第22話 高嶺の花
「しかし、本当に良いんですか?」
馬車に乗り慣れていないせいか、少し緊張気味のエドワードが、所在なさげに私の顔を見る。
「ええ、お父様には、庭仕事を休む許可をいただいているから大丈夫よ」
「いや、アナスタシア様、私が心配しているのはそういうことではなくてですね……」
「なら、何が心配なの?」
「ヴィノクール家のご令嬢が、街の酒場に足を運ぶなんて……伯爵様はご存じなのですか?」
「あー……それは、まあ、その、あ、ほら! 見えてきたわ」
私は窓の外を指さしてごまかす。
エドワードは大きくため息をつき、額に手を当てた。
「なるほど……よくわかりました」
「そんな顔しないで、大丈夫よ。ほら、護衛も付けてもらったし、エドワードもいるじゃない。オルガから聞いたわよ、剣術が得意だったんですって?」
「他にできることがなかっただけで……得意といっても本格的に学んだわけではありませんよ」
「でも、あのオルガのお墨付きなんて、普通は欲しくてももらえないわよ?」
「もらいたい奴がいるとも思えませんがね」
「ふふふ、意外と言うのね」
「笑いごとじゃありませんよ、いったい、こんな場所に何の用事があるんです?」
不安げな表情で、馬車の窓から外をのぞく。
私はその質問には答えず、
「さ、着いたわ、いきましょう」と馬車を降りた。
日が沈みかけていた。
街に降り立った瞬間、人々の好奇の目が一斉に私に集まった。
瞬く間に野次馬が集まり、馬車を囲む人垣ができた。
「こら! それ以上近づくな!」
護衛の従者たちが人払いをする。
既に酔っている男たちも多い。
卑猥な言葉を投げかけてくる輩もいた。
「あいつら……!」
「放っておいていいわ、貴族の女が珍しいだけよ」
「しかし……」
エドワードが腰の剣に手を掛けて睨み付けると、野次馬たちの作る円がズズッと一回り広がった。
「いきましょう」
「は、はい……」
護衛に目で合図をして、私は目当ての酒場に向かう。
私は集まった男たちの反応を見て、ニーナの読みが正しかったと確信した。
彼らから見て、私は決して手の届かぬ高嶺の花。
でも、それだけでは足りない。
私が仕えるに足る主君であることを示さねば……。
大勢の笑い声が漏れ聞こえてくる。
エドワードが、私の代わりに扉を押し開けた。
その瞬間、あれほど賑やかだった酒場が水を打ったように静かになった。
――コツ、コツ、コツ。
姿勢を正して。
顎を引き、目線は動かさない。
皆が息を呑む声が聞こえた。
まっすぐに酒場の奥へ向かい、一番奥に陣取っていた男たちを見つける。
あれが、サムルク――。
事前にオルガから聞いた情報では、頭はダレンという大男だと聞いた。
テーブルに座る男たちは、私を値踏みするように見る。
ニヤニヤと笑みを浮かべる者、刺すような目で睨みつけてくる者、反応は様々だ。
「……これは珍しい客だな。悪いがお嬢さん、テーブルを間違えてるぜ?」
一番大柄で腕に痛々しい傷痕のある男が言うと、男たちが一斉に笑った。
「「わはははは!」」
「アナスタシア様、戻りましょう。ここは良くない」
私はエドワードに手を向けて黙らせた。
自分は高貴な存在だと言い聞かせながら、相手の僅かな機微も取りこぼすまいと、男たちを順に観察していく。
「なんだなんだぁ⁉ お呼びじゃねぇっつてんのが聞こえねぇのか?」
「それとも、酒の相手でもしてくれるってか⁉」
「ははははは!」
「そりゃいいや!」
いかにも気の荒い傭兵といった男たちだ。
だが、それもどこか芝居じみて見える……。
彼らが持つ使い込まれた剣は、きちんと手入れがされていた。
装備にしてもそうだ。一見汚れたように見えるが、肝心な部分には何度も補修した跡がうかがえる。道具を大事にしているのがわかった。
ふざけているようで、エドワードの動きに注意を向けているのもわかる。
いつ何があっても対処できるよう、前の数人はさりげなく体の向きを変えていた。
「……」
端っこに座っている小柄な男に目がとまる。
体格の良い男たちの中では、目立たず、影も薄く感じるが……。
なぜだろう、妙に気になる。
そうか――、料理や酒でぐちゃっとしたテーブルが、この男の周りだけ綺麗に片付いているのだ。よく見ると食器も違う。皿に乗った料理も、男のものだけ他よりも良い食材を使っている。
「口が利けねぇのか? 悪いことは言わねぇ、ここはあんたの来る場所じゃない。怪我しないうちに帰りな」
腕に傷のある男が私の前に立った。
大きい……男の影に私の体はすっぽりと収まってしまう。
「貴様ッ!」
エドワードが前に出ようとする。
「――おっと、あんたじゃ役不足だぜ」
サムルクの一人がエドワードの腕を握った。
「……試してみるか?」
エドワードの顔つきが変わると、サムルクたちの
今にも暴発しそうだ。場の緊張感が高まっていく。
――小柄な男は動かない。
私は下腹に力を入れ、静かに、淀みなく通る声を意識する。
「あなたがダレン?」
その言葉に、小柄な男を除く全員がハッと私を見た。
「……ほう、俺の名を知っているとはねぇ、光栄だが、いったい何の用だ?」
「あなたじゃないわ、彼と話がしたいの」
ダレンは小柄な男に目を向け、私に向き直った。
「あいつに何の用だ?」
「それは彼に直接話します」
「駄目だ、俺が頭だ、俺を通せ」
威圧的にダレンが近づいてくる。
違う、この男は頭ではない。
私は一歩前に出て、「いいえ、頭は彼です」とダレンの目をのぞき込んだ。
「くっ……」
ダレンがたじろぐ、というよりは、私に見つめられて照れているのかも。
意外と女に免疫がないのね。
「ダレン! スピル! やめておけ」
小柄な男に言われると、二人はまるで子犬のようにしゅんとなった。
白いナプキンで口元を拭い、男が席を立つ。
「話があるなら奥で聞こう」
そのまま振り返りもせず、酒場の奥にある扉に入っていった。
「エドワード、ここで待つように。一時間して私が戻らなければ、ここの全員を拘束しなさい」
「なんだと⁉」
「ふざけやがって……!」
いきり立つ男たちをダレンが制した。
「トニマの命令だ! お前らは黙ってろ!」
男たちが渋々といった感じで席に座る。
エドワードは掴まれた腕を触りながら、私の側に来て言った。
「アナスタシア様、くれぐれもお気を付けて」
「ええ」
これでいい。
あえて、私がそういう力を持った人間だと知らしめておく。
こうしておけば、彼らの中に疑問が浮かぶはず。
こんな高貴な存在が、なぜ俺たちに接触してきたのか――。
そして、その存在が自分たちの頭と話をする。
現状に満足していないのならば、何かを期待をせずにはいられないだろう。
本当は逃げ出したくなるほど怖い。
気を抜くと足が震えてしまいそうだ。
だが、私は決してそれを表に出さない。
眉一つ、指先の所作に至るまで――演じきってみせる。
私は彼らの希望の象徴となる人間。
主君であり、高嶺の花でなくてはならないのだから。
全員の視線を浴びながら、私は悠然と奥の扉へ向かった。
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