第3話 恋愛感情

 僕たちは元来、何に縛られているのか。

 真っ先に考えられるのは、民族的な価値観だ。

 ニホンという国だと、言語がユニークな故に、仲間内の空気を読むコミュニケーションが上手だ。

 次に考えられるのは、伝統的道徳や倫理だ。ギリシャ哲学による人類普遍の道徳や真理を探す取り組みから見られる、普遍的価値観の追求。

 最後に挙げられるのが、産業的な価値観だ。

 イギリス発の産業革命から始まった、資本主義社会普及による、合理的な価値観。


 僕たちは、いずれの価値観もしっかりと、心に根付かせ、うまいこと綱渡りをしながら生きている。



 では、価値観はどのようにして、維持されるのか。


 民族的な価値観を守るには、単一民族国家にすれば良い。

 大きな海に囲まれたり、山脈に囲まれた盆地に国家を築くのが、移動が少なく最も簡単だろう。


 では、伝統的な価値観や倫理は?

 世界的な宗教をルールによって禁止されば良いのでは、無いだろうか?


 では、産業的価値観は?

 グローバリゼーションを辞めれば良い。

 つまりは、資本による競争を辞めれば良い。

 何にでも兌換可能な紙幣なんてものを作ってしまったから、明日の命を食いつなぐものは、隣の友人でも恋人でもなく、カネになってしまった。


 もちろん、大金を積めば、恋人も作れるし、友人も作れるし、彼女も作れる。


 本来自由である社会にルールが敷かれ、システム化されたことで、法の範囲内でいろいろできるようになったわけだ。


 しかし、その法は普段は意識をしないが、圧倒的な武力によって、保全されている。

 僕たちが喧嘩したときも、仲裁機能は働くのだ。


 そう、僕たちの社会は、絶対的な暴力装置の

 上に成り立っている。


 では、もう一度、振り返ろう。


 僕たちは、感情が抑制された世界で、隆盛を迎えた世界最大の新興宗教を目の前にしているということを。



 教会の中に入ると、真っ先に目が入ったのは、何もなかった。

 普通は何かを想像するものだ。


 何か、奉っているものは?人は?と。


 しかし、誰かを模した像があるわけでもなく、何かを模した象徴的な構造物があるわけでもなかった。



 白装束を着た参列者は、一体、何に参列しているのだろう。

 何をするために、ここに来ているのだろうか。

 誰かの教示を聞くわけではなく、ただ黙々と、そこで各々自由に座り、何かを唱えていた。


 しかし、僕が驚いたのは、各々が呟いている何かではなく、参列者たちの身なりだった。


 決して、白装束を全員が着ていたから、驚いたわけではない。

 気になったのは、全員が同じスタイルをしていることだった。


 まるで、工場で出荷判定された後の製品が揃うかのように、白装束の者たちは揃っていた。


 声色は、男性のものや、女性のもの、それぞれ違いはあるが、体格に大きな差はない。


 全員がサラシを巻いたかのような平らな胸と、贅肉が削ぎ落とされた細い体つきをしていた。


 そして、全員がザンギリ頭のような短めの中性的な髪型にしていた。


 この空間で唯一ある壁に設置されたモニターからは、成すべき姿へ向けた映像が流されている。


 理法の姿に向けてのダイエット方法や、その効果の帰結として、感情が保たれる様が描かれていた。


 皆が、心の安寧を羨ましがっていた。


 そして、おそらくは白装束の中に装着されてると思われる。

 胸の周りに巻くサラシや、胴回りを矯正するコルセット。

 さらには、性行為を禁止するために鍵付きの鉄製の拘束具も宣伝されていた。


「私たちが持っている、感情にとって、一番の害悪はなんだと思いますか?」


 僕たちが呆然と、扉の入り口に立っていると、横から話しかけてくる人物がいた。


 高い声と低い声の中間の中性的な声。


「私は、本日、この建物を取り仕切っている20番と申します。当番制なので、本日のみということをご了承ください」

 その人物の会釈に合わせて、礼をする。


「さっきの話の続きって」

 僕は、気になり、その人物に問いかける。


「私は感情にとっての一番の害悪は、異性だと思っています。

 私達は、異なるせいで、お互いを求め合うのです。

 今世紀は、自らの命のために、綱渡りのような恋愛をする者は減りました。彼らは、自ら性を捨てることで、この世の感情による理から自由を得ました。」

 その人物は、白装束の仲間たちに視線を向け、話を続ける。


「なぜ、争いは、起こると思いますか?

