10 誰れ彼

「きれいですねっ」

 かすみが声をあげて、視線を向けてくる。

「……ビルと人しかいないけれど」

「あっは、そういうのがきれいだなって見えるお年頃なんですよー」

 かすみはエージェントのそっけない言葉にもけらけらと笑って言い返す。

 本当は一人で来るつもりだったが案内するといってかすみたちが聞かなかったのだ。

 景色のきれいな観覧車――ММ地区には一つだけある。

 すでに夕暮れ近い時刻だが、かすみたちはエージェントと一緒にいくと宣言し、なぜかちかまでついてくると言い始めたのだ。どうして、と思ったが、かすみたちが行くなら行きたいという単純な発言。

 彼女たちはあれよあれよという間に高見の許可をとりつけ、大賀もついていくというのでみんなで電車に乗って、きらびやかなネオンの輝くビルの間に立つ観覧車にやってきた。

 ――さき、押しつけがましくて謝ってきたくせに。行動が矛盾だらけだ。

 大賀とちよ、ちかが先に乗り込み、次にきた観覧車のカプセルにエージェントとかすみが続く。

 本当は乗る必要はない。情報屋が指定したコインロッカーに目的のものはある。それを手に入れればいいだけのことなのに。あっという間に流されてしまった。

「私と、二人でよかったの」

「だって、これ、四人までですもん。まさかみんなできたのに一人で乗るつもりですか? 私と一緒に乗りましょ!」

 あっけらかんとかすみは言う。

「……私は一人でも」

「私、仲良くなりたいんです。エージェントさんのこと、知りたいんです。どうしてそんなことをしたのかって」

 そんなこと、とは食べ物を拒絶したことを言っているのはわかった。

 乗り込む前に大賀とちよがかすみになにかアイコンタクトを送っていたのは、こういうことかとエージェントは理解する。

「どうして、知りたいの」

「もうあなたを傷つけたくないから」

 かすみははっきりと告げる。

「あなたは、ずっと傷ついてる気がするんです」

「……私は」

「いやなら、聞きません。けど、もしなにか力になれるなら、教えてほしいんです」

「話してもいいわ」

 ただ、とエージェントは断りをいれた。

「うまく話せるかわからないけれど、そして、この話をするということは、あなたと取引をしたい」

「取引?」

「話したあと、私が一つ望んだことをあなたは協力するか、否か、返事をちょうだい。断ってもいいの。ただもし、引き受けてくれたらありがたい」

「うーん、なんていうか……エージェントさんって、すごく誠実な人なんですね」

 かすみはしみじみと口にした。その少しだけ心配したようなかすみの視線にエージェントは思わず眉を寄せた。

「どうしてそう思うの」

「だって、断ってもいいって」

「そうかしら」

 小首を傾げてエージェントは考える。

「私のオリジナルはひどく利口だったそうだけど」

「オリジナル?」

「私は、クローンよ」

「……UGNやFHにはたまにいる、っていうのは聞いたことあります」

 さまざまな思惑が絡み合い、クローンが作られることはあるとかすみは聞いたことはあった。

 ただ実際に見たのははじめてだ。

「この観覧車が動く間話をしましょう。平気よ、長くはかからないから」

「……それはいいですけど、どうしてまた」

「私は……食べれないの」

 かすみの言葉を無視して、ぽつりとエージェントが口にする。淡々と、どこか他人事めいた口調で。

「味覚というのは記憶を刺激するから、食べれないの」

「どうしてですか」

「……私はある人物のクローンだから……クローンとして、空っぽである必要があるの。その元となった人物の記憶を有することで、その人物の戦い方なんかを模倣して戦い続けているから……私が余分な記憶を蓄積することはできないの」

 淡々とエージェントは語る。

 クローン体であるエージェントは、元となる人物の記憶を有している。そして、戦い方も、ある程度の思考も。

 しかし。

 クローンであって同一人物ではない。

 そもそもの根底が違うのだから同一人物といえるはずがない。

「私は、マスターレギオンのはじめに取り込んだ人物のクローンなの」

「……っ」

 かすみが息を飲んだ。

 理解をしているのに、感情が追い付いていないという顔だ。

 マスターレギオン。

 彼は軍人で、オーヴァードとして覚醒し、同じような境遇の者たちで組織された軍隊の指揮をとっていたが、はじめからそんな地位にいたわけではない。彼に力の使い方、オーヴァードとしての在り方を教えた――イクソス。

