第16話 フォルトゥナ商会

 街の一角にあるティーサロンの前で馬車を止めた。

 最近では、貴族達がアフタヌーンティーを楽しむティーサロンが、流行の兆しを見せている。


 前世でも、このくらいの時分から急速に店舗が増えていったように思うが、本格的なブームが来るのは、イネッサが振る舞ってくれたアールグレイが浸透し始めた頃からだ。


 御者が馬車の扉を開ける。

 私は「ありがとう」と声をかけ、ティーサロンに向かった。


 サロンに入ると店員らしき男が、満面の笑みを浮かべ近づいて来た。


「これはこれは、いらっしゃいませ」

「人を待たせてあるの」

「はい、伺っております。こちらへどうぞ」


 店員は奥へ私を案内する。

 サロンの代金は、かなり高額のはず。

 当然、店内に平民は一人もいない。居たとしても、ある程度の規模を持つ商家の娘くらいだろう。


「こっちだ」


 奥のテーブルでオルガが私に手を向けている。

 私は向かいの席に座り、「ダージリンを」と店員に頼んだ。


 目の前のオルガは、見違えるようだった。

 髪を整え、髭を剃り、洋服も仕立ての良いスーツを着ている。

 どこから見ても貴族か、もしくは富裕層の紳士にしか見えない。

 先ほどから、私に向けられている女性達の視線の原因はこれか……。


「しばらく見ない間に見違えたわね?」

「惚れ直したかな?」

「子供相手にその台詞はどうかと思うわ」

「……ふむ、確かに。あんたと話しているとつい忘れてしまうな」

「それで、状況は?」

「ああ、まず、これが商会の許可証だ」


 オルガは私に封書を手渡す。

 広げてみると、そこには『商会設立許可証』と書かれていて、商会名には『フォルトゥナ商会』とあった。


 なるほど……このために動いていたのね。

 あの時、オルガには商会を設立するという目標を伝えただけだったが、こうして私が望む結果を明確に理解した上で行動で示す――。

 しかも、半年足らずで許可を取ってくるなんて……素晴らしすぎるわ。


「良い名前ね」

「そりゃどうも、ご所望の商会だ。保証人無しで許可を得るのは苦労したぜ?」

「方法は聞かないでおくわ」

「はは、それと……エドワードから聞いた件だ」

「何かわかった?」


 オルガは周りを確認した後、小声で言った。


「実は……例の宝石について、ある男から興味深い話を聞けた。旧貴族派の集まりで、あんたの兄貴が、宝石を見せびらかしていたらしい」

「……」


 思わず眉間に皺が寄ってしまった。

 そうか、前世ではわからなかったが、そういうことだったのか。

 わかっていたことだけど、本当に救いようのない人……。


「まあ、なんていうか……話を聞いた時、あんたに同情したぜ」

「それはどうも。でも、同情なら結構よ」


 そう答えた時、店員が紅茶を持って来た。

 良く教育されている。

 店員は美しい所作で、私の目の前にティーセットを置いた。


「お待たせいたしました、こちら最高級のダージリンティーでございます」

「どちらの茶葉なのかしら?」

「あ……ええと……」


 ふぅん、茶葉のことまでは教えていないのか。

 まあ、当然と言えば当然。

 だが、高位貴族を相手にするには物足りない。


「ごめんなさい、もういいわ」

「し、失礼いたしました、ごゆっくりお楽しみ下さいませ」


 店員は逃げるように去って行く。

 少し悪いことをしたかも……。


「うん、良い香りね……」


 私が紅茶に口をつけると、見覚えのある男が声を掛けてきた。


「オルガ様、またゆっくり話を聞かせて――これは……お美しいお連れ様ですね」


 声の主を見ると、そこには前世で一度会ったカイという若い男が立っていた。

 間違いない……カイだ。でも、なぜここに……?


 いくらか幼い感じがあるが、今の私よりは年上にも見える。

 瞳の奥にある芯の強さを感じさせる輝きが、前世で見た時よりもハッキリと感じられた。ただ、思い返して見ると、前世の時は……こう、上手くそれを隠していたような印象がある。考えれば考えるほど、カイの存在が不可思議なものに思えた。

 

「彼女は駄目だ。君には手に負えないよ」オルガがくっくと笑う。

「宜しければ、お掛けになられては?」


 私は席を勧めた。


「では、お言葉に甘えて、失礼いたします」


 カイが席に着くと、オルガが言った。


「さっきの話は、彼が教えてくれたんだ」

「……彼が?」

「初めまして、燕国から来たカイと言います。美しいお嬢様、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 美しく艶のある黒髪……濡れた黒曜石のような瞳。

 あなたは一体、誰なの?


「お嬢様? どうかされましたか?」

「あ、いえ……失礼しました。私はアナと言います」


 念のため、素性は隠しておく。


「アナ、素敵な名前ですね」

「いえ、その……カイ様は何をなさっている方なのですか?」

「私は商人の見習いのようなことをしております。ゆくゆくは燕国の生糸や木綿などをこの国で売りたいと思っていますが……今は、まだ勉強中といったところです」


 あの時と同じような答えだ……。

 このカイという存在は、本当の自分を隠すための仮面ペルソナなのかも。

 それにしても……なぜ、この若さで旧貴族派の内部情報に触れることができるのか……。


「そうですか……。カイ様は燕国のご出身だというのに、随分とこの国の事情に明るいようですね?」

「まあ、商人は噂話が好きですからね。オルガ様にお話した件のことなら……信憑性までは保証しかねます、僕はあくまで噂を聞いただけですので」

「そうでしたか、何だか探るような言い方をしてしまって……申し訳ございませんでした」


 噂、ね……。


「いえいえ、とんでもない! あ、そういえば……例の宝石をお探しでしたら、アイザックという商人を探してみると、何かわかるかも知れません」

「アイザック……ニア・アイザックか⁉」オルガが身を乗り出す。

「ご存じで?」

「まあな……」


 オルガの顔が珍しく真剣だ。

 警戒すべき相手なのだろうか……。


「有名な方なのですか?」

「奴隷から小麦まで、儲かるなら何でもやる男さ。商売人の間じゃ『悪食あくじき』なんて呼ばれてる」

「悪食……」

「噂ではウィリアム皇子と懇意だそうですよ」


 黒皇子が後ろ楯……。

 たしかに厄介だ。


「おっと、用事があるのを忘れていました! 名残惜しいですが……アナ様、またお会いできるのを楽しみにしております」

「俺には会いたくないってか?」

「いえいえ、オルガ様もまたお会いしましょう、それでは――」


 カイは丁寧に礼を取ると、そのままサロンを出て行った。

 私はカイの背中を見送りながら、一体何者なのかと短く息を吐く。


「悪い男じゃないんだが……いくら調べても素性がはっきりしない。警戒しておいた方が良いだろう」

「そうね、わかった、気をつけるわ」


 カイのことは気になるけど、今はそれどころじゃ無い。


「ねぇオルガ、頼みたいことがあるの」

「何だ?」


 バッグから手紙を取り出し、オルガに渡した。


「ここに書いてある土地を買って、ティーサロンを建てる手筈を整えて欲しい」

「ティーサロン?」

「ええ、まずは土地を手に入れて頂戴。宝石の件と並行して進めてもらえるかしら」

「それは構わないが……ティーサロンなんてどうするんだ?」

「これからは色々と動くことが多くなるし、私達の拠点が必要だわ」

「それが、ティーサロンってわけか」

「ええ、すてきでしょ?」


 私は短く答え、少し冷めたダージリンに口を付けた。

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