《中編》婚約破棄

 ◇◇カフェテリアにて◇◇


 放課後、コンスタンスとふたり、カフェテリアに向かう。途中でベルトランの従者に会い、彼とエドモントは急遽頼まれた教師の雑用で遅くなると告げられた。


 それならのんびり待ちましょうと、先にお茶とケーキをいただくことにした。フィフィファは姿が見えない。常に一緒にいるわけではなく、むしろいないことのほうが多いかもしれない。精霊仲間の元に遊びに行ったり、女王に呼び出されたり(これが本来のお仕事だけど)、お昼寝をしたりと忙しいらしい。


 ケーキをひとつ食べ終えたころ、それまでにこにことしていたコンスタンスの表情が、一瞬にして固くなった。その視線の先を辿ると、我が婚約者イシドールがメリザンドを連れて一直線にこちらに向かってきていた。バチリと目が合う。

 さすがのろくでなしも多少は遠慮があるのか、メリザンドの腰を抱いてはいない。だけれど何の用だろう。


 イシドールは私のそばで足を止めると、静かに

「マリエット・ラヴァンディエ。今、この時をもって婚約を破棄する」と言った。


 どういうことだろう?

 コンスタンスを見ると、彼女も唖然とした表情だ。


「私にはお前のような意地の悪い女は無理だ。とても添い遂げる気にはならん。よって婚約を破棄する。瑕疵はそちらにあるから、慰謝料も請求する。覚悟しておくように」

「瑕疵!?」と声を上げたのは私ではなくコンスタンスだった。「マリエットのどこに瑕疵があるというの!」

「白々しい!」イシドールは吐き捨てるように言った。「全て知っているのだぞ!マリエットのしていることは犯罪と変わらないレベルではないか!」


 コンスタンスと私は再び顔を見合せた。一体何の話だ。


「メリザンドが編入してこの方、ずっと苛めているのだろう!とぼけるな!」


 私がメリザンドを苛めている?三度友人と顔を見合せ、それからメリザンドを見た。

 彼女は、こんなところでやめましょうよと言いながらイシドールの袖を引っ張っている。顔は強ばり、額には玉の汗が浮かぶ。


 だけれどイシドールは男気だか騎士道精神だかに火が点いているようで、私がしたと言う苛めを次々に列挙する。


 メリザンドの私物を壊した、教科書を馬の肥溜めに捨てた、頭から大量の小水を掛けた、腐ったリンゴを無理やり食べさせた、階段から突き落とした、女子学生をそそのかして無視をさせた、などなど。

 壊れた物に教科書、小水のかかった服は証拠物件として保管してあるという。なんともご苦労なことだ。


 メリザンドは必死に顔を取り繕っているけれど蒼白で脂汗がすごい。嘘がバレる恐怖でいっぱいなのだろう。

 というか、イシドールがここまでバカだとは知らなかった。こんな見え見えの嘘を頭から信じたのか。いくら私を嫌いだからとはいえ、単純すぎやしないだろうか。


「どうしてマリエットがそんなことをするのよ」コンスタンスが呆れ声を出す。

「それはメリザンドが可愛いから嫉妬をし、元庶民だからと蔑んだからだろう」とイシドール。

「元庶民なの?」思わず聞き返すと、イシドールは驚いて目を見張った。

「……知らなかったのか?……いや、演技だな。危うく騙されるところだった」

「本当に初耳よ」とコンスタンス。


 何しろメリザンドは編入早々にイシドールと親しくなり、校舎の陰やら植え込みの後ろやらでちゅっちゅしているのを目撃されている。私も見た。だから良識ある学生はみな彼女に必要時以外は近寄らず、また、話題に出すのも不潔という風潮なのだ。当然個人的なことなんて、誰も知らない。


「お前とて侯爵令嬢だろう」とイシドールはコンスタンスの批判を始めた。「見えすいた嘘をつくなど、恥を知れ」


 ふと気づくと、いつの間にやって来たのかフィフィファがイシドールの目と鼻の先にいて、あっかんべえをしている。めちゃくちゃ可愛いので、自室に帰ったら私にもしてもらおう。


