第4話 わからない。

 広間に戻ると、

 ついさっきまでは、人の声が充満していたこの部屋がパタリと静まり返っていた。


 私は、自分の髪がクシャクシャになっていることも気にせず、懺悔室の出口から広間に向かって歩き出す。


 なにが行われていたのか。

 広間に敷かれた絨毯が真っ赤に染まっている。


 白装束の信者たちが、集団自害した後が残っていた。


 なぜ、こんな行動を?全ては、祭りのあとなのだろうか。

 一体何が。


 本当に、首謀者は一人だけなのだろうか。

 マサトさんとアリスちゃんの行方も気になるが、首謀者が他にも潜んでいるのではないかと、緊張が走り、額に汗が流れる。


 私は、壁伝いにゆっくりゆっくり、歩き始める。

 真っ白い壁が断末魔の訪れを予言するように、赤い血が飛び散っている。


 ガタッ


 急に物音がして、私は急いで、そのまま身を伏せる。


 心拍数が上がっているのが自分でもわかった。


 そして、先程、破裂した男性の姿がフラッシュバックし、自分も、そうなるのではないかと、恐怖に怯える。


 感情を殺せ。


 感情を殺せ。感情を殺せ。


 落ち着いて。私。


 心臓の高鳴りが落ち着いたのは、たまたま目に入った、床に燭台が転がっているのが確認できた頃だった。


 おそらく、燭台を握りながら亡くなったのだろう。と、心のうちで納得をする。

 そして、20番さんから死の直前にもらった洋服を握りしめ、また一歩、歩き出した。


 慎重に慎重に歩きながら、教会の外に出ると、何もなかったかのように、いつもの風景が支配していた。


 返り血で赤く染まった私の服に対して、なにも驚きもしない。まるで見てみぬふりをしているかのような人々が、教会の前の道路を何事も反応することなく、通り過ぎる。


 日常の動作を繰り返し行っているかのようで、世の中の関心事は半径1メートルといったかのように、この教会での出来事は、その場のみの出来事となっていた。


「いらっしゃいませ」

 と笑顔で、応対してくれるウェイトレスも。


「どうぞ」

 と、店のビラを配るビラ配りも。


「めんどくせえ」

 そうつぶやく、道路工事の作業員も。


 平常運転だった。まるで殺人事件など、起きてなかったかのように。


 私は、その様子を見て、失踪したマサトさんとアリスちゃんを探す気力もなく、とぼとぼ、路上を彷徨っていた。


 まだ、近くにいるはずだと、頭の片隅では思いながら、どこか、この激しい感情を落ち着かせたいという気持ちがあった。


 男の声が頭から染み付いて離れない。

「お前の今、感じている恐怖は、どちらに傾いている?」



「ハァ、ハァ、ァ、ァ、ァ、ァ、」

 男の断末魔も。


 気分の悪い記憶が、頭を支配しようとする。


 私は、それに耐えきれなくなり、路上でうずくまってしまった。

 耳をふさぎ、もう聞きたくないと、自分の記憶へ抵抗を行った。


 そして、かすかに顔を上げる。


「いらっしゃいませ」

 と笑顔で、応対してくれるウェイトレスも。

「どうぞ」

 と、店のビラを配るビラ配りも。

「めんどくせえ」

 そうつぶやく、道路工事の作業員も。


 平然と歩く人たちが、実は裏に狂気を隠し持っているのではと感じ、

 笑顔の裏にある顔を勝手に想像してしまう。


 笑顔が歪んで見える。私は何か、幻想を見ているようだった。


 ****






「大丈夫かい?お嬢ちゃん」

 耳の隣で肩を叩く音が聞こえる。


 通りすがった老人が私に話しかけてくれた。


「一体何かあったのかい?」

 ほら、そこの、ベンチに座って。と、

 たまたま、近くにあった公園を老人は指差す。


 私は、力なくした両足でとぼとぼ、公園のベンチに座ると、

 通りすがりの老人は、私が落ち着くまで、見守ってくれていた。



「。。。た。そうだね。」

 老人がつぶやく


 え。


