バッジテスト

今日は東京にある五月雨スケートリンクへと向かう。


トリプルループはあれからなんとか降りれるようになった。

周りからは冗談で「頭を打ったのが良かったみたいだね」と言われるが、確かにあれ以降明確に良くなった。


そして基本を叩き直し始めたおかげで、元々跳べても安定感が無かったり、回転が足りなかったりしたジャンプの精度も上がった。


そして、安村コーチが以前よりずっと厳しくなった。


安村コーチには、もう近いうちに辞めてしまうだろうと思って大目に見ていたところがあると告白された。


つまり前までは怒る価値すらなかったと言うことだ。


しかし7級を取ると決めて以降はリリィの本気度を買い、安村コーチもまた本気で向き合うと言われた。


「やるからには一発で受かってくれないと困るよ」


と釘を刺された。



今日訪れた五月雨スケートリンクは、比較的新しいリンクで観客もある程度収容することができ、小さめの試合なら開催されることもある。

また、このリンクで練習する「五月雨フィギュアスケートクラブ」からはここ数年毎年強いジュニアの選手が出ている。

去年も聖子以外のグランプリシリーズに派遣される女子選手はみんな五月雨だと言っても過言ではなかった。


今日はそんな強い子達からリンクを借りてテストを行う。


「島田りりささん、黄昏FSCどうぞ」


呼ばれて審査官の前に立つ。


「では最初に…」


テスト内容一つ目、ダブルアクセル。


手始めになんとか跳べた。


「ではステップからのトリプルジャンプを見せてください」


こう言われて少し口角が上がる。

体は以前よりもよく動く。しっかりとステップを踏み、難易度のリスト数字上3番目に難しいとされるトリプルフリップを跳んだ。


次は単独のトリプルジャンプ。


これはここしばらくずっと苦労し続けたトリプルループで行った。


降りた瞬間、笑みが溢れる。体感で過去で一番良かったと思ったら。

審査官も頷いていた。

その後も必須エレメントテストを行い、全て終えた。


エレメントテストはこれで終わりだが、これからショートプログラムを滑る。


曲がかかった瞬間、一気に視線がこちらに向くのが分かった。

聞き覚えのある曲だからだろう。

日本に知らない人はいないであろう神崎勇が滑っていた曲だ。


コンビネーションジャンプはトリプルフリップ、ダブルトウループが決まった。



その後も順調に決めていき、リベルタンゴのアレンジで追加されたアウトロに合わせてフィニッシュポーズをとる。

ショートプログラムは体感ノーミスだった。


まだ合格とも不合格とも言われないで、しばらく休憩したら今度はフリーを滑ることとなる。


ところでフリーの滑走時間はノービスは3分、ジュニアは3分半、シニアは4分とカテゴリによって異なるが、バッジテストはシニアの時間…つまり4分でやる。


このダッタン人の踊りを試合で4分滑ることはもう一生無いかもしれない。

だからこそ、これをミスしたくなかった。


ダッタン人の踊りの穏やかな序盤からそっと滑り出す。

後半にかけて体力が厳しくなってくる。まだジュニアの3分半すらまともに滑ったことのない体ではキツい。

そのせいか後半のルッツを着氷したらカツン、と嫌な音と感覚がした。

一瞬のことだが、着氷の瞬間にもう片方の足もついた。


バッジテストは原則ノーミスでないと受からない。

これはもうダメかもしれない…と一瞬思ったが振り切り、それ以上ミスをしてしまわないよう意識を変える。


これができるようになったのは大きいかもしれない。


一発で受かれと釘を刺され、プレッシャーで総崩れになるのではないかと懸念したこともあったがなんとか終わった。


「安村先生、やったよ!」

「よく頑張りました。さぁ受かってるかな?」

「…………ひぇ」


思わず情けない声を出す。一番怖い箇所が残っているのだ。


結果を聞くため恐る恐る審査員へ近付く。


バッジテストの手帳が人質に取られているような気分だった。


「合格です、おめでとう」


そう笑顔で手帳を返してもらった。

それに対してありがとうございますと言ったのか、無言で頭を下げながら手帳を受け取ったのかはよく覚えていない。


気付いたら天井を見上げ、感無量の顔で手帳を握りしめる自分の気持ち悪い顔がアクリル板に映っていた。




「リリィ七級取れたって?おめでとう、頑張れば来年全日本出れるじゃん」

「まぁそうだけど…」


銀河の言葉に返事をする。

確かにもうシニアの全日本に出場するための最低条件はクリアした。


しかし、リリィにとってシニアの全日本はまだまだ夢のまた向こうの夢だった。


次に控えているのは地区ブロック大会。

この大会で一定の順位に入れば、全日本ノービスに出場ができる。

しかし、ノービスのカテゴリに入って四年。

一度も全日本には出場していなかった。


ノービスBの一年目は地区大会に出るための県大会で脱落した。

ノービスBの二年目では、地区大会までは進めたが、ジュニア以上だったらフリーには進めない順位だった。下から数えたほうが早いくらい。

ノービスAとなった昨年もだいたい前年と同じ感じだった。


しかし、今年こそはもっと上に行ける。

去年までとは違うと自分でも分かっている。

でも全日本に行けるほどかと言われると、まだ頷けなかった。

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