レールを伝って、先へと進む。この迂遠な作業を一〇回繰り返すことで、通気口から玄室に届く長さの軌条を敷設することができた。勿論、最後の軌条の端は、固定器具でしっかりと固定された。

 軌条敷設後は、カネヒラが次々と引き上げ作業に必要な道具・器具・備品をそつなく玄室へ下す。キースは、台車の担架、固定器具、覆布、綱、刷毛、保存用薬剤、保護・防護用布、箒、布製袋、油用灯火具カンテラ、円匙、鉄梃、鉄杭、木槌などなどを受け取り、綺麗に並べ終える。


 キースは、ひと段落ついたところで、三つの灯火具に火を入れ、玄室を明かりで照らしだす。天井は高く、暗がりが広がっているが、作業には支障を来さない十分なあかりが確保できたところで、カネヒラが通気口から軌条を伝って降りてきた。


「で、どんな感じだ?」


 玄室の扉は開け放たれていた。最奥の祭壇前に遺体が三体横たわり、迷宮核が鎮座している筈の祭壇には何も無い。


 剣士装備の少年。腹には無駄に装飾が施された剣が突き刺さっていた。


 聖職者然とした少女。穏やかに眠るが如く静謐に包まれていた。


 如何にも術者という衣装の老人は恐ろしい面貌で干からびていた。


「異様」とキース。


 カネヒラが応える。


迷宮ダンジョンの中の遺体なんてこんなもんだろ?」


「五ヶ月まえだよ?」とキース。


「……そういえばそうだな」


 キースは、双剣の片方を抜くと、左手にその黒刃を逆手で構え、慎重な足運びで遺体に近づくと、骸となった少年と少女の顔を覗き込む。


「勇者様も聖女様もまるで生きているみたい」


「まあ迷宮ダンジョンならこんなこともあるだろ?」


 カネヒラは、周囲を警戒しているのか、御座成りに応える。


「適当に応えてる?」


 キースは、抗議の視線を送るが、カネヒラは気にする様もなく玄室の暗がりを凝視している。


「まあ迷宮ダンジョンだからなッ!」


 呆れを通り越して諦めの表情を浮かべたが、数拍の後、キースは頭を軽く左右に振った。ククリナイフを鞘に戻し、気を取り直すと、勇者一党の遺体回収作業に取り掛かる。


「勇者様のご遺体からだね。先ずは邪魔なこいつを抜くよ」


「刺さっているのは聖剣か?」


「どうだろう……」


 キースが勇者の腹を貫いている剣の柄に手を掛けると、掌に吸い付き、使い慣れた愛刀のように自分の手に収まった。彼は、若干の薄気味の悪さを感じたが、そこは仕事と割り切っていることもあり、グッと堪える。遺体に余計な傷をつけないように慎重に引き抜こうとジワリと力を込める。その際、押し出されるような感じで、剣は何の抵抗もなく、遺体の腹からするりと抜けた。


「勝手に抜けた……」


 目を丸くするキース。


「なんでだろうねぇ……」


 一拍おいてニヤリと笑いながらカネヒラが「ダ……」と言いかけたところで、間髪入れずに——


「ダンジョン禁止!」


——とキースが被せるように言葉を遮る。


「お、おう」


 カネヒラがたじろぐ。


「ほい。これ」


 キースは抜き取った剣をまるで汚れ物のようにカネヒラへと押し付けた。渡された剣を渋々受け取りつつカネヒラが独言した。


「お前さんも俺も何事もなく握れるってことは、こいつは紛いモノだ。正教会も酷いことをする。勇者を誑かすとか、呆れて言葉もでないぜ」


——いや、喋り過ぎだよ……


 キースから手渡された剣は冷たく輝いていた。血糊がこびり着いていることもなく、脂による曇りもなく、刃こぼれもなく、錆もない。

 軽く振れば、何かを切り裂くような奇妙な手応え。刃先の動きに合わせるように小さな金属音。ほとんど重さを感じさせない。


 カネヒラは何とも言い難い違和感と不快感に囚われる。その違和感を伝えるべく、キースの方に体を向けたのだが、彼は一瞥をくれることなく、勇者の装備を外す作業を黙々と続けていた。

 普段のキースであればカネヒラのちょっとした言動の変化であっても拾ってくれる筈である。


迷宮ダンジョン迷宮ダンジョン、言いすぎたかねぇ」


 諦めたようにカネヒラが呟いた。


 カネヒラは、近くに浮かんでいる不荷重布の上に剣を置くと、賢者の遺体を検めるべく歩み始めるが、三歩目で止まった。彼の脳裏に昔の記憶が浮かび上がった。記憶の海から一つの形が滲み出す。


