第35話 呪術師の一族

バルセロンダとベルジュは試合開始の合図を受けても、すぐには動かなかった。

一定の間合いを開けたまま、対峙している。


緊迫した空気が会場中に伝わってくる。

だが、先に動いたのはバルセロンダだった。

闘技場の床を蹴って、ベルジュの懐に飛び込む。そのまま剣を閃かせた途端に、弾かれるように飛び退った。


なぜかバルセロンダの表情は驚愕に見開いている。

対してベルジュは初めて笑みらしい表情を浮かべた。

今まではずっと無表情な男だと思っていた。

そのままバルセロンダは崩れるように床に倒れた。囁いたわけでも、剣で昏倒されたわけでもなく。

何が怒ったのか、観客の誰にもわからなかった。


ゆっくりと崩れるように膝を折る姿に、ラナウィは夢でも見ているかのような気持ちになった。


まさか――。


バルセロンダが負けた?


闘技場の床に眠るように横たわったバルセロンダの姿を茫然と見つめつつ、審判が勝者であるベルジュの名前を告げるのを聞く。


『ラーナ!』


はっとした時、目の前に真っ白な鳥がいて羽ばたいていた。

いつの間に目の前に現れたのか、だが嘴を開けた途端に聞こえたのはヌイトゥーラの声だ。


『緊急事態だ、控室に来て』


「まさか彼が負けるだなんて……ラナウィ、どうしたの?」


眉間に深い皺を寄せて茫然としていた母も、ラナウィの様子の変化に気が付いて首を傾げ問いかけてくる。

鳥の声は隣に並ぶ母には聞こえていないようだ。そもそも鳥がいることも気が付いていないように思えた。


「ヌイトに呼ばれました。何かあったようです」

「ここは大丈夫よ、行きなさい」


母も察したようだ。

真剣な表情でうなずいて、ラナウィを急かした。

闘技会の勝者はこの後、表彰式を行う予定だ。

女王たる母が手づから褒章を授けることになっている。そのための準備が行われている中、ラナウィは白い鳥の案内でバルセロンダの控室へ向かって走る。


試合が始まる前までいた控室の扉を開ければ、サンチュリが横たわるバルセロンダを見つめていた。

床に簡易に敷かれたマットの上に寝かされている。まるで静かに眠っているようにしか見えない。


「状況の説明をお願いしてもいい?」


呼びつけたはずのヌイトゥーラの姿もなければ、ハウテンスもいない。

神妙な顔をしたサンチュリは小さく頷いた。


「バルスは試合が終わってすぐにここに運びこんだ。試合前に相手が呪いをかけてくるとわかったので、ヌイトが魔法で対抗策を練って、それをうけて試合に臨んだはずなんだ。けれど状況はこの通り、彼は眠っているだけ」

「呪いなの?」

「第一試合が終わった後に、全員ただ眠っているだけだと宮廷医が判断している。テンスとヌイトがボーチ卿の対戦相手を調べたけれど、魔力の残滓が見つからなかったと言っていた」


魔法は魔力を使うことで、力を行使できる。つまり魔法を使えば魔力の残滓が残るのだ。ヌイトゥーラが調べて魔力の残滓が見つからなかったということは使われたのは魔力ではないということになる。

ちなみに呪いは魔力を使わない。呪いに必要なものはただ一つ呪具だ。そのため魔力の残滓は残らないのだ。


だが眠っているだけならば、薬を使われた可能性もなくはない。

だというのに呪いだと断定しているのはどういうことだろう。使い勝手のいいものではないのだが、ベルジュの様子からは呪いを行使することへの抵抗がまるでないように見受けられた。


「テンスが、隣国ラウラン公国の第二公子の姿を確認した、と……」

「まさか……」


ラウラン公国がこの闘技会に横やりを入れてきたのは事実ではあり、会場でも観戦している。けれど、それは第一公子だけだと聞いている。

第二公子もともに来ているのであれば、女王である母が知らないはずがない。母との会話からもそのような話はなかった。つまり、母も知らないのだろう。


そして、ラウラン公国の大公一族はとりわけ呪いの扱いに優れている。呪術師の一族であり、呪具の作成を任せれば右に出る者はいない。

サルバセ国は魔法に特化しており、王侯貴族はとりわけ魔力量が多い。それと同じくラウラン公国は呪術に特化しているのだ。そして公国の公主の血族は秘伝とも呼ばれる呪術を要している。しかも第二公子は呪いの扱いにおいては一族の中でも群を抜いていると伝え聞いている。公国の大公の条件など詳細は知らないが、現在も明確に皇太子を決めていないところを見ると呪術の腕も条件なのだろうと思われた。

そのため第一公子と第二公子は仲が悪いのだ。


「ラナウィ、良かった。確認してきたけれど、やはり第二公子で間違いないよ」


部屋に入ってくるなりハウテンスは早口で説明した。

後ろにいたヌイトゥーラもこくこくと頷いている。


「あの国は兄弟仲が悪いと高を括っていたのがよくなかったね。まさか二人で乗り込んでくるとは思わなかった。まあでもこれまでは向こうの好き勝手にできただろうけれど、それももう終わりだ」


ハウテンスはやけに自信たっぷりにヌイトゥーラの肩をぽんと叩いた。


「なんせ、こっちには『魔道王』の再来がいるからね」


ヌイトゥーラは目を白黒させながら、声にならない叫びをあげていたけれど。

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