「あの片腕の従者よ」

「っ、あれですかっ!」

 かすみが震えた。

 従者たちのなかでも特別強く、マリンスノーでも圧巻の強さを見せた。

「彼をかばって、死んだの。片腕が引きちぎれて・・・・・・彼は死体を取り込んだ。左腕だけ残って、それをUGNの科学者が回収して私を作ったの」

「けど、見た目や性別が」

 かすみが困惑して呟くのは無理もない。

 隻腕の従者はどう見ても男のような姿をしている。体型など含めると、エージェントとは異なる部分が多い。

「イクソスの体質なのかしらね。男のクローンはどうしてもうまくいかない。だから遺伝子を少しいじって、女にしたの。そうして作られたのが私。唯一の成功例

 九ヶ月ほどで私は今の姿まで成長し、そのあとエージェントとして活動を開始した

 彼を止める。それがオリジナルの望みで、それを叶えるために」

 淡々と、エージェントは説明する。目的も、命も、なにもかも。つくられたものだと。

「ただ私はオリジナルといくつも異なる部分がある、性別を変えたせいでもあるし、クローンでも同じ環境で育たないと異なる自我が生まれてしまう。いくら私がオリジナルの記憶をある程度ダウンロードされていても、ね。

 だから私はオリジナルの記憶を出来るだけ鮮明に保つ目的もあって、私自身の経験を最小限にとどめる」

 みんなと同じものを食べないのも

 なにか新しいものを見ないのも

 人との関わりを出来るだけ避けるのも

 オリジナルに出来るだけ近い状態を保つため。

「そうすることでオリジナルの記憶がきちんと残って、私はイクソスというものを演じられる。私の切り札よ。イクソスを再現し、この肉体のレネゲイドウィルスを本来以上に使う。そうしないとマスターレギオンとは戦えない、ううん、対等にやり合えないというほうが正しいわね

 私は経験不足だもの」

「・・・・・・それって、危なくないんですか」

 かすみが不安げにエージェントを見つめる。

 ここにいるエージェントは立派に自我がある。それを出来るだけ押さえつけ、イクソスという人物になりきろうとする。そうすることで戦闘能力が飛躍的にあがるとしても、そんなことをすれば彼女の精神は保たれるのか。

「・・・・・・私はそのために在るもの」

「在るって、そんなものみたいに」

「ものよ」

 断言する。

「私は、クローンとして、名を与えられていない。それは私という自我を構成、この肉体に定着させないため。イクソスという戦闘に秀でたオリジナルを効率よく引き出し、力を使うため。むろん、精神にただいなる負担をかける。けれどそれでいいのよ。私の目的は・・・・・・マスターレギオンを止めること」

 迷いのない瞳で、血のような夕日を背にエージェントは言い切る。かすかに口元に笑みを浮かべて。

「彼を救うことは私には出来ないかもしれない。けど私は・・・・・・彼に生きていてほしい。もし、この話を聞いて許してくれるなら……彼を説得するチャンスを私にちょうだい」

