23 それについて
「その腕はなんだ」
通信画面に現れたアッシュの一言に、ヴラスターリは一瞬何を言われたのかと思った。
そこで自分の左腕が、根っこからなくなっているのだと思い出した。
「とられたの」
「再生はどうした」
「出来ないのよ。アッシュ」
ヴラスターリは苦笑いした。まさか、こんなことを責め立ててくるとは思わなかった。
いや、飼い主として、自分の武器が使えなくなったのなら怒りもするだろう。
情報がいると痛感したヴラスターリはまだある自分の個室に戻って、アッシュに連絡をとった。一コールで出てくれた。珍しい。そのせいで嫌味たっぷりだ。
「エレウシスの秘儀は、根本的に奪い取る力みたい。私はもう使えない武器ね」
「……そんな悲壮な愚痴を言いたくて通話してきたのか」
「いいえ」
日本とアッシュのいるイギリスの時差を考える。あちらは夜のはずだが、彼は通信したらすぐに出てくれた。いつもは安眠する体質で、深夜に通信するとぶち切れるくせに。
今日はそれがない。
「……ごめんなさい」
「なにがだ」
ため息。
「あなたにいろいろと報告があがっているでしょう。私、愚かなことをしたわ。後悔はしていないけれど」
「好きにしろ」
「ヴラスターリ」
「なんだ」
「名前を、もらったの」
こんなときに、こんな報告をしていいのか迷ったが、今しなければいけないと思った。
「……ギリシャ語で新芽か」
「そう。いい名前でしょう。彼が、くれたの」
「マスターレギオンか」
「ヴァシリオス、ヴァシリオス・ガウラスが彼の名前よ。名前で呼んで」
「要件は」
これ以上の無駄話は聞かないとアッシュは牽制してきた。くすっとヴラスターリは笑った。
「笑うな。お前がそんな顔をすると腹を立てるしかなくなる」
「ごめんなさい。……エレウシスの秘儀だけど、あれはなに? ギリシャなら、あなたの守護範囲よね?」
アッシュは出身国のイギリスからその周辺の国を管轄にしている。ギリシャも彼の管轄範囲だったはずだ。
「昔のギリシャ人がしていた儀式だ。秘儀というように、どんなことをしていたかは不明だが……しかし、ギリシャは歴史上、自分たちの神話を信仰していない」
ギリシャの不思議なところは、幾多の戦争を経験し、自分たちの国の神よりもキリスト教を信仰している。
ギリシャではキリスト教が一般的で、ギリシャの神を――自分たちの作り出した神だというのに異端視しているのだ。古来から存在して有名な神話だが、信仰している者はかなり少ないのが現状だ。
そのため、エレウシスの秘儀についてもすでに廃れてしまい、どんなことを行っていたかは不明だ。
ただ残っている神話を紐解けば冥界の神によって攫われた女神とその母神を奉る、季節をイメージしたものだとされている。
そもそもギリシャ神話はそのときの歴史の価値観も考慮され、男神、英雄がメインであって、女神や女はあまり目立つことはない。そこを考慮すればエレウシスの秘儀とはなかなかに珍しい性質を持つ話になる。
「豊穣の神だから信仰された、というのもあるんだろう。大地の神である母神と、春の神だが、冥界、つまりは死へと嫁いだ女神。その女神を恋しんだ母女神の悲願によって一年の少しの間だけ、地上に戻った」
「四季の始まりね?」
そうだ、とアッシュは頷いた。
昔の者は四季を人の一生になぞらせた。春に生まれ、夏に育ち、秋に実り、冬に死ぬ――それを繰り返す循環と豊穣を願った儀式。
「エレウシスの秘儀とは、そういう祈りから生まれた遺産だからこそ、命を力とする、循環を行うシステムというのは理解できる」
「それが暴走しているのは」
「お前は知っているか、ギリシャ神話では、常に怪物と女はセットになっている。つまりは英雄を作り出すための舞台装置だ」
英雄を作るには、どうしても困難が必要だ。
ゆえに、化け物と、それに虐げられた女という褒美。それを救うことで男は英雄となる。しかし、神話では、そのあと女が出ることはほぼない。
「つまりだ、こう解釈できる。女は化け物だった。ギリシャ神話において、英雄という男を作り出すために、化け物となる女が必要であり、それを退治することで男は英雄になる。・・・・・・これは男による女の支配される理不尽さを表している」
