精霊の愛し子のお仕事

新 星緒

《前編》はじまり

◇◇はじまり◇◇


「パンパカパーン!あなたは精霊の愛し子に選ばれました!」


 はしばみ色の小さなうさぎ。白くふわふわなお腹を見せながら宙に漂っている。背中にはカゲロウのような羽。この子がしゃべったみたいだ。

 まさか。夢を見ているのかな。窓の外には大きな丸い月が浮かび、わたしは自分のベッドの中。なかなか眠れなくて、一生懸命に目をつむって羊をかぞえていた、と思ったのだけど。


「信じていませんね。さあ起きて」


 からだを起こす。うさぎはふわふわ漂いながら目の前に来た。


「夢ではありませんよ。おめでとう、マリエット・ラヴァンディエ。あなたは今夜から精霊の愛し子になったのです。指を見て」


 右手の中指にしろつめ草の指輪がはまっている。


「それと私が見えることが、愛し子の証です。私はフィフィファ。あなたの友人です」


 わたしの住む国には、『精霊の愛し子』と呼ばれる女性がひとりいる。その仕事は精霊の女王から授かった光の力でこの国を加護すること。


 ……というはなしだけど、あまり信じている人はいない。精霊を見たことのある人がいないし、愛し子を名乗る人もいないからだ。

 だけどこの国は長い間、平和。それはきっと本当に精霊の愛し子がいるからだ。


「あなたは精霊なのでしょうか?」

「そうですよ。うさぎにしか見えないでしょうけれど」

 うさぎの口がもにもにと動いている。

「よろしくお願いします。マリエット」


 うさぎは前足をちょいと差し出した。ちょっと考えてから、その足を軽くにぎる。肉球がない。うさぎの足は全てもふもふらしい。

 この握手は気持ちいい。思わずにやける。


「良かった!仲良くできそう」

 うさぎ、いいえ、フィフィファの声は明るかった。

「こちらこそ、よろしくお願いね、フィフィファ」





◇◇学園の中庭にて◇◇


「パンパカパーン!」


 背後から聞こえた声に振り返る。と、同じクラスの男子が片膝を地面につき、両腕を前方に突き出している。小箱を持っているようだ。その前には、二学年下の女子。


「君の誕生石の指輪だよ」と男子。「僕と結婚して下さい!」


 学園の中庭、昼休み。お弁当を広げる生徒や憩う生徒、バドミントンに興じる教師と賑わっている。そんな中での突然のプロポーズ。告げられた方は、ぶわっと泣き出し頭を縦に振った。

 とたんに沸き上がる拍手喝采。


「『パンパカパーン』ですって」と隣の友人コンスタンスが笑っている。「あんなことを口で言う人は初めて見たわ」

 そうねと同意しながらも心の中で、うさぎなら聞いたことがあるわ、と思う。


 ふと、気配を感じて視線を動かすと、ふわふわと宙に浮かんでいるフィフィファが、懸命に手を叩いているのが目に入った。もふもふな手だから、ぽすぽすとした音しか出ていない。可愛すぎる!


 抱きしめたい気持ちをぐっと押さえて、コンスタンスとの会話に戻る。


「だけれど羨ましいわ!私もあんな風に愛されて結婚したい」

 その言葉にうなずく。


 精霊の愛し子になって5年。私は18歳になり、今は貴族や資産家の子女が通う全寮制の学校に在籍している。ここは寮だけでなく、学舎(まなびや)も男女別。共に過ごせるのは食堂とこの中庭だけだ。


 だから仲の良い婚約者や恋人がいる生徒は、昼休みを共に過ごす。私とコンスタンスはふたりだけで過ごす。お互いに婚約者はいる。

 つまり、そういうことだ。


 仕方ない、貴族の結婚なんて政略によるものだもの。

 私たちはそう言って、慰めあっている。私は公爵家同士、コンスタンスは侯爵家同士の婚約で、家格重視だ。だけど親の決めた結婚相手と仲良くしている人もたくさんいる。コンスタンスと私は運が悪かったのだろう。


 噂をすれば影。視界の端にわが婚約者イシドールが入る。隣には可愛らしい男爵令嬢。場もわきまえずにふたりは寄り添い、イシドールの手は令嬢の腰を抱いている。周囲が一律に顔を背けているのにも気づかないで、顔がくっつきそうな距離で何やら話している。


