掴めない片鱗

バックで滑り足をクロスさせそのまま重心を意識し...


一気に腰を下ろし、そのまま飛び上がった。

体をしっかりと締め、ギリギリまで離れないように。


一瞬世界がスローになったような、でもやはりいつも通り一瞬で。


しかし、これでは無事に降りられないことが感覚として分かる。


本来着氷はエッジの真ん中から行くべきだが、真っ先に氷の感覚がしたのはつま先側のトウ。


このトウにあるギザギザとした部位が氷に引っかかり、そのまま無惨に氷の上に叩き付けられた。


着氷は失敗、しかし手応えはあった。


ずっと手こずっていたトリプルループを三回転近く回れたと感じた。

正確には分からないが、今までのダブルとは違った。


それが嬉しくて、安村コーチがいる方を見る。


しかし安村コーチは冷生を直接指導していた。

見られていなかったらしい。


まあなにも珍しいことではない。

スケートをしていれば誰もが経験があることだ。

上手く行った時に限って先生が見ていないことなんて。


しかしそれなら仕方がない、見てもらうには


「安村先生!ちょっと見ててください!」


と声をかける。コーチが「いいわよ〜」と言いながらこちらを見たことを確認したら再び助走に入る。


飛び上がろうとした瞬間だった。


目が突然天井を映し、そのまま強い衝撃が背部に走った。

空中に体が浮いたと思ったが、むしろ投げ出されたという方が正しい。

周りからは、悲鳴が聞こえた。


「いっ...たぁ!!」


と腹の底から叫ぶ。


幸いポニーテールがクッションになって、頭に直接的なダメージは受けなかった。

直接ぶつけていたら気を失っていたかもしれない。


起き上がれたのでそのまま立ち上がろうとすると、安村コーチに抑えられる。コーチが


「...お母さん呼ぶから、病院行きなさい」

「なんで?もう痛くないよ?」

「氷にあの勢いで頭打つと怖いのよ、脳震盪起こしてるかもしれないから」


と少し険しくなった表情とトーンの落ちた声。


すると銀河も口を開いた。


「脳震盪はこえぇぞ...俺脳震盪起こした時、

一週間練習行くなってお医者さんに止められたから...」

「銀ちゃんが脳震盪起こしたのはスケートしてる時じゃなくて、夜中に二段ベッドの上から落下したなんて超マヌケな理由じゃん」


とまちが容赦なく言う。


詳細は知らないが、確かに二年ほど前銀河が突然練習を休み、安村コーチが「二段ベッドから落ちて頭を思いっきりぶつけたらしい」と話しているのを聞いたことがある。


「あれ痛かったし大変だったんだからな!」


と銀河が騒ぎながらまた滑って行く。


「...とにかく、一回氷から上がって」

「...はい...」


そう言われるともう言う通りにするしか無かった。




「大丈夫?頭がグラグラしたり、気持ち悪くなったりしてない?」


15分ほど座らされ、安村コーチに聞かれる。


「...はい。特に何も」

「...やっぱりリリィちゃん、体は頑丈ね...」


有り余る身体能力があっても、怪我をしやすかったり、ウイルスに感染しやすかったりする選手やそもそも持病持ちの選手もいる。

しかしリリィは幸せなことに、平均以上に健康で怪我も滅多にしない体を持っていた。


「練習中に喘息を起こしたり、フラフラ練習してるから呼び寄せたら熱を出していたり、変な転び方をしてその場で泣き叫んで動けないなんてことが今までリリィちゃんには無かったから...本当にヒヤッとした」


と言われて、たしかに今までここまで分かりやすく危険な転び方をしたことがなかったと気付く。

…それほどリスキーなことが出来るようになった証拠なのかもしれないが、こんな事を頻発させてはいけないのは分かる。


「今何も無いのはいいけどやっぱり今日は帰ってくれたら先生は安心だな」


とコーチに言われればもう従うしかなく、素直に帰った。


「あと一回、試したかったなぁ...」


たとえまた転ぶとしても、トリプルループに手応えがあった。

あともう何度か跳べば今日中に降りれたかもしれないのに、というもどかしさが胸に広がった。


掴めそうで掴めない。もどかしくて、イライラして、泣きたくなる。

しかしこの感覚に陥ったのは久し振りだ。それが嬉しくもあった。

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