きっかけひとつ

関東選手権


楽しみにしていたが、いざ迎えると来てしまったという気持ちも湧いてくる。


まずは開会式のために会場入りすれば顔見知りの選手はいるし、それなりに話したり挨拶をしたりもする。

しかしリリィは友達を作るのがそこまで得意ではないのもあって、早い段階で孤立していた。


初日はノービスBの選手たちが試合を行い、その翌日はノービスAの男子からとなる。

そのためリリィは男子の試合は見ることにしていた。

銀河もまた、女子の試合を見ることにしている。


本日出場する銀河は緊張からか六分間練習でやや悲壮な顔をしていた。


「銀ちゃん大丈夫よ」


と安村コーチが宥めるが、なかなか緊張は解けないようだ。

リリィも観客席から銀河を見るが、少しだけ嫌な予感がした。

隣に今回は選手としては出場しないまちが


「銀ちゃんヤバそうじゃん、まあ試合になるといつもだけどさぁ」


と呟く。


というのも銀河は割と深刻なあがり症だった。

こうなってしまったきっかけは黄昏に所属している殆どのメンバーが知っている。



それは銀河がもう少し幼く、その恵まれた身体能力を存分に発揮して練習をしていた頃。


リリィと銀河と同い年のクラブ員が黄昏にはもう一人居た。

その子はお世辞にも才能があるとは言えず、毎日毎日練習はするものの銀河のように飲み込みが早くなかった。


そんなある日のクラブ内での発表会として、クラブ員一人一人が滑る毎年恒例のイベントが開催された日。


その子は見られる緊張からか、少しミスをしていたが最後まで丁寧な滑りだった。


その後に滑ったのは銀河。年齢に合わない難易度のジャンプを決め、回転速度の速いスピン、あっという間に端から端へ行くスケーティング。


ミスなく終えられて笑顔でリンクサイドに戻ってきた銀河の前に立ち塞がったのはその子の母親だった。


「荒削りで下手でちっとも美しくないのに自慢げに滑らないで」


と半ば八つ当たりをするように息子と同い年の銀河に言い放ったのだった。

それを聞いた安村コーチはすぐに反論した。


言われた銀河は泣きもせず、ただ黙ってその場を見つめていた。

そこから数日経っても銀河には特別変化は無いように見えた。

しかし試合など本番と呼ばれるものでは軒並みミスをするようになってしまった。

思えば練習に正確さを求めるようになったのもその時期だっただろう。


どんなに質のいい練習を重ねても


「見ている人に下手で美しくないと思われたらどうしよう」


という不安がミスにつながっていた。


件の母親とその子はほどなくしてスケートを辞めてしまっているのだが、未だに大きな足枷となって銀河を縛り付けている。


安村コーチはもう以前から「とにかく大きな試合に出て目に見える結果を残さないことにはその足枷は外れないと思う。でもその大きな試合に出るためには小さな試合でノーミスしないといけない」と言っていた。


しかし一時期銀河にはそれすらプレッシャーになり、「リリィちゃんには多少プレッシャー掛けても大丈夫だけど、銀ちゃんはダメ」とボヤいていたのを覚えている。


六分間練習が終わり、グループ内では最後から二番目の銀河は氷から上がる。

その後ろ姿がいつも何かしらちょっかいをかけてくる銀河とは思えないほど小さく見えた。


「...トイレ行ってくる」

「ん?行ってらっしゃい」


まちにそう言って、観客席から外の廊下へ出る。

小規模な試合で使われる会場は複雑に入り組んでいないので、少し行けば簡単に選手と遭遇できる。



「あら、リリィちゃんじゃない」

「おーリリィ、なにしてんの?」


すぐにこの二人を見つけた。


「暇だから来た」

「まちは?」

「観客席にいる」

「置いてきたのかよ」


と銀河は笑う。



「ねえ銀ちゃん、面白いこと教えてあげる」

「なんだよ?」

「安村先生がこの前ね...」


そういうと安村コーチがあからさまに据わった目になる。


「あとは、ノーミスしたら教えてあげる」

「なんだよぉ!」


そう言う銀河を背後に笑いながら観客席へ戻る。



観客席から見る銀河は先ほどより元気そうに見えた。

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