 しかし、すっかりギャラリーが増えている。イシドールとメリザンドの背後には人だかりができていて、静かにことの成り行きを見守っている。


「イシドール」私は何年ぶりかに彼の名前を呼んだ。「どうしてそんなにメリザンドを信じているの?彼女の話を鵜呑みにしすぎではない?」

 するとイシドールはすっと目を細めた。なぜだかまたメリザンドが袖を引っ張りながら、秘密の約束よと囁いている。


「メリザンドはな」と静かで低い声。「精霊の愛し子なのだ」


 とたんにどよめきが起きる。コンスタンスは手を口に当て言葉を失っているし、ギャラリーは皆顔を見合せて、まさかと言い合っている。


「そんな彼女が嘘を言うはずがないだろう」とイシドール。

「大嘘つき!!」とフィフィファがメリザンドに向かって叫ぶ。だけれどその声が聞こえるのは、私だけ。


 ギャラリーはざわつきながら、徐々に不安そうな空気になっている。彼らは、信じられないけれど、マリエットが本当に苛めをしたのではないか、と考えているに違いない。


 なぜなら我が国で、『自分は精霊の愛し子だ』と嘘をつくことは重罪だからだ。小さいうちから両親にそう教えられるし、どんな学校でも最初の授業で習うことになっている。

 だから愛し子を名乗る人物を、誰も見たことがないのだ。本物は沈黙を貫く。重罪になると知りながら、騙る偽物もいない。


 そのような背景があるから、コンスタンスもギャラリーも、メリザンドが精霊の愛し子だと信じざるを得ないと思っているはずだ。


 メリザンドはどういうつもりで、こんな嘘をついたのだろう。彼女はカフェテリア内の空気が変わったことに、ひどく戸惑っているようだ。


 と、ギャラリーの中からベルトランとエドモントが出てきた。私たちの元に来るとイシドールとメリザンドと相対する。座ったままだった私とコンスタンスは立ち上がり、軽く膝を曲げた。


「話は聞かせてもらった。イシドール」

 イシドールは一応公爵令息らしく、頭を下げた。

「それからメリザンド。君は精霊の愛し子なのか。もちろん、嘘ではないな。その嘘は重罪だ。極刑もありうる。普通の教育を受けた者ならば誰でも知っていることだ」

「……はい」

 消え入りそうな声。


「それでは精霊の愛し子の証は何かを聞かせてほしい。これは一般に知られてはならないことだから、小声でエドモントに伝えてくれ。証を伝えてくれれば、メリザンドを精霊の愛し子として正式に認める手続きを取ることができる」


 エドモントがずいっとメリザンドに近寄る。メリザンドの顔は汗が滝のように流れ、ついにはカタカタと震え始めた。


 さすがのイシドールも表情を強ばらせた。

「メリザンド?どうした、早く伝えてくれ」

 そう急かす声も不安そうだ。


 フィフィファがふよふよと飛んできて、私のそばで止まった。

「教育を受けていないことは気の毒だけど、嘘をついていい理由にはならない。自業自得ね」


 その言葉が届いたとは思えないが、メリザンドが崩れ落ちた。

「知らなかったのよ、罪になるなんて!イシドールに一目惚れしちゃったから!振り向いてもらいたかっただけなのよ!」

 そうして彼女は地面に伏して号泣した。



 ◇◇



 メリザンドは教師と警備員に連れていかれ、学生たちは解散を命じられた。私たちを除いて。

 私、コンスタンス、ベルトラン、エドモント、そして呆然としているイシドールは先ほどと同じテーブルについている。ベルトランの従者がいれてくれたお茶から湯気が上がり、何故かチョコボンボンが盛られたお皿もある。イシドールの近くに置かれているから、食べて気を静めたらという配慮なのかもしれない。


