本番

日付は変わって今日はついにノービスA女子。


今までの戦績ではなくくじ引きで決められたリリィの滑走順は全体でも序盤の方だ。


『島田りりささん、黄昏フィギュアスケートクラブ』


聞くと身が引き締まるアナウンス。試合に来たのだと思い知る。

体の制御ができなくなるような強い緊張感は無い。


一番緊張するのはスタートのポジションをとり、音楽がかかるまでの数秒間だがそれさえ過ぎれば大丈夫だった。


一番最初の優しいフルートの音と共に滑り出す。


「ダッタン人の踊り」が始まった。


管楽器やハープの音に合わせ、まずはトリプルフリップを着氷した。


六分間練習の頃から調子が良く、順調に滑っていけそうだった。


コンビネーションのセカンドはまだダブルで固めている。

スピンは最近やっとレベル4が取れるような出来になってきた頃だ。


後半の音楽が激しくなるにつれ、スケーティングの正確さが求められる。

理想というものは脳内にはあるが、それを自分の足で再現できるかと言われるとまだまだだろう。


最後はフライングキャメルスピンだ。ドーナツからビールマンに持っていく。

そして片手と顔を上にあげ、立ち止まる。



……この一度きりの演技が終わった。



ノーミスではあった。しかし、傑作ではなかったとすぐに理解した。


調子は良かった。出来としては今までで一番良かったのかもしれない。

でもまだまだだと分かった。自分よりよっぽどうまい人がまだ後に控えている。


その証拠を次々と提示するかのように、一人滑る度に順位が下がっていく。

去年よりも出来が良いだけに、去年以上に見ていて苦しくなる。

自分より上手い人なんていくらでもいる。見る価値があるとされる人も自分以外にいる。


明らかに自分が滑った後よりも大きな歓声と拍手が聞こえてきた。

今まで気にしたことなかったこの音がひどく煩わしくて、耳を塞いだ。



何時間経っただろうか、安村コーチの明らかにテンションの高い声で呼ばれてハッとする。


「すごいじゃないリリィちゃん」


結果は11位、過去最高の順位だ。

二桁に差し掛かって少しで収まるなんて誰が想像しただろう。


もしこの結果を一年前に取れていたなら、まだ嬉しかったかもしれない。


でもこの結果が示すのはひとつ。

全日本ノービスには行けないということ。


一度も全日本に出ることがないまま、リリィのノービスは終わった。


何を言っても、何をしても、泣いても笑っても結果は変わらない。

今はそれをただただ受け入れるしかなかった。

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