特技と叩き込みと精神安定
男子フリー最終グループの六分間練習が終了し、グループ最初の滑走者である柚樹はリンクの壁際で名前が呼ばれるのを待機する。
最初に現地の韓国語、その後英語でアナウンスされリンクの真ん中へ滑る。
失格となる時間からはしっかりと余裕を持って位置につき、両手を右腰に当てる…これから剣を抜くようなポーズになる。
フリーの曲はマスクオブゾロ。
過去に怪人・ゾロを助けたアレハンドロをベースに演じていく。
最初に飛ぶのは柚樹が最も得意とし、少なくとも今大会では唯一の技。
トリプルルッツ、それに続いてトリプルループを決めた。
普通コンビネーションジャンプでは一つ目のジャンプでの着氷のためにフリーレッグを一度後ろに伸ばし、その伸ばしたフリーレッグで氷を叩いて再び跳び上がるトウループが一般的だ。
しかしループは着氷した際に体を空中姿勢のようにほぼ締めたまま再び足と腰の力で跳ぶので、当然難易度が跳ね上がる。
このトリプルルッツ+トリプルループのコンビネーションジャンプは過去にもリスト化できるくらいの選手たちしか跳んでいない。
そして演技開始から2分半が経った後半でもトリプルフリップ、トリプルループのコンビネーションをもうひとつ決めた。
体力的に厳しくなってくる演技後半で入れてくるからこそ、彼のセカンドループは大きく評価されている。
そこから流れが変わってステップシークエンス。最終決戦を表現し、ゾロに叩き込まれた剣術を惜しみなく発揮するように、曲に合わせて力を込めて四肢を出し、追う暇もないほどリンクの端から端へ猛スピードで移動していく。
そしてその勢いのまま最後のコンビネーションスピンへ入る。
大抵はシットスピンから立ち上がるアップライトスピンへ移行することが多いが、このプログラムではシットスピンを最後に勢いよく立ち上がって止まる。
そしてゾロの遺志を継いだアレハンドロとして、決意の籠った眼差しを上げながら胸に手を当てて終わる。
今日はミスのひとつもせず完璧に終えられた。
それだけでほっとして、自然と笑みが零れる。
「あら、いい笑顔」
とコーチも言ったくらいだ。
キスクラに座ってスロー映像を見、頭の中でジャンプの回転数がきちんと足りているかを数える。
特にセカンドループは回転不足...アンダーローテーションが取られやすいため特に緊張していた。
グランプリファイナルでは回転不足を取られ、全日本ではフリップにアテンションがついた。
得点が出るまで時間が掛かった。ソワソワしたくなるのを抑えて大人しくモニターを眺めながら待つ。
そしてやっと、アナウンスされた。
フリーの得点はシーズンベスト、現時点で1位に立った。
「っ、あーーー.....」
「よく頑張ったね、ジュニア一年目お疲れ様」
と刈谷コーチは柚樹の背を軽く叩く。
そうして裏に入り、しばらく歩いたところで
「ユズキ!!」
と背後から突然何者かに首に腕を回される。
「ッ、カイル!?」
アメリカのカイル・パターソン。柚樹や誠也とは1歳年上の15歳。
最終滑走の一つ前の出番であるためか、一度靴を脱いでウォームアップをしている途中だったようだ。
「昨日お前が滑ってる間誠也にも同じことしたんだけど、あいつは特に反応せずされるがままだったな....」
「お前日本人に絡むの大好きかよ......」
「いや?今ギルが滑ってるだろ?だからギルが来たら同じことするぜ」
ギルとはカイルと同じアメリカのギルバート・ファーマー。
アメリカ代表のトップスケーターであるマルセロ・ブラウンとミカエル・スチュアートの同門の後輩であり、ジュニア一年目にして全米選手権で3位に入るほどの実力を持っている。
しかしどうにもいじられやすいというか、行く先々でちょっかいを出され、その後は特に何もしてこない同い年の柚樹に泣きついてくるという始末だ。
「もうちょっとギルに優しくしてやれよ...」
「大丈夫だ、相手が俺だからな」
そう言いながらカイルの腕を解き、適当にあしらって離れる。
カイルは緊張すると人肌が恋しくなるのか、よく色んな選手を捕まえている。
グランプリシリーズで柚樹は彼と同じ試合に出たのだが、その時は背後からいきなりくっつかれたので「コーチにくっついてればいいじゃないか」と言ったが、「臭いから嫌だ」と失礼極まりないことを言っていた。
案の定、ギルバートの叫び声が少し離れた箇所から聞こえてきた。
「ユーズーキィィィィ、アリスタルーーフ!!」
ととりあえず目に入った選手たちを呼んで助けを求めている。
アリスタルフの方はモニターに映っているが。
しかし、表情はどこか笑っていたのでああそういうこと...なんだかんだ彼も楽しんでいるのだろう。放置を決め込むことにした。
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