0 深海

「わぁ、きれーーー」

 住原かすみは空を見上げ、叫ぶように声をあげていた。

「怖い、怖いこわぃぉ~」

 無邪気なかすみとは対照的に、その足にしがみついた井草ちよがへたれこみ半べそをかく。

 二人はまだ十代の少女らしいあどけなさを、同じ学校の制服のなかに押し込めていた。

 まだ春先のため袖の長い制服に、胸には赤いリボン。強風にリボンが飛んでいってしまいそうなほど揺れている。

 なんせ学校が終わったあと、いきなり支部長の高見に緊急の任務といって連れてこられ、あれよ、あれよという間にヘリに乗って移動することになったのだ。

 スポーツ少女というイメージをそのまま形にしたようなかすみは男の子のように短く切った黒髪に、浅黒い肌に笑顔の少女だ。明るさと活発さが全身から滲み出ていて、唐突に上空数百メートルを飛ぶヘリがドアを開けても、そこから外を眺める豪胆さがある。

 たいしてかすみの足にしがみついて泣き喚いているちよは栗色のボブヘア。肌の白い。大人しい少女のイメージをそのまま形にしたような娘だ。

 こんな見た目で、制服姿だが、UGN、ММ支部のチルドレンだ。

「きれいだよ、ちよ」

「うう、無理。むりぃ~」

「ちよってばなきむしー」

「かすみちゃんが怖いもの知らずなんだよ」

 ちよが半泣きの顔で言い返す。

「ドア閉めてよ、お願いだから」

「えー」

「しめるな。しめるな」

 運転席から軽い声があがるのに二人はパイロットを見た。この道のベテランと思わしき中年の男はすぐに説明してくれる。

「今からここから降りるんだ。お嬢ちゃんたち! どうして開けたと思ってるんだ」

 などとのたまうのにかすみは笑顔を浮かべ、ちよは顔から血の気を引かせ、青白くなった。

「楽しそうっ」

「嘘ですよねっ!」

 ほぼ真逆の反応にパイロットはからからと笑った。

「オーヴァードならいける、いける。アンタら、高見のところのエースなんだろう」

「もちろん! よし、いくよ、ちよ」

「かすみちゃん~~、どうして、そんなにもやる気なの? やだー、こわいよ」

 やっぱり二人の反応は真逆だ。

 そのあまりにも正反対なやりとりを見てパイロットは呆れてしまった。

 今回、本部の指令にММ地区の支部長である高見は一番優秀で見どころがある若手を二人、送ると口にしていた。

 一人ではなく、二人というのがみそだ。

「二人揃って一人前っていっていたけど、大丈夫かい?」

「もう、支部長は、そういうこというの! 私ら、強いんだからね」

「強くないですっ。私、ただ傷を癒すしかできないし」

 やっぱり真逆なことを口にする。

 二人はある事故によって覚醒し、それからUGNのチルドレンをしている幼馴染同士――でこぼこコンビと言われるのは見た目もそうだが性格もちっとも噛み合わないからだ。

「ちよは自信をもってよ。ほら、行くよ」

「えーえー、本当に行くのっ?」

「私がいるから平気、平気っ」

「ううう、かすみちゃんを信じるぅ~~」

 ちよが叫んで、かすみにしがみついた。

「おい、いくらぎりぎりまで低くしてやっているとはいってもパラシュートしていけよ」

パイロットが声をあげるのにちよは気がついた。すでに飛ぶ気満々のかすみの背にパラシュートがない。

「まってまって、パラシュートは? かすみちゃーーーん」

「よっしゃあ、いくよぉ! ちよーーー!」

 そして二人の少女は海のような空へと身を躍らせた。



「ひゃーーー、たのしぃ」

「こわーーい、いやーー、しぬっ~。パラシュートぐらいしてよぉ」

 やっぱり二人は反対なことを口にする。

 落下しないぎりぎりのところまでヘリはその身を落してくれたが、それでも生身であれば死ぬ可能性がある高さ。

 しかし、かすみはものともしない。

「だって、あれ、なんかいろいろとあってめんどくさいし」

「命と面倒を天秤にかけないでぇ」

「あっは。ごめんごめん~。しっかり捕まっていてね。エネルギー全開でいくから」

「うんっ」

 ちよがかすみの首にしがみつく。

 かすみは自分の両腕を覆う手袋を取り払った。そこから現れたのは鉄の腕――UGNの科学者たちが作り上げた最高傑作の鉄の腕。

 覚醒したとき、両腕を失くした少女の新しい腕だ。

 その腕を走るマリンスノーに向ける。

「いけぇ」

 腕が音をたてて飛ぶ――ロケットパンチ。

 かすみが科学者たちに提案し、作ってもらたのだ。だってアニメとかの必殺技でかっこよかったし。

 特殊ワイヤーで繋がった肉体と腕――一気にワイヤーをひく。

「かすみちゃん、うわわわ」

「ひゃほーい、ジェットコースターぁ」

 二人の少女は勢いよく、空を舞い、ガラスを叩き割って、マリンスノーのなかに転がり込んだ。

 まではよかった。

 問題は止まることを考えていなかったのだ。

 二人は悲鳴をあげて壁に激突した。

「いたたぁ」

「ふきゅう、おもいよぉ」