 私が聞き直す。


「感情が傾いたそうだね。」

 老人の声が聞こえたとき、老人は、ほら。そういって、

 自分の網膜に指を指す。


 そして、ニコッと笑うと、隣のベンチに腰掛けながら、ブツブツ話し出す。

「まったく、ここにいる住人は、そんなことには無関心だ。

 自分の身に危険がないと思えば、すぐに、いつもどおり。

 良く言えば、感情をフラットに保つことに関しては、優等生。


 悪く言えば、短絡的だ。目の前に危険がないとわかれば、すぐに無関心になり、そこに長期的なリスクが顕在化した状態だとしても、それを自分は安全だからといって、見過ごす。


 気づいた頃には、もう遅いというのに。」

 私は、この老人の言い草に、この街の人とは異質なものを感じた。


 昼間の暑い太陽が公園の隅にあるこのベンチを照らす。

 眩しい。


 まだ、到着して、数時間しか経っていないのだと、改めて感じた。


 一瞬の出来事が、あの数十分内に行われたのだろうか?

 そう、思わせる時間感覚のズレだった。


 私がふぅと、ため息をつき、身体を落ち着かせると、ベンチの後ろにある木々から、鳥のさえづりが聞こえた。


 そして、老人も同じ音を聞いていたのか、喋り始める。

「あそこに、潜んでいる鳥のほうが、自由に思わないか?私達と比べて」


 え?突然の質問に聞き直す。


 もちろん、聞き取れなかった訳ではない。普段は耳にすることのない珍しい質問を耳にしたからだ。


 老人は、私の「え?」という反応が、心地よかったらしく、また意気揚々と話し始める。


「実は、あの鳥は、あそこに潜みながら、いつもひっそりと、求愛行動をしているんだよ。


 周りの目など、なりふり構わず、小さい声でひっそりとね。」

 耳を澄ますと、チュンチュンと、鳴き声が聞こえて、

 しばらくすると、違う鳥がさえづりをする本人の前を行き来していることがわかった。


 そんな様子を、ご老人と私は、見ながら、ご老人は私に話しかける。


「今のヒトは、極度の不安に駆られているような気がする。

 自分の安心する物語。自分の好きな物語をそばに置くことで、自分の心を落ち着かせ、次第にその行動自体が、依存性があることに気が付かずに、気づいたら、時が流れて、老化し。


 更に不安は増す。


 でも、振り返れば、わかることだ。


 君は何をした。


 君は何をした。


 君は、誰に何をした。



 君は家で本を読むばかり、誰にも影響を与えていないのではないか?とね。



 私が、その事実に気づいたときには、遅かった。


 だからこうして、何もしない人々を尻目に、君に声をかけたんだよ。

 大丈夫かい?」とね。



 *******

 教会の入り口には、東側から差す日光を遮るように、黒髪のパーマがかかった男が立っていた。

 白装束のメンバーが応対する。

 僕は、その様子を見ながら、僕の洋服に腕まくりをして、無理やり着ているアリスを見た。

 アリスは、長い袖をブラブラさせながら、退屈そうに木製の長椅子に座っていた。


「ミサ。遅いね。」

 退屈そうにアリスはつぶやく。

「奥の部屋で何してんだろ」

 アリスはさらに、手や足をばたつかせて、騒ぐ。


「大事な話をしてるんだよ。アリスのお洋服を貰うために交渉してるんだから、おとなしく待ってないと、お洋服貰えないぞ」

 僕はそう言って、アリスをなだめる。


 父親でもない男が、よくこんな絵に書いたような言葉を口にできたものだと、我ながら思う。

 こういうときに、なんて言葉をかけたら良いのか分からない。


 そもそも、言葉遣いは合っているのか?

 貰えないぞ。


 んん。なんだか、使っていてむず痒い響きだった。

 普段、僕は、どんなことを言っていたっけ?

 なぜ、急にアリスを目の前にすると、冷静に話が出来ないのだろうか。


 お洋服もなんだか、心地悪い。


 お。なんて上品な言葉使っていたか?


