26 さようなら

 目が覚めたとき、椿はまだ生きている自分を呪いたくなった。

 ゆっくりと視線を向けると、自分の傍らには眠っているアイシェ、そしてマルコ班の者たちが一人も欠けることなく、身を寄せ合っている。

 ここはどこかと思えば、マスターレギオンを捕らえるために持ってきた武装車両のなかだ。

 追われて逃げるかのように――思い出した。

 実際逃げたのだ。

 遺産から。

「あいしぇ」

 かすれた声で椿は呼ぶ。そうすれば届くと知っていた。

 アイシェは目覚め、安堵から泣きそうな顔をする。

「……何時間眠っていた?」

 今度はちゃんと声が出た。

「確認します……二十時間ほどです」

 だいたい一日眠っていたことになる。それだけレネゲイドの消費が激しいのだろう。ぼろぼろの肉体が咳き込むだけで軋む。笑えてくる弱さだ。

「きぃは?」

「……鬼切の小太刀を持たせて、今は眠っています」

「そうか。なら、安全だな」

 目覚めたらしいマルコ班たちがおのおの顔を出してきた。

 戦士である彼らはどこかバツ悪そうに自分のことを見る。椿はどうしてこんなところに彼らがいるのだろうと訝しく思った。

「生きててよかった」

「ふらふらしやがって」

「死にぞこないめ」

 フランクな言い方は逆に親しみすらこもっている。彼らの顔は疲れているのに嬉しそうだった。それがやっぱり理解できない。

「規律違反をしたな?」

 椿は言った。

「僕を助けた」

 テレーズから裏切るような行為、暴走が見られれば殺せと彼らは言われていたはずだ。

 テレーズとの取引。

 マルコ班の所有する遺産――それぞれの班に一つ、シンボルとしてある隊長のみが所有し、使うことを許された遺産。

 本来、遺産に認められてこそ使える代物だが、幸いにもあるだけでも鬼切の小太刀は作用するし、本来の力ほどの威力はなくても振るうことはできる。

 マルコ班は鬼切の小太刀――日本で生まれた、邪を払う力がある刃。所有すれば、ジャームの力を削ぎ落す。ただし、持てばどうしようもなくジャームを憎むようにもなる。

 椿はそれを手にした。

 理由は簡単だ。

 ジャームである、きぃを生かすため。

「君たちは僕を殺すべきなんじゃないのか」

 マルコ班の者たちは複雑な顔で見つめてくる。

どうして彼らは災害である椿を殺すことをためらうのか。憎まれて、嫌われていると思っていたから、そんな顔をするとは予想外だ。

「私たちは、隊長の部下です」

 アイシェが泣く声で訴えてくる。

「あなたは私たちの隊長なんですよ」

「……僕は」

 椿が言い返そうとしたとき、すっと大きな手が伸びて遮られた。黙っていると十二人いる小隊の彼らは笑って口を開いていく。

「あんたが立てた作戦のおかげで俺は死ななかった」

「それをいうなら、こちらだったそうだ。被害も最低限におさえられた」

「テレーズと敵対しているアッシュ議員を言い負かしたのはスカッとした」

「遺産に囚われた子供を助けた」

「いつも俺たちが諦めたとき、あんたは諦めずに最善を探してくれた」

「情報分解が得意なくせにちょっと抜けてるところとか」

「俺が暴走しているときも、好きにさせてくれた」

「ミスするたんびに責めてくるくせに、時々しおらしいんだよ」

「なぁ、隊長」

一番年上で、隊をまとめている中年が煙草をふかして笑いかけてきた。

「俺たちはアンタが気に入ってる。戦わないというがアンタはずっと戦ってきたのを俺たちが見てる。レネゲイド災害でいろんなものを失くした俺たちがだ。それじゃあだめかい」

