ミドルフェイズ
22 黄昏の情報収集
絶対安静と言われて覚醒と睡眠を繰り返して朦朧としたまま一日をヴラスターリは過ごした。
二日目に、ようやく動くようになった体をひきずり、二人は支え合うようにして高見のいた支部に顔を出した。
街は昼間だというのに静かで、日常が失われてしまったことがわかる。
「戻ってきたか」
受付を通したあと、すぐさまに高見が駆け寄ってきた。明るい声をあげて出迎えてくれたうえ抱きしめてきたのにヴラスターリは驚いた。
「あの、私」
「許す」
最後まで高見は言わせなかった。
「戻ればそれでいい。それより、かすみたちが今大変なんだ」
「どういうこと?」
「・・・・・・かすみの命が奪われた」
ヴラスターリは目を見開いた。
少女を――ちかに名を与え、愛し、育み、守ろうとしていたのに、どうしてよりによって自分を愛してくれるものに遺産は牙を剝いたのか。
望んだことではなくても、結果的に大切なものを傷つける。
それが力だ。
「お前はエレウシスの秘儀を利用していた。だからあれについて知っているな?」
高見はヴラスターリではなく、その背にいるヴァシリオスを睨み付けて問いかけた。本当は怒りで殴りかかってやりたいのを彼女は理性を総動員していた。
「・・・・・・見せてくれ」
静かに、とても静かにヴァシリオスは言い返す。
傷ついた支部員たちがヴラスターリとヴァシリオスがいることに驚いた顔をしていた。彼らの目には怒りや侮蔑もあれ、驚きのほうが今は勝っているようだ。
針のむしろの状態だが、すべては己が招いたこととヴァシリオスは受け止める。
そうしてたどり着いた奥にある救急室の白いベッドの上にかすみが横になっている。その前にはちよが座って、ずっと手を握りしめた姿は祈りる人のようだ。
僅かにレネゲイドウィルスの香りがするのは、ちよが治癒の力を使っているからだろう。
「かすみは、お前がマスターレギオンと逃げたあと、一人であの子を止めようとつっこんだ。そしてこうなった」
「・・・・・・ヴァシリオス、これって」
高見の説明にヴラスターリは不安を覚えてヴァシリオスを見つめると、彼は前に進み出た。
ちよが顔をあげて、ヴァシリオスを認めて、肩を震わせた。
「どうして、あなたが」
ちよは憎悪を剥き出しに睨み付けたが、その後ろにいるヴラスターリを認めた。
「エージェントさん、生きていた!」
緊張の糸が切れたようにちよは瞳からぼろぼろと涙をこぼし、その場に崩れた。
「あなたのせいで、かすみちゃんが」
「・・・・・・」
「どんなにやってもかすみちゃんが起きないの。あなたのせいで、あなたのせいでっ」
ちよが繰り返し、繰り返し、泣きながら罵り、拳を持ち上げて、けれどそれはヴァシリオスにあたることなく、ゆるやかに落とされた。
「おねがい、おねがいです。かすみちゃんをたすけて、たすけてください。わかるなら、たすけてください。わたし、かすみちゃんをたすけれない」
自分の無力さに泣くのはこれで二度目だ。
覚醒したとき。そして、今。
いつもちよは無力な自分が憎くて、殺してやりたくて、たまらない。
嗚咽を漏らすちよにヴラスターリは何も言えなくて、視線を彷徨わせたあと一歩前二出る。自分がこんなことをしていいのかわからないが、ちよに腕を伸ばして、支える。
ちよが驚いた顔をして見上げてきた。
「エージェントさんっ」
ひくっひくっとしゃくりあげるちよが我慢の限界を迎えて、しがみついてきた。
胸に顔を埋めて泣くちよをヴラスターリは持て余すように見つめ、ヴァシリオスに視線を向けた。
彼は静かに頷き、かすみの顔をのぞき込む。額に触れて熱を確認し、目と口と順々に基本の確認を行う。
どれも正常であることをこの場の誰もが知っている。それでも遺産を手にしたことのあるヴァシリオスからは別のものがわかるかと期待を寄せた。
「・・・・・・肉体は生きてはいるが、意識がないようだな・・・・・・たぶん、命ではなく、彼女の魂がエレウシスの秘儀にとられたんだ」
「魂って」
ちよが泣きながら問いかける。
