21.

 住職に勧められた御守は厄除けではなく、身代守だった。

――良くないものを祓うのではなく、仏様が代わって引き受けてくださるんです。

 お祓いは最後の手段と言うだけあって、その辺りも抜かりはなかった。御守は白地に銀色の刺繍で表に『身代守』、裏に『光有寺こうゆうじ』と縫い取りがしてある。

 キリスト教とともに生きてきたせいで、御守にはあまり縁がない。大学受験の時に父方の祖父母に合格祈願のものをもらったくらいか。自分で買い求めたのは初めてだった。でも別に、クリスチャンではないから問題はないだろう。ここは仏教徒がクリスマスを祝う国だ。私のような人間でも許される。

 寺まで連れて行ってしまったアネモネの赤が、ふと揺れる。目頭を揉んだあと、遅い昼食の準備に腰を上げた。


 カーテン際に迎えたスパティフィラムを眺めつつ、遅い昼食を食べる。カフェランチとは程遠い、食パンにスクランブルエッグとチーズを載せ、マヨネーズを掛けて焼いただけの素っ気なさだ。あとはトマト一個とコーヒー。好きな組み合わせだが、今日は舌もおかしいのか、味もぼんやりとして美味しくなかった。あの薬には、五感を鈍らせる役目もあるのだろうか。幻覚ではないと分かったのだし、もう飲まない方がいいのかもしれない。

 なんとなく浅く感じるコーヒーの香りを繰り返し嗅いでいると、携帯が鳴る。園長だった。牧師の休日は月曜が多いが、園長は幼稚園があるから休んでいない。まあこんな勤務時間中に掛けてくるのだから、半分休日の気分ではあるのかもしれない。

 これで出なければ、通報コースだろう。諦めてカップを手に通話ボタンを押す。園長は安堵したように調子を尋ねた。

「変わりありません。大丈夫です、生きてますから」

 カフェでの一件も住職の話も伝えずにおく。先に延ばされた手を拒んだ罪悪感が、ここに来て重く伸し掛かった。住職にはできたことができない理由は、分かっている。

「良かった。じゃあ、七時半に迎えに行くよ」

 粘りを見せる園長に、溜め息をついた。

「私は大丈夫です」

「僕が大丈夫じゃないんだよ」

 主語を替えた答えに視線を落とす。救えるのなら、どんな手を使っても救うのだろうか。どうすれば諦めるのだろう。私が死ねば諦めるのか。でもそれは望んでいない。私だって、悲しませたいわけじゃない。

「分かりました」

 逆らったところで絶対崩れそうにない壁だ。信仰も信念も、私のように簡単に揺らぐ脆いものではない。

 ありがとう、と園長は礼を最後に通話を終えた。礼を言われるようなことではないだろう。むしろ私が礼を言う立場のはずだ。眠れはしたが、夜の恐ろしさが消えたわけではない。考えないようにしているだけで、本当は今も一人が怖い。今も、隣に。

――四十九日が来て無事成仏できるように祈ることが、今のあなたにできる一番のことです。

 思い出した住職の言葉に職務を思い出す。薫子の一番好きだった賛美歌を口ずさみつつ、窓を開けた。

 曇天を割り、鈍色の隙間からは眩しい光が降り注いでいる。仰ぐように空を眺め、最後まで歌い終えて踵を返す。室内へ伸びる薄い影は二つ、左手の影は重なっていた。感じた目眩に額を支え、収まったあとゆっくり目を開く。隣にあった「ように見えた」小さな影は、消えていた。


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