第14話 手紙

「ア、アナスタシア様! 申し訳ございませんでした! それだけはどうかご容赦を……お許し下さい!」


 瞳に涙を溜めたキーラが、周りの目も気にせず必死に懇願した。

 つい先ほどまでは、どこか他人事だと思っていたのだろう……。


 だが、次第にちいさなあぶくが浮かび上がるように、彼女は自分の認識と目の前で起こる出来事の違いに違和感を覚えたはずだ。


 自分が思っているよりも、これは大変なことではないのか?


 もしかして自分は、取り返しのつかないことをしてしまったのではないか?


 父や母に何と言えば?

 家族は? 家はどうなる?

 自分は?


 心に落ちた不安という火の粉が、あっという間に燃え広がっていく。

 ここまで来て、やっと事の重大さを悟ったというわけだ……。


 貴族という社会では、弱者は徹底的に叩かれる。

 前世のヴィノクールがそうであったように。


 ヴィノクール家とアンダーウッド家、両伯爵家に睨まれた男爵家など、他の男爵家や子爵家からしてみれば、格好の餌食だ。


 色々な思惑の中、伯爵家に良い印象を与えようと恨みも無い男爵家を叩く者。

 逆に落ち目の男爵家に手を差し伸べ恩を売ろうとする者。

 そのようなドロドロと怨念めいた野心や欲望の中心となり、身も心も疲弊していくのはさぞかし辛いことだろう。


「キーラ様、謝る相手をお間違えではなくて?」

「あ……イ、イネッサ様! どうかこれまでの非礼をお許し下さい!」

「……私に何を許せと仰るの?」


 イネッサの言葉にキーラ達は口ごもった。


「そ、それは……」


 キーラを押しのけて、取り巻きの令嬢が横から入ってくる。


「イネッサ様、私は以前パーティーでイネッサ様のお召し物を笑いました。でも、それは私が世間知らずな田舎者であったが故の過ちでございました! どうか、この通りでございます、お許しくださいませ……!」


 深く、これ以上無いほどの低頭――。

 それを見たキーラ以外の令嬢達も、一斉にイネッサに頭を下げた。


「頭を上げてください」

「イネッサ様……」

「私は気にしておりません、むしろ感謝しているくらいです」

「え……」

「イネッサ?」


 思わず私も声を漏らした。

 イネッサは嬉しそうに目を細める。


「だって……そのお陰で私は、アナスタシアとお友達になれたんですもの」

「イネッサ……馬鹿ねぇ、もう」


 胸がぎゅっと締め付けられる。


「だからもう、何も気にしてません。だから貴方達も私のことは気にしないで」

「まあ……! 何てお優しいのかしら!」

「そうだわ、皆でイネッサ様をもてなすパーティーを……」

「――これからは、お互いに居ないものだと思うことにしましょう」

「え……イネッサ様?」


 令嬢達の顔が青ざめていく。


「そ、それは一体……どういうことでしょう」

「あら、アナスタシア、何か聞こえた?」

「いいえ、きっと妖精ね」


 やるわねイネッサ。

 そう、やられっぱなしのままじゃ、また同じような手合いが現れる。

 まあ、実際に抗議状を送るつもりもないし、当分は大変でしょうけど、彼女達には良い薬だわ。目上の家門の令嬢に無礼を働いて、これくらいで済んだのだから――。


「アナスタシア様……せっかくお招きいただいたのですが、少し具合が思わしくないので今日はこの辺で失礼させていただきます……」


 自分の立場を理解した様子のキーラが、唇を震わせながら礼を取る。


「あら、それは大変だわ、誰か、キーラ様を送って差し上げて」

「畏まりました」


 すぐに侍女達がキーラを支え、エントランスの方へ送っていく。

 取り巻きの令嬢達も、

「キーラ様が心配ですので、私も……」

「あ、それでしたら私も……」と、逃げるように後を追った。


 落とし所としてはこんなものかしら。


「皆様、お騒がせしました、そろそろデザートが届く頃です、引き続きパーティーをお楽しみください」


 私の声に、皆がまた楽しそうにお喋りを始めた。

 タイミング良く、デザートの特製タルトが運ばれてくる。

 見ると、ニーナが私に片目を瞑って見せた。


「まぁ……!」

「はわぁ……何て美味しそうなのかしら」


 皆の目がキラキラと輝いている。

 古今東西、甘い物が嫌いな年頃の女の子なんていない。

 さあ、待ちに待ったタルト……ああ、楽しみ!

 その時、侍女の一人が私の耳元で囁いた。


「カイル様が部屋から出られました」

「……そう、ありがとう」

「どうしたのアナスタシア?」


 きょとんとした顔を向けるイネッサに、

「ううん、何でもないわ」と笑みを向ける。


 ニーナは会場に居る――。

 大丈夫、きっと大丈夫。


 私はそう自分に言い聞かせ、口一杯にタルトを頬張った。



    §



 パーティーは無事に終了し、私は自室で紅茶を飲んでいた。

 すると、居間の方から父の怒声が漏れ聞こえてきた。


「どこにやった⁉ 鍵を持っているのはお前だけだ!」

「そ、それは……」


 慌てて居間を覗くと、騒ぎを聞きつけた母も二階から降りてくる。


「あなた、何をそんなに……」

「お前は黙っていろ!」


 あまりの剣幕に母がビクッと肩を震わせる。


「父上、母上は関係ないでしょう!」

「黙れ! お前はアレを何だと思っている⁉ この世に二つと無いヴィノクールの家宝だぞ⁉」

「しかし、宝石は宝石です、石と母とどちらが大事なのですか!」


 これは……頭が痛い。

 兄は全く状況を理解していない。

 その上、母は母でカイルに庇われたのが嬉しそうだ。


「はぁ……そういうことを話しているのではない、私は宝石をどこにやったのかと聞いている」


 いくらか冷静さを取り戻した父は、努めて穏やかに、諭すような口調で訊ねた。


「それは……」

「カイルなら、私と一緒に本を読んでいましたわ」


 母が横から助け船を出す。

 だが、兄は昔から本など一冊も読んだことはなかったし、母もそうだ。

 どうせつくのなら、もっとマシな嘘をつけばいいものを……。


「……だとすると、誰が部屋の金庫を開けた? 鍵を持つのは私とカイルだけだ」

「さあ、泥棒でも入ったのでは? ちょうどアナスタシアがパーティーを開いておりましたし、怪しい者が紛れ込んでいてもおかしくありません」


 私を横目に、母は平然と言ってのけた。


 ……そんなわけがない。

 招待客は爵位を持つ家門の令嬢ばかり。

 会場は使用人達も大勢いたし、部屋に繋がる廊下には侍女を立たせていた。

 間違っても父の部屋に部外者が立ち入ることなど出来ない。


「イメルダ、悪いが、カイルと二人にしてくれないか」

「ですが……」

「いいんです、母上、私は大丈夫ですから」

「……わかりました」


 母は踵を返すと、

「いつまでそこでボーッとしているつもりなの?」と私に冷たい目を向ける。

「あ、はい……」


 私は居間を出て自分の部屋に戻った。

 机に向かい、大きくため息をつく。


 良かった……ニーナは罪を着せられずに済みそうだ。

 だが、一刻も早く宝石を探し出さねば。

 カイルは一体、どこへ持ち出したのだろうか……。


 ――コン……。

 扉に何かが当たる音が聞こえる。

 顔を上げて見ると、扉の下から手紙が差し込まれた。


 慌ててその手紙を取り、扉を開ける。

 だが、そこには誰もいなかった。

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