第一章 前途多難(3)


 現代でも充分美男で通じる顔でも、そこはやはり鬼の副長。凄味がある。

「高宮、伊織。……です」

 ぎこちなく答えると、土方と沖田は目を見合わせた。

「それ、本名ではないでしょう?あなたはどう見ても女子ですよ?」

「……はあ? 本名ですけど」

 憮然として言い返すと、沖田は何やら首を傾げている。

(ははあ、なるほど)

 二人の様子から、伊織は一つ悟った。

(間者だと思われてるんだ、私)

 これでは、下手をすれば本当に斬られてしまう。

 身元を証明しようにも、幕末にあってはどうしようもない。

 家族はおろか、友人の一人もいないのだから。

 まいったな、と意気消沈する伊織に、土方は容赦なく尋問する。

「生国は」

「日本ですけど」

「故郷は何処かと訊いている」

「あ? あぁ、会津です」

 土方と沖田が、不意に驚いた表情になる。

「身分は」

「身分、ですか。……と、言われても」

 身分制度のない時代に育った伊織には、どうとも答えようのないことである。

 土方の視線が、沖田に流れた。

「総司、局長呼んでこい。くれぐれも内密にな」

 沖田はどういうわけか、にっこりと笑って土方に従う。

「わかりました。すぐ連れてきますから、変な気起こさないでくださいよ?」

「馬鹿野郎、さっさと行け!」

「はいはい、邪魔者は消えますよ」

「おちょくってんのか、てめえは!!」

 思いがけず展開されたやり取りと、からかわれる土方の様子が、伊織には可笑しくてならなかった。

 つい、噴き出してしまう。

「おめえも笑うんじゃねえ! 斬るぞ!」

 沖田の作り出した空気に、さっきまでの緊張感は何処へやら。

 この時にして、伊織の意識にあった警戒心はすっかり解けてしまった。


     ***


 土方と二人きりになったところで、伊織は持ち前の好奇心を、この土方に向けてみたくなった。

 と、この体勢では、あまりからかい甲斐がない。

「あの、いい加減にこの縄、解いてもらえませんか」

「うるせえ。吊るされねえだけマシと思え」

 土方は既に憮然として、その眉根にはかなり力が込められている。

 沖田にからかわれ伊織に笑われ、機嫌が悪いらしいのだが、それすら面白いと思ってしまう。

 それに、ここで恐れを為しては、新選組ファンの名折れというもの。

「奉公先の女中に手を出してクビになったのって、確か土方さんが十七の時でしたっけ?」

 土方の表情が、明らかに強ばる。

(お? 焦ってる)

 さらに伊織は追い打ちをかけた。

「鬼副長が何だか可愛い句を詠んでるって、みんなに言い触らしてみましょうか」

 何はともあれ、土方といえばやはり豊玉発句集である。

 収録されている句のすべてを覚えているわけではないが、特に印象的なものはしっかり頭に入っている。

 それを本人の前で挙げ連ねてみようというのだ。

「豊玉宗匠の句で私が一番好きなのは、『さしむかう 心は清き 水鏡』なんですけど……。『春の草 五色までは 覚えけり』とか『梅の花 一輪咲くも 梅は梅』あたりも、くだらなくって好きですね。それからー……」

「もういい! 黙れっ! 足の縄だけ解いてやるから、それ以上言うんじゃねぇ!!」

 驚きと照れとが相まって、土方は実に愉快な顔をする。

 思っていたよりも、この男、かなりの照れ屋である。

 顔を赤くして、伊織の足縄を解きにかかる。

「なんでおめぇがそんなこと知ってやがんだ!」

 伊織の身体を起こしてやりながら、少々怒気を抑え込んだ調子で、土方は問う。

「俺の発句のことは、そうそう他人が知ってることじゃねぇ。どうやって調べた!?」

「どう…って言われても、ねぇ」

 新選組ファンなら、必ず知っていると言っていいほど、有名なことだ。

「……神様、だから?」

 説明に困って、ぼそりと言ってみた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る