22.

 今日の夕飯は、ねぎ玉にした。園長はデラックスで、大きさも私の倍くらいある。

「ラーメンの次がお好み焼きって、男子高校生の部活帰りみたいな選択肢なんだけど。懐かしすぎる」

「先生、何部だったんですか?」

「応援団。入学した時にはもう真面目にしてたんだけど、中学時代の悪名が災いして探し出されてスカウトに遭った」

 園長は苦笑しつつ、お好み焼きにヘラを刺す。その時代を知っている人が今の姿を見たら、驚愕するのではないだろうか。実際は一周回って還ってきただけだが、人によっては一八〇度の変わりようだ。

「君は、何部だった?」

「茶道部です。新しいことをするのが苦手で、中学から大学までずっと茶道でした」

「帰りにラーメン食べることあった?」

「ありましたよ。友達とではなくて、弟とですけど。買い物や用事のある時は、待ち合わせして一緒に帰ってたんです。大抵どこかでお腹が空いたって言うから、こんな感じのものを食べてましたね」

 私も切り分けた一切れを吹き冷まして口へ運ぶ。程よく残るねぎの食感と甘酸っぱいソースが好みで、思わず頷いた。薬を飲まなかったから、少し味覚が戻ったのかもしれない。以前のように、舌はきちんと美味しさを感じられた。

「弟がいるんだったね」

「はい。二つ下に」

「二人姉弟?」

「はい。先生は?」

「一人っ子だよ。僕も男兄弟が欲しかったな。家でも遊び相手がいるのが、すごく羨ましかった」

 園長はシャツの襟を少し開いて水を飲む。鉄板の温度設定は保温まで下げてあるが、まだ落ちたソースが音を立てるほど熱気に満ちている。私も火照る頬を押さえ、滲む汗を拭った。

「まあ、いたらいたで大変なんだろうけどね。兄弟の多い友達には『一人っ子は分けなくていいから羨ましい』って言われたこともあるし」

「多いとどうしても一人分が少なくなりますもんね。ただ、うちは父が分ける時は割とシビアで」

 苦笑しつつ、残っていたねぎ玉をいくつかに切り分ける。母は「一律が平等」の考えだったが、父の平等は違っていた。

「責任に合わせて分けるべきって考えの持ち主で、弟達の面倒を見ていた姉の私が一番多かったんです。がんばりを認められたようで、子ども心に嬉しかったですね」

 一つを取って、鰹節粉で風味を追加した。ねぎ玉は酢醤油や、和風の味付けもよく合う。今度、家でも作ろう。

 園長は、そう、と頷いて既に半月になったお好み焼きを更に分断する。私より大きい一切れが、不意に揺らいだ。


 呼ぶ声に、窓へ預けていた頭を少し起こす。

「すみません、何か話されてました?」

「いや、何も。黙ってるから大丈夫かと思って」

「大丈夫です。ただ薬のせいか、たまに五感や思考が鈍るような感じがあって。おかげで夜はよく眠れるんですけど」

 さっきまで何を考えていたのかも、思い出せない。薬を飲むようになってから、たまに記憶が飛ぶようになった。薬を飲まなくなったから、きっとこれも元に戻る。

「怖いものは、まだ見える?」

 浮かんだのは、今日の一件だ。詫びる女性店員と、視えていた住職、部屋に伸びた短い影。あれを「怖いもの」と言い換えたのは、園長なりの優しさだろうか。

「いえ、もう」

 住職は「至って普通のかわいらしい女の子」だと言った。私だって、薫子が悪霊のわけはないと理解していたはずだ。怯えすぎて、疲れすぎて余裕をなくしていたのだろう。これからは、不安が募った時だけ薬を飲めばいい。こんな不安もいずれ消える。

「なんともありません。私が一人で騒いで、怖がりすぎてただけですから。あの子を怖がる理由なんてないのに」

 四十九日は来月半ば頃だったはずだ。住職の言うとおり、それまで私が薫子を受け入れて祈りつつ過ごせばいい。時が来れば、上がっていく。

 園長は、しばらく黙ってハンドルを繰る。

「この話、僕以外の人間に相談した?」

 やがて口にされたのは、予想外の問いだった。もちろん今日はそんな話は一切していないし、匂わせたつもりもない。どこから察したのか、まさか天啓の類だろうか。

「あの、どうして」

「要らない方向に進んでるから。消去法で可能性を消していったら、これが残った」

 ものすごく現実的なやり方だった。そうだ、この人は全然ふわっとしてない牧師だった。

「物事には知るべき時と順序がある。自分に分かることを全てにして、相手の状態を見極めず好き勝手に伝えれば碌なことにならない。それは『徳の賊』だ」

 辛辣な言葉は叱責のようにも響いて、俯く。しかしそれを求めたのは私だ。誰か、誰でもいいから「見える」「分かる」と言って欲しかった。だから園長でも医師でもない、一番私の意に沿うことを言ってくれそうな相手を探し出して相談したのだ。

「すみません、その人のせいではないんです。私が衝動的に頼っただけですから。でも、悪かったとは思いません」

 ちょうど着いた車に、シートベルトを外す。帰ったら薬を飲もう。飲めば鈍くなって、この痛みも少しは楽になるはずだ。

「ありがとうございました」

「岸田先生」

 ドアに手を掛けた私を、背後から声が呼ぶ。諦めない園長が、あっさり見送るわけはない。控えめに振り向くと暗がりの中、手が差し出された。

「この手を掴んで、『助けて』と言ってくれるだけでいい。それで僕は、全てのことができるようになる」

 前回より切実に聞こえた声に、俯く。掴めば救われるのか。もう夜に怯える必要もなくなって、以前の生活を取り戻してのうのうとのさばる……。また澱み始めた思考に額を押さえた。まるで光を汚すかのように暗がりが混じり込む。なぜ明るいものだけを求められないのか、ささくれだつ胸に荒い息を吐く。いやな何かが掘り起こされそうで、ドアを開けた。

「先生を信用してないわけじゃありません。でも私は多分、その手を取ってはいけない人間なんです。ごめんなさい」

 子どものように詫びて、車を降りる。ドアを閉めて一礼し、前回と同じように走って帰る。車の音が消えていかないのは、帰宅を見届けるためだろう。でも二度も拒否すれば、もう次はないかもしれない。一息ついて、鍵を差す。

 不意に気配を感じて、思わず振り向く。しかし特に何も、誰もいない。駐車場に見慣れた車が数台、いつものように並んでいるだけだ。

 早く帰って、薬を飲もう。

 溜め息をつき、鍵を回す。開けば広がる暗がりに体を滑り込ませて、ドアを閉めた。

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