第一章 前途多難(4)



 もちろん、神様であるわけはない。普通の人間だ。

 言った後に、神様というのもあながち間違ってはいないのかもしれないな、と思う。

 ここが幕末だというなら、これから起こるであろう事件の大部分を、伊織だけは知っているのだから。

「はっ! バカじゃねぇのか。そんなくだらねぇ……」

「トシっ! お前、女子を入隊させるというのは本気なのかっ!?」

 土方が嘲ろうとしたその時、大慌てで蔵に駆け込んできたのは、局長、近藤勇であった。

 これまた、伊織には見覚えのある顔だ。

 やや頬骨の目立つ、角張った顔。

「誰がそんなたわけたことを言ったんだよ」

 心底嫌そうな顔の土方に、近藤は少し安堵したように肩の力を抜く。

「なんだ、やはり冗談か」

「まぁた総司の奴が面白がってからかったんだろう」

 つい先刻にからかわれたばかりの土方が言う。

 その総司は、何故か未だに戻らない。

「大体のことは総司から聞いた。会津の娘さんだそうじゃないか」

「あぁ、本人の話によるとな。だがよ、このナリを見てみな。どうも胡散臭ぇ」

 ナリ、とは伊織の制服姿を指す。

 伊織は、何となく雲行きが怪しくなるのを感じ取った。

「あぁーあの、これは…学校の制服なんですけどね。私は結構気に入ってます! てゆーか着る物これしかなくって……」

 しどろもどろである。

 説明しようにも、理解を得られるような言葉が浮かばない。

「……うぅーむ。確かに妙な着物だが……。会津の出というのは本当だろう。語尾に会津の訛りがある」

 眉を八の字にして、近藤は伊織の姿をまじまじと見つめた。

(やっぱり小袖袴にすればよかった……)

 クラス担任の言うことなど、無視すればよかったと、本気で後悔する。

「伊織殿、といったか。会津藩と我々新選組とは、深い関わりがござる。どんな事情で入洛したかは知らんが、早々に帰られるがいいぞ。京は昨今、あまり住みよいところでもないのでな」

 近藤は穏やかに、子供を宥める口調で語りかけたが、土方がそれに割り込んだ。

「そうもいかねぇぜ、近藤さん。どういうわけか、こいつはやけに俺に詳しい。俺の雅号まで知ってる奴ァ限られてるはずだ。なのに、それを知ってるどころか、俺が過去に詠んだ句まで暗唱してやがる」

「雅号って……、あれか? ……ぷっ」

「……ぷぷっ」

 思い出し笑いをする近藤につられて、伊織も吹き出す。

 加えて土方は、またしても照れ始めた。

 冷静だった声が、転じて上擦った調子になる。

「あんたまで笑うことないだろう! そういう個人的な秘密を知ってるってことはだなぁっ、他に何を掴まれててもおかしくねぇってことだ!!」

 要するに、隊の機密の何を掴んでいるか知れない以上は、おいそれと放してやるわけにはいかないのだと、土方は怒鳴る。

 近藤がその肩を抑えて、人差し指で大声をとがめた。

「まぁまぁ、それは分かった。笑って悪かった」

 近藤が詫びるのも、伊織には何だかおかしい。

 今度は笑うのを堪えたが、土方は横目でじろりと伊織をねめつけた。

「だがなぁ、会津と聞いては、我々が独断で処遇を決めるわけにもいかんだろう?」

 会津藩主、松平容保といえば京都守護職の任にあり、いわば新選組の直属の上司にあたる。

(……でも、万が一会津藩に引き渡されたら、どうなるんだろう)

 探せば先祖くらいいるかもしれないが、それでどうなるわけでもない。

 何代も後の子孫である伊織の存在など、彼らが知るはずもないのだ。

「あ、あの、局長!」

 呼ばれて近藤が振り返る。

「私、家族とか親戚とか、……いないんです。だから、会津藩に届け出ても……その……」

 途切れ途切れに述べると、近藤の目が段々と同情的になった。

「──そうか、では、いわゆる天涯孤独の身の上だと……」

「はい、そのようなものです」

 何となく後ろめたさを感じたが、この時代で天涯孤独は嘘ではない。

 だが、それも土方には通じなかった。先刻の揶揄が災いしたらしい。

「んなこたぁどうだっていい。問題なのは、どうやって俺の身辺を探ったのかってぇことだ。他に何を掴んでやがる」

 土方に睨まれて、伊織は少しの間口を噤んだ。

 正直に本で読んだ、などと言っても、信じてもらえるわけはない。


 

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