 権益の争いでしょうか?社会体制の違いでしょうか?民族間の価値観の違いによるものでしょうか?


 難しい問ですよね。


 では、なぜ、人たちは殺戮し合うのでしょうか?

 だれもが、己の平和を望んでいるというのに。


 ひとつだけ。確かな答えがあります。


 感情があるからです。


 感情には、それがどんな色をついた感情だとしても、増幅をさせる能力が備わっています。

 愛も憎悪も等しく、平等に、増幅するのです。

 故に、私達は、芽が育たぬように日々、鍛錬をしているのです。


 お金を稼ぐには、自分の時間を払う必要があります。

 自由を求めるには、結婚を諦める必要があります。

 感情に平和をもたらすには、性を諦める必要があるのです。」


「あ、あの。お話の途中で、すみません」

 僕の隣で、その人物の話を聞いていた気まずそうにミサさんは、口を開ける。


 その言葉に、何か魔法が溶けたように、僕の脳内でもだんだんと現状が整理されていく。


 僕とミサさんの間には、僕の洋服を着たアリスの姿があった。


 感情に平和をもたらすには、性を諦める必要がある。


 対価を求める宗教。



 僕らは、アリスの洋服を今から、その人物から頂こうとしている。



 自由のためには、何かを失う。



 僕は、アリスのために、洋服をいただくことで、何かを失うのだろうか。



 そんな想いを余所に、アリスは無事に子供用の服を貰い、着替えることができた。

 そして、

 その様子を見ている僕を、置いて、ミサさんはその人物と教会の奥へ歩いていくのだった。



 *****


 20番は価格が釣り上げられるものということを知っていた。

 世の中の金持ちは、釣り上げられた価格によって、莫大な富を手にしたことを知っていた。


 お金持ちがなんで、お金持ちかというと、私たちより、世の中のことを知っているからだ。


 例えば、この教会で物販しているものや、市場で売られているもの。


 それは、この孤立した城塞都市・ジェイミーティの中の流通上の希少価値に照らされて、価格が決まるだけであって、本来、普段目の前にしている価格は市場の均衡によって変化する。


 そして、私たちは思い込む。


 目の前の情報を取り入れて、先入観を作り上げる操作によって、価値を作り上げる。



 インターネットが普及して、人のイメージは操作をすることが容易になった。

 人が取り入れられる情報には、何か意図が入り込むようになった。


 その価格は、情報を独占や寡占することによって、釣り上げられた。


 人々は気づいていない。

 自分が自ら情報の檻に入ってしまっていることを。


 私は、懺悔を行うために席に座るミサという女性を見やる。

 そして、相手からは見えない曇ガラス越しに、私は話しかける。


「今回は、何をしにここへ?」

 私は落ち着いた口調で彼女に問う。


「もちろん、懺悔をしにまいりました。嘘をついてしまったのです。」


「嘘?一体どんな嘘を?珍しいですね。最近では、自分の気持の維持をしにくい嘘という行為をする人は減りましたが」


「私たちが連れてた幼子・アリスちゃんに、私たちは付き合っていると、嘘をついてしまったのです」


「恋愛感情を持っていないのに、嘘をついたのですか?」


「はい。そうです。」


「なるほど。あなたも、懺悔をする習慣があるくらいですから、嘘が体に悪いことは、分かっているはずですよね?」


「はい。存じ上げていました。アリスちゃんの家庭が冷え切っていることを知って、何か、してあげないとと、とっさの行動でした。列車内で両親と離れ離れになったアリスちゃんに、これ以上、寂しい思いはさせたくないと思って」