「……今回もそうだというのですか?」
「なっているだろう。状況が」
支配されていた少女――哀れな犠牲者。それは英雄のための舞台装置。
エレウシスの秘儀がそれを狙って自分の末端を少女としたというならば、あまりにも。
「文字通りバケモノとなっただろう」
「……救えないのですか」
「今までの歴史が語っている。退治しろと」
アッシュは冷静に言い返す。
「ギリシャ神話において、女とはこういう扱いなんだ。むしろ、そういう風に見える、と周りが思うことで、化け物となっていく気質がある。
自分ではなく、周りがこいつは化け物だと思い、そしてどんどんバケモノにしていく」
ヴラスターリは黙った。
少女ははじめ、怒りから力を使った。それを見たとき自分たちはなんだと思っただろうか。
そうだ。
恐ろしい化け物だ、遺産だ、と思った。
それが少女をさらに――ギリシャ神話から生まれた遺産ゆえに、人々の思考を寄り取り、影響を受けた。
「あれを作ったのは私たちというわけね」
「落ち込むな。誰でもそうなる」
まさかアッシュに慰められるとは思わなかったヴラスターリは驚いた。
「破壊しろ」
「アッシュ」
「今ならまだ間に合う。破壊しろ。これは俺からの命令だ。責任も罪悪感も俺が背負ってやる。お前はただの武器として動け。いや、お前はもう戦えないだろう。狙撃手が片腕をなくせば……逃げていい。その任務から手をひいて今すぐに退避し、こちらに戻れ」
「……だめよ。私はもう名前をもらって、自分で考えれるのよ」
不器用な優しさをヴラスターリはやんわりと拒絶するとアッシュは苦い顔をする。口は悪いし、態度も傲慢だがアッシュは優しい。
「ヴァシリオスに、ちゃんと自分のしたことへのケリをつけるチャンスをあげてほしいの」
「ジャームだぞ」
「彼は私を助けてくれました」
ヴラスターリは縋るように言い返した。
「遺産によって狂う者はいます。けど、それは遺産のせいです」
「……だが、そいつはジャームだろう。今までのテロが遺産のせいだとしても、それ以前はどうなる? 戦場で仲間の死体を取り込み、操ったこと、それが許されると思うのか?」
ヴラスターリは沈黙する。
状況がそうさせたのだと言い訳だ。
ヴァシリオスは自分のために超えてはいけない一線を踏み越え、強さを示し、FHに勧誘されて、そのままそちらへと流れていった。もっとはやくUGNが彼らを見つけて救えたらと思わなくもない。
「死体を操ったのも、遺産を手に入れたのも奴の選択だ」
「アッシュ、けど」
「俺はお前のオリジナルの願いを叶えて、お前を産み出し、守護して、使った。お前が奴を追いかけることも寛容した」
冷たく、鋭い言葉だ。
「お前は生きている。それを俺は喜ぶ。しかし、お前があれを許すということを俺は寛容しない。あれは間違えた」
「間違いを正すことはできるわ」
ヴラスターリははっきりと言い返す。いつもなら、ここで逃げるか折れるところだが、もう自分は名前をもらった。
ヴラスターリ。
新芽と彼が口にして、呼んでくれた名前。
「彼がこの遺産の暴走を止めるのに協力すれば彼はジャームとは言いがたいのではなくって? 私は彼を、彼を救う。いいえ、生きる場所を与える。理不尽さも不平等もある世界でも、ちゃんと居場所はあると示す」
「divvy (馬鹿)」
アッシュはそれだけ言うと通信を一方的に切った。
「идиот(ばか)」
ぼそりとヴラスターリは悪態をつく。
とんとんと遠慮がちに肩が叩かれたのに顔をあげると、ヴァシリオスがいた。いつの間に戻ってきたのか――通信中は席を外すと口にしていたが、その手にはお皿がある。
「食堂でもらってきた」
「……食べ物?」
ヴラスターリは目をぱちくりさせ、ヴァシリオスを見る。当然、食べるだろうという顔だ。
「う、うん」
パソコンを閉じて、二人でベッドに腰かける。質素な部屋で、ベッドしかない。それでいいと以前は思っていたが、これは困ったなとヴラスターリは思った。
いやでもヴァシリオスと密着してしまう。当然のように腰を抱かれてヴラスータリは戸惑った。こういうのが普通というのだろうか?
