第26話 不穏な影

「号外、号外~! さぁさぁ今や相場は青天井! 15日連続の新高値更新だぁ!」


 号外のビラを撒きながら新聞売りの男が声をあげる。

 街は過熱する相場の話題で持ちきりだった。


 鉄だけにとどまらず、ありとあらゆる原材料の相場が乱高下していた。

 商機と捉えた富豪や貴族たちが、我先にと相場に資本を投入する。


 一攫千金を狙い、相場に群がる人々。

 街の労働者から金を集め、代理購入をする業者まで現れた。


 皆が金と踊り始めていた……。



 待ち合わせのティーサロンにつく。

 窓際の席に座るオルガの向かい側に、私は静かに腰を下ろした。


「まったく、人間ってのは愚かだねぇ……」


 窓の外に目を向け、オルガは街角で代理購入を呼びかける男を見ながら呟く。


「ええ、でもそのお陰で、私たちは開店資金を得られる」

「……その通りだ」


 オルガは眉を上げ、小さく顔を振った。


「さて、その件だが……問題がある」

「……問題?」


 何だろう?

 鉄鋼石は全て売り抜けたはず……。


「どうやら俺達は……儲けすぎたようだ」


 クックックとオルガが肩を揺らせながら笑った。


「もう! 驚かせないで」

「悪かったよ、ただ、本当に儲けすぎちまった。そのうち噂になっちまうくらいにな」

「それは……あまり嬉しくないわね」


 私たちが儲けた分、必ず損をした相手がいる。

 今はまだ、皆、相場に酔っているからいいが、ひとたび崩れると早い。

 そうなると、今度は儲けた相手を糾弾する輩が現れる。


「ああ、なるべく早く余った資金の使い道を考えたい」

「となると……今回の相場で損をした、そうね、貴族がいいわ。その中で、ある程度知名度のある人はいるかしら?」

「何をする気だ?」

「誰か一人でも救っておけば、損をした人は私たちに矛先を向けにくくなるでしょ?」

「なるほど、自分も救ってくれるかも知れないと思うわけか……」

「あまり褒められた行為ではないけどね」

「いや、当然のリスクヘッジさ。よし、その辺は任せてくれ」


 オルガは手を挙げて店員を呼び、

「同じものを」と言った。



    §



 ――半年後。


「まぁ……すごい! やったわね、アナスタシア!」


 完成したティーサロンの前でイネッサが飛び跳ねている。


「ええ、一番最初にイネッサに見てもらおうと思って」

「アナスタシア……!」


 イネッサが飛びついてきた。


「ちょっと、イネッサ……苦しい」

「あ、ごめんなさい! つい……」

「ふふ、さぁ中へ入りましょう」


 私はイネッサの手を引き、サロンの中へ入った。


「わぁ……」

「……」


 改めて見ても、思わず息を呑むほどだった。

 美しい装飾はもちろん、目玉となるステージを改造した半円型のカウンターに目がいく。


 店内の椅子やテーブル、グラスに至るまで、装飾品にはかなりこだわってイネッサと私で選んだ。かなり時間は掛かったが、それが無駄では無かったのだと、店内を見渡せば一目で感じることができた。


「いよいよね」

「ええ、そういえば、茶葉のリストには目を通してくれた? 手に入りそうかしら?」

「もちろんよ、私よりお父様の方が活き活きしちゃって、絶対手に入れてみせるって息巻いてたわ」

「ふふ、それは頼もしいわね」


 イネッサに頼んだ茶葉は、まだ本格的に輸入されていない物が多かった。

 駄目元で頼んでみたのだが、もしかするとノーマン卿が全部揃えてくれるかも知れない。


「お披露目は盛大にしなきゃね」

「ええ、楽しみだわ……」


 二人で店内を眺めながら、来たるべき日に想いを馳せた。



    §



 開店を目前にしたティーサロンには、大勢の搬入業者やスタッフたちでごった返している。

 私は届いた荷物の仕分けの指示を行いつつ、全体の進行状況をチェックしていた。


「それは奥の棚に銘柄別で並べて頂戴」

「はい、かしこまりました」


 店にオルガが顔を出した。

 ピシッとしたスーツ姿、身長が高いぶん見栄えがする。

 スタッフの女の子たちは明らかにオルガを意識して、動きが固くなっている。

 やれやれ……。


「いやぁ、何とか形になったな」

「ええ、ありがとう、あなたのお陰よ」

「いえいえ、俺はお嬢様の指示に従ったまで」と、半分茶化したように言う。

「そういえば、ラニス卿の使いが食材を運んで来たのだけど……何か聞いてる?」


 ラニス卿は地方の男爵家で、それなりの血筋を持つ名家だ。

 ヴィノクールとはさほど付き合いはなかったと記憶している。


「例の相場の金だよ」

「え?」

「今回の相場で大損こいてたからな、ウチが救済した一人だ。直接話してみて悪い人間じゃなさそうだったんで、ウチの事業で生じる運搬業務をいくつか回してる」

「そうだったのね」

「事前に相談した方が良かったかな?」

「いえ、あなたが見て大丈夫だと判断したのなら構わないわ」

「よし、あと少し気が早いかとも思うが、これを見てくれ」


 オルガが懐から権利書を取り出す。

 オルタード商会と書かれていた。


「主に医療品を扱っている商会だ、ここも今回の相場でやらかしたクチだな、ククク……笑うくらい安かったんで買っておいた」

「そんな簡単に買えたの⁉」


 医療品を扱う商会となると、その事業規模よりも商会が持つ人脈の方に価値がある。

 参入障壁が高く、新規参入者が極端に少ないためだ。


「ああ、人を含めて丸ごと買った。使い道はあんたが考えてくれ」

「ちょ、そんな……」

「じゃ、そういうことで、俺は次の商談があるから失礼するよ。頑張ってくれ」


 一方的に言い終えると、オルガは手を振って店を出て行った。


「……」


 ま、仕方ないか。

 それにしても、医療品を扱えるとなると……薬湯なんかも専門に扱う店も面白そうね。

 よぅし! この調子でドンドン事業を広げていくわよ!



    §



「奥様! イメルダ奥様!」


 侍女のヤナが、イメルダの部屋へ駆け込んでくる。


「まったく騒々しい……何事ですか」

「も、申し訳ございません、ですが、これを……」


 ヤナは震える手で、イメルダに封書を手渡した。

 イメルダは、不機嫌そうにその手紙に目を通す。


「……なっ⁉」


 僅かにイメルダの口端が上がったように見えた。


「ヤナ、このことは?」

「まだ、誰も知りません……」

「よろしい、私が良いというまで他言しないように」

「は、はい、かしこまりました」


 ヤナが深く頭を下げる。

 イメルダは壁に掛かった姿見で髪や洋服を直した後、いそいそとカイルの部屋に向かった。


 カイルの部屋の扉は開かれたままだった。

 イメルダは部屋の中を覗き、声を掛ける。


「カイル、少し良いかしら?」


 ウィリアム皇子から贈られた盾を磨いていたカイルが、きょとんとした顔を上げる。


「ああ、母上、どうかなされたのですか?」

「カイル、落ち着いてこれを読んで」


 イメルダは封書をカイルに手渡した。


「手紙? 何でしょうか……?」


 手紙を見るなり、カイルが勢いよく立ち上がった。


「ち、父上が――⁉」

「残念だわ……」


 イメルダはカイルの肩に身を寄せ、うっすらと笑みを浮かべた。

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