 椿はぼんやりと彼らを見て眉を寄せた。

 言われた言葉の意味がすぐに理解できなかったからだ。嫌われていると思っていたのに、いきなりそんな言葉をかけられてはどうしていいのかわからなくなる。

「隊長」

 アイシェが優しく、笑いかけてくれる。

「私たちマルコ班は、あなたに生きてほしいんです。ここにいるのは、あなたの作り上げたマルコ班ですよ」

「……そう、か」

 ひどく実感がわかない声で椿は言い返す。

 マルコ班たちは苦笑いして出ていく。まるで空気を読んだみたいに。

「このあとどうするのかはアンタとアイシェ副隊長が話してくれ。いろいろと言いたいこともあるだろうし」

 そんな風に言われて二人きりにされて椿は寝ぼけた目でアイシェを見た。

「……隊長」

「なんだ」

「私はあなたを尊敬しています。みんな、そうですよ」

「……みたいだな。馬鹿ばかりだ」

 ふふっと椿は笑った。笑ったせいで骨が痛んで咳き込むとアイシェが慌てて背を撫でてきた。その肩を椿は強く握りしめる。

「君は撃たなかったな」

「……」

「それが答えか」

 アイシェが目を瞬かせ、頷いた。

「僕が災害になったらどうするつもりだったんだ」

「命に代えても止めます」

「馬鹿め」

 吐き捨てる。

「僕はお前たちの嫌いなレネゲイド災害そのものだぞ」

「けど、あなたも失った。大切な人を」

「自業自得だ」

 マスターレイスとして世界を変える望みを持って生きてきた椿は災害ともいえることを行った。何十、何千、何万という人々を殺し、奪い取った。それはとうてい一人の命で償えるもではない。

 マスターレイスとして災害を起こす理由――生涯たった一匹の蟲を完璧にするという望み。自分のせいでジャーム化させ、あろうことか災いにしてしまった。

 椿の一族は蟲のための一族。

 祖は古来のレネゲイドビーイングで契約を結んだ。

 それが一匹の蟲。

 生きては死ぬことを繰り返す――きぃ。唯一の蟲。

 何度だって生まれ変わり、椿の一族を支配する。

 椿の当主のみに与えられる特別な蟲。

 当主となる者は男も、女も、老人も、若者もすべてがその蟲に恋をして、尽くすようになる。

 彼自身もまたその運命から逃れることはなく、蟲に尽くした。そうして祖が契約したレネゲイドビーイングに人の形を与え、完璧な存在とした。そのために多くを犠牲にしてきた。

 知らなかったのだ。

 山のなかで暮らし、人間に関わることもなく、オーヴァードという特殊さゆえに異端として何代も差別され、人の常識も、してはいけないことも、なにも知らなかったのだ。

 無知だったゆえに自分のしていることの意味を知らず、UGNの者たちに災いとして倒されようとしたとき、それに激怒したきぃがジャーム化して、すべてを――奪う災いとなった。 

