第18話 六本指

「アイザック……⁉」

「ええ、確かにそう名乗りました。若くて、こう……目の鋭い奴で、そうだ、左手の指が六本あるんです!」


 六本指……。

 稀にそういう人がいると聞いたことがあるが、かなり珍しい特徴だ。


「言うとおりにすれば借金を代わりに払ってやるって……」

「彼に何と言われたの?」

百里香ひゃくりこうを買えと言われました。それと一緒に農園に来いと」

「農園に?」

「ええ、農園で収穫物を褒めろって」

「……その農園の持ち主は?」

「コリンっていう優しそうな男でした、何度もアイザックに礼を言っていたんで覚えてます。きちんと聞いたわけじゃないんですが、アイザックから農園を買ったようでした」


 アイザックが農園を売った……ということは、コリンという男がエドワードの父親なら、騙したのはアイザックだ。でも、なぜハンスに百里香を買わせたのかしら……。


「百里香の現物はあったの?」

「ええ、それが驚いたことに……物はちゃんと届いたんです、値段の方も相場通りで、なんなら少し安いくらいでした」


 ハンスが言うと、ミラが横から口を挟んだ。


「それは私も確認したので、間違いありません」

「……」


 ならばなぜ……。

 その時、スロキアがおもむろに口を開く。


「アナスタシア様、もしかすると……その男は納品書を手に入れたかったのかも知れません」

「納品書を?」

「ええ、納品書にはヴィノクール家の家紋が押されます」

「家紋……ね、相手を信じさせるために、納品書をちらつかせたのかも知れない。たしかに副料理長であるハンスが、実際に農園で収穫物を褒めれば疑いようもなくなるわね……」

「俺のせいで……す、すみません……」


 ハンスが祈るように頭を下げた。


「アイザックと連絡は取れる?」

「い、いえ……あれ以来何の音沙汰も……」

「そう、わかった。ハンス、処分が決まるまで謹慎を命じます」

「はい! かしこまりました!」

「ミラ、ハンスの抜けた分、大変でしょうけど我慢してちょうだい」

「とんでもない! もっと私がしっかりしていれば……」

「いいのよ。さ、話はここまで。この件は他言無用です」


 私はそう言い残して、図書室を後にした。

 その足でエドワードの小屋へ向かう。


 小屋の扉をノックしようとして手を止めた。


 ――しっかりしなきゃ。

 大きく深呼吸をして姿勢を正し、私は扉をノックした。


「はい……ア、アナスタシア様⁉」

「少しいいかしら?」

「勿論です! ささ、どうぞ」


 部屋に入ると、エドワードが椅子を用意してくれた。


「今、お茶を淹れますので……」

「ありがとう」


 腰を下ろし、お茶を淹れるエドワードを眺める。

 ああ……何て言えば……。


「どうぞ」

「良い香りね……」

「そのぉ……何かあったんですか?」

「エドワードのお父様のお名前は……コリンと言うのかしら?」

「ええ、どうしてそれを?」

「……」


 アイザックを捕まえたところで証拠はない。

 ハンスの証言だけでは、アイザックに罪を問うのは難しい。

 それに100%アイザックの仕業とも限らないし……逃げ道を考えていないとも思えない。

 でも、やっぱり伝えるべきだわ……。


「エドワード、実はね……」


 私は感情を入れず、淡々と事実だけを伝えた。

 ハンスの不正、コリンに農園を売ったアイザックという商人の存在。

 それに、捕まえたとしても、罪に問える可能性が低いということ。

 話が進むにつれ、エドワードの表情は怒りから悲しみに変わっていった。


「そうですか……」

「完全に決まったわけではないけど……ハンスが嘘をつく意味もないと思う」

「……教えてくださってありがとうございます。はは、よくある話だ、騙される方が悪いんです……」と、エドワードが自嘲気味に笑う。

「それは違うわ! 騙した相手が悪いに決まってるじゃない!」


 私が言うと、目頭を抑えていたエドワードがテーブルを殴った。

 カップが浮き上がり、甲高い音が響く。


「……だ、騙した相手が悪いのなら、父も母も……救われないじゃないですか! 何も悪くないのなら、どうして父も母も、死ななければならなかったんだ!」


 エドワードが声を荒げたのを初めて聞いた。

 握った拳が白くなっている。

 感情が抑えきれなかったのだろう……。

 だが、すぐに冷静さを取り戻し、いつもの悲しそうな目に戻った。


「す、すみません、アナスタシア様に失礼な態度を……」

「ううん、構わないわ……」

「少し頭を冷やします。一人にしてもらってもいいでしょうか……」

「ええ、もちろんよ……アイザックのことは探すつもりだから、何かわかったらエドワードにも連絡するわね」

「ありがとうございます……」

「私に出来ることがあれば何でも言って」


 テーブルを見つめるエドワードに声を掛けたあと、私は小屋を出た。

 そっと扉を閉めると、微かにエドワードの嗚咽が漏れ聞こえてくる。


 ……胸が締め付けられるように苦しい。

 自分が力になれないのが、たまらなく悔しかった。


 アイザック……六本指の悪食。

 まるで小説に出てくる悪党みたいな男……。

 どうやら、一筋縄ではいかない相手のようね。


 私は屋敷に入る前に裏庭の方へ振り返る。

 いつもよりも小屋が小さく見えた。

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