 フィフィファは配慮もへったくれもなく、イシドールの顔に蹴りをいれている。


「精霊の愛し子と騙ってはいけないと、本当に知らなかったのかしら」とコンスタンスが口火を切った。

「そうなのだろうね。ここに入学するまで、まともに学校へ行っていなかったようだ」とベルトラン。


 私たちが受けた説明では、一年ほど前に男爵家の当主が亡くなり遠縁の男性が爵位を継いだ。メリザンドはその娘、ということだったけれど。


「それは事実だよ。ただ、メリザンドは二年前に再婚した奥方の連れ子だ。奥方はシングルマザーで、昼は食堂の給仕、夜は酒場で踊り子をしていたそうでね。忙しくて教育が行き届かなかったのだろう。男爵家のほうでメリザンドに令嬢のマナーを叩き込んだようだけど、まさか誰もが知っている愛し子についての罰則を知らないとは、思わなかったのだろうな」


 なるほど。だとしたら、重罪は可哀想ではないだろうか。


「僕も愛し子を騙る事件は初めてだから、確かなことは言えないけれど」とベルトランはイシドールに向かって話す。「極刑になるほどではない。声高に愛し子を名乗った訳でもないから、情状を考慮してもらえるだろう」

「そうだわ。彼女、イシドールが『メリザンドは愛し子だ』と言うのをやめさせようとしていたわ」

「本当かい?」

「ええ。『秘密の約束』と言っていたわ」とコンスタンスが言う。

「ならば、それを伝えよう」


 イシドールが弱々しい動きで顔を上げて、ベルトランに頭を下げた。そこにフィフィファがまた蹴りを入れる。


「とはいえ」とベルトラン。「マリエットが卑怯な苛めをしたとの嘘もついていた」

「そうよ、そうよ」と囃し立てるのは、フィフィファ。

「名誉毀損罪は確実だ」

 うなだれるイシドール。


「メリザンドはいつからあんな嘘をついていたんだ?」とエドモント。

 出会った頃から、とイシドールは震える小声で答えた。

「誰にも確認をしなかったの?」とコンスタンス。

「……教師に訴えるべきだとは何度も説いた。だけれどメリザンドは、義理の父親を心配させたくないから大事にしたくない、ここだけの秘密にしてほしい。……私の支えがあるから幸せだ、と」


「嘘が上手すぎるな」とベルトラン。こくこくうなずくフィフィファ。「だからといってイシドールは手玉に取られすぎだ」

「……すみません」

「そんなに彼女が好きなら、どうしてもっと早くに婚約を解消しなかったんだ」

 とエドモントが尋ねると、イシドールは顔をうつ向けたまま、首を左右に振った。

「両親はマリエットがお気に入りだ。私が何度頼んでも聞き入れてくれない。そればかりか、目を覚ませと説教ばかり。苛めの件を話したってどうせマリエットの肩を持つのは目に見えていたし、メリザンドの頼みもあったから、いつか最大限の効果を発揮するタイミングで、みなに暴露しようと思っていたんだ。そうしたら、昼のプロポーズだ。メリザンドがとても羨ましがっていたんだ。だから」


 両親が了承しないのならば、私本人に認めさせよう。苛めの件を公衆の面前で突きつければ、さすがに受け入れるに違いない。

 イシドールはそう考えて、メリザンドが止めるのを振り切って私の元に来たらしい。


「イシドール」

 彼の名前を呼んだ。今日は二回目。こんなことは5年ぶりではないだろうか。

 イシドールも驚いたのか、素直にこちらを向いた。そのショックを受け止められていない顔に向かって、はっきりと言う。

「私はあなたが大嫌いです」

 形だけの婚約者は驚いたようだ。今まで私の気持ちを伝えたことはなかった。


「我慢して結婚しようと思っていたのは、メリザンドとあなたがお付き合いを始めるまで。だけれど私を可愛がって下さるお義母様たちを悲しませたくなかったので、あなたのほうから婚約解消を申し出てくれるのを黙って待っていました。自分が悪者になりたくないばかりに、こんな大事になってしまい申し訳ありません」