「説得ですか」

 マリンスノーで見たマスターレギオンは人の話を聞くような雰囲気ではなかった。

 そこまで追い詰められた人物になんと声をかけるのだろう。

 かすみには思いつかない。

「彼の欲望は、救えなかったものを救うこと。いつか裁きがあることも覚悟している。だったらここまで生きている者がしてくれたというならば生きたいと願うかもしれない」

 口にしたエージェントは目を伏せた。

「私は彼に帰る場所を与えたい」

「・・・・・・こちら側に、ですか」

「そう。ジャームはジャーム以外のものになれない。けど、ジャームでも、こちら側で生きることはできる」

「それってかなり危険ですよね? ジャームは自分の衝動のままに動いちゃうの」

 こわごわとした声になったのはかすみはジャームの危険性をこの身をもって体験したからだ。

 ジャームはあまりにも危険すぎる。

 あれはただの災害だ。

 人と生きるものじゃない。

「彼の欲望を変える、そして衝動を抑えるようにする。そうすれば彼はこちら側でも生きていける」

 エージェントはじっとかすみを見た。

 空色の瞳が強い意思を孕む。今までずっと迷い続けていた瞳が、射貫いてくる。

「それをすべてクリアーしたら、あなたは受け止めてくれる?」

「・・・・・・本気、なんですね?」

 沈黙は、言葉よりもずっと雄弁に語っていた。

 エージェントは本気だ。

 ジャームである、マスターレギオンをこちら側に連れ戻そうとしている。いや、連れ戻すとは違う。

 ここに居場所を与えようとしている。

 静かな、祈りの瞳にかすみは真剣に考えた。とても安易に頷くことはできない。

「・・・・・・私とちよは、ジャームに殺されかけました。自分勝手なジャームで、女の子が苦しむ姿をみたいって言って、ひどいこともされました。思い出したくないし、言いたくないようなことも、だからジャームは嫌いです。許せないくらい」

 ぽつぽつと、かすみは言葉を選び、口にする。

 過去を口にすると、震えが走る。今、こうして覚醒して強くなったのに恐怖してしまう己がいる。

 かすみとちよに襲いかかったのは、それだけの不運だった。

 唐突に日常から、暴力と屈辱のなかに放り込められた。

 そのジャームは女を、弱い者をいたぶることが好きなやつだった。もともとは自分がいじめられていたから、同じことをやり返してもいいといういびつな歪みは、オーヴァードに覚醒したと同時にジャーム化してしまうほどだった。そのジャームはひたすらに弱い者を捕まえて、ひどいことをしてきた。理性をなくしたジャームによってちよとかすみは弄ばれ、地獄を味わった。

 目の前で両親が殺され、犯され、傷つけられ、嘲笑われた。

 地獄のなかから這い出るためだけに覚醒した――かすみだけが覚えている。

 ちよは、覚えていない。

 苦しすぎて、辛すぎて、それがひっくり返って笑い出してしまったちよは――ただの事故だと記憶操作されて忘れる道を選んだ。

 かすみだけが覚えている。

 自分たちを見つけたUGNのエージェントたちによって保護されて、かすみはなにもかも聞かされて、それでいいと思った。

 何も知らずに、ちよには笑っていてほしい。

 かすみがちよがいないと力が使えないのは、ちよを一人にすることが怖すぎて、精神の安定を欠くからだ。

 ちよが人を癒やすことに長けているのは、覚醒したときに――一番大切な人を傷つけたことを覚えていて、制御しているからだ。

 かすみはじっとエージェントを見つめる。

 ジャームが、許されていいはずがない。

 どんな理由にしろ、結局、誰かを傷つけることを選んだやつなんて救われていいはずがない。

「・・・・・・マスターレギオンのことも?」

「あの人は、自分の欲望のために女の子を殴りました」

「そうね」

「道具だって利用した」

「・・・・・・そうね」

 とても静かにエージェントは頷く。

「擁護しないんですか」

「真実だわ」

 マスターレギオンは多くの死者の上を歩いている。

 守りたかった人たちの命につながれて、ジャーム化して、この世界を破壊しようとしている。そのために大勢の人を殺し、無力な少女を傷つけた。

「それは過去にどんな傷を負っていたとしても言い訳にならない。自分がされたからってやりかえしてはいけない。私もそう思う」

「だったらっ!」

「けど、彼を殺すことが正しいとは思わない」

「・・・・・・っ」

「それは、彼と同じことをしているのではなくって?」

 ジャームだから殺していい理由にはならない。誰かを傷つけたら、殺したから、憎んだからといって殺していい理由にならない。

 UGNの未来永劫における根源--共存。

 出来るだけジャームを生け捕りにして、冷凍保存し、いつか、ジャームの治癒方法が見つかったときを願って眠らせる。

 理想ばかりの組織とそしられるが、そうしなくては生きていけない者だっている。

ジャームが殺してもいいものだとしたらかすみも、ちよも誰かに殺されても文句は言えない。だってかすみは――覚醒したとき、確かに憎悪だけで人を殺してもいいと思った。

 あのとき自分たちは確かに狂っていた。

 どんなものでも殺すことは悪いことなのに、殺してもいいと思ったのだから。

「彼は、たった一人でずっと耐えてきたの。孤独で、辛くて」

「そんなのっ」

「同じだけ、私も孤独になったからわかる。同じだけ、彼に傷つけられたから」

「・・・・・・」

「彼を追いかけ、傷ついて、否定されて、欺されて、殺されて、それでも彼を追いかけてきた」

「怖くないんですか」

「・・・・・・怖いわ。彼は強いから、何回もひどい目にあった、殺されて、けど」

 エージェントの瞳が揺らいだ。

「一度も彼を追いかけることをやめようとは思わなかった。彼が笑った顔がみたい、苦しんだり、憎んでいる顔以外を、どんな風に笑うのか、どんな風に慈しむのか、穏やかな目で、世界を見れるかって・・・・・・つい、そう思うの。もし、その瞳の先に私が・・・・・・私がいることを許してくれたらと」

