第20話 サムルク

 ステージの袖にどこかへ続く階段を見つけた。

 私とイネッサは顔を見合わせて頷き、一緒に奥へと進む。

 階段は狭い上に、薄暗くて埃っぽい。


「きゃっ」

「大丈夫⁉」

「あ、アナスタシア……く、蜘蛛の巣が……」


 イネッサの髪や体に蜘蛛の巣が絡みついていた。

 あわあわと真っ青になって硬直している。


「いま取ってあげるから」


 急いで蜘蛛の巣を払い、涙目のイネッサの手を握って、奥へと連れて行く。

 走りながらイネッサが私に言った。


「ご、ごめんなさい……足手まといになってしまって……」

「何言ってるのよ、私たちは親友でしょ?」


 イネッサは返事をする代わりに、ぎゅっと手を握り返してきた。


「ここに隠れましょう」


 古い扉を開けて中に入る。

 中は小部屋になっていて、恐らく楽屋として使われていたのだと思う。


「一体、何が起きてるの……」

「オルガさんは大丈夫かな?」

「ええ、そんなやわな男じゃないとは思うけど……」


 そうは言ったものの、オルガは完全な頭脳派……。

 あまり戦いと結びつくイメージはない。

 だが、あの短刀の構え方からして全くの素人という感じでもなかった。

 私たちを守る必要がなければ、何とか切り抜けることができるだろう。


「アナスタシア……私、怖いわ」


 イネッサが私の腕にぴったりひっついてくる。


「大丈夫よ、私がついてる」


 ぎゅっとイネッサを抱きしめた。

 どうする……いつまでもここでいるわけにはいかない。

 こんな時、ニーナがいれば……。


 ふと、壁に立てかけてある棒きれを見つけた。

 剣術はあまり得意ではないが……やるしかないか。

 前世では体が鈍らないように、型稽古だけは欠かさずにやっていた。

 通用するとは思えないが、何もないよりはマシだ。

 棒を手に取り、ぶんぶんと何度か素振りをする。


「ちょっと……アナスタシア、何をする気なの?」

「イネッサ姫、私がお守りいたします」


 私はイネッサに忠誠を誓う騎士のように礼を取った。


「もう! アナスタシアったら、こんな時に冗談なんて!」

「ふふふ、でも……やるしかない。外にさえ出られれば御者がいる。助けを呼べるわ」

「で、でも……もし掴まっちゃったら……」

「大丈夫、賊に狙いがあるとすれば……目的は私のはず、イネッサは外に出て助けを呼ぶことだけを考えてくれればいいの」

「そ、そんなぁ……」


 今にも泣き出しそうなイネッサの肩を撫で、

「絶対に大丈夫だから、私を信じて」と言い聞かせた。

「う、うん……」

「いい? もし賊に出くわしたら、私が引きつけるからイネッサは走るのよ」

「アナスタシアは?」

「大丈夫、すぐに何かされることはないはずよ」

「準備はいいわね?」


 イネッサがこくんと頷いた。


 そっと扉を開け、顔だけ出して通路を確認する。

 よし……誰もいない。


 イネッサに合図して、小走りで外へ向かう。

 階段のところまで来て立ち止まり、外の気配に耳をすませた。

 何も聞こえない……オルガは無事かしら。


 足音を立てないように、慎重に階段をのぼる。

 ステージ袖まで上がり、緞帳の影からのぞき見ると、オルガが柱にもたれて座っているのが見えた。


「オルガ……!」


 棒きれを握り、イネッサとオルガのところへ向かう。


「オルガは私が、イネッサは人を呼んできて」

「わかったわ」


 二手に分かれ、私は物陰に隠れながらオルガの元へ近づく。

 オルガは肩を押さえて、顔を歪めていた。


 周りには人の気配はない。

 私は小石を拾って、オルガの足下に投げる。

 気づいたオルガが、

「……大丈夫、賊は逃げた」と短く言った。


 駆け寄って、持っていたハンカチを渡す。


「大丈夫⁉ 血が……」

「心配ない、見た目より傷は浅い。相手は雇われたプロだ……俺を殺そうと思えば殺せたはず、なのに殺さなかった……」

「警告?」


 オルガは無言で頷く。


「宝石絡みだろうな……アイザックかも。チッ……裏の人間を雇われるとこの先……色々と探りづらくなる……」


 ハンカチで傷口を抑えながら、オルガは吐き捨てるように言った。


「手を打った方がいいわね」

「どうするんです?」

「……簡単に襲われないように自衛手段を持つのよ」

「はは、騎士でも雇いますか? でも、いくら強い騎士が仲間になったからといっても……」

「そうね、大した抑止力にはならない。でも、騎士団ならどうかしら?」

「騎士団⁉」と、オルガが片眉を上げた。

「ええ、数人じゃなく、数十人単位の私設騎士団よ」

「い、いや……それはさすがに無理があるんじゃ……大体、どこにそんな資金が?」

「まあ、私に任せて、ちょっと心当たりがあるの」


 そこにイネッサが人を連れて戻って来た。


「アナスタシア! オルガ様!」

「イネッサ!」

「もう大丈夫! お医者様も来て下さったわ!」

「ありがとう……」


 アンダーウッド家の御者が私に頭を下げた。


「レディ・アナスタシア、ご安心ください、ここからはアンダーウッドがお守りいたします」

「ええ、申し訳ありませんが、お願いいたします」


 御者はもう一度頭を下げると、手際よく部下たちに指示を出した。


「そちらの御方は病院へお送りしろ、他の者は施設内の巡回、怪しい者は残らず引っ捕らえろ!」

「はっ!」


 統率の取れた動き。

 アンダーウッド家の警護隊か……さすが大したものね。

 ヴィノクールにも警護隊はあるが、当然指揮権は父にあり、私が勝手に動かすことはできない。

 むしろ、動かしてしまうと色々と面倒なことになる……。


 私は前世で聞いた、とある傭兵団の話を思い出していた。

 敗戦騎士団と揶揄される彼らは、その名の通り、かの大戦によって捕らえた敗残兵の末裔だった。


 この国では、終戦から50年が経つというのに、差別がいまだ根強く残っている。

 彼らの中には優秀な者も多かったが、良き主君に恵まれるわけもなく、大抵はその貧しさから、危険な傭兵稼業に身をやつしていた。


 そんな彼らが団結するのは自明――。

 中でも群を抜いて優秀だと言われていたのが『サムルク』と呼ばれる集団だった。


 私にその話をしてくれた行商人は、彼らと一度だけ旅をしたことがあったっという。

 彼らの一人が酒の席でこう言ったそうだ。


『俺たちは頭の無い鳥だ……どこまでも飛ぶ力はあるが、その使い道がないのさ』


 きっと彼らはいまも頭を探している……。

 なら、私がその頭になればいい。

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