第6話 縦穴

 キースが先頭に立ち山刀マチェットを振る。木々の枝を払い、道を切り開く。彼を先頭にジェフリー、そしてカネヒラの順に続く。木々の密度が尋常ではないため、彼らの歩みは遅々として進まなかった。

 斬り払った枝を手に取って見れば、過剰な枝分かれが生じていることが判る。腋芽が枝先にも認められた。枝は叢雲状に絡み合い、緻密な網目状の障害となっている。前進するためには、それ相応に山刀を振るう回数が増える。


「二年前か?」とジェフリーが口を開く。


「北の冒険者?……ああ、そうだね」とキースが応える。


 少し疲れたのか、枝を切り払う動きに乱れが生じている。


「前回の固定器具アンカーボルトが残っているなら楽ができる。キース、替わるぜ」とカネヒラ。


 枝にも根にも引っ掛からず、なんの障害物も無い舗装された道を歩いているようにスッと前に出る。キースは、山刀を鞘に収め、先頭を譲ると、彼の後ろに付いた。


「魔女の森だからね。固定器具は腐食しているかな。打ち直しさ。手間だね。壁面の様子も確認しないと……」


 キースはいつも通りに慎重だ。


「壁面が割れている方に賭けるぜ」


 ジェフリーがニカッと笑う。


「それなら奥の方の大木を使うしかないね」


 キースは肩越しにジェフリーに微笑んだ。それから四半刻程、山道の跡を切り開きながら進むと、前方左六分の一11時の方向、目的の縦穴を見下ろすよう、僅かではあるが視界にとらえることができた。縦穴を囲む木々は、二年前とは比べものにならないほど茂り、縦穴に至る道を塞いでいた。


「茂みすぎでしょ……」


 ——これは勇者と迷宮の相乗効果だわ。


 キースは油断なく周りを伺う。彼の目はぼろぼろの赤い紐を捉えた。二抱えはありそうな太い樫の幹に括り付けられた古い目印だ。


「あった。ここだね。縦穴の端に抜ける道を探そう」


 ジェフリーが応えるように、左側の薮を大振りの鉈で切り開けば、それらしき道の痕跡が目に入った。


「こっちだ」


 ジェフリーは、次々と枝を払い、奥へ奥へと歩みを進める。


「ここを広げておくぜ」


 カネヒラがその場に留まり、周りの木の枝を落し始めた。カネヒラをその場に一人残し、キースはジェフリーの後に続く。

 鉈の音というのは意外に遠くからでも耳に届く。風がない所為だろう。草を踏み締める音、枝を押し退ける音、己の呼吸音も耳に障るほどの静けさ。鳥の鳴き声や虫の音も聞こえない。遠くから三条の滝の落水が聞こえてくる。音源の位置関係が狂う。実に魔女の森らしい。

 音だけに囚われないように、視覚、臭覚、触覚にも気を配る。前方の視線を向ける。ジェフリーの大きな背中が頼もしく映る。草木や腐葉土の匂い。自分たちが森の中にいることをしっかりと意識する。


 ——ここの迷宮主は近いうちに復活する。再び冒険者が三条みすじの滝を訪れるようになる。


 キースの予測は正鵠を射ている——とは言え、誰もが指摘するような一般論に過ぎない——この迷宮は、初心者向けと謳われているが、それなりの稼ぎになる。だからこそ、初心者に限らず、多くの冒険者が三条の滝の迷宮に集う。

 迷宮の中では、どんなに警戒してもし過ぎということはない。慎重に行動していても、何かの拍子で、状況が一変する。それまでは、適切であった判断、妥当な選択、思慮深い行動、それら全てが瞬時に反転し、致命的な失態となる。新人であろうが、古株であろうが関係ない。迷宮では、誤りが死に直結している。


 キースは脳裏にジェフリーの言葉が響く。


『結局は運の良さだと思うぞ』


 酒を飲みながらジェフリーが屡々口にする言葉の通りだと思った。


 ——冒険者たちが何度も迷宮に挑戦すればするほど、いずれ誰か下手を打つ。僕たちが次に備えるのは無駄じゃない。


 一つの仕事を終える前に、次の仕事の段取りなどに思いを巡らすなど、遣り損じを招きかねない。普段のキースに比べて、散漫と言わざるを得ないが、彼の油断というよりも気乗りがしない所為で、集中力を欠いていると言えた。