「命とは、心臓、つまりは、この肉体を動かすエネルギー。魂とは、その肉体に宿る人格と考えてくれたらいい……これは憶測だ。君の期待するほどの信憑性はないと思って聞いてくれ」
「教えてくださいっ」
ちよがヴァシリオスに食ってかかるように勢いよく聞いた。
「エレウシスの秘儀は他者の命をエネルギーに変える遺産だ。そして、あのレネゲイドビーイングの少女はその遺産の末端機能だ。
エレウシスの秘儀とは本来、目に見えず、触れれない魂をエネルギーに変換し、蓄えることができるシステムだ。しかし、その性質上、この世界に存在は出来ない。簡単なことだ。魂、そしてエネルギーは目に見えないからだ」
「では、どうやって蓄えるんだ。そもそもこの世にないというのは」
高見が困惑した声を漏らした。
「虚数空間。本来は存在しない空間・・・・・・三次元、一次元といってもいい、そういう空間に存在し、成立しているのがエレウシスの秘儀だ。そのために、エレウシスの秘儀はこちらに干渉は出来ない、次元が違うためだ。
だからこそ、この世界の理にのっとり、存在するレネゲイドビーイングの娘がいる。その娘を力の入り口として、この世に関わっていると仮説はたてられる」
ちよは思い出す。自分たちが瀕死になって、少女が泣いたときに現れた海のワーディング。
マリンスノーで少女が泣いたことと馬面の化け物が現れて人々を襲ったのはほぼ同時期だった――つまり、人の生命をどこからか入手し、それを力に変換し、少女が治癒として使う。
生と死の二つを繰り返すためのもの。
この世に存在しない遺産は破壊することは出来ない。
そもそもそういう次元のものではないからだ。
高度なシステムがただ動くことで、人やこの世のものの運命が巻き込められる。
まさに神のシステム。
それが人の手でどうにかなるわけがない。
「あの少女が入り口であるというならば、破壊すればそれは終わるはずだ」
「かすみちゃんは助かるんですか?」
ヴァシリオスが告げない、一番肝心なことをちよは聞く。
「一度、取り込まれたものはエネルギーに変換されて別の形で排出される……私が多くの……従者を使い、それが私の部下であったのも、そのためだ」
「じゃあ、それじゃあ!」
ちよが絶望の顔をしたがそれにヴァシリオスが首を横に振って
「別の形になっても、本質が失われたわけではない。私が君たちと戦ったとき・・・・・・私は君たちを吹き飛ばした力、あれは私ではなく、エレウシスの秘儀からもらい受けたものだ。誰かの憎悪と破壊の力・・・・・・エレウシスの秘儀に取り込まれたものは、どんな形であれ、本質はなくさずに継承される」
「力になった人たちの核みたいなものはどういう形でも失われないってこと?」
ヴラスターリの言葉にヴァシリオスは頷いた。
「つまり、かすみという少女自身はエネルギーに変換されたが、彼女自身は失われてはいない。それはこの肉体が生きていることが証明している。かすみという少女の魂、または核を取り戻せば、おそらくは」
ちよは黙ったまま服のすそでごしごしと目じりを拭った。
「わかりました。エレウシスの秘儀からかすみちゃんを取り戻すことはできるんですね」
「今のは憶測だ」
「それでも、可能性はゼロじゃない」
ちよは力強く言い切ると、頭をさげた。
「教えてくれて、ありがとうございます」
「……よせ。私は君たちを」
「はい。戦いました。あなたはあなたのためにやったこと、私は共感できません。あなたはエージェントさんを助けてくれたし、今、協力してくれているから」
困惑するヴァシリオスに、ちよは顔をあげると疲れた笑みを零した。
「かすみちゃんを私は取り戻したいです。そして、ちかも……ちかは、あの子はなんなんですか?」
「・・・・・・エレウシスの秘儀は、末端である少女の強い感情の動きによって発動している」
ヴァシリオスは一瞬口ごもったあと、ゆっくりと説明を続けた。
「私があの子を殴って恐怖と痛み、悲しみを与えて力を発動させていたのはそのためだ。私が君たちを傷つけて激怒した少女は門を開いた。開いたまま閉じれないんだろう。閉じれないのか、それとも自分の意志で開いているのかは不明だが」
「……きれいなままでいたかったって」
