第12話 悪魔の手

 いよいよパーティーの日が近づいてきた。

 私は書斎代わりの図書室で、めぼしい貴族令嬢達に招待状を書いていた。


「どうしても、旧貴族派の家門が多くなってしまうわね……」

「それでしたら、新興貴族家にいくつか心当たりがございますが」


 スロキアが招待状を集めながら言った。


「本当に? 助かるわ、私の名前でお願いできるかしら?」

「もちろんですとも」

「ありがとう、これで招待客は問題ないわね」


 パーティー会場のレイアウト、装飾の手配はイネッサに頼んだ。

 既に、アンダーウッド家のコレクションから、イネッサが厳選した食器や家具が屋敷に運び込まれている。私も少し見せてもらったけど、どれもアンティークの一級品で、見ているだけで気分が高揚してくる。


「アナスタシア様がパーティーを主催なさるとは、まことに喜ばしいことです」

「今回は特別なの、当分やるつもりはないわ」

「そうなのですか?」と、眉を下げるスロキア。

「ええ、あまり得意ではないから」

「それにしては、あまりにも手際が良くて驚きましたが……」

「そ、そうかしら? まあ、色々父から教わったからだと思うわ」


 そりゃあ、パーティー好きのカイルに散々無茶振りされてるからね。

 お陰で随分と出来ることが増えた。

 皮肉なものだけど、その点だけはカイルに感謝をしなきゃ。


「おお、ここにいたかスロキア、すぐに出る、馬車の用意を」


 図書室に父が入ってきた。

 スロキアは「承知しました」と返し、私に会釈をして図書室を出て行った。


「パーティーを開くそうだな、どうだ? 上手く行きそうかい?」

「ええ、皆が手伝ってくださるので」

「そうか、入り用の物があれば遠慮無く買いなさい、では私は集まりがあるのでな」

「ありがとう、おとうさま」

「気にするな、じゃあな」


 私の額に軽くキスをして、父は早足で表に向かった。

 集まりって……旧貴族派の集まりかな?

 はぁ、父がせめて長生きしてくれれば……。


「さて、私もそろそろ用意しなきゃ」


 私は席を立ち、厨房に向かった。

 気を抜くと脳裏に浮かび上がりそうになる、父の死に顔を掻き消す。


 前世で父は突然死だった。

 あまりに脈絡も無く、あっけない最後だった。

 最後の言葉も無く、誰にも気づかれることなく逝ってしまった。

 恐らく就寝中に心臓発作を起こした可能性が高いと医者は言っていたが……。


 心臓発作ならば偶然ということもある。

 もしかすると、今世の父は長生きしてくれる可能性だって……。

 淡い期待かも知れない。

 でもせめて、父が死んだ日が来るまでは……そう祈っておきたい。


 ヴィノクール家の厨房はかなり広い。

 ここだけでも平均的な平民の家くらいあるだろう。


 私が厨房に入ると、ミラが私を見るなり満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。

 厨房には全部で六人の料理人がいるが、女性はミラだけ。

 もちろんミラが料理長だが、厨房の雰囲気は明るく、ヴィノクールの食を支配する女王、というよりは、明るくて面倒見の良い女主人といった印象だ。

 料理の腕は超一流で、皇宮の晩餐会にご指名が入ったこともある。

 あまりの評判に父が引き抜きを恐れ、それ以来、指名は全て断っているらしい。 


「あらあら珍しい、ようこそおいでくださいました」

「ミラ、パーティーで出す料理の相談をしようと思って」

「アナスタシア様の晴れ舞台ですものねぇ、腕によりをかけなくちゃ!」

「頼もしいわ」

「あまり堅苦しくない方が良いんですよね?」

「ええ、気楽に楽しめるパーティーにしたいの」


 ミラは小さじで鍋のスープの味を見る。

 うんうんと頷き、他の若い男の料理人に指示を出した。


 そこに、副料理長のハンスが厨房に入ってきた。


「すみません、遅れました!」

「遅い! ったく、ま~た賭け事やってんじゃないでしょうね!」

「ち、違いますよ……昨日ちょっと飲みすぎちまっ――こ、これはお嬢様⁉ あ、ど、どうもお見苦しいところをお見せして申し訳ございません!」


 ハンスは慌てて頭を下げた。


「ふふ、気にしないで。でも、遅れちゃだめよ?」

「はいっ! 二度とやりませんっ!」

「ほんとにこの男は調子が良いんだから……ほら、食材の発注は終わってるの? 早く仕事しなさい!」

「すみません、すぐにやります!」


 ミラが怒りながらも、愛のある眼差しを向ける。


「すみませんでした、ええとパーティーの話でしたね。それでしたら……コースのメインを軽くして、デザートに力を入れてみましょうか。派手な物の方が喜ばれるでしょうから……大きなタルトも良いですねぇ」