 それは柄頭の紋章であった。


 過日の酒宴での一齣。三代前の勇者が正教会への不満を延々と垂れ流している。

 勇者は何もかも気に入らないという風であった。教皇から押し付けられた聖剣が夜中に奇妙な音をたてる所為で不眠症になったなどというセリフと共に聖剣の柄頭を掌で雑に叩く。

 三代前の勇者の渋面に加え、聖剣の柄頭に刻まれた紋章が鮮明に思い出された。カネヒラは不荷重布の上に横たわる剣に再び視線を向けた。間違いなく同じものがそこにあった。


「カネヒラ。さぼってないで、さっさと賢者様の遺体を包んでよ」


 微動だにしないカネヒラに向かって、僅かな苛立ちを言葉に乗せ、キースが仕事をするようにと促す。


「なあ?」


 カネヒラが重そうに口を開いた。


「なに?」


 キースのその声は刺々しい。彼は、勇者の兜と手甲に次いで胴回りの装備品を外し、ちょうど剣の鞘に手をかけて止め紐を外そうとしていた。


「こいつは本物の聖剣だ。柄の紋章に見覚えがある」


 カネヒラの発言により、キースの手が止まる。続けて「あッ……」とキースが不意をつかれた時のような短い言葉を発し、鞘を凝視する。

 自分が手にしている鞘に不意に浮かび上がった神聖文字を、ゆらゆらと光を放っている飾り文字を観取すると、カネヒラに顰面を向けた。

 

 キースもまた昔を思い出した。


 彼が冒険者として王都に居を構えていた頃、馴染みであった正教会の教区長の案内で、聖剣が安置されている部屋を訪れたことがあった。

 聖剣は石台に据えられていた。薄暗がりの中、仄暗い緑色の光につつまれ、近づく程に空気に奇妙な震動を感じ、目にした聖剣の禍々しさに圧倒されたことがあった。

 聖剣の鞘に刻まれた神聖文字が生きているように蠢めいている光景が脳裏に浮かんだ。正にその時に感じた不快感を、この揺らめく神聖文字に対する嫌悪感を、キースは鮮明に思い出した。


——間違いない。あの時の聖剣だ。


「勇者だけが手にすることができる聖遺物だよな?」


 キースの問いかけにカネヒラが応えた。


「そう教えられたな……」


 キースは、ぎこちない動きで鞘に視線を戻し、暫しの沈黙と共にゆらめく神聖文字を凝視した。聖剣は桁外れに重くなくてはならない。回収作業サルベージは困難なものとなると予測していた。むしろそのためにこその不荷重布であった。


——俺は何をした?


 聖剣を遺体からさっと抜き取った。


——カネヒラは?


 受け取った聖剣を嬉々として軽々と振り回した。


——正教会の教えは?


 聖遺物は、選ばれた人間以外、触れる事はできない。仮に触れられたとしても強烈な痛みを伴うものだ。また痛みを堪えて持ち出そうとしても重過ぎて持ち上げることなど不可能である。この世界の理だ。

 聖剣も聖遺物のひとつ。キースもカネヒラも神々の恩寵に与らない。祝福されぬ者。神々に見捨てられた者。祀ろわぬ者だ。聖遺物に選ばれることなど決してない。


——これは拙い。これ以上踏み込んだらダメだ。


 キースは鞘から視線を戻すとカネヒラと目を合わせた。


——何事にも例外はある。忘れよう。


 低く唸るような音だけが聞こえてきた。迷宮全体が三条の滝の落水に共鳴しているかのようだ。


——迷宮の中なら尋常ならざることが起こる。カネヒラの言う通りだ。


 キースは迷宮の天井を見上げた。暗い闇が玄室の天井を覆っている。彼は得体の知れない冷たい視線に貫かれるような感覚に囚われる。


——まったく忌々しい。


 どの迷宮も厄介な存在だ。迷宮とは無縁であることに越したことはない。求めて関わりなど持つべきではない。しかし——


『閑却すれば禍事無し』


——とは言えない。


 放置された迷宮は、魔物を大量に吐き出して、周辺の村や砦、畑や牧場を壊滅させる。

 已む無しとばかりに周辺諸侯が兵を迷宮に送り込もうにも兵には限りがある。練兵とは時間と金が嵩むものだ。魔物相手に損耗していては人と人の戰に勝つことができなくなる。であれば、迷宮の掃除など金で済まそうか、となる。金で不成者ならずものを釣ることができれば、一石二鳥、魔物も不成者も始末がつく。

