第29話 迫る現実
部屋に戻った私はソファに座って、大きくため息をついた。
「ふぅ……」
――早い。
前世ではまだ余裕があったはずなのに……。
俯き、こめかみを触りながら絨毯を見つめる。
それにしても、母もあんなにあからさまな敵意を向けてくるなんて……。
しかも、今、サロンを取られたら計画が……どうしよう。
とにかく、どうにかしてオルガに連絡を取らなきゃ。
父が死んだ今、使用人達が去って行くのは目に見えている。
スロキアも時間の問題かしら……。
せめて、ニーナとエドワード、ミラの三人は残ってくれるといいんだけど……。
と、その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします」
「スロキア……」
神妙な面持ちのスロキアが部屋に入ってきた。
そっか……やっぱりあなたは行くのね。
「いいのよ、わかってるわ。あなたが居てくれて本当に助かった、私で良ければ紹介状でも何でも書くから――」
「アナスタシア様」
「ああ、それと給金の方もね、できる限りあなたの恩に報いるつもりだから――」
「アナスタシア様!」
スロキアが私にハグをした。
優しく包み込むように。
「え? ど、どうしたの? スロキア?」
「アナスタシア様……私はどこにも行きません、ずっとお側にいさせてください……」
「スロキア……」
私の肩にそっと手を置き、
「あぁ、なんとおいたわしい……さ、少し横になられてください」とベッドに手を向ける。
「わ、私なら大丈夫よ、ほら、この通り、これから大変だもの、しっかりしなきゃ……あれ?」
頬に一筋の涙がこぼれた。
父の死は知っていた。
少し早まったけど、覚悟はできていた。
なのに、なんで……?
死んだ、父が死んだ。
すでに経験したことで……ちゃんと乗り越えたつもりだ。
でも、どうしてこんなに涙が溢れるんだろう……。
父の死が迫ってくる。
私の胸の奥から、父の死が現実を伴って――。
「し、死んじゃった……スロキア、お、おとうさまが……死んじゃった……」
「アナスタシア様!」
スロキアがぐっと私を抱きしめてくれた。
「もう……会えない……おとうさまに、おとうさまに会えない!」
「泣いて下さい、今日だけは何もかもお忘れになって、泣いてください……」
「うぅ……うっうわああああーーーーー!!!」
少しずつ、未来が変わっていく。
私の経験した未来と……。
でも、父の優しさだけは前世と何ら変わらなかった。
父は、私の知っている父だった。
§
「お聞きになられましたか?」
「うむ、ヴィノクールの件か……」
「あのカイルが当主とはな、ふふ、面白くなるぞ」
「ウィリアム様はどうなさるつもりなのか」
「今頃、殿下に賜った盾を磨いているだろうよ」
「ははは! それは傑作だ!」
煌びやかな王宮で開かれる舞踏会。
集まった貴族達の関心は、ヴィノクール一色であった。
「アキム卿の代わりが務まると思うかね?」
「イメルダ夫人はどうだ? アレはなかなか良い女だぞ?」
「はは、お前じゃ無理だ、ありゃ手に負えん」
「なら娘はどうだ?」
「ああ、なかなかの器量らしいからな、俺も狙ってみるか」
「どっちが先に落とせるか勝負するか?」
「そりゃあいい、ははは!」
そんな下卑た会話が飛び交う社交場。
旧貴族派と呼ばれる面々は、すでにヴィノクールを終わったものとして捉えていた。
「長きに渡り、皇国を支えた名家が終わろうとしている……」
二階席から大勢が集まったホールを見下ろしながら、ウィリアム皇子がグラスを回していた。
隣に座るアイザックは黙ってウィリアム皇子の話に耳を傾けている。
「見ろ、こいつらを――、誰も悲しむ者などいない。いかに己の血肉にしてやろうかということしか頭にないのだ」
「……」
「クックック……どいつもこいつも筋金入りの貴族だ、まったく惚れ惚れする」
にっこりと微笑み、アイザックに向かってグラスを掲げる。
アイザックは自分のグラスを持ち上げ、グイッと飲み干した。
「皇子が楽しそうで何よりです」
「フッ、で、どうだ? 進んでいるか?」
「はい、それですが……」
「何だトラブルか?」
「いえ、その逆です。もしかすると、えらい儲かるかも知れません……」
「ほぅ?」
アイザックは給仕を呼び、トレイから新しい酒を手に取った。
「あのお嬢さん、えらい商売上手でして……例の鉄相場、あれ仕掛けたん、ボクは彼女やないかと思ってるんです」
「あんな小娘が? 冗談だろ?」
「まあ、全部が全部やないとは思いますが……あの相場でえらい稼いだ『フォルトゥナ商会』という新顔がおりましてね」
「ルールを破ったのか?」
「いえいえ、違います。ただ、その商会のオーナーが、ヴィノクールのお嬢さんやったもんで」
アイザックが嬉しそうに笑い、酒を呷った。
「変わった女だな? 商売上手か……一度、会ってみたいものだな」
「皇子が他人に興味を持たれるとは、ますますあのお嬢さんから目が離せません」
「まあ、所詮は女だ、それ以上でもそれ以下でもない。知っているだろう? 私が欲しいものはこの世界に一つだけだよ」
皇子はアイザックの目を見ながらグラスを空けた。
「ええ、承知しております」
「頼むぞ、アイザック」
「はい、もう時間の問題かと……」
二人は含み笑いを浮かべながら、階下で踊る貴族達を眺めた。
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