第11話 不穏な動き
屋敷のリビングで、ミラ特製のスフレと紅茶を楽しんでいた。
「ん~、最高!」
頬を緩ませていると、ふとあの時のことを思いだした。
ああ、いま思い出しても顔が熱くなる。
とんだ醜態を晒してしまった……。
オルガとの話し合いから半年が過ぎていた。
結果から言えば、あの日、オルガは私と手を組むことを決めたらしい。
だが、ニーナが言うには、オルガは「信じて待ってろ」と私宛に伝言を残すと、やることがあると言って、すぐに姿を消してしまったそうだ。
未だにオルガから連絡は無い。
商会設立に関してそろそろ動きたいのだが……信じて待つしかないだろう。
「アナスタシア、父上を見なかったか?」
「今日は……お見かけしておりません」
「チッ、この忙しい時に」
小声でカイルが悪態をつく。
何と恥知らずな……。
「何かお急ぎの御用でも?」
「ふん、お前などに言ってもわからんだろうが、俺はな、あのウィリアム皇子からパーティーに招待をされているのだ。ヴィノクールを代表して出席するからには、父上にも一言通すのが筋だろう?」
私を見下すように少し顎を上げ、短く鼻で笑った。
兄のこの態度にはもう何も言うことはないが、自分がヴィノクールの代表として出席するなど、そんな大事な事をまさか勝手に決めたのだろうか?
開いた口がふさがらない。
その時ふと、思った。
前世でカイルが皇子のパーティーに出たという話は記憶にない……。
私が知らなかっただけなのか?
となると、この時、すでに黒皇子と接点があったというわけか。
「それは、公式な招待ですか? それとも私的なものでしょうか?」
「なぜそれをお前が知る必要がある?」
威圧的に声を低くするカイル。
駄目だ、こうなるともう私の言葉は届かない。
「いえ、失礼しました」
「……そもそも、お前は――」
「カイル、何をしている?」
父が顔を出した。
カイルは一瞬顔を引きつらせたが、愛想笑いを浮かべる。
「父上、お探ししていたのです、いったいどちらに?」
「いちいち報告せねばならんか?」
「い、いえ……そのような」
「何だ? 用があったのだろう?」
父に訊ねられると、カイルは咳払いをして胸を張った。
「ええ、実はウィリアム皇子から、直々にパーティーに招待を受けておりまして、そのご報告をと」
「ウィリアム皇子から?」
カイルはちらと私を見て、
「はい、どうもウィリアム皇子は……私を気に入ってくださっているようです」と勝ち誇ったように答えた。
はぁ……頭が痛い。
なぜこのような浅はかな考えしかできないのだろうか。
父も眉間に皺を寄せている。どうやら同じ考えのようね。
「返事は?」
「はい?」
「招待されたのだろう? 返事はしたのかと聞いている」
怒りを押し殺したように父が訊ねると、カイルがやっと理解したのか顔を明るくさせて答えた。
「ええ、もちろん。準備は出来ておりますので、これから出発するところです」
「こ、この……粗忽者が!」
父の怒声が響いた。
わなわなと握り絞めた拳が震えていた。
まったく……私も目眩がしそうになる。
返事をしてから報告して、何の意味があるというのか……。
「ど、どうされたのですか⁉」
あぁ……また頭痛の種が増えた。
父の怒声を聞きつけた母がリビングにやって来たのだ。
「もういい……何でもない、気にするな」
「しかし……」
「カイル、くれぐれも皇子に失礼の無いように。あと、ソロキアを連れて行け。行って良いぞ」
父が犬を追い払うように手を振る。
「は、はい……では失礼します」
恨めしそうに父を睨んだ後、カイルは「ソロキア!」と叫びながら姿を消した。
残された母はカイルの後を追いかけていった。
私は父の手をそっと握った。
「アナスタシア……?」
「大丈夫です、お父様。スロキアがいれば上手くやりますわ」
「ああ、そうだな。お前が男なら……いや、すまん、忘れてくれ。私は書斎にいる、何かあれば遠慮無く声を掛けなさい」
「はい、ありがとうございます」
寂しげな父の背中を見送り、私も自室へ戻った。
部屋に戻り、窓から菩提樹を眺める。
あの黒皇子が、まさか本当にカイルに友情を感じているはずがない。
二人が接点を持ったのが今ぐらいだとすると、既にこの時からカイルは、都合の良い駒として使われていたことになる。
カイルが宝石を盗んだ日は……。
もしかして、カイルは皇子に良い顔を見せようとしたのでは?
あの大粒のトラピッチェ・エメラルド『精霊の瞳』は古くからヴィノクール家に受け継がれてきた由緒ある品。宝石の中に六本の黒い筋模様が入っており、それがあたかも精霊の瞳のように見えるという希少なもの。
仮に皇子がその宝石を見たがったとしたら?
いや、流石にそんな馬鹿な話はないか……。
理由はともあれ、事件の起きる日は近い。
宝石は回収できるに超したことはないが、そんなことよりもニーナを守る方が私には大事だ。必ず、彼女を守って見せる。
私は裏庭の菩提樹に、そう誓った。
§
「カイル! 待ちなさい、何があったのです⁉」
イメルダは馬車に乗り込もうとするカイルの手を取った。
「母上……」
「何を言われたの?」
「……父上は私に嫉妬なさっているようです」
「嫉妬?」
「ええ、ウィリアム皇子に招待されたのが、ご自分ではなく、私だということに納得されていない様子でした」
「まあ……なんという」
「いいんです、母上。こういう仕打ちには慣れておりますから」
「ああ、カイル……そんな悲しいことを言わないでちょうだい」
カイルはイメルダの手の上に、自分の手を置いた。
「大丈夫です、私には母上がいる。この家で私に必要なものはそれだけです」
「カイル……」
まるで恋人同士のように見つめ合う二人。
離れて見ていたスロキアも、これには目を逸らさざるを得なかった。
「さあ、体が冷えてしまいます、中へお戻りください」
「そうね、ええ、そうするわ」
「では」
カイルはイメルダに笑みを向け、馬車に乗り込む。
スロキアはイメルダに丁寧に頭を下げた後、その後に続いた。
馬車はゆっくりと走り出す。
イメルダは振り返り、灯りの付いた夫の部屋を睨んだ。
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