 ——まずい。余計なことばかりだ……


 キースとジェフリーが薮の中を四半刻ほど進み、漸く彼らの視界が開けた。大岩を挟んで野営地の正反対側、大岩の裏手に位置する目的地、迷宮最下層に続く断崖の縁に到着した。彼等二人は降下用の綱を設置する場所で、背負っていた背負子を地面に置いた。


 垂直に切り立った縦穴は、俯瞰すると開口部が正三角型で、一辺は凡そ五〇呎50シャデュア(一五メートル)、深さ一六〇呎160シャデュア(四八メートル)。開口部周辺に木々が迫り、蔓性の植物が壁面を覆っていた。

 開口部付近でも森の木々の間を通り抜ける風を感じることはできない。空気の流れ自体がとまっている。吹上ることなく、吹下ろすこともない。

 見上げれば晩夏の空は青く澄んでいて、大きな鳥の群れが南に向かって飛んでいた。縦穴の底に目を向けると、影が濃く、澱みの気配が重く沈んでいる。最底部の様子はほとんど見えない。


 ——相変わらず森の匂いが濃い。


 キースは薄い革手袋の上から自分の指にはめた指輪の存在を確かめる。『呼吸の呪符』が組み込まれた指輪だ。この指輪を身につけている限り、汚染された空気の中にいても、三日程度であれば、害されることなく、活動できる優れものだ。迷宮を探索する冒険者の必須装備である。



 暫くして、カネヒラも合流した。


「目印、付け替えたぜ」とカネヒラがキースの背中に声をかける。


「ありがとう」とキースが返す。


「で、どうよ?」


「使えない。固定位置が少し高くなるけど、この立派な樫の木を使わせてもらうよ」


 二年前の救助活動で使用した固定器具は、荷重に耐えられる状態ではない。カネヒラが右眉の端をピクリと持ち上げ、微妙な表情を浮かべると、視線をキースに向けるが、キースは、仕方ないじゃないか、という気持ちを込めた視線を返す。


「まかせた。おれは対面の確認だな」とカネヒラ。


「多分、向こう側も同じだ」


 ジェフリーが歩き始めたカネヒラに右手の親指で別の岩壁面を指差す。


「ああ、こりゃ酷いぜ」


 カネヒラが唸る。視線の先、大木の根が岩壁を覆い、亀裂を生じさせていた。


「向こう側も分散するのか?」 


 キースは頷くと言葉を繋ぐ。


「そう。強めに張らないとね。支点は三ヶ所で引き留めてよ。勇者の装備一式は重いからね」


「了解」


 そう答えて対面の石壁に向かおうとするカネヒラ。それをキースが留める。眉を顰めたカネヒラに不可解そうな眼差しを向けられたが、キースは、当然と言わんばかりの表情を浮かべ、締め金を自分の鼻先に掲げると、軽く振って、カネヒラの注意を引く。

 

「少しだけ変えたからね。観てから行ってよ」


 そう言いながら、キースは、先ほど選んだ二抱えほどの樫の木の幹を厚手の防護布で囲い、続けて掛けスリングを巻き付ける。

 その掛け帯を支点として、三枚の索具リギングプレート、五つの滑車、開閉機能付きの固定具カラビナ、二つの締め金ロープクランプを組合せにより、平衡錘の五倍の張力で橋綱を繋ぎ止める滑車の組合せプーリーシステムを実演してみせた。


「こんな感じさ」とキース。


 カネヒラは目を閉じて、右の人差し指で、空中に線を描くような仕草をしながら、滑車の構成手順を思い出す。


「ああ、大丈夫だ」


「じゃ、向こう側から飛ばしてね」


 キースは、カネヒラと視線を交わし、滑車の組合せを再現できることを確認した後、終端点に定めた樫の木の後方に歩みを進めると、新たな木の幹を選び、最初に選んだ樫の木にかかる負荷を散らすように引き綱を結ぶ作業に入った。