たまたま居合わせたUGNやFHの者たちと協力して、きぃを止めた。

きぃと椿はさらなる契約を交わし、レネゲイドウィルスと命を共有することで安定させた。おかげで椿は肉体の半分と持っていた力を使うことはできなくなる対価を支払った。

それでもきぃの力を共有して使うことはできる。ただし、使いすぎれば体内のレネゲイドウィルスが高まり、それに耐えきれなくなれば、きぃは暴走してしまう。

暴走すれば、きぃは人を呪い、喰らい、災いを呼ぶ。

それを抑えるのに、鬼切の小太刀は作用していた。

 テレーズの隊で使われるかわりに、遺産を手にいることはきぃをよりよく生かすことに繋がっている。

「……おいで」

 アイシェがぎくりとした顔をした。

 椿が両腕を広げて微笑んだ。

「おいで、こんな方法しか知らないんだ」

 アイシェが黙って身を寄せてきた。いくつもの蟲に、きぃにしてきたように抱きしめて頭を撫でる。

「隊長」

「僕は無知だな。今も昔も……だって誰も教えてくれなかったんだ。人を殺すことがこんなにも悪いことだって、迫害され、差別されてきたんだ。何が悪いのかと知らなかった」

「……」

「きぃが奪われたとき、とてもつらかった。生涯共にすると約束した、僕の……大切な、伴侶である蟲」

 アイシェが抱きしめる力を強めていく。

「知らないからやってしまったこと、それは罪に問えるのか。知らないことそのものが許されないのかもしれない、けど、どうしようもなかった」

 過去の己がしたことがいつだって自分を責め立ててくる。

 だから少女に無知のまま力を使うなと口にした。

「隊長」

 切なく呼ぶ声に笑う。

「僕は君が好きだよ。アイシェ」

「……っ」

「けど、さようならだ」

「どういう意味ですか」

 体を強ばらせ、縋るようにアイシェが見つめてくる。

「鬼切の小太刀はアレにも有効だ」

「……それは」

「調べたんだろう。鬼切の小太刀はあれに有効であるならば、鬼切の小太刀なら暴走を止められる可能性を」

「絶対とは言い切れませんっ! それに、遺産がなくなったとしても、あなたが」

「誰かが責任をとらなくちゃいけない。テレーズは気にしないというかもしれないが、遺産がなくなれば、ここにいる意味はない」

「私たちがいてもですか?」

「……言っただろう。人間のなかでは君が一番好きだよ、アイシェ」

 子供みたいに告白をする椿をアイシェは黙って見つめる

 過去、レネゲイド災害に対応するためのもう一つの隊――ルカ班の隊長が宣言をためらって災いが深刻化したことに腹を立てたアイシェはその隊から、いまのマルコ班に移動した。

 けれど災害だと口にしてしまったらそれを止めるために多くのものが動いてしまう。命を奪うことも、なにかを犠牲にすることも、ある。

 知っているつもりだった。その責任の重さを、つらさを――今、本当の意味で知ってしまった。

 大切なものを守るために、その言葉はあまりにも重すぎる。

 椿とあの少女を天秤にかけてアイシェは選ばされている。それは弾丸の引き金をひくのと同じくらいに、とても重い。

「私を置いていかないでくださいっ」

「……僕は災いだ。君たちみたいなやつからいろんなものを奪い取った。無知であることを理由にして、けれどそれは許されない。許されてはいけないんだ。君の気高さが好きだった。強さが、真っすぐななにもかもが」

 声を荒らげて泣いてすがっても、きっと椿は行ってしまう。それがわかるからアイシェは泣かなかった。

 ここは椿のいる場所ではない。

 償いのための場所になれればいいと思った。罪をいつか許して生きていければと。

 けれど椿がそれを許さない。

 そっとアイシェの両手が伸びて、両頬を包む。唇があたる。涙の味がする。これは別れの挨拶だ。

「あなたが私の隊長であること、そして私があなたを誇りに思うことは変わりません」

「……ありがとう。アイシェ」

 今だけは年相応に椿は笑っていることが出来た。


 痛みとふらつく体で立ち上がり、車両の奥に行くと鬼切りの小太刀を抱えて眠るきぃが寝台に横たわっていた。正確にはその傍らには侘助が控えて目を閉じている。

本能として母親を守っているのだろう。

 きぃの放つ高濃度のレネゲイドウィルスの気配と侘助のせいで、誰も近づくことができない。しかし、ちらりと侘助は椿を見て、すぐに視線を逸らした。椿なら、いい。蟲のための一族。彼女のための椿だから。

 すべてのはじまりの蟲。

 すべての蟲たちの母。

「・・・・・・暴走したら殺せと言っても殺してくれないとはな」

 手を伸ばして、ためらう。

 この鬼切りの小太刀である程度の暴走と衝動はおさえていたが、これを失ったら再び椿がたった一人の楔になることになる。それがどれだけの負担なのかは承知している。もし、きぃが暴走してしまったら今度はどうやって止めたらいいのか――椿は下唇を噛む。

 罪は一人で背負うのにはあまりにも重すぎる。

 そのとき、携帯電話が鳴ったのにびくりとして懐から取り出して画面を見ると知らない番号だ。

 躊躇ったが、しつこい音に諦めて、出た。

『ようやく見つけた』

 太い、傲慢さをたたえた声だ。

『居場所を言え。そしたらお前を殺してやるよ、椿』

「・・・・・・死ぬにはいい夜だ。けれどまだ僕は死ねない。助けてくれ、・・・・・・日下部」

 どんなにここにいていいと口にされても、いられない。

 優しさも、愛も、すべて捨てていく。

 死ぬために生きている。

 いいや、誰かを生かすために生きている。

 覚悟は決めた。

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