年に一度の約束

貴音真

ひとりぼっちの大晦日

 それは、1995年の年越し…私はあの日を決して忘れない───


 その日、私はいつも通り独りで両親の帰りを待っていた。

 当時の私はまだ小学校二年生だったが、休みの日はいつも独りだった。日によって昼間は友達と遊びにいくなどして独りではない時間もあったが、夕方のが鳴って帰宅した後は午後十時頃に母が帰ってくるまで五時間ほどは独りになる時間があった。

 こういう言い方をすると語弊があるが、当時はまだ今みたいに子供を独りにしたら犯罪者扱いという過保護な世の中ではなく、たった独りで夜遅くまで留守番をする十歳未満の子供はもちろん、幼稚園の年長ほどの子供であっても私と同じ環境の子供はにいた。

 特に夏休みや冬休みなど、平日が連休になる期間の小学生はがなく、学童保育に漏れた場合は一日の過ごし方を自分で考えなくてはならなかったが、私にとってそれが普通だった。

 そんな私の普通の日々はその年で終わりを迎えた。


 午後九時半過ぎ。

 私は大晦日でも仕事を休めずに働いていた母の帰りを待っていた。その日一日で私が唯一口にしたのは、クリスマスプレゼントとして買って貰った一箱百円ほどのキャラメルの最後の一粒と公園の水のみで、電気ガス水道全てのライフラインが停められていて暗く寒い部屋の中で私は独り、毛布にくるまって寒さと空腹に立ち向かっていた。

 世間が赤貧といって憚らないほどに貧乏だった私の家は月末から翌月の十日までは必ずこの状態になっていたものの、私にとってはそれが当たり前だったから気にしていなかった。

 私の父は小さな会社の事業主だったが、今になって考えるとその会社の存在こそが赤貧の原因りゆうだった。

 三十代半ばだった両親は会社が抱える多額の借金の返済と従業員の給料を捻出するために必死に働いていたのだ。

 天涯孤独の身の上でストリートチルドレンとして育ちながらも犯罪に手を染めることなく愚直に生きてきた父は、結婚を機に婿養子になって私の母方の祖父の会社を継いだのだが、その直後にバブルが崩壊した。会長という名目で会社経営に携わっていた祖父は生命保険の保険金を遺すために自殺した。保険金は一億円を越えていたらしいが、多額の借金を完済するにはまるで足りなかったという。

 そもそも、両親が経営に携わっていた祖父の会社はバブルの恩恵など受けてなかったのにも拘わらず、従業員の給料は上げなくてはならないという世間の圧力があり、それによってバブル当時から私の家は貧乏だった。そこにバブルの崩壊が追い討ちを加えたことで周囲が赤貧と揶揄するほどに至ったのだ。

 だが、どんなに貧乏になっても両親は従業員とその家族を見捨てず、私を含めた自分の家庭を犠牲にして他人を養った。

 私が生まれた時には既に祖母は他界しており、祖父が亡くなったことで親戚として残ったのは母の妹だけだったがその妹、私にとっての叔母は父と母のその行為をと称して手助けをしてくれることはなかった。自分自身の生活が大変だったこともあるのだろうが、祖父の会社を継いだのが長女である母の婿養子ということが気に入らなかったのだと思う。尚且つその祖父の遺した保険金、叔母にとっては父親の保険金が全て会社の借金返済に充てられたのが疎遠となった原因りゆうだと私は大人になってから気がついた。

 婿養子になって会社を継いだことで叔母と母の関係を引き裂いてしまった父、結婚したことで父を貧困に巻き込んでしまった母、当時の私は何もわからなかったが私の両親は互いに互いを気遣いながら自責の念を抱いていたのだと思う。

 そんな環境だった私の家にも年に何度かのがあった。

 それは、私の誕生日である七月七日とクリスマスと年越しだ。

 誕生日は年に一度のケーキの日、クリスマスは一つだけ好きなお菓子が買って貰える日、年越しは三人で過ごすだった。

 大晦日に母が帰宅した後、普段なら絶対に食べることのないちらし寿司を私と母が二人で作り、大抵は母よりも一時間ほど遅く帰宅する父を母と二人で出迎えて三人で食卓を囲む。その際、室内はクリスマスが終わったことで不要になった大きなろうそくを近所から譲って貰い、それを十本ほど点けることで明かりを灯した。

 そして、三人で丸くなって互いの体温を感じながら眠り、朝陽が出る前に三人揃って近所の公園に行って枯れ木を集め、一斗缶で火を焚き、用意した餅を焼いて初日の出を見ながら親子三人で食べる。

 それが私の家の年中行事であり、私にとって最高に幸せな瞬間だった。

 しかし、この年は午後十一時半を過ぎても母も父も帰ってこなかった。

 継いだ会社の他に工事現場などの日雇いをしていた父は平日ならば帰宅が午前一時過ぎになることは当たり前だったが、私が覚えている限り、四歳から七歳までの三年間、大晦日だけは決まって午後十一時頃には帰っていた。それにも拘わらずこの年は父は帰らず、母もまた帰ってこなかった。