 焦がれるようにエージェントは紡ぐ。

 その瞳が、その顔が、声が、とても切実でかすみは心が震えた。

 まるで朝露でとれた水のような純粋な思い。名だって与えることはできない気持ち。けれど激しく、もどかしいほどの。

「私がいなくても、それでもいいから彼がそうしてくれたらと思ったの。私が彼を追いかけてるのは、そういう理由」

 献身と依存は似て非なるものだ。

 自分はこんなふうになれないとかすみは思う。こんな風に誰かを思ったりはできない。

「私は、彼とどうしたいのかわからない。ただ笑っていてほしいの。彼がジャームとして動くなら死ぬべきだと思う。けれどもしまだチャンスがあるなら・・・・・・私、彼を止めたい」

 救いたいでも、助けたいでもなく、ただ止めたい。

 ここまできて、ようやくエージェントは答えを出した。この答えがどういう風に周囲に受け止められるのかはわからない。

 ただオリジナルの願い――彼を救うこと。果たして救いとはなにかだってわからない。ただこうしようとようやく言葉にできた。

 すがるようにかすみを見つめていた。

「・・・・・・わかりました。手伝います。私で出来る範囲で」

「本当?」

「だって、あなた、すごく恋してるんだもん」

 かすみの言葉にエージェントは目をぱちくりさせる。

「こい?」

「うん。だから、その、あなたは、マスターレギオンが好きなんでしょう?」

「それはオリジナルが」

 イクソスが、死ぬこともいとわず守ろうとした相手への気持ち。死しても救いたいという願い。

 それはイクソスが確かに彼を思っていた――強い愛ゆえだとエージェントは理解している。

 その気持ちが自分を突き動かしている。

 だからといってこれを恋といえるのかなんてまったくわからない。

「オリジナルとあなたは違うでしょう。いくら、あなたが、あなたを否定しても……マスターレギオンを思ってる。その気持ちってオリジナルじゃなくて、エージェントさんのじゃないですか」

「・・・・・・私の?」

「そうですよ。オリジナルの人って話を聞くかぎり、あんまり悩まないと性格みたいだし。けど、エージェントさんは悩み続けて、ずっと苦しんで、必死に追いかけてる。それって恋でしょ。エージェントさん自身の気持ちでしょう」

 なぜかかすみは泣くような声で問いかけ、手を、握りしめて、訴えてくる。

「それはエージェントさんのですよ」

「私の?」

 やっぱり理解ができないという顔でエージェントは聞き返す。

「あなたは彼が好きなんですよ」

「私が?」

「そうですよ。鈍感っ」

「・・・・・・どんかん」

 同じ言葉を繰り返して、目を瞬かせて、エージェントは小首を傾げて笑った。

「そう、私、彼のことが好きなのね」

「ですよ。絶対に」

「・・・・・・そう。そうなのね。私が彼を好きなんだわ」

 噛みしめるみたいにエージェントは囁き、両手を胸に当てる。

 自分の心をしっかりと感じるように。

「けど、彼は私のこととても憎んでいるわ。私が彼の大切な人のものをとったと思っているから」

 彼が祈るように残したドックタグ。それを持たされたのは自分が何者かわかるように。イクソスというものになるための道具。彼を追いかけるためのよすが。

 理由はあったがドックタグを見たときマスターレギオンは激怒した。自分と隊長の大切な部分を穢したのだと。

 穢した、といえばそうだろう。

 自分はクローンで、なにもかも違う、けれど記憶がかすかにあって、心があって、だから

 追いかけてきた。

「ちゃんと誤解をときましょう。私も……手伝いますから」

「・・・・・・そう、ね」

 口元にエージェントは微笑みを浮かべる。

 自分の気持ちを知って、とても嬉しそうに。

 だからこそ、かすみは怒りとか憎しみとかすべて一度横に置いて、エージェントのためになら協力してもいいと心から思った。

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