 キースは、迷宮で冒険者の遺体を目にする度に、自分たち冒険者が食虫花に群がる虫のように思えて、不愉快極まりなかった。


『一攫千金か、令聞令望か、権貴栄達か、爾今の花天酒地か、何を求めて迷宮に挑もうとも、惑わされ誘い込まれ、終には命を奪われる』


 迷宮の唸りが不調法な吟遊詩人の長口上を喚び起こす。

 

『我欲か役義か如何にあれ、迷宮で斃れし者の悔恨は、迷宮の闇の中、残滓となって積み重なりて、遠からず悪鬼に変わる』


 昔々、王都の辻を通り過ぎる際に耳にしたときは、気にも留めなかった陳腐な台詞が今更ながら癪に障った。

 

——悪鬼になどさせるものかよ。


 キースは、自分よりも歳の若い勇者の未だあどけなさが残る顔に手を添えて、優しく撫でた。それは祈りだったのかもしれない。あるいは憐憫だったのかもしれない。


「続けるよ……」


 キースは気持ちを切り替えて、勇者の装備品を外す作業を続けた。


 カネヒラは、嘗て賢者と呼ばれ、今や迷宮の冷たい石床の上に横たわる年老いた術者に近づき、遺体の状態を確かめていたが、直ぐに立ち上がると、キースの方に向き直った。


「賢者様はお亡くなりにはなっていないようだぜ」


「まさか……」


 キースが手を止め、顔を上げる。


「そのまさかだ」


 カネヒラは視線を横たわる賢者に戻した。


 呼吸も脈も既に無い。胸郭が拡張しており、腹腔が不自然に収斂していた。目蓋は眼窩に落ち込み、口腔は開かれ、歯列が剥き出しであり、其れは、誰が見ても乾涸びた骸に過ぎず、既に魂も抜け落ちていると判断するだろう。

 しかし、賢者の骸からは、微かだが耳障りな呼気が発せられていた。


「死霊術?」


 キースは、自ら発した疑問によって、感覚が切り替わった。空気が細管から揺らぎながら、連なり抜けるような呼気を背景として、幾重にも浮かび上がる異なる聲を認めた。それは囀りのようであり、囁きのようでもあり、祷りのような響きのようである。

 

 数拍の後に肯定する。


「ああ、間違いない。不死化だね」

 

 カネヒラは、再びキースに眼差しを向けると、至極当然の疑問を投げ掛ける。


「魔法陣の痕跡なし。神代の呪物も無い。できるのか?」


 驚いたようにカネヒラが尋ねた。彼も古参の冒険者であり、百を超える遺跡や迷宮を踏破してきた経験がある。死霊術が如何なるものかを理解していた。


「そこの賢者様にいろいろ訊いてみるしかないかな」とキースは肩を竦めてみせた。


「確かに……」


 キースの微妙な表情から、詳しい事は話したくない、と察したカネヒラが死霊術の話題を切り上げる。


「で、どうする?」


「さっさと梱包しよう。なんか鬱陶しいし……」


 キースは雑に応える。


 この落差よ。美少年の勇者との扱いの違いにカネヒラは苦笑いを浮かべた。


「了解」


 キースとカネヒラは「こーこーこー」と怪しげな音をたてている術者を見事な手際で梱包する。一〇分もかけることもなく、まるでエジプトの木乃伊のような仕上がりで、綺麗に包み終えた。



「さて……」


「さて……」


「「まかせた」」


 二人は同時に同じ言葉を発する。暫しの睨み合い。


「聖女様ぞ?」とキース。


「おう、聖女様だな」とカネヒラ。


「とびきりの美人ぞ?」とキース。


「おう、美人だな」とカネヒラ。


「不満?」


 キースが小首を傾げる。その仕草はカネヒラにちょいと可愛いと思わせる程であった。


「前回、聖女様を回収した後、あまりの聖気の所為で、しばらくの間、死霊が大量に寄ってきて仕事にならんかった」


「むぅ……」


 二人は聖女の遺体の納体作業を押し付け合っている。


「死霊系特攻持ちのキースにおまかせだぜ」


 キースは簡単に死霊を屠ることができる。彼自身の特性でもあるが、装備しているククリナイフのような双剣が神代の遺物であり、死霊を消滅させる特別な力を備えている。とはいえ、面倒事なのは確かであり、誰であっても関わりたいとは思わない。


