震え

最終滑走誠也の演技が始まる。


曲はサン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」

定番のオーケストラ曲だ。


最初のバイオリンの音に合わせて片手を上げて柔らかく回り、力が入っていないかのようにそのまま進む。


彼もまた、今大会では唯一の技...四回転を跳ぶ。

ジュニアではまだまだ一般的ではない技だ。


前向きに滑り、ターンをしてフリーレッグを替える。


(タンッて跳ぶ...)


脳内でそう唱えながら、トウを氷に叩きつけ跳び上がる。


一瞬、でも誰よりもどの技よりも長い滞空時間。

そして、するり...という音が合うほどスムーズに着氷した。


弦楽器が一斉に序奏を断ち切るのに合わせて、片手を振り下ろす。


曲調が変わって長調になり、それに合わせて動作も溌剌としたものになる。そうすると観客から手拍子が聞こえてくる。


軽快なステップの後にトリプルルッツを軽々と決めた。


トリプルアクセル、トリプルトウループのコンビネーションも決める。


後半、肩を震わせて泣くような音色のバイオリンを背後に最後のジャンプであるトリプルサルコウを決める。


直後、曲全体で最も明るく激しい曲調に乗りステップシークエンス。回るような音に合わせたツイズルは見ている者に一種の気持ちよさを与える。


最後はコンビネーションスピン、輪舞曲の最後の盛り上がりに合わせて回り、そしてエンドの伸ばす音で片手をゆっくり横に伸ばして終わった。



演技が終了してもその顔に笑顔は無い。


何か一つ、試練を終えたような面持ち。その真逆で熱狂する観客たちに礼をしてリンクを去る。


観客から、カメラ越しから見るキスクラに座った誠也はこの上なく冷静に見えた。

しかし、横にいる田畑だけは見抜いていた。


手が、足が、体の芯からくる細かな震えを。

その身に求められる技量を、試合毎に心に蓄積されていく鉛のような重圧を、まだ受け止め切れない。


何故ならまだ世界に出たばかりの14歳だ。

それなのに一人のアスリートの現役分の注目をこの一年で浴びてきた。



発表された得点はシーズンベスト、ショートの得点も合計され2位から圧倒的に離してトップに立った。


これにより誠也はジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権の二冠を手に入れた。


それは、天才だと世界中に持て囃された兄、聖司には成しえなかったものだ。


聖司はジュニアの頃から、見ている人全ての心をつかむ力があった。

しかし、技術面ではまだ少しだけ不足があった。


だから世界ジュニアでメダルは獲得したものの、金色のメダルを手に入れることは無かった。


この時点で十分、五十嵐誠也という一人のアスリートに強い力があることが証明された。


それでも今の誠也はまだ、この世を去った天才五十嵐聖司の弟でしかない。



日本で流れた速報は言うまでもなく「五十嵐聖司の弟、五十嵐誠也が世界ジュニア選手権で優勝」と言ったものだった。

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