 優美で嫋やかな後ろ姿を眺めながら「信頼が思いぜ……」と謐くカネヒラ。


 カネヒラが辛気臭い視線をジェフリーに向ける。彼は視界を遮る木々——それらの径は凡そ二ディジットほど——を切れ味の鋭い手斧で次々と切り倒し、橋綱の設置作業に必要な空間を確保しようとしていたが、カネヒラから視線を向けられていることに気が付く。

 ジェフリーは、カネヒラの作業が滞りそうな雰囲気を察して、直ぐに対岸を親指で差し示して、カネヒラに移動することを促しながら「擦れ当て材エッジガードはそこだぞ」と言った。


 カネヒラは渋々ながら「おう」と応えて歩きだした。懸垂降下の綱を敷設するための杭の近くに差し掛かった辺りで、背負子から擦れ当て材を器用に外して静かに地面に下ろした。


「ジェフリーさん。巻梯子を運ぶときは声をかけてくれよ」と念を押すように言い添える。


 今回、キースが用意した巻梯子の数は多く、一人で運ぶとなると荷厄介なのだ。


「ああ」


 気の無い返事のジェフリー。カネヒラは軽く頭を振ると、半ば諦めの雰囲気を携えて、対面の石壁に向かうため、縦穴の縁をゆっくりとした足取りで進み始めた。ジェフリーは、苦笑いを浮かべ、小柄ながら並外れた膂力を備える男の背中を見送った。

 ジェフリーが本業の運び屋家業ではなく、回収の仕事を手伝う際には、力仕事などは自分の担当として割り切っていた。現役の冒険者であるカネヒラに敬意を払っており、荷運びなどの仕事をさせることに心苦しさを感じていた。

 カネヒラの方は、ジェフリーのことを偉大なる冒険者、不滅の踏破記録を持つ先達として尊敬しており、細々としたことで煩わせるのは気が引けるのか、率先して雑務をこなす。


 カネヒラが中年に差しかかる年齢にもかかわらず、冒険者として第一前線で活動し続けているというのは例外的な幸運に恵まれたことに過ぎず、加えてジェフリーが早々に冒険者を引退せざるを得なかったことには相応の理由があった。あえて彼我を比べてまで引け目を感じるというのも始末に負えない。大方、彼の中に燻っている冒険者への未練が、そのような思いを抱かせているのかも知れない。


 暫くの後、ジェフリーは視界の端にカネヒラの姿を捉えた。ばさばさと草木が舞い散る中、縦穴の縁をするりと抜けて、対面の石壁の辺りに至ったようだ。


 ジェフリーがそちらに顔を向けると、カネヒラが、隙間なく生えている蔓草を切り落とし、石壁面を露出させていた。遠目にもわかる大袈裟な動作で、固定器具の状態が酷く、使い物にならないことを伝えてきた。

 カネヒラという男は、日頃から誰かの目を意識するようなことはない。基本的に気ままで、遠慮がない。しかし、主神に連なる神々なのか、とりわけ運命の女神なのか、あるいは己の守護者たる大魔女なのか、人ならざる超越者たちの眼差しを無意識の裡に楽しませるように振る舞っている。


「そりゃそうだろう……」


 ジェフリーは、大きく頷いて見せ、視線を足元にもどすと、擦れ当て材を杭止めする作業を続ける。


 固定器具が使えないことを確認した。カネヒラは、やむ無しとばかりに、尾根側に移動する。石壁を左手にして縦穴の周囲を十数歩進むと石壁の上方に移動できる場所を見つけ、鬱蒼とした藪の中に分け入った。

 間もなく、固定器具が打ち込まれていた石壁の真上に出ると、先にキースの設えた終端点の位置を確認してから、カネヒラも山側の木々を使い、終端支点を据え付ける。そこに橋綱を繋ぎ止め、平衡錘を自重の倍程度の重さに調整した。

 橋綱の一端の方を、投擲用の弾頭に括り付けて、擲弾筒に込める。推進力は炸裂する魔石によるものだ。言うまでもなく、アデレイド謹製の魔道具であり、彼らの居住する中央王国では、超越技術と言える代物だ。