「マリエットは何一つ悪くないわ!」とコンスタンス。「我慢できなくなったのだって、イシドールのせいだもの!」

「だとしても両親にきちんと意思を伝えるべきだったし、イシドールと話し合うべきだったのよ」


「……今でもテオドールが好きか?」

 イシドールが思いもよらぬ質問をした。

「好きよ。大切な友人だったもの」

「僕は、兄を好きな人全てが我慢ならなかった。君と話し合おうと考えたことなど、一度もない。この先も、きっと」


 フィフィファがふよふよと飛んできて、

「いつまでも乳臭い幼児みたいなことを言うな!」

 と叫んで、イシドールの鼻に強烈な頭突きをかました。当たってないけど。

「最後の一撃よ」

 ふん、と荒い鼻息を吹き出す。


 足音が聞こえ見遣ると、学校の理事長と校長、数人の教師だった。彼らはイシドールを囲むように立った。

「イシドール・バフェット。この騒動について聞き取り調査をします。ついて来なさい」

 彼は、はいと割合にしっかりした声で返事をして立ち上がった。そうしてベルトランを見る。


「此度の騒動の責任は私にあります。殿下のお手を煩わせ、申し訳ありませんでした」

 ベルトランは無言でうなずいた。

 イシドールは深く頭を下げると、教師に周囲を囲まれながら、去って行った。


「彼はどうなるの?」

「どうなってほしい?」ベルトランが尋ねる。

「相応の処遇を。それ以上もそれ以下も、私は望まないわ」

「以下になれば、実家の力だと後ろ指を指されるだろう」とエドモント。

「それに9ヶ月もの間にわたり、婚約者のいる貴族の男子として、あるまじき振る舞いをしていたのは事実だ」とベルトラン。


「その通り!」とフィフィファ。「だからあなたもこれ以上拗れる前に、歩みよりなさい」

 どうやらエドモントに向かって説教しているようだ。


「精霊の愛し子って、本当にいるの?」とコンスタンスがベルトランに尋ねる。「存在が謎すぎるのも、イシドールが騙されてしまった一因だと思うわ」

「いるそうだ」とベルトラン。「国王になったら会えると聞いている」

「そうなのね」とコンスタンス。


 その時のことを想像してみる。まだ何十年も先だろうけど、ベルトランはきっと驚くだろう。


「気をつけて!顔がにやけているわ」

 フィフィファに注意され、慌てて顔面に力を入れる。誰にも姿が見えない彼女のおかげでポーカーフェイスは上手くなったのだけど、たまにミスをしてしまう。


「今のところ教えてもらっているのは、証についてだけだ。偽物の愛し子を見破るためなのだが、まさか実際にその時が来るとは思わなかった」

 コンスタンスとエドモントが感心してうなずいているので、私も同じようにする。


「直系王族だけが紫色の瞳なのは、愛し子に関係があるのかしら」とコンスタンスが首をかしげる。

「それは僕も知らない」とベルトラン。


 この紫色の瞳は、とても不思議なものなのだ。国王の直系は皆、この色の瞳を持って生まれる。だけれど独立や結婚で直系から外れると、瞳の色が変わってしまう。更に不思議なのは、一度傍系になっても王位を継ぐために戻ってくると、また紫色になるらしい。


 実は私もフィフィファに尋ねたことがある。だけれど『内緒』との答えだった。


「それにしても」とコンスタンス。「いやな幕切れだけれど、マリエットは前を向いて進むのよ。あなたがご両親を説得できたかどうかは、分からないのだからね」

 するとエドモントが珍しく同意した。

「その通りだよ。責任はイシドールの両親のほうが重い。息子の放埒な行いを知っていたのだから」


 ありがとうとふたりに礼を言い、王子を見た。

「私に合う王宮の仕事とはなにかしら?」

「え!?」ベルトランは何故かすっとんきょうな声をあげた。「騒動のせいですっかり忘れていた」

「このようなことになり、ますます結婚が遠ざかってしまったわ。仕事に生きるしかないような気がするの」


「そんなことないわ!」とフィフィファ。ベルトランの肩に座る。


「ええと。私もこれから父に送る報告書を書きたいから、また時間があるときでいいだろうか」


 分かりましたと私がうなずくのと、フィフィファが

「このすっとこどっこい!」

 と叫ぶのが同時だった。

 そんなに急がなくても問題ないのに。フィフィファはぷりぷり怒っている。部屋に戻ったら、彼女の大好きなおでこを、たくさんなでなでしよう。

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