9 黄昏

 連日、支部とマルコ班がフル活動して情報を集めているが、以前としてマスターレギオンの行方はまだつかめていない。

 FHも組織としては規模が大きい。隠蔽工作を行っているのだろう。

 エージェントもコネを使って、彼の足取りを探そうとしたが、いかんせん日本ははじめての国だ。戸惑うことは多い。

 支部が使うビルから数キロ離れた喫茶店に赴いて、取引を終え、小さなため息を零す。

 時刻は夕方に近い。

 紅色の太陽の眩しさが目を焼くのに慌てて逃げるようにして立ち上がる。

 喫茶店の支払いを終えて、街中を颯爽と歩き出す。人の視線を覚えれば、彼らは自分の見た目をちらちらと盗み見ている。金髪などは珍しくないが、赤毛は目立つのだろう。こんな燃えるような赤毛はめったにない。しかし、日本人の視線は露骨すぎる。

「そういえば、オリジナルは日本にきたことがなかったわね」

 いや、昔、相棒がとても退屈な国だよと口にしていたのは覚えている。

 銃を持たない人々。

 酔っぱらって平気で路上に眠る人。

 女だけで楽しそうにしゃべって、ものは置きぱなしでも平然としている平和で退屈で、恐れをしらない人々。

 なんて平和な国。

 呆れて眺めるエージェントは先ほど使用したプリぺをスカートのポケットのなかにしまいこんで、支部に戻る。連絡が来るまでは支部で待機し、そのあとまた動けばいい。

 裏には裏に通じる者に頼むしかない。

 FHのエージェントの一人とコンタクトをとり、彼らの欲しがる情報――UGNの次に行う作戦を一つ流した。これは高見たちには言えないが、先にアッシュに連絡をとり、流してもいいと許可をもらった。日本支部長の霧谷雄吾からも了解をとっているそうだ。

 アッシュが裏で霧谷にコンタクトをとってくれ、ここまでしてくれた。それを無駄にするわけにはいかない。

 マスターレギオンの動向を今日中には渡せと言ったが、果たしてどうだろうか。もし情報がなければそいつに報復するだけだ。

 こうやってずっと彼を追いかけていた。一人、孤独に。

「マスター、ほんとうに情報をもってきますかね」

「対価分だけの働きはしてもらう」

 吐き捨てるエージェントにアリオンが嘆息する。

「なにがいいんですかね、あいつの」

「なに、とは」

「べつにー」

 含みのある言い方にエージェントは目を眇めた。

「あなたって私よりも人間みたいなことをいうわね」

「人間との付き合いは長いんで。けど、こんなにも世話したのはあなただけですよー、マスター。あんたは俺より、レネゲイドビーイングみたいだ」

 からかいまじりの言葉。

 けれど、それはあながち間違ってもいない。

 人間よりも人間らしいレネゲイドビーイング。

 レネゲイドビーイングよりもレネゲイドビーイングらしい人間。

 ちくばくで、でこぼこのコンビ。

「……自由になりたくない?」

「話が飛びましたね」

「あなた、高見たちのこと気に入ってるでしょ」

「うーん、そうですね。ま、話しはわかりそうですからね」

「マスターになってもらえるようにお願いする?」

「はぁ? なんですか、いきなり」

 アリオンが素っ頓狂な声をあげる。

「高見のところの、あの、かすみという子は自分の力が制御できていないみたいよ?」

「ああ。ちよって子が必要みたいですね。あれは制御というか……まぁいいです。それで?」

「あなたをあてがってもいいかと思うの」

「……マスターはどうするんですか。俺がアンタといるのは、あんたのレネゲイドコントロールが下手くそだからだってわかってますよね?」

「私、私は……」

 エージェントが言い淀むと同時に、ぱたぱたと可憐な足音が聞こえてきた。

「あ! こんにちはっ」

 明るい声にエージェントは足を止めて振り返ると少女が駆け寄ってくる。

「わたし、ちかっていうの。なまえをもらったの。あなたは?」

 無垢な問いにエージェントは硬直した。何か答えようと思うが、うまく舌がまわらない。まるで強敵を相手にしたときのように震えが走る。

 思えば自分はこの少女が出会ったときから苦手だった。

 その理由がわからず、出来るだけ避けるようにしてきたが少女の――ちかのほうはそうでもないらしい。

 真っすぐに向かってきて、微笑んで、答えを待ち望んでいる。

 エージェントと名乗ればいい――のに、それをしたくない自分がいた。

 一歩後ろに下がる。

 ちかがきょとんとした顔をしたあと、さらに続けた。

「おなまえ、おしえてください。なかよくなりたいです」

「私は、仲良くしたくない」

 はっきりと言い返す。

「どうして、ですか」

「……私は仕事でここにきている。あなたとは」

 もっとうまい言葉があるはずなのに出てこない。焦りと苛立ちと怒りが沸騰する。

 どうしてこうも苛立つのかがわからない、怖いと思うと同時に力任せにすべてを破壊してやりたくなった。

「エージェントさん」

 割ってはいる声にエージェントは顔をあげた。

 かすみとちよが遠慮がちに視線を向けてくる。

 彼女らとも一度言い合いみたいなことをしてしまった。そのせいで顔を合わせずらい。今回の任務にはただ関わっているだけの相手だと切り捨てることもできるが、ちかは嬉しそうに二人に駆け寄っていく。その屈託差のなさと、二人が当たり前みたいに受け止める姿にどうしてか傷ついた。

 胸の奥がぎゅうと締め付けられる感覚に理解する。

 自分が少女を遠ざけたいのは、見ていると傷つくからだ。

「あの、前のとき、ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「私、ついおしつけがましくて、ごめんなさい」

 かすみが頭をさげて謝り、ちらちらと視線を向けてくる。

「だからって……どうして、あなたが謝るの?」

「エージェントさんにはエージェントさんの事情があるのに、私らが無理やり踏み込んだことしたからだよ」

 とかすみが答える。

 様子を見ていたちかも目をぱちぱちさせたあと

「私も、それをしたの? ごめんなさい」

 とても、無垢な瞳でさらりと口にされた言葉はエージェントを貫いた。

 何を見ても、なにがあっても今まで微動だにしなかった心の芯がずっとひりひりと痛い。

 また一歩、後ろにさがっていた。

「エージェントさん?」

 かすみとちよが気遣う。とても優しい。

 ちかが微笑む。とても愛くるしく。

 自分にはないものを彼らはもっている。

 居場所や絆、相手を思う心――それが羨ましいとはっきりと感じる。今まではそう思わなかったのに。たぶん、少女のせいだ。マスターレギオンが連れていた女の子。道具のように扱われ、名もなかった女の子。

 自分だって同じなのに。

 そう言葉に出来ない、気持ちが重い石として飲み込む、懐が微かに振動した。

 慌てて取り出したプリペイでメールを確認する。

「あの、申し訳ないけど、ここで一番美しい観覧車ってどこ?」

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