差し出されたおにぎりに躊躇った。
食べて、いいのだろうか。
食べる、どうやって。
二つの思考から手が出せないでいるヴラスターリに、そっと、ヴァシリオスがおにぎりを手にとって、口元に寄せてきた。口を開いて噛む。咀嚼し、嚥下する。
「もちもちしてる」
「それと?」
「しょっぱい」
「そうか。私の生まれではパンとオリーブが支流だったが、日本人は米が好きらしいな。エネルギー摂取には効率がいい」
「私、食べちゃったわ」
「うん?」
「……へんなの。食べちゃった」
もう一度繰り返し、口を開いて、食べる。
食べることが楽しいと思ったのははじめてだ。いつもオリジナルの記憶を、経験を薄めないために避けていたが、自分は、こんな風に味わうことができるのかとびっくりした。
おいしい、と思ってしまう。
そっとおにぎりをとってヴァシリオスに差し出す。彼は黙って口を開いて、食べてくれた。
「こんな味なんだな」
「そうねっ! すごいわ。おいしい。だからねあなたにも食べてほしいって、……思ったの」
「ありがとう」
優しい言葉に胸が締め付けられるのがわかる。
「先ほど出歩いたが、ここの支部の者は私に対しても普通に接してくれた。きっと言いたいことなどは山のようにあっただろうが……ただ高見、ここの支部長だな。先ほど、私に、緊急で部屋などの確保が出来てないがどうするかと聞いてきた。まさか私にそんなことを聞いてくるとはな」
「なんと答えたの?」
「ヴラスターリと相談すると」
「そうね。部屋がないなら、ここに泊って、ベッドは一緒に使えばいいわ」
「……本気か」
思わず、という調子でヴァシリオスは口にする。
「だめなの?」
「……それにどういう意図があるのか俺は聞いてもいいだろうか」
一人称が変わった。ヴァシリオスが素を出しているときだ。
「困っているならあなたの役に立ちたいって」
「だろうな」
ため息を、ヴァシリオスはつく。
「君はわかっていない。男女が同じベッドを共にする意味を……隊長もそういう人だった。ヴラスターリ、これは」
ヴァシリオスの視線が部屋の隅で止まったのにヴラスターリはきょとんとした。
なにげなく、ヴァシリオスが立ち上がり手にとったのは、隠されるようにしてあったコートだ。荷物も一式置いてある。
「それ、それはあなたの手がかりがないかって、ごめんなさい。調べたの。けど、変なことはしてないから」
「抱きしめて眠ってたくせに」
「アリオンっ」
ヴラスターリが悲鳴をあげ、恐る恐るヴラスターリは視線をヴァシリオスに向けた。
「……その、あの、あなたは怒ると思うけど」
「いや」
「怒らないの?」
「怒ってほしいのか?」
ふるふるとヴラスターリは首を横に振った。
「あなたの、匂いがして、落ち着いて」
「土と汗と血の匂いしか染み込んでいないがな」
「そんなことは……」
反論しようとしてヴラスターリは言葉を失くした。
優しく、ヴァシリオスが笑ってくれているからだ。
その眼を見て、ようやく自分の気持ちを報われたのだと思った。今までずっと命を、肉体をすべて亡くしてしまうことが、唯一の報われる方法だと思っていた。生きていてもいいのだと、彼は無言で言ってくれる。
手が伸びて、頬に触れる。そっとヴラスターリは手を添え、頬擦りした。
「血はいる?」
「少し」
「いいわ、飲んで」
首を差し出すと、ヴァシリオスが噛みついた。
痛みは、少しばかり、甘い痺れを伴う。
ヴァシリオスがしっかりとヴラスターリを抱きしめた。どうして、そんなにも密着するのかわからないのに、いやではなくて、じれったくてヴラスターリも抱きしめていた。
「……足りないわ」
「うん?」
「なんかいろんなものが邪魔で、あなたに触れているのに、足りないと思うの。へんね。戦ったときだってこんな気持ちにならなかったのに」
「……君は無垢すぎる」
「またそんなことを言うのね」
ヴラスターリはむっとした。
「確かに、私はオリジナルをダウンロードするために経験はほぼないけど、……どうしてどきどきするの? ああ、どうしよう。私、今、きゅーんとしてる。どきどきしてる! あなたの心臓の音を聞くと、どきどきするのに落ち着くの。私、どうしたのかしら? 情動がおかしいわ」
「どうしてだろうな」
なにもかも知ってる顔をするヴァシリオスにヴラスターリは怒りを覚えてしまう。いじわるだ。彼はとても意地悪をしている。
抱きしめていてくれるし、触れ合ってくれるし、心臓の音もぬくもりも与えてくれるけど。
「全部終わったら、君に言うよ」
「なにを」
「これからどうするのかを」
本当は、もっと罵られることも、拷問を受けることも覚悟していたが、それもない。今が緊急の状態であることもさしひいても、ヴァシリオスを受け止めてくれていた。
どういう形で終わったとして、無理やりに彼らが何かしてくることはないだろう。
「逃げる?」
「ん」
「UGNから」
「君がメンテナンスされないと死ぬからなしだ」
そう、とヴラスターリは言い返す。
不平等だと世界を恨んで、呪っていたのに。そんな自分でも世界はときとして寛容に受け止めようとする。
やっぱり不平等だ。
死んでしまった部下たちを、隊長を。見捨てるようで怖いと思いながらも、ヴァシリオスの衝動はヴラスターリに向いている。生きたいと思っている。
自分こそ、不平等だ。
「ヴァシリオス」
「なんだ」
「……呼んでみただけよ」
「ヴラスターリ」
「なぁに?」
「呼んだだけだ」
おかえしに、といいたげなやりとりにヴラスターリは目をきらきらさせる。
嬉しそうな顔なのにヴァシリオスは身をかがめた。するとヴラスターリが目を閉じた。たぶん血を吸うと思っているのだろう。
その無防備さに甘えて、なにもかも奪い取るために、ヴァシリオスは覆いかぶさった。
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