 僕は、何に影響をされて、今の言葉を使ったのだろうか。

 そんなことを、ふと考える。


 ネット空間にあふれる情報から、自然に会得したのだろうか。


 ずっと、自然体で居るアリスを見て、少し羨ましく思う。

 躊躇せずに、言葉に発することができることが。


 そして、僕は、嫌なことを考えてしまう。

 本当に、アリスの両親が見つかったら良いと考えているのかということを。


「アリス」


 僕は、思わず声をかける。


 ん?

 チラチラ遠くを眺めていたアリスが僕の言葉に振り向き、反応をする。


 言葉が喉に詰まる。

 言い出せなかった。


 なぜ、僕と一緒に居てくれるのかと。


「まだかな。。ミサ」

 僕の気持ちを置き去りにして、アリスは寂しそうに呟く。


 僕はアリスに声をかける。

「少し、外、お散歩しようか」


 うん。アリスはそう返事をして、ズボンを引きずるのを気にして、おんぶをせがむ。


 僕は、アリスをおんぶすると、とぼとぼ、協会の入り口に向かって歩き出した。


 入り口に立っているままの黒髪のパーマがかかった男を、少し、邪魔と感じながらも、構わず僕達は外へ出た。


 眩しい太陽に光に目を抑えながら、教会の外へ一歩踏み出す。

 アリスも背中の上でごそごそ、目を擦っている。


「外。まだ明るい」

 たしかに、アリスが言うとおり、朝が早すぎたせいで、太陽の向きは東方向。

 まだ、正午にもなっていなかった。


 僕は、無心に街中を歩き始める。


 思えば、列車に乗り、狂想曲が流れ婦人が騒ぎ出した時から、いろいろなことが起きた。

 これまで、順調な旅路だったのに。

 窓辺に座って、外を眺める日々は終わったのだろうか。


 列車内でアリスに指摘され、狼狽え、耳を真っ赤にするミサさんを思い出す。


 灰色の日々が、色づいたものに変化する。


 返事を返さない砂漠の風景から、楽しそうにおしゃべりをするアリスや、ミサさんの表情に移り変わる。


 そして、僕の意識はそのまま、灰色の過去へ潜っていった。


「北半球ゴリドア山脈・紛争撲滅部隊。前へ」

「ハッ」

「只今より、射撃訓練を行う」

「ハッ」


 僕らは、そう言われ、実戦用の両眼にレンズや光学素子を積んだ鉄の仮面を被り、従来のレーザーサイトではなく、銃口方向の調整用小型モータがついた銃をまっすぐ、的に向かって構える。