ちよが力なく言葉を紡いだ。
それはちかがなにもかも巻き込んで光の海になったときに口にした言葉。
自分が化け物だと自覚してしまったちかの最後の願い。
かすみがいるからいいと口にしながら、一人になりたくないとちくばぐなことを思う。ただの女の子らしい気持ちの揺らぎ。矛盾して、一瞬たりとも止まらない海の潮騒のような。
なんて不安定で、恐ろしい遺産だろう。
「たぶん、暴走して、自分を……ううん、遺産を止められないんだと思う」
「それは余計にタチが悪いな」
ヴァシリオスは静かに、希望を打ち砕く。
「己で己を止められない。それだけの感情と力を暴走させている以上、猶予はないはずだ。小さな感情の揺れなら、しばらくすれば止まるだろうが暴走し、自分でどうしようもないものは」
「破壊しろっていうんですか」
ちよがまっすぐにヴァシリオスを見つめる。若くて、傷ついて、けれど決して屈しない。在りし日の自分と重なる瞳だ。
「私も、たぶん、そういう答えが正しいと思います。けど、抗いたいんです」
「……君は」
「あなたも、不平等を嫌いだっていいましたよね。私もだいっきらいです。だからみんなが救われる方法を探します。もちろん、現実問題、どうしようもないなら私は破壊することも賛成します。けど、助けられるものは助けたいんです。支部長、お願いです。時間をください。私に」
「ちよ」
高見はじっとちよを見る。
戦うための牙も、爪も持たない。泣き虫で、いつもかすみに守られていたちよは今戦うための顔をしている。
なにもなくても、抗う。
それが命。
それが日常を守りたいと願う者の姿。
「支部長、オレからもお願いです」
いつの間にいたのか部屋の前で大賀が真剣な顔で立っている。
「大賀お前、盗み聞きを」
「すいません。けど、エージェントさんが戻ってきたって聞いて、そしたら聞こえたから・・・・・・時間をください。少しでもいいから、調べるための時間を」
「……大賀」
高見は小さく嘆息する。
「大人とはいやなものだ。こういうとき、すぐに諦めてしまう。……いいぞ。好きにしろ。今、遺産は危険な状態を溜まったまま停止をしているそうだ。
巨大なワーディングを張ったまま停止状態・・・・・・予断を許さない状態だと、霧谷から報告がきている。まだあちらも殲滅部隊の準備中の状態だそうだしな。あと、マルコ班の椿たちも動きがない。そちらの対応をするのに私はいっぱいいっぱいだ」
ちよと大賀が小さな希望を両手に掴んだときのように、明るい顔で高見を見る。
「時間はあまりないことだけは覚えておけよ。いつマルコ班が動くかもわからん」
高見は逞しく微笑み、そのあと自分の口にした言葉を頭のなかで考え直す。
暴走したきぃを抱えて、傷つきながら去っていった椿とアイシェ。彼がこの遺産にどのようにかかわるのかが不安でたまらない。なにより、彼を迎えにきたアイシェの悲痛な顔。
あちらもあちらでいろいろと抱えこんでいる様子だったのが気にかかる。
霧谷を説得して時間を稼ぐのも、今回のような大事になると難しいだろうことはわかっている高見はすぐさまに出ていく。
その背を見て、ちよは大賀と視線を交わす。
二人揃って頷き合う。
「オレ、現場の人らにデータとかいろいろともらってくる。今わかってるのはこれだけ」
大賀が両手に持つ書類を差し出してきたのにちよは駆け寄って、それを受け取った。
「オレだとわかんないけど、ちよならわかるだろう」
「うん。わかった。私、私ね、伝承とかいろいろと調べてみる」
「ちよ、逞しい」
「大賀もね」
大賀が笑ったあと、ベッドにいるかすみをちらりと見た。本当は今すぐに駆け寄っていきたいのに、かすみが眠ったときから大賀はここに近づいていない。そんな風に悲しみに泣いている暇はないからだ。
「……ヴァシリオス、私たちなにができるかしら」
「君が持つ力と方法で調べたらいい」
二人の強さに呆然と呟くヴラスターリは、ヴァシリオスのアドバイスに閃いた。
「なら、私の飼い主に聞くのが一番ね」
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