「私の婚約者も大概だけど」とコンスタンス。「あなたの婚約者は貴族社会で一番のクズだわ」

「右に同じ」

 私たちはくすくすと笑っているけれど、フィフィファは申し訳なさそうな表情でこちらを見ている。虫を払うふりをしてそっとその頭を撫でた。気にすることはないわ、との思いを込めて。


 光の力を持つと言われる精霊の愛し子。

 だけれど実際はなんの力も持たない。精霊が見え、その声が聞こえるだけ。


 実際に光の力で国を守っているのは精霊の女王で、その女王は平和を維持するためのお告げを、フィフィファを通して愛し子にする。愛し子はそれを王に知らせる。つまり愛し子とは伝言係に過ぎないのだ。なぜ王に直接告げないのかは分からない。『そういうもの』なのだそう。


 加護の力は国だけでなく私も守ってくれているという。だけれど万能ではないらしい。王がお告げに反したことをすれば国は滅びるし、私に不利益なことが起こることもある。私が愛し子失格とみなされれば、クビにもなるそうだ。


 今のところ、私の不利益は婚約者だけ。たいしたことではない。

 とはいえフィフィファは、愛し子なのに不幸せな結婚から守ってやれず申し訳ない、と思っているのだ。


 イシドールはろくでなしだけれど、あんな風なのも仕方なくはある。私は元々、イシドールの双子の兄テオドールの婚約者だった。テオドールは優しく穏やかで優秀で、素晴らしい人だった。ただ、生まれつき身体が弱かった。倒れて寝込むなんてしょっちゅう。そのせいもあって、会ったことがあるのは数えるほど。代わりに頻繁に手紙をやり取りして、親交を温めていた。


 だけれど彼は五年前に亡くなり、私は弟イシドールの婚約者となった。イシドールは相当におもしろくなかったようだ。兄のお下がりなんて馬鹿にしている、と。

 婚約した当初から良い仲とは言えなかったけれど、この一年で決定的となった。年度始めに編入してきた男爵令嬢メリザンドと、あっという間にあのような仲になったのだ。


 良識ある学生も教師もふたりを白い目で見ているが、気づいていないのか気にならないのか、常にふたりの世界に浸っている。



「やあ、マリエットにコンスタンス。今のプロポーズを見たかい?」

 声を掛けてきたのは、数少ない異性の友人ベルトランだ。くせのかかった濃い金髪と直系王族にしかいない紫色の瞳を持つ美しい人だ。


 そう、彼は王族。しかも第一王子。だけれど学内ではみな平等という決まりがあるので、王子に対してもフランクでよいことになっている。コンスタンスと私はちょっとだけ膝を折って挨拶をした。


 フィフィファが彼の肩にちょこんと座る。そこがお気に入りなのだ。


「ええ、見ましたわ。心が温まります」と私は答えて、ちらりとベルトランの隣にいる青年を見る。エドモント。コンスタンスの婚約者だ。彼は私の視線に気づいてそっと目を反らした。

 フィフィファがふよふよ飛んできて、もふい手で彼の頬をつつき、コンスタンスのほうを向かせようとしている。だけれどフィフィファは彼女を見える人しか触れられないので、残念ながら効果はない。



「卒業まであと三ヶ月。まだ婚約者のいない学生は多いから、もう何組かのプロポーズを見られるかな。楽しみだね」

 ベルトランは穏やかに言うけれど、自分も婚約者がいない。そしてそのことが、私たち世代に影響を与えていて、婚約未成立が多いのだ。


「卒業後のことは決まったかい?」とベルトランは私を見る。

 また肩にフィフィファが座っている。

「いえ、まだ」


 私たち四人とイシドール(おまけでメリザンド)はみな最高学年だ。卒業したらベルトランは宮廷で一役人として働きながら政治の勉強。エドモントも同じ。その前、というか卒業後すぐにコンスタンスと結婚をする。これも親が取り仕切っていて、本人たちの意思ではない。