「良いか。君たちは、引き金を引くか、引かないか。を選び。

 そして、文字通り、敵が、絶命したか、していないかを確認すればよいのだ」

 そう、グレーボヴィチ教官の指導の声が、真っ白なプレハブの室内に響き渡ったときに、一発の銃声が響く。


 うわぁぁぁぁ。


 誰かが、焦って誤射をして、騒いでいる。

 うるさいと、グレーボヴィチ教官の銃のグリップで頭を殴る音が聞こえる。


「騒ぐな。バカモノ。よいか?感情を殺せ。

 感情を殺すのだ。そうでないと、戦場では、使い物ならないぞ。

 あっという間に、己の精神がくたばってしまう。

 目の前の異物に違和感が感じないくらいに、冷静に処理をしろ」

 そういって、グレーボヴィチ教官は、僕達が並んで射撃訓練をしている背中を、順番に見て回る。


 脳天から吹き出すものは、赤い水だ。

 彼らは、撃たれた場所がへし折れる傀儡だと、思え。


 バン。バン。

 無慈悲に銃声が鳴り響く。


 骨が折れる音など、たやすく、銃声にかき消される。

 命の残滓など、自動に照準が調整がされる銃の前には、ひとつも残らない。


「科学技術が幾ら発展しても、人を殺すのは、人なのだ。

 私達は、確かに思い描いたさ。自ら手をくださずとも、血で心を汚さなくても、思い通りになる世界を。

 しかし、科学技術は、理論が積み上げられた、所詮、構造物であるがゆえに、その裏を利用したシステムは幾らでも創造される。

 たとえ、機械に創造を任せても、それが機械であるが故に、その原則を超えたものが産まれることはありえない。


 感情を持っている人間が、感情を無くせたとしても。

 感情を持っていない人間から感情が生まれることはありえない。


 故に感情を持っている人間が戦場において、感情を持っていない人間に勝つことは、ありえない。


 将棋やチェスの駒を進めるとおりに、戦局を選択し、勝利を導かなくてはならない。


 いいか。

 これは、最後の紛争だ。

 感情を持たない民との、最後の戦争だ。


 我々は、毒を飲み、毒を持って、奴らを制す。」



 グレーボヴィチ教官が力強く鼓舞をする。


 指導されている同僚が、背筋を伸ばす。



 しかし、僕は、鉄の仮面を被りながらも、耳に入ってくる言葉に。

 グレーボヴィチ教官の言葉の節に違和感を感じていた。


 いつか同僚が言っていた。

 赤いマーカーで狙いを定めて、撃つ。

 その繰り返し、単純な仕事だと。


 何も、考えずに、決められたことを実行するのは、簡単なことだと。

 僕らの世代は、さらに、引き金を引くか、引かないか。までの最終工程だけ行うようになったと。


 単純化された仕事は、脳を働かせる必要がない。

 何も、考えないまま、手を動かして、お金を貰えるなら、それに越したことは無いじゃないかと。


 そうして、僕らは、好きなことに脳のリソースを避けるだろうと。

 セックスだって、そうじゃないか。

 単純作業で、命が生まれる。お金が生まれる。愛が生まれる。


 同僚は、ルームシェア中に、僕に黙ってコソコソと、行為に及んでおいて、そんな屁理屈を述べたこともあった。


 しかし、同僚の言葉の節にも、なにか違和感を僕は感じていた。

 それが、確証まで至ったのは、彼の表情が原因だった。




「じゃあ、君の本当に好きなことってなんだよ?」

 そう、同僚に問い詰めると、彼は眉間にシワを寄せて、口をへの字に曲げて、苦しそうにこう言った。


「それが、わからないんだよ」



 背中にアリスの体温を感じながら、僕は足を止める。

 僕には、それが、わかる日が来るのだろうかと。


 歩き、彷徨っていたら、誰もいない公園に人影が見えた。


 そして、見覚えのある人影に僕は、近づき、ぼくは、アリスを降ろして敬礼をする。


 グレーボヴィチ教官だった。


「同じ車両だったのだな。」

 グレーボヴィチ教官は、僕に見せたことのない笑みを浮かべる。


 そして、グレーボヴィチ教官と一緒にいた彼女が僕に勢いよく駆け寄ってくる。


「マサトくん。ごめん」

 彼女は、僕の胸の中で、そうつぶやく。


 突然の出来事に、僕は状況が掴めなかった。


 なぜ、彼女が謝るのか。彼女が、なぜ、瞳から、涙を流しているのか。


「ミサ。感情傾いちゃう。涙拭いて」

 アリスは、反射的にミサの隣から、そう呼びかける。


「何かあったの。ミサ」

 アリスは心配そうに、慰めようと、ミサに質問する。


 気づけば、ミサさんの服は、街で買ったであろう別の洋服に着替えが済んでいた。


「言えない。きっと、皆に迷惑かけちゃうから」

 僕の襟に触れるミサさんの手がかすかに震えているのに気がつく。


 何に怯えているのかは、分からない。

 分からないから、何もしないでよいのだろうか。


 考えるのをやめて、機械のように仮に彼女の記憶を消去すれば、それで、解決になるのだろうか。


 胸が痛む。同僚が放った言葉が頭の中で反芻する。


 大切なことが分からなくなった同僚の言葉が、僕を突き動かす。


 大切なものを離さないように。見失わないように。




 僕は、そっと、なだめるように彼女の背中に手を回した。






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 近況ノートにあとがきを書き始めました。

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