0 潮騒

「隊長、目標を捕らえました」

 現実へと引き上げる声に椿十九は海の底に沈む夢から目覚めた。

 海は苦手なものの一つなのに、どうしてこうも夢に見るのか。

 不愉快げに眉を寄せる椿を横から黒いワンピースの少女がくりくりとした目で覗き込んでいた。

「つばきさまぁ」

「……なんだ。きぃ」

「見つけたそうだよ、父さん」

 背後から控えめな声に一瞥を向ける。

 自分と同じ黒い学生服を着た東洋人らしいのっぺりとした顔の男――自分と瓜二つの顔を持つ侘助は目を眇め、不機嫌さを醸し出す。

 その視線が睨む先には、アイシェ・ルルトゥが眼鏡のレンズ越しに遠慮がちに椿たちを伺っていた。割ってはいるタイミングをいつも彼女は遠慮深く探っているのだ。まるで彼女の持つコードネームのように、必要なときに寄り添えるように。

 仕方なく片手をひらりとふって近づくことを許可する。

 自分のことを心配そうに見つめる、無邪気なきぃを膝の上にのせて場所を譲らせた。

「あと三十分で横浜駅に到着します。予定ではMM地区支部がマリンスノーを強制停車させマスターレギオンを包囲、捕縛する作戦となっております。この装甲列車を使うことなく無事に終わればいいのですが」

「そうだな」

 最新の機種を取り入れた車内はUGN本部から集めた精鋭ぞろいのレネゲイド災害対策班マルコ班たちが待機している。

 決して広くない車内の椅子を与えられた椿はそこで作戦まで意識を眠らせていたのだ。おおよそ、五分ほどのことだ。

 ここに来るまで睡眠をまともにとっていなかったのだから、これくらいの安息は許されてもいいだろう。

  レネゲイド災害対策班。

 世界に散らばったレネゲイドが厄災を起こすなかでも、数名のオーヴァードたちでは対応しきれないものを――主に遺産、それに関わるだろう存在――武力で鎮圧するために、UGNが作り上げた組織だ。

 四つある班はすべて聖人の名前から頂戴し、それぞれの隊には数名の議員が後ろ盾となり、その権限でさまざまな行動がとることができる。かわりに議員の担当する土地を主に守護を行う。

 各国の軍をモデルケースとして構成されたUGNの対レネゲイドに特化した私兵隊。

 要望があれば、彼らはどこにでも赴き、その力を奮う権利を有している。

 現在、レネゲイド特殊班が関わることがないのは日本くらいのものだが、それは日本にいるUGNの勤勉な働きとともに霧谷の有能さがそうさせている。また遺産があまり確認されていないという幸運からだ。

 今回は世界各国でテロを起こしてきたマスターレギオンが日本で目撃されたと報告があがり、急ぎでやってきのだ。

 ただのFHのマスターであれば放置もできたが、彼は遺産を所有している。

 マスターレギオンは三か月前にドイツの田舎で遺産を所持していた一般人を殺害し、奪い取ったそれを使用して各地で騒ぎを起こしていることからお声がかかったのだ。

 海のような透明度の高いワーディング。

 分析すれば、その濃度は紛れもなく海そのもの。

 それに触れると激しいレネゲイドウィルスの上昇、人の傷を癒す、またオーヴァード化させる--遺産の効果だとしても、その効果は未知数だ。

 遺産についてはマスターレギオンを追っていたUGNのエージェントからの報告でエレウシスの秘儀という名たけが判明している。

 名前からギリシャ神話にそのような儀式があったことまではすでに調べがついている。

 問題は神話を元ネタとしている遺産がそれと同じ力を有しているかというと別の話だ。

 マスターレギオンはまるで何かを探るようにドイツ、アフガニスタン、インドでテロを行い、海のワーディングが確認されている。巻き込まれた者のなかには一般人がオーヴァードに覚醒した者がいる。幸いなのは、今のところは死者が出ておらず、ジャーム化している者もいないという一点に尽きる。

 マスターレギオンを追跡しているエージェントは大変有能なのだろう。彼が起こす事件には必ず現れて、大事にならないように邪魔をし続けている。

 最後のテロから三ヶ月ほど経ち、とうとう日本までやってきたマスターレギオンは豪華寝台特急マリンスノーで移動中だという情報には日本支部、そして本部が動かないわけにはいかなかった。

「目的があると思うか」

「……目的ですか」

「遺産を動かす際、奴は場所を選んでる」

「それはどういうことでしょうか」

「ドイツはもともと遺産があった場所だから、はじめて使う場所に選ぶのは納得がいく。そのあとアフガニスタンに飛び、さらにインドからは日本までずっと海沿いを移動し続けている。今回あのマリンスノーが停まるのはММ地区だったよな」

「はい。確かそのはずです」

「海沿いのいい街だと聞いている」

 アイシェは思案するように目を細めた。

「……彼は海がある場所を選んで移動している、ということですか」

「さぁ、わからんが、遺産の作動に関わるのかもな。海のワーディングだというし」

 車内にけたたましい警音が鳴り響いた。

 赤く点滅するモニターにアイシェの顔が強張り、すぐに手元のタブレットで確認を行う。

「隊長、車内でレネゲイド反応あり、海のワーディングらしきものが確認されています」

「そうか。動いたな。しかし、どうして」

「先に車内にはUGNのエージェントと、ММ地区の支部長である高見からチルドレン二人の補佐がまわされているといいますが、おそろく、彼らの誰かがマスターレギオンと接触したのかと」