「良いわね! あぁ、ミラのタルト食べたいなぁ……」

「残念ですが、パーティーまでお預けですね」


 ミラが冗談っぽく言うと、他の料理人達が笑う。


「もう、いじわるなんだから……」

「我慢した方が何倍も美味しくなりますからねぇ、もう料理は始まってるんです」

「ミラには敵わないわ、じゃあ、タルトは絶対に焼いてね。後は任せるから」

「ええ、任せてくださいな! 腕によりを掛けて、お嬢様方のほっぺを落としてさしあげますから」

「ふふ、頼んだわね。じゃあ、皆さんもよろしくお願いします」


 他の料理人達にも挨拶をして、私は厨房を後にした。



    §



 皇宮にある客間でウィリアム皇子とその取り巻きが談笑していた。

 その中には、少し緊張した様子のカイルの姿もある。


 その人格はさておき、皇子は立ち姿だけでも圧倒的な存在感を放っていた。

 グレイリノ皇国の皇位継承権第一位。

 何事も無く順当に進めば、次期皇帝はウィリアムだ。

 第二皇子の存在は、この集まりではないものとして扱われていた。


 場が落ち着いた頃、おもむろにウィリアム皇子が立ち上がり、カイルの椅子の背に手を置いた。


「皆に紹介しよう、彼はヴィノクールの嫡男だ、ゆくゆくは私の側で力を発揮してもらおうと思っている」

「おぉ、それは頼もしい限りです!」

「皇国貴族の名家であるヴィノクールが付いているとなれば、皇子の治世も安泰ですな、カイル殿、頼りにしておりますぞ!」


 自分の父よりも年上の上流貴族達に煽てられる経験など、カイルにとっては生まれて初めてのこと。そもそもカイルは、幼い頃から褒められた経験が殆ど無かった。


 父に褒められるのは、いつもアナスタシアだった。

 母は無条件に褒めてくれるが、それはそれで物足りず、カイルの心が満たされることはなかったのだ。


 だが、この場では皆が自分を賞賛してくれる。

 期待を掛けてくれている。

 何よりも憧れのウィリアム殿下とお近づきになれたことが、カイルの誇りでもあり、喜びでもあった。

 未だかつて無い満足感に浸りながら、カイルは席を立ち皆に挨拶をする。


「ご紹介にあずかりましたカイルと申します。ウィリアム皇子にはこうして目をかけていただき、本当に感謝の言葉しかありません。ここに集まった皆様と力を合わせ、ウィリアム皇子という旗の下で存分に力を発揮したいと考えております」


 最初に拍手をしたのはウィリアム皇子だった。

 続いて集まった面々からも拍手が沸き起こる。


 カイルは自分でも驚くほどの胸の高鳴りを覚える。

 皆に向かって会釈をし、グラスを掲げた。


「素晴らしい! さすがは名門ヴィノクールの御曹司だな」

「ええ、アキム卿もさぞかし誇らしいことでしょう」

「ウチにもカイル様のような跡取りがおれば……」


 口々にカイルを褒め称える声が聞こえてくる。

 その言葉に夢見心地のカイルが浸っていると……。


「おお、そういえばヴィノクール家には、かの有名な『精霊の瞳』があると聞く。一度、どういう物が見てみたいものだな」


 ちらとウィリアム皇子がカイルを見た。


「え、ええ、トラピッチェ・エメラルドという希少なエメラルドです。父から聞いた話では、精霊から親愛の印として二代目当主に贈られた宝石だそうです。それ以来、当家に受け継がれている物だと」

「それは素晴らしい! 皆、聞いたか?」

「何と噂でしか耳にしておりませんでしたが……そのような神秘的な宝石だとは」

「興味深いですなぁ」


 その時、貴族の一人が、

「カイル殿、宝石を殿下にお見せできないものでしょうか?」と言う。

「え……いや、それは……」


 カイルが口ごもっていると、貴族達は好き勝手に言い始める。


「そんなこと無理に決まっておるだろう、いずれカイル殿が受け継ぐ物とはいえ、ヴィノクールの家宝、おいそれと持ち出せる物ではないよ」

「そうよのぉ、どうしてもというなら、であるアキム卿に頼むしかないだろう」

「残念だが、仕方あるまい」


 スッとウィリアム皇子が皆に手を向けた。


「まあまあ、落ち着き給え。私も宝石を見たいのは山々だが、カイルにも事情があろう。無理は良くない、それにアナスタシアといったかな、美しいご令嬢がおられたはず。その結婚式には、宝石を皆で拝めるのではないか?」

「そうですな、ご令嬢の婚礼となれば家宝のお披露目もありましょう」

「先は長いが、その分楽しみも増えるというもの」


 カイルの胸の奥に燻っていた、どす黒い種火が燃え上がった。

 なぜ、この場でアナスタシアの名を聞かねばならぬ……。

 ここは、この場所は自分だけのものだ!

 決して誰にも奪わせないと、カイルはグラスの酒を飲み干す。


「皆様、ご安心を。妹の結婚を待つ必要はありません」

「ほぉ……」


 ウィリアム皇子と貴族達の口端が上がった。

 だが、カイルが気づくわけもない。


「私がここにいる皆様にだけ、我が家の家宝『精霊の瞳』をご覧にいれることをお約束いたします」

「な、なんと⁉」

「そのようなことが可能なのですか?」


 わざとらしく煽り立てる貴族達。


「お任せ下さい、父からは宝石の管理も任されておりますし、何より、ウィリアム皇子にぜひご覧頂きたいと思っておりますので」

「おぉ! 皆聞いたか⁉ やるとは思っていたが……まさか、会合初参加にして、このような忠義を示した者がいただろうか? 私は深く感動している! カイル、そなたこそ、皇国貴族の鏡よ!」


 がしっとカイルの両手を掴み、皇子が熱い視線を送ると拍手が湧き起こった。

 耳まで真っ赤になったカイルが、皇子の手を握り返す。

 その手が、悪魔の手だとは知らずに。

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