後遺症

一方その頃、誠也は離れたところで最後のウォームアップをしていた。


そして時折、どこか不安げな表情でコーチである田畑に目をやる。

その度にコーチに「大丈夫や」と言われ、それを聞くと安心するようにまた集中をする。


イヤホンを外した時、既に演技を終えた選手たちの楽しげな笑い声が聞こえると一瞬釣られるように笑顔になる。

聞こえるのがそれだけならいいのだが、残念ながら会場の現在の滑走者の音楽や歓声も聞こえてくる。


グランプリシリーズでは観客も少なかったためか、歓声などはあまり気にならなかったが、グランプリファイナル以降どうにも耳に刺さる感じがしているのだ。


歓声を聞けば聞くほど、自身が注目されていると思い知る。


注目された結果、何が待っているか。そこが一番の問題なのだ。


「俺、元々こんなん気にするタイプじゃなかってんけど...」

「試合がデカいからやろ、そのうち慣れるて」


という田畑コーチの言葉をとりあえず飲み込む。


「先生オリンピック三回出てるもんな、世界ジュニアなんてなんともないか」

「まあ...もうどんなんやったか忘れた。トリノで何滑ったかすら覚えとらん」

「五年前やん.....」

「だって覚えとったら、誠也達が同じ曲滑りたいってなった時自分がやった振り付けがベースになってまうやろ?」


と話していれば気が紛れ、誠也の顔にはなんとか柔らかい表情が戻る。


「もうそろそろ行こか。大丈夫や、ちゃんと見とるし。周りを遮断するのは得意やろ?」


と田畑コーチは今大会の最終滑走者を連れて、会場の方へ向かった。


「得意かは知らん……」

「得意や、得意なんやで」


と教え子に言い聞かせるようにコーチは言うのだった。


会場に出れば、直前に出番だったカイル・パターソンが演技後半に入っているところだ。


「さっむ」

「上着…着てへんのかい、アホか」

「アホやったわ」


と緩い会話を続ける。


カイルの演技が終了し、観客席から歓声が湧く。


田畑はそっと教え子の方を見ると、誠也は顔はやや俯いているが、目はリンクを真っ直ぐ見ている。


その表情は険しい。


「……誠也、曲始まったら集中な。練習で言うたことは?」

「……曲調に合わせて動きや表情ににメリハリつけること」

「四回転は?」

「タンって跳ぶ」

「そうや、それでええ」



氷の上に上がった教え子の名前がアナウンスされた瞬間、田畑はその背中を押してリンクの中央まで送る。

誠也はそれに応えるように、振り返らずにリンクを半周して開始位置へと向かった。

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