 カネヒラは呼子を吹き、ピーと甲高い音を鳴らして、ジェフリーの注意を引くと、角度を付けて、擲弾筒から弾頭を発射。ポンと小気味の良い音ともに弾頭通された橋綱がするすると対岸に飛んで行く。投射された弾頭は、対岸のジェフリーに受け止められ、キースの手に渡った。


「随分、早いね」


「キースほどではないが、カネヒラも熟れてきているからな」


 一呼吸あって、ジェフリーが、橋綱を手渡しながら、今更な質問をキースに向ける。


「今回は俺を含めて三人だ。橋綱よりも懸垂登攀の方が良くないか?」


 ジェフリーが指摘するまでもなく、要救護者や遺体を縦穴から引き上げる目的で、橋綱を使用するには、不可能ではないが、十全な人数とは言い難い。


「ここは縁が脆いでしょ?」


 答えを待たずに、キースが言葉を繫ぐ。


「前回、カネヒラを落石に巻き込みそうになったし……」


 二年前の回収作業の経験に基づき、担架を壁面から離した状態で引き上げた方が無難であるとキースは判断していた。実際、縦穴の岩壁は脆く、僅かな衝撃で剥落する可能性が高い。


「ああ……確かに」


 ジェフリーは、落石を大袈裟な動作で回避するカネヒラの事を思い出し、納得する。

 キースにとってみれば、落石回避というのは副次的であって、新しい機材の試験運用に重きを置いていた。早めに使用感を確認すると共に、不具合や改良点を洗い出して、装備を更改することで、難易度の高い迷宮救助に備えたいのだ。


 ——昼前には終えないとね。


 キースは、真新しい移動滑車を取り出すと、子供が新しい玩具を手に入れた時のように得意げに掲げて見せる。


「新しい移動式滑車。いいでしょ?」


「そうだな。新しい機材というものは心を躍らせる」


 その言葉にキースはご満悦である。実を言えば、年齢相応に心が乾いているじぇふりーが、移動式滑車に興味を惹かれたという訳ではなく、年長者として自然に身につけた気遣いが、適切な言葉を選ばせていた。


「綱橋の角度の引きの想定は?」


 ジェフリーが巻取機を事前に打合せた場所に固定する作業を開始しながら尋ねる。


「んー……」


 数拍の間。その後キースが答える。


「巻梯子を二巻乗せた担架を真ん中まで移動させた時には一〇度くらいかな。勇者様たちの引き上げの想定は一五度から二〇度」


 キースは橋綱の張り具合を確かめる。引き上げの際、展張力が最小となるように調整した後、橋綱に移動式の滑車装置を乗せた。直列に円盤が四輪並ぶように構成された滑車を縫う様に橋綱を通して、外れない様に据える。

 橋綱の方向には、掛け金によって制動策を繋ぐことができる。手前の一端は、キース側に設置された巻取機から伸びた制動索を結び、引き綱を繰り出しながら、対面側に滑らせてゆく。


 対面で待ち構えるカネヒラが「もっとゆっくり」と手信号を送ってきた。


 ——ジェフリーさんの言う通りだけど、カネヒラの技量向上スキルアップは普通じゃない。


 橋綱の設置を終えると、担架の上げ下ろしのための移動式滑車の動きを確認した。続けて降下用の綱の敷設に取り掛かる。


 降下用の綱は、擦れ当て材により、また複数の終点と掛け金を使って、岩壁の縁、せり出した部分に架かる負荷を分散するように設置した。壁面の途中に雄螺旋ボルトを打ち込むことはせず、懸垂降下により、一気に穴底まで到達できるように設る。


 キースは、接続輪に安全索を二重八の字結びで取り付け、懸垂降下様の綱に着装済み降下器を手にしている。例の防護用の兜は被らずに狩人帽のままではあるが、視界が狭まることを考えてれば、敢えて甲虫の兜は被る必要もない。


「それじゃあ降りるね。カネヒラが戻ってきたら続くように伝えてね」


 キースは、擦れ当て材が設置された降下場所にすっと歩いて行くと、重さを感じさせないように身を翻して、縦穴に降下を始めた。壁面に触れることなく、ゆっくりと慎重に距離を稼ぐ。対峙しているのは迷宮という魔物だ。何時何処で様相をがらりと変えるのか分かったモノではない。休眠状態とはいえ油断は禁物。善き神々に見捨てられた者は、迷宮の影響を受けないという言伝えが残されているが、キースは身を以って確認している。しかし、このように降下している最中に突如として、迷宮が牙を剥かないという保証は何処にもない。