「そうですか。列車内では、なぜ、アリスちゃんは、両親と離れ離れになったのですか?」


「乗客の誰かの”感情が傾いた”のです。それで、列車内がパニックになってしまい、その騒動のさなか、離れ離れになったのです」


「”感情が傾いた”んですか。最近では、あまり聞かなくなりましたが。なるほど、そうですか。」


「なにか、ご存知だったりしませんか?感情が傾くと、ヒトはどうなるんですか?」

 私はその問いを聞かれて、言葉に詰まりそうになったが、この問いかけは珍しくない。

 そう、ここに訪れる訪問者の誰がしも、一度は聞くことなのだ。


 皆を不安に陥れるものの正体。


 自らの行動に変革が生じるほどの恐怖。


 それを、皆が間違いなく窮屈に感じている証拠だった。


 もちろん、私は、感情を傾いたことの帰結がどこに行き着くのか、知らない。


 しかし、その恐怖を食い扶持にこの教会が反映しているのは、誰の目にもわかる事実であった。


 私は答える。

「ごめんなさい。私も、知らないのです。感情が傾くと、ヒトがどうなるのか」


 そして、私だけができる考察として、一つ補足を加える。


「ただ、私は、私達がつけている感情測定器は、感情測定器は、一種の可視化された社会の暴力装置だと思っています。事前に、感情の傾きを検知するからこそ、我々の行動も抑制される。

 実際に、それが、怒りであれ、愛しさであれ、哀しみであれ、その感情の出口として行われる”暴力”は抑止されている。と思っています。


 ところで、あなたの問いは、嘘についてでしたね?

 あなたは、その付き合っているといった、対象の御方に関しては、恋愛感情を抱いてはいないのですか?」


 そう、私が問うと、ミサという女性は一度、黙り込んだ。


「私は、すでに恋愛感情は捨て去りましたが、とても、気持ちが楽ですよ。

 なにも、気にせず、気持ちの裏を読み合うことなく、ヒトと向き合えています。

 性別の壁を意識することなく、生身の心と触れ合っている気がするのです。」


 そう説明をしても、彼女は黙ったままだった。


「なにか、後悔をされているのですか?

 もし、何か、後悔があるのならば。その雑念も、解決いたしましょうか?」


 そう続けて、問いかける。


 そう。恋愛が諦めきれずに、ここへ来る男女も多かった。

 広間の白装束の仲間たちもそうだった。


 一度も経験がない恋愛に対して、どう諦めがつけられるというのだ?


 私達が、この世に生を受けた理由を捨てることに、なぜ、諦めがつけられるのか。


 それは、生命の連続性・血を受け継ぐ行為に対して、冒涜をし、自分の生命を否定することに繋がるのではないだろうか。


 もちろん、皆がそう思っていた。


 しかし、21世紀に芸術が、科学に侵略されたように、今世紀は、生命が科学に侵略されたのだ。


 もはや、命は、生殖行為に限定して生まれるものではない。


 ミサという女性は、アリスという子どもが両親がいることに対して、疑いの念を持たなかったが、本当にそうなのか?


 アリスに”本当”の親はいるのだろうか?


 この教会には、”最初から”親がいない子どももたくさん訪れる。


 何の因果か。間違って、生まれてきてしまった子どもを助けてきた。


 もしかしたら、自分の子どもかもしれない彼らを。


 私達は、命の連鎖の断絶という罪深い行為の一端を担いながらも、精子・卵子バンクに、まるごと提供をしている。


 そんな矛盾を抱えながらも、世界は維持され、回り続けている。


 そんなことを考えていたら、ミサという女性が口をひらいた。



「後悔。未練がないといえば嘘になります。人を好きになるのがどんな気持ちかわかりません。なにか、見えない力に引っ張られるように夢中になってしまいそうな自分も怖いんです。なにかをきっかけに、その見えない糸が切れたときに、自分は反動でどうなってしまうのかと、考えると怖くなります。」


「見えない力ですか。。そうですね。私から一つ申し上げるとすれば、見えない力を感じたときに、逆の力を働かせることをオススメします。

 程よい距離感を、掴んで、自らコントロールできるようになれば、恐れなくても大丈夫です」


 私は、そう回答し、腕時計を見た。


 すでに数十分経っているのが確認でき、私は彼女に告げる。

「そろそろ、終了と致しますか。」


「はい。ありがとうございました。」

 ミサという女性は、なんだか煮え切らない様子で、お礼を言った。


 難しい問いですよね。

 あまり、考え過ぎは禁物ですよ。

 いいですか。不安を感じたら一度距離を置くことです。


 私はそう言って、ミサという女性に、アリスという子どもが着るようの服を渡した瞬間、私の網膜に直描されている感情測定器が点滅した。


 驚いた様子のミサという女性と目を合わせると、お互いがお互いに感情測定器の反応を確認した。


 誰かの、感情が”傾いた”