「うわぁ、ごめん。ちよっ」

 お尻から声がしたのに慌ててかすみは体を起こした。

 思いっきり下敷きにしてしまっていたのにかすみが目をまわしているちよの腕をひっぱって立たせる。

「大丈夫?」

「うー、目がまわるぅ。きもちわるぃ」

「あはは、ごめんって、けど、ここって」

 かすみが言葉を途中で続けなくなったのにちよも気がついた。

 自分たちが転がり込んだ列車のなか――ベッドが二つとソファのある贅沢な空間にはキャリーなどが無造作に転がっているなか、ぴりぴりした緊張と静寂が広がっている。

 光が差し込むことを嫌い、カーテンがひかれたて薄暗い室内。

 奥でびくりと何かが動いた。

 かすみとちよが凝視する。

 荷物のなかから身を隠していた、真っ白い女の子が顔を出した。

 なにもかも白い。

 海の泡みたいな女の子だ――かすみは唖然とした。泡を集めて、人の形にしたらこんなふうになるんだろうと思うくらい真っ白い。髪の毛も肩ぐらいの長さで切って、動くそのたびに泡みたいに弾けそうだ。肌も白く、身につけているワンピースも白。唯一色があるとすれば胸のところに小さな青いリボンくらいのものだ。

 あとは、少女の瞳だ。

 スカイブルー。青すぎる海の色と同じだ――美しすぎる海は青よりも緑に近い。光の屈折でその瞳は青とも緑とも見て取れる。今は部屋の暗さからか、黒く、淀んでいる。

 年齢としては十歳くらいかと思うが、小柄で、細い肉体はもっと幼いようにも見えるくらいだ。

 ちぐはぐ。

 緊張をはらんだ空間と、無防備な女の子。だからこそ、あ、だめだとかすみは本能として理解した。

 この子はきっと危険なんだ。


「あなた、平気」

 かすみが何も言えないのに、ちよが前に進み出た。

 治癒の力を持って後方支援をするちよはいろんな相手とふれあうことに慣れている。彼女の微笑みは人の心をとろかせて、警戒心を解く――ソラリス――自分のなかで科学物質を生み出す力と天才のシンドロームといわれる演算能力のはやいノイマンのおかげだ。

 ここに、ちよがいてよかったとかすみは本気で思った。

 自分には出来ない言葉と態度ができる。

 一体どれくらいの人間がこんなことができるだろう。こんなアンバランスな、不幸の予感がする女の子に声をかけるなんて芸当を。

「えっと、日本語だとわからないかな」

「・・・・・・あなた」

 少女が、かたことだが言葉を発した。

 ちよとかすみは視線を合わせた。

 オーヴァード能力者はレネゲイドウィルスによって肉体の能力が飛躍的に伸びる。脳の活性化もされて、ある程度の言語に対しても理解が通常よりもずっとましている。

 少女はあきらかに日本人ではない。それでも日本語を理解した。それは習ったというよりも、聞き続けて、理解し、言葉として発したというたどたどしさだ。

「殴る、の」

 二言目に出てきた言葉をちよは理解出来なかった。

 脳が否定したが正しい。

 真っ直ぐに見つめる瞳に媚びと怯えが見えた。

少女は自分の口にした言葉の意味をちゃんと理解して発している。

「かすみちゃん、急いで」

 ここから逃げようとちよが振り返ったとき、ひきつった少女の悲鳴があがる。

 ちよの目の前でかすみが腹から赤い剣に生やした。

 次にはゆっくりと前に向けて倒れ込む。

 瞬くことも忘れて見た先にいるのは赤い片腕の男――面をつけていてはっきりとわからないが、剣を手から放すと大きく片腕をあげた。殴られると思ったときにはちよは吹き飛ばされていた。

 脳震盪を起こしてそのまま崩れるちよは床に倒れて血を流すかすみを見た。

「かすみ、ちゃん」

どくどくとかすみの肉体から流れる血。

 動けない自分。

 ああ、これはあのときと同じだ。

 覚醒したときもこうだった。

 無力で、どうしようもなくて、踏みつけられてしまう。


「隊長・・・・・・こんなところにもネズミが」

 ドアをくぐりぬけた男が先にいた赤い従者に声をかけた。

 従者に向けるにはあまりにも丁寧な言葉で語り、そのあとすぐに嫌悪を剥き出しに吐き捨てる。

「予想よりもはやいな。・・・・・・あの盗人め」

 男はぐっしょりと濡れた脇腹に触れる。

 したたり落ちる血が床を汚すのも構わず男は立ち尽くす少女に歩み寄る。それを従者だけが見守っている。

 男が片腕をあげて、少女に向けて振り下ろした。

 肉の打ついやな音がした。

 少女が床に倒される。頬は赤く、口の端を切ったのか血がしたたり落ちている。

 あまりにも透明度が高い色から零れ落ちる絶望に彩られた瞳は深海みたいな色になる。

「お前の力を示せっ」

 ほの暗い声が少女を責め立てる。

 少女の瞳は色をなくして、どんどん深い底に落ちていく。

「まだ足りないのかっ」

 怒りに滲んだ声とともに、再び腕が振り上げられる。

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