 そして私。私は何も決まっていない。イシドールの不誠実な振る舞いは両家の当主の耳に届いていて、協議を重ねているのだ。

 イシドールのことは嫌いだけれど、彼の両親とは仲が良い。テオドールがいた頃からとても可愛がってくれて、彼よりもお義母様と多く会っていたぐらいだ。だからあちらも私を手放したくなくて、なんとか馬鹿息子を矯正しようと頑張っている。

 私の両親も、結婚に不安しか感じないと言ってはいる。だけど他に適した嫁ぎ先はなく、婚約解消には踏み切れないらしい。

 そんなわけで、私の卒業後の予定は白紙状態だ。


「いっそのこと侍女として王宮に上がらせていただこうかしら」

 そうすれば愛し子としての仕事にもちょうど良い。フィフィファが手をたたいて

「賛成」と言う。


 フィフィファから託されたお告げを王に知らせるのが私の役目だけど、その手段は手紙だ。王都から離れた地に住んでいると、どうしてもタイムラグが生じる。愛し子になった時は領地住まいだったから、手紙が届くのに早馬を使っても三日もかかっていた。

 卒業後に領地に戻れば、また日数がかかってしまう。だけど王宮住まいになればゼロ日だ。なんて便利!


「……侍女はどうかな。ますます結婚が遠ざからないだろうか」とエドモントが遠慮がちに言う。コンスタンスと上手くいってないが、悪い人ではないのだ。きっと何かがどうしても合わないふたりなのだろう。

「僕も君が侍女というのは、ちょっと」とベルトラン。


 ベルトランは私が精霊の愛し子だと知らない。知っているのは私の両親と王、王の近侍ひとりだけだ。フィフィファに、必要最低限しか他言してはならないと言われている。また王家のほうもそう言い伝えられているそうだ。


 そんな経緯もあって、私が『愛し子』として王に拝謁したのは一度だけ。選ばれたと宣託された直後にご挨拶に上がった。それも非公式に。

 間近で会った王は威厳がありつつも優しい雰囲気もあるお方だった。私の手を見て


「しろつめ草の指輪を確認した。そなたは正真正銘の精霊の愛し子である」


 と言った。これは代々の愛し子と王が結ぶ契約の言葉らしい。

 ちなみに先代の愛し子が役目を終えてから私に決まるまで、三年もの間があったという。だから王は私をとても歓迎してくれた。そして私の手の甲にキスをして


「愛し子よ。そなたはどうか長命であってほしい」


 と言ったのだった。子供ながらに、先代は短命だったのだと悟った。

 私はあの王の役に立てることを、とても誇りに思っている。


「侍女がダメなら、他に女性でも出来る仕事はあるかしら?お役人になれる?」

「……ひとつ、ちょうど良いポストがあるのだが」とベルトラン。

 その肩からフィフィファが離れて、こんどは頭に乗った。

「まあ。もしかしたら紹介していただけるのかしら」

「ああ。ええと……そろそろ予鈴が鳴りそうだから、また時間があるときに話す。放課後にカフェテリアに集合はどうだろう」


 コンスタンスと顔を見合せた。大丈夫、用事はないはず。


「分かりました。では放課後に」

 ああ、と笑顔でうなずいたベルトランは可愛らしく手を振って去って行った。コンスタンス、私、フィフィファは一列に並んで手を振り返す。私より上背もあるし体躯もしっかりした明らかな男性なのに、あのキュートさは何なのだろう。


「ベルトランって、可愛いわよね」

「そうかしら。他の令嬢には手なんてふらないわよ」

「そう?」

「そう!」

「私たちを特に親しい友人と思ってくれているのかしら。光栄ね」


 なんでもない風を装いながらも、鼓動が激しい。喜んではダメ、と自分に活をいれる。

 私は一応、婚約中だ。他の男性にときめくなんて失礼だ。たとえ婚約者があのイシドールだとしても。

 私は精霊の愛し子なのだから、不道徳な思いに染まってはいけない。フィフィファや王を失望させたくはないもの。


 ふにゃん。

 頭の上に、感触。フィフィファだ。見なくてもわかる、白いふわふわのお腹を下に手足を投げ出して寝そべっている。私が落ち込んでいると感じると、こうやって励ましてくれるのだ。


 心地好い温もりと重さと。

 今度は頭の上のほこりを払うふりをして、フィフィファの背中を撫でた。

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