 *****

 教会の入り口である広間からは、叫び声が聞こえ、事態は一刻を争っていた。

 人々が逃げる足音と共に、男女の声が入り交じる。

 先程まで、懺悔を聞いてくれた白装束の20番さんは、胸から血を流して倒れ、私の目の前には、騒動の張本人と思われる。

 黒髪のパーマがかかった体格の良い男が、刃物を片手に懺悔室の出口に立っていた。


 私が、先に出ていたら、間違いなく私が殺されていた。


 今までに経験したことがないほどの、心拍数に襲われる。


 アリスちゃんは。


 マサトさんは、無事だろうか。


 自分の身の危険よりも先に、二人のことが心配になる。


 そして、呼吸をする瞬間にも、自分の逃げ場を考える。

 個室になっている人が4人入れるほどの懺悔室。

 出口は、一つだけで逃げ場はない。


 出口に向かうには、この男をくぐり抜けなければならない。

 そして、こちらに向かってくると思われる男に対応するには、自分はなにも身を守れそうなものは、持っていない。


 5往復ほどの思考がタイムリミットだった。

 男は、刃物から血が垂れる様子を観察することに飽きると、私に視線を向けた。


 次は、私の番だ。



 そう。男の動きから、悟った。


 男は、人を刺して落ち着いていたところに、また拍車をかけるように呼吸を荒くし始める。

「はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。はぁ。」


「はぁ。はぁ。ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、」


「ハァ、ハァ、ァ、ァ、ァ、ァ、」


 男の呼吸はどんどん荒くなり、私の網膜に映し出される、感情測定器のアラームも点滅状態から真っ赤な状態に変化する。


 そして、一歩ずつ。


 一歩ずつ。


 男は、私に向かって、足をすすめる。


 震える刃物を握り直して、男はつぶやく。


「俺は、今、自由を手にしている。だれも手に入れなかった自由を」


 壁ドンできるくらいの距離まで、男は、私と距離を詰める。


 男の呼吸音が聞こえる。

「ァ、ァ、ァ、」


「お前の今、感じている恐怖は、どちらに傾いている?」

 男は、そう言って、私の喉元に刃を向け、そっと顎に平たい部分を当てて、なぞる。


「俺は高揚感を初めて感じている。生まれて初めて。細胞と細胞がくっついて、生まれて、何も感じなかった俺が。高揚感を感じている。


 これが、人間なのか。



 これが、ヒトであるということなのか。


 教えてくれ。お前の感情は。恐怖は。どうなっているのか。


 早く。早く。


 早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。早く。



 はああああぁぁぁぁぁぁぁやク。オシエロおおおおおおおォォォォ」


 男の叫び声は、ゲームがフリーズしたときのように、狂い。

 雄叫びを上げて、目を充血させて、刃物をもう一度、振りかざした。



 瞬間。


 男が、振り下ろそうとした瞬間。

 男の頬が膨れたと思うと、次は、肩、二の腕と脈々と伝わって、刃物を握る指先に向かって、筋肉、皮膚組織と思われるものが、一気に膨れ上がり、破裂した。。




「え。」

 私は、その様子に絶句する。


 突然、男が飛び散ったのだ。


 何が起きたのか、理解ができなかった。


 男の洋服が無残にも、血まみれの床に脱ぎ捨てたかのように散乱している。


 どうして。


 感情が傾いたから?


 床に倒れている白装束の20番さんに視線を向ける。

 すでに、胸を膨らませるような仕草はなく、体を硬直させていた。


 そして、さきほどの20番さんの会話を思い出す。


 ”私も、知らないのです。感情が傾くと、ヒトがどうなるのか”


 私は視線を落とす。


 私は、知ってしまったのだろうか。「感情が傾くと、ヒトがどうなるのか」








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 近況ノートにあとがきを書き始めました。

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