 ——身代わりの護符が有効かどうかなんて誰にも判らない。


 普通の冒険者達は、キースの様に縦穴を垂直降下することなどない。垂直降下の手間と労力——準備を怠れば降下中に迷宮の権能によって灰になる——に比べれば、通常経路で魔物を倒しながら迷宮最奥に至るほうが極めて楽なのである。途中で遭遇する魔物を倒せば素材や魔石が手に入るだけでなく、魔物の力を神の祝福により己の力へと変えることもできる。正規経路による迷宮の踏破は魅力に溢れている。


 ——僕には降下技能これだけだからね。手持ちの札で勝負するしかない。


 キースは、三条の滝の迷宮の構造を思い浮かべる。正規経路でも何度も通っている。遭難者が全員が全員とも迷宮核のある玄室にたどり着いて、そこで遭難するわけでは無い。途中に遭難しやすい場所というのがあって、それらは迷宮全域に散在している。キースも常に降下技能を発揮できるわけではない。カネヒラやジェフリー、その他の冒険者仲間と一緒に正規ルートを数日かけて踏破しつつ、遭難者を回収することも少なくは無い。


 ——今回の依頼は、既に遭難した場所が玄室と特定済みだったから、手間では無いけど。


 この世界の他の迷宮に比べれば三条みすじの迷宮は規模が小さい。入り口から迷宮の最奥にある玄室、更にそこから出口までの階層数——冒険者組合の公式見解ではある——は一〇階層と極端に少ない。単調な道筋であって、迷うこともない。ただ厄介なことに途中途中に一方通行の石扉があり、順路を逆に辿って戻ることが出来ない。しかも嫌がらせのように長い。迷宮内で数日間は寝泊まりすることになる。しかも踏破するまで高低差が三〇〇〇呎3000シャデュアを超えるというのは全く笑えない。まるで登山だ。


 ——冒険者組合の難易度評価レイティングは変えるべきだね。


 上級者向けの迷宮にありがちな悪意ある仕掛けトラップ・ギミック、構造が大きく変化するようなこともなく、分岐を見逃さなければ、往路も復路もほぼ一本道。途中、魔物との遭遇は、退屈さを紛らわす良い刺激になる。一般的な冒険者であれば、都度都度の戦闘で消耗することはない。しかし、薄暗い迷宮の石壁を見ながら、ひたすら前に進むしかなく、人によっては「閉じ込められてしまうのでは?」といった心理的な負荷によって倒れてしまう冒険者も少なくない。


「大丈夫そうか?」


 上方からカネヒラの声が聞こえた。迷宮の潜航にともなう深度の影響の確認だ。


「いつもの通りッ!」


 雑嚢に入れた身代わりの護符の色味に変化は無い。体感と同じであることを上に向かって大きな声で伝えた。


「上から警戒する必要は?」


「念の為。お願い!」


 キースたちは、常に魔物との遭遇を避け、無駄な消耗を抑え、短時間で回収作業を完遂するように努めている。しかし降下中は目立つ上に避けようがない。降下中の襲撃に備えて、魔物に向かって爆裂弾や火炎弾を投擲できるように、仲間が備えている。


 ——今のところ、縦穴の底に魔物の気配はないけどね。


 一般的な冒険者であれば、魔物を倒すことで、その都度、神々から何かしら力を与えられるのだが、祀ろわぬ者であるキースたちは、損耗するだけで、得になるようなことは何もない。魔石も素材も何一つ取得できない。彼らは魔物を相手にするより、切り立った石壁を相手にする方がマシなのだ。

 専用の装備を使い、迷宮の最奥部まで降下して目標を収容し、同じ経路で垂直に引き揚げれば、それで仕事は一区切。遺体や遺品の回収作業では、時間効率を上げることだけが求められる。


「到達!」


 キースが声を上げる。声に反応して動く物があれば、上方からカネヒラが弩を使って炸裂弾を打ち込むだろう。


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