「車内で戦闘を始めたか。短気だな」

 呆れた口調の椿にアイシェは苦笑いを返事にした。

「確認するが、マリンスノーでは現在交戦中か」

「メイビー」

 アイシェの答えたのに椿はため息をついた。

「血の気が多い。大勢で四方を囲み、捕らえれば楽なものを」

 そうできないことがあったのか、それともそうしたくないことが件のエージェントにあったのか。

 顔も知らない者のことを思考するのは無駄だと椿は切り替えた。

「大変です」とモニターを監視していた部下の一人が叫んだ。「怪物が出ています」

「モニターに映してっ」

 アイシェが鋭く声をあげた。

 正面の巨大モニターに衛星がとらえたマリンスノーの車内の一つ――一般人がいるところに海のワーディングと四肢を持つ馬面の鯨が現れる。それは獰猛に人を襲い、海が血の色に染まり、地獄と化している。

 舌打ちがアイシェの耳に聞こえた。

「隊長」

「今すぐに僕の権限でこれをレネゲイド災害、それも緊急対策として作戦を開始する。アイシェ」

「はいっ。すぐにあちらに移り、乗客の安全の確保と遺産の捕獲を」

「よし。手のあいている者はすべて補佐にまわせ。……アイシェ、一発だ」

「……はい」

 椿が懐から投げ寄越した銀の弾丸を受け取ったアイシェの顔が一層険しくなる。決意とも、憎しみとも、苦しみともつかない表情をあえて無視して自分の要件だけを椿は口にした。

「抱えてくれ。僕は走れない。足は僕が作る。侘助、きぃ、いくぞ」

 アイシェの顔が戦士のものになる。戦場にでればもう女の顔はしない。

 彼女の細い腕が、椿の体を抱え上げる。

 お姫様だっこの状態を椿は甘んじて受け入れ、細い杖とともにきぃを招き、両腕のなかに抱え込む。

 先を走るマリンスノーに隣接するぎりぎりで追跡しているが、その距離はおおよそ一メートル弱。

 外に顔を出せば冷たい風にふらついてしまうくらいの風圧のなか、先に外に出た侘助はすたすたと、まるでなにもない平行な道を歩くように進み、マリンスノーを凝視し、その肉体を変化させているのだ。

 人であったものが、鋼鉄の巨大なムカデへと変化する。

 もともと蟲が人の形をとっていたのだ。

 マルコ班の隊長である椿はUGNでは、過去のコードネームは封じ、不戦者〈タタカワズ〉と名乗っている。それは自ら進んで戦うことはないからだ。が、まったく無抵抗というつもりはない。

 昔、周りから名告げられた二つ名――狂乱の蟲使い。

 その力はすべての蟲を操り、自分の手足として扱う御業。彼らは椿のために武器となり、盾となり、足とり、手となり、目となる。

 無防備になりがちなる能力者である椿の影武者をしているのが侘助であり、きぃが作り出した蟲だ。その戦闘能力は並みのオーヴァードたちを退けることは容易く、本来の蟲の姿になればさらなる狂暴性を発揮する。

 巨大な肉体を鞭のようにしならせ、ムカデが目の前の車両に体を伸ばし、鋭い牙で食いついた。

 がじと鉄のへしゃげる音がする。そして伸びた肉体は鉄で出来た足場となる。

 アイシェはバランスをとりながら侘助の作った道を素早く走って車両のなかに飛び込んだ。

「これはっ」

 アイシェが困惑した声をあげた。

 車両のなかは薄い膜が広がっている。

 見ただけでもわかる高濃度のレネゲイドウィルスの塊の膜はぷるんと震えた。警戒して見ていれば理解する。

 意思らしいものはなくただ浮遊している――巨大な海が、間違えてこの狭い車両のなかに押し込められてしまったような状態だ。

 しかし、このまま走り抜けたら死ぬとアイシェの本能が直感する。

「走れ。僕がお前を守り抜く、一気に駆け抜けろ。脅えるな、怯むな、ためらうな、進め。お前は僕の弾丸だろう。原因の元に行くぞ。このままだと、ここにいる人間、すべてジャーム化するぞ。きぃ、蟲を使って、一般人たちを眠らせ、これを摂取させないようにさせろ。あと化け物どもの邪魔をしろ」

「はぁい、椿さまぁ」

 きぃが無邪気な声をあげる。

 椿は懐から小瓶を取り出して投げた。小さなアリが零れ落ち、それが車内に広がっていく。見た目は小さいがその能力がすさまじいことをアイシェは知っている。だからこそ、覚悟を決めた。今はまだ被害はない、それを食い止めるために自分たちはいるのだ。

「……はいっ!」

 緊張と気合のはいった声あげたアイシェは突き進む。

 潮騒の音が響くなか、不思議なぬくもりに包まれて、ひたすらに前へと向かう。

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