 私は暗闇の中で家にある唯一の時計としながら寒さと空腹に耐えて両親の帰りを待ったが、いつしか眠気に逆らえなくなっていた。空腹、寒さ、両親の帰りを待つという意思、それらよりも年齢的に起きていられないという事実がまさったのだ。


 目が覚めると時刻は元日の午前二時を過ぎていた。

 私は暗闇の中に両親を探した。

「お母さんどこ?」

 暗闇に呼び掛けるようにポツリと呟いた。

「お父さんいないの?」

 その声は私の口から出た白い息と共に闇に消えた。

 不思議なことにこの時の私は寒さと空腹を感じていなかった。ただ、身体からだは平気でも精神こころは違った。

 普段なら気にならない暗闇が怖くなった。暗闇の中で言い様のない不安と孤独が私を襲った。

 気がつくと私は暗闇だけが支配する部屋から飛び出して寒空の下を独り走っていたが、真夜中に八歳の子供が行く場所あてなどある筈がなかった。

 だが、私は導かれるようにしてそこに辿り着いた。

 そこは、本当ならばあと数時間後には親子三人で来ていた筈のだった。

「お母さん!お父さん!」

 私は大声で叫んだ。

「どこにいるの!?私はここだよ!」

 懇願するように投げ掛けた。

 しかし、返事が帰ってくることはなかった。

 孤独に打ちひしがれた私は外よりも暗い部屋に帰ろうとした。

 その時だった。

「あれ?お前、二丁目のガキじゃねえか。こんな時間に独りでなにしてんだ?」

 私に声をかける人がいた。声をかけてきたのは一人の女性だった。

 後で知ることになるが、当時まだ高校生だったその人は地元で不良と噂されていた人で、中学卒業後は家に帰ることのほうが少なかったらしい。尤も、家に帰ることが少ないという噂は事実だったが不良というのは誤解であり、その人の母親の再婚相手がバブルの崩壊で酒浸りになり、酔って暴れ始めたために母親と二人で家出という名の避難をしていて、居候先であり避難先でもある母親の友人へ負担をかけたくないと言ったその人は、居候先の人の親戚が経営する居酒屋で夜な夜な雑用を手伝っていただけだった。

「あ…あ……」

 服装こそ派手ではなかったものの、金髪のお姉さんが声をかけてきたことで緊張した私は何も言えなくなっていた。

 そんな私の様子を見たその人は私の手を取ってこう言った。

「お前親どーした?こんな冷たくなっちまって大丈夫か?あたし今から帰るから一緒にくっか?つか後で送ってやっからとりあえずうち来いよ。って、あたしンちじゃねーけどな」

 そのあたたかい言葉に私は無言で頷き、手を繋いだままでその人の居候先の家に着いていった。

 そこで私はその人と一緒にお風呂に入り、冷えた身体からだをあたためた後でその人が用意してくれたを二人で一緒に食べた。

 その時の年越しそばが私の人生で初めて食べた『緑のたぬき』だった。


 朝八時頃になって私はその人と一緒に家に帰ったが、両親はまだ帰っていなかった。

 生まれて初めて私にを与えてくれたその人は「昼になっても親が帰ってこなかったらうち来いよ。雑煮喰わせてやっから。ま、あたしが作んじゃねーけどな」と言ってくれた。

 それからほどなくして叔母が警察と一緒にうちに来た。その時やっと私は両親が大晦日の夜九時過ぎに亡くなっていたことを知った。

 珍しく母よりも早く仕事を終えた父が母を迎えに行ったその帰り道で二人は交通事故に遭った。二人ともほぼ即死だったという。

 年末年始ということや自宅へ借金取りが来ない様にと手を回して知人から又借りした借家に暮らしていたことで、親は住所不定の被害者とされ、あれこれと手を回した末に朝になってやっと叔母の存在に辿り着いた警察が叔母と連絡を取り、私の様子を確かめに来たのだった。

 それから私は子供がいない叔母夫婦の家に引き取られて中学まで通わせてもらい、卒業と同時に叔母の家を出て出逢ったあの人の紹介で住み込みで働ける飲食店で働きながら定時制高校へ通った。ちなみに、私の両親も祖父同様に保険金を遺していたが、会社や個人的な借金との比較から負債が大きいとして後見人となった叔母が弁護士と相談して相続を放棄したという書類を叔母の家を出るときに渡された。

 私は両親の死をきっかけに叔母夫婦や世間からとして認識されて育った末に今に至る。

 だが、私は自分をかわいそうと思ったことは一度もない。私にとっての普通が他人ひとと少し異なるだけだ。

 こうして、1995年の年越しと共に私と両親の親子三人にとってであった年中行事は二度と出来なくなった。

 その代わりに私は新たな特別な普通を得た。

 叔母の家に引き取られた1996年から現在に至るまで、私は互いに家庭を持った後もずっとあの人と一緒に年一度だけ必ず行っている年中行事がある。

 それは、互いに家族と年越しを過ごした後の夜明け前の一杯…

 あの日と同じように二人で一緒に食べる年明けの緑のたぬき。

 その味は今でもあの日と同じようにがする。

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