29 結末

 かすみは泣きながら、目を覚ました。

 長い、とても長い夢を見ていた。

 見慣れた天井が視界に入ると、勢いよく起き上がって思いっきり頭を打った。

 痛い。

 呻いて見ると、半泣きの大賀がかすみの前にいた。

「かすみ……!」

「大賀っ!」

「っ~~……おはよう」

 泣き笑う顔を見たとき、かすみは、また恋をしてる、と思った。誰よりも彼に会いたかった。彼の笑っている顔を眺めていたいと切実に思った。

 ちよが呼んでくれたとき、咄嗟に思い浮かべたのは誰よりも会いたいと思った男の子の顔だった。

 あ、わたし、女の子になっていってる。

 かすみは自覚する。

 過去の恐ろしさから男は怖いものだと思っていた。けど、時間はすすんでいく。誰かを信じたり、すがったり、愛したいと思うようになる。

 かわいそうな過去の自分を憐れんではいられない。未来に行くんだ。大切な人と笑い合う。好きな人を作って、その人ともっといろんな思い出を作りたい。

 ごめんね、かすみは心のなかで詫びた。

 自分を必要としてくれる少女の手を、自分は最後には離してしまった。

 ちよが呼んでくれたから、弱くて、泣いてばかりの自分のことをそれでも必要としてくれたから。

 もう強くなくてもいいと許してくれたから。

 ごめんね、けど、まだ間に合うなら

「大賀・・・・・・私、行かなくちゃ」

「言うと思った。オレがつれていくよ。今度は背中を押すんじゃなくて、一緒に行こう。絶対に守るから」

「うん。信じてる!」

 大賀の手がかすみの手をとり、走り出す。



 少女がぽかんとした顔をして泡と散ったかすみを見つめた。

「かすみ、行っちゃった。……ちよは私のこと……殺しにきてくれたの?」

「違うよ!」

 ちよは必死の形相で叫び、手を伸ばした。

「帰ろう」

 どこに?

 少女は目を、淡い緑色の瞳が揺れた。悲しみが深くて、透明な心がぼれてしまっている。

「私、あなたたちに出会えて嬉しかった」

 微笑んで

「世界が美しいと教えてくれて、ありがとう」

 かすみやちよがそうあろうとして

「この力の意味を教えてくれて、ありがとう」

 椿は傷つきながら世界を求めていて

「この世界に、居場所を教えてくれて、ありがとう」

 高見は優しく、受け止めてくれた

「この世界にはいろんな絆があると教えてくれて、ありがとう」

 エージェントは誰よりも、孤独だった。けれど寄り添おうと必死になっていた。

「私は、あなたたちに生きてほしいと願い、そして報いを受けるの」

「報いって、誰かを生かすことに報いなんてないでしょ!」

 ちよは怒鳴っていた。誰かが生きることを願って報いを受けるなら自分だってそうだ。

「……自分が望んで力を振るったから」

 はじめて誰かを心から殺したいと思ったから

 憎しみから振るう力のなんと甘美で蜜のようなことか――少女は笑う。

「私は知ったの! こんなにも、こんなにも楽しいなんて! かすみがいてくれたから、私はそれをしなかった。かすみが私を捨てるなら・・・・・・ちよも私を捨てるの?」

「違うっ!」

「けど、恐れてる」

「・・・・・・っ」

「怖がってる」

「・・・・・・それは」

「ああ、もう、戻れない、戻れない、あのころのようには! あなたが私を恐れる気持ちが私を化け物にしていく。あなたたちの想いがわかる。けれど一度そう思ってしまったら、もう止められないのっ!」