「それはそれ、これはこれ」


 それでは、とばかりに、二人はじゃんけんを始めるが、あっさりと勝負がつく。カネヒラの勝ちだ。


「よし!」とカネヒラ。


「チッ」とキースが舌打ちをする。


 キースは、不本意ながら聖女の遺体に近づくと、彼女の骸を検め始めた。


「ねぇ、カネヒラ。ちょっと……」


「何だ?」


「重い」


「ご遺体とはいえ聖女様に失礼だろ?」


「いや。重いよ。異常に重い。一人じゃ絶対に無理」


 カネヒラは、仰臥位の聖女の頭部側に周り、頭部から肩にかけて手を差し込むが、抱え上げることはできない。聖女の遺体は微動だにしない。フーッとため息を漏らすと立ち上がり、キースに顔を向け、良い笑顔を浮かべながら言い放った。


迷宮ダンジョンだからなッ!」


 キースの動きがとまり、カネヒラに冷たい眼差しを向けた。


「悪かったよ……」


 カネヒラは詫びを入れて言葉を繋げる。


「この聖女様は、同じカサの玉鋼にも負けてないぜ」


 武器屋防具や農機具など、冒険者組合専属の鍛冶屋があらゆる鉄器をつくるのだが、その素材として、王都の商人組合を介して鉱山組合から買い付けている。鉱山組合経由の玉鋼は、辺境の冒険者たちにとっては身近なものである。


「……」


「聖女様は不荷重布で包むか?」


「そうだね……」と暫し考え込む仕草の後にキースが続ける。


「聖剣は、カネヒラが背負ってよ」


「こんな不吉なもん嫌だよ」


「聖剣ですよ?不吉なわけないじゃないですか?やだなぁ……」


「抑揚がいつもより少ないぜ……」


 キースは一瞬ムッとしたが、直ぐに妙案が思い付いたような表情を浮かべた。


「日頃から『深淵の短刀』を担いで戦ってる人が何をおっしゃるやら」


 暫しの間。カネヒラ会話の流れをあらぬ方向へと進める。


「……ああ、日頃の悪行の所為か、聖剣に浄化されそうだぜ」


がっくりと膝から崩れ落ちる。生ける屍ゾンビが浄化される様子を再現して見せる。


「死霊かよ!」


 反射的にキースが寸言する。


 浄化の技は、勇者と聖女が行使可能な奇跡の一つ。勇者は聖剣を、聖女は聖錫を、それぞれ用いて浄化の神技を代行する。聖剣や聖錫自体に死霊などを浄化する力は無いと言われている。


「カネヒラ。遊んでないでさっさと不荷重布を持ってきてよ。聖女様の腰のあたりから通せば、後はくるりくるりと転がせば包むことができる筈」


「雑だな」


「じゃ、カネヒラがやる?」


「遠慮するぜ」



 勇者は自刃し、聖剣は羽毛のように軽く、聖女の亡骸は鋼の塊の如く重い。そして賢者は死霊と化している。


——迷宮ならば仕方がない。


 果たしてそれで良いのか、キースには分からない。彼は、そういうことで済ませるのが無難との結論に至るのだが、このろくでもない事態に納得したわけではない。しかし、普通の冒険者にできることなど高が知れている。

 キースは、白薔薇のような聖女の安らかな死に顔を暫しの間眺めていたが、一瞬、彼女の頬に溢れんばかりの美しい笑みが浮かんだように錯覚した。不意に罪悪感に囚われると、直ぐに視線を外し、冴えない姿のカネヒラの動きを目で追った。


——これが現実さ。


 酷い言われ様である。


 カネヒラは聖剣の柄をつまみ上げるように持ち上げた。先ほどと変わることなく聖剣は呆れるほどに軽い。キースから手渡されていた鞘に器用に納める。事前に取り出しておいた呪われたアイテムを包むための黒い布で聖剣を包み、かけ紐を鍔と石突の辺りにくくりつけた。肩を通して背負うためのものだ。

 顰めっ面のカネヒラが玄室の隅に聖剣を運ぶのだが、彼の動きに合わせて聖剣が微妙に振動していた。


 カネヒラを眺めたところで、気分が一新するわけでもない。否も応もなく受けた仕事は片付けなければならない。

 キースは、聖女の腰の辺り、床との隙間に不荷重布の端を通し、聖女と床の間に引き込む。頭部と脚部の均衡を保ちながら、少し持ち上げて、床との隙間を広げ、その下に不加重布を引き込む。時間をかけて、聖女の遺体を不加重布の上に移動させた。

 キースが慎重に聖女の遺体を包み終えると、遺体がフワリと浮かび上がった。カネヒラが間髪いれずに担架を差し入れると、キースは梱包済みの聖女の遺体をその上に固定した。


——聖女様から引き上げよう。


「カネヒラ。上で巻取機の操作をお願い」


「まだ勇者様を包んでないけど」


「僕がやるよ。時間はかからないし。それよりも先ずは聖剣担いで上がってね」


「半笑いやめろ」

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