 何も知らなかったころには。

 それが辛くて、苦しくて、がんじがらめにされている。

「出ていって」

「まって」

 ちよが慌てて声をかけ――瞬いた刹那、少女は消え、海にいた。現実へと押し戻されたとちよが知ったとき、瞬いた刹那、ケートスの前足によって地面に転がされていた。

 骨が軋み、痛くて、辛い。それに耐えてちよは顔をあげた。

 ケートスが嘶く。

 避けられないと思ったとき、ちよは諦めず、じっとケートスを睨み付けた。

 逃げたくなかったからだ。

「ちよっ」

 ケートスの顔に鉾が飛んだ。

 ふりかえったちよに高見が仁王立ちになっていた。

「逃げろっ」

 ちよは立ち上がり、駆け出す。

 生きる。

 諦めない。

 背に殺気が飛ぶ。けれどふりかえったりしない。

 真っ直ぐに

「ちよーーー!」

「……! かすみちゃーーーん」

 真っ白い光をまとったかすみが巨大な獣――大賀の上から飛び降り来てた。

 両手をひろげるちよにかすみが抱きついてきた。全身でちよはかすみを受け止める。

 あたたかいぬくもりに涙が溢れた。苦しくて、辛くても今まで泣かなったのに。泣いちゃだめなのに、まだ。

「ありがとう、目覚めさせてくれて!」

「かすみちゃん! 私、私……わたしねっ」

「うん。わかってる。ちゃんと私たち繋がってるから、わかってるよ。だからね、あとは私がするよ」

 かすみは迷わない、真っ直ぐに、ちよの手から小太刀をとってケートスに向かっていく。

 今度こそ鎮める、そう思って振るおうとしたとき――ぱきんと音をたてて刀が砕けた。

「っ!」

 かすみが息を飲む。

 膨大なエレウシスの秘儀の力に小太刀が負けた。またはもともと限界近かったのがかすみを救うことで砕けたのか。

 それはわからない。ただ確かに砕けてしまった希望にかすみが息を飲む。

 ケートスが震える歌声を――笑っている。

 希望なんてないと、絶望ばかりだと言いたげに。

 呆然とするかすみとちよに高見の悲鳴が聞こえた。

「二人とも、危ないっ」

 襲い来るケートスから高見が二人を庇い、転がる。

 もう止める方法もないケートスがのたうち、地面をえぐり、泳いでいる。大賀が前に出てケートスを止めようとするが、力負けして叩きつけられる。

 ケートスが歌い、そして大きく舞い、突進した先をみて、ちよははっとした。

 ヴラスターリがいるのだ。

「にげ」

 そう声をかけようとしたが、彼女は逃げなかった。

 真っ赤な花を咲かせて、自分の腕にある銃を構えている。

 ケートスの尾ひれが襲い掛かるのにヴァシリオスがヴラスターリを庇って吹き飛ばされた。それでも、ヴラスターリは立っていた。

 相棒であるアリオンが靴になって、彼女を支えていたのだ。

 そして、引き金を――引いた。

 その一撃はケートスの中を抉った。

 むき出しのなかに眠る真っ赤な血肉と真っ白い少女が現れる。

 透明な少女は真っすぐに見つめてくる。

「世界の守護者よ、明日もまた日常を望むなら、私という厄災を滅ぼしてみなさい。それが私の――はじめての願い」

「死ぬことが望みだというの」

 ヴラスターリは、無感動に問いかける。

「感情って、汚いのね」

 怯えは黒、悲しみは青、悦びは白く、好きは青――けれど嫉妬、怒り、苦しみ、悩み、尽きないそれはどんどん膨れ上がって、もう自分では止めようもなくなってしまった。

 自分をエレウシスの秘儀だと自覚したとき、少女は無数の命を聞いた。

 そこから得た感情は一人にはあまりにも大きすぎる。

 エレウシスの秘儀という遺産は忘れていたのだ。

 自分が、遺産であるからこそ、感情というものがこれほどにおぞましいことを。

 生命にはすべて感情が宿り、それを力として使用するにはあまりにも、――一つの門には大きすぎる。


「あなたは私のこと嫌いだものね」

 少女は笑う。とても儚く、なにもかもわっているといいたげに。

「そんなこと、知ってるから」

「私は……」

 嫌い、なのだろうか。

 ヴラスターリはただ妬ましかった。ヴァシリオスとともにいる子が、同じなのになにもかも違うこの子が

「私はあなたよりもずっとはやくこの汚い気持ちと向き合った。私は醜いし、汚い、けど、そんな私でも共にいてほしいという人がいる! だから、だからっ、お前を殺すっ」

 ケートスの肉が膨れ上がって、少女を閉じようとする。

 アリオンが飛び出して、前足で肉を抉って邪魔をした。すぐさまにケートスの前足がアリオンを吹き飛ばす。

 地面に転がる黒馬が嘶く。

 誰かの、悲鳴が鼓膜をひっかく。

 もうこれ以上のチャンスはない。

 十分な時間は稼いでもらった。

 ヴラスターリは一人で、たった一人ぼっちで再び引き金をひいた。


 ケートスの中にある核を撃った。

 血肉は飛び散り、悲鳴があがり、光の柱となって空へと飲まれていく。

 核を失くした行き場のないエネルギーがどんどん浮遊し、大気にとけていく。けれどかぶった血はなくならない。

 ヴラスターリはケートスの血を、少女の命の血をかぶり、立っていた。

「ヴラスターリっ」

 悲痛な声を聞いて振り返ると、ヴァシリオスが体をひきずって、よろよろと駆け寄ってくる。

 苦しくて、辛くてたまらないという顔をして腕を伸ばし、抱きしめられる。

「……どうしてあなたが泣くのよ」

「君に、こんなことをさせてしまった」

「……私は平気よ」

「君は傷ついてる」

 そんな感情知らないわよ――けれど名を与えられて、知ってしまった。幸福を、だからわかる。苦しみの深さが。

 ヴラスターリは黙って、腕を伸ばして抱きしめ返す。

 輝く光の粒が落ちてきて、降りしきる。

 泡となり、消える。

 そのとき、何かが奪われていくのを、この場にいる全員が感じた。


 ――忘れて

 ――すべて、忘れて


 切実な祈りの声。それを聞いたとき、確かに何かを――少女がいたことを過ごした日々を向けた気持ちを泡沫のように奪われていく。


 MM支部はエレウシスの秘儀という馬面の化け物の暴走を殲滅した。

 それは明け方にやってきた日本支部の殲滅隊が確認した。

 なぜ殲滅隊より先に動いたのかについては誰も答えることは出来なかった。ただ無事に殲滅は終わり、世界に平和が戻ったことだけは確かだった。


 忘却は遺産の慈悲なのか、少女の祈りなのか、罰なのかを、忘れてしてまった人々は知ることはない。

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