第9話 執事スロキアの息子
今、私の目の前に居る少女は……誰だ?
一体、いつから……いや、なぜ私は彼女の資質に気づかなかった?
つい数年前まではこうではなかった。
旦那様が目をかけておられるのはわかっていたが、それはあくまでカイル様と比べればの話。いくら優秀だとはいえ、凡人の域を出ることはなく、私の息子に比べればそれこそ、雲泥の差があるとさえ思っていた。
しかし、私は大変な思い違いをしていたのかも知れない。
自分の父よりも年上の男を相手に、この堂々たる物言いはどうだ?
頭の回転の速さ、器量はもちろんのこと、何よりもアナスタシア様は、貴族の中でも選ばれし者だけが持つ『華』を持っている。
これだけは決して努力では身につかぬ、持って生まれた天性のものだ。
旦那様にもあるが、アナスタシア様はその比ではない。
このように胸が高ぶるのは、息子の非凡な才能を知った時以来か――。
私は努めて平静を装い答えた。
「オルガを紹介しろと?」
「ええ、貴方にとっても、オルガにとっても悪い話ではないと思う。はっきりと家門を明言することはできないけど、仕事に納得いかないようであれば、オルガには、私が紹介状を書いても良いわ。もちろん、ヴィノクールの印章を押してね」
ヴィノクール家の紹介状ともなれば、働き口などよりどりみどりだろう。
平民の私達にとっては、これ以上ないほどの条件……。
普通ならば――だが。
「それほどまでに、その御方は……息子を買ってくださっているのですか?」
「そうみたいね」
「その御方の名を聞くことはできないが、すべては息子次第というわけですね?」
「ええ、私が責任を持ちます」
「……」
真っ直ぐで力強い、だが、どこか物悲しさを帯びた瞳。
齢15にも満たない少女の瞳とは思えなかった。
「では、オルガをアナスタシア様と引き合わせればよろしいので?」
「そうね、私から雇用主に紹介するわ」
一体、アナスタシア様は何をするつもりなのだろうか?
息子は誰よりも有能だが、それ故に問題も多い。
オルガは本来なら学院を首席で卒業する成績を収めていた。
だが、学院とは政治が働く場所。
皇族の親戚筋が首席となり、オルガは次席という扱いになった。
よくある話だが、オルガはこれに納得しなかった。
金で成績を買う貴族家の嫡男達を、連日のように大勢の前でこき下ろし、散々悪態をついた挙げ句、馬鹿にし続けた。馬鹿にされた貴族の中には、逆上し、傭兵を雇ってオルガを消そうとした者さえいた。
我が息子ながら、誰かに仕えるような性分には思えない……。
そんなオルガを雇いたいなどと思う貴族が、このグレイリノ皇国にいるのだろうか?
――いや、いるはずがない。
十中八九、これはアナスタシア様に何らかの思惑があるのだろう。
オルガに無理強いをする気はないが、すでに私はこの少女に期待してしまっている。
アナスタシア様なら、オルガを上手く使ってくれるかも知れない、と――。
「そうですか、わかりました。では、くれぐれも雇用主様によろしくお伝えください」
「わかったわ、あとこの件は……」
「はい、旦那様への報告は、アナスタシア様にお任せいたします」
「ありがとう、スロキア」
「いえ、ではこれで」
私は小さな伯爵令嬢に頭を下げ、図書室を後にした。
§
オルガが指定した待ち合わせ場所は、ヴィノクール領内にある小さな酒場だった。
私は街の大通りで馬車を降り、ボディガード役のニーナと二人で路地を進む。
「アナスタシア様ぁ……この辺は治安も悪いですし、やっぱり帰りませんか?」
「何言ってるのよ、ニーナが居れば大丈夫でしょ?」
ニーナは執事のスロキアから、直々に格闘術の指南を受けている。
今回もニーナが同伴するのならと、太鼓判をもらっているのだ。
「あのスロキアが認めてるんだから、もっと自信を持ったらどうなの?」
「そんなことで自信が持てるなら苦労しませんって……」
私の肩にしがみ付き、おどおどしながら周囲を警戒するニーナ。
「ちょっと、これじゃどっちが守られてるのかわからないわよ?」
「す、すみません……」
酒瓶を握り絞め、路地に座り込む髭面の浮浪者と目が合った。
「てめぇ! 何見てやがんだ!」
「ア、アナスタシア様、行きましょう、相手にしては駄目です」
「ええ……そうね」
足早に通り過ぎようとした、その時――。
「へへっ……いいご身分のお嬢様ってとこか……なぁ、おい! どうせ苦労も知らずに育ったんだろ? 羨ましいこったぜ! はーっはっは!」
私は足を止めた。
戯れ言だ……聞き流せば良い、オルガとの話し合いも控えている。
「アナスタシア様?」
「……」
だが、考えるより先に、私は男の前に立っていた。
「アナスタシア様、駄目です、行きましょう!」
「な、何だてめぇ! 文句でもあんのか!」
「文句? ええ、文句なら大ありよ!」
「ア、アナスタシア様、何を⁉」
ニーナの手を振り払う。
呆気に取られる男に向かって、私は叫んだ。
「ふざけないで! あんたが私の何を知っているっていうの⁉ 苦労を知らないですって⁉ ハッ、笑わせるんじゃないわよ! 私はあんたと違って自分の人生から逃げない、諦めるなんて絶対にしない! 這い上がる努力すら諦めたあんたに、私を笑う資格なんてないわ!」
どうしても許せなかった。
これを聞き流すような人間では、到底自立なんてできない。
誇りだ、誇りを持つのだ。
貴族としてではない、自らの生き方に対して誇りを持つのだ。
肩で息をしながら、私はバッグから銀貨を取り出し男の目の前に投げた。
「それは迷惑料よ。銀貨3枚――、普通に使えば2ヶ月は不自由なく暮らせるでしょう」
「施しのつもりか……? へっ、良いよなぁ、どうせ親の金が有り余ってんだろ?」
私は真っ直ぐに男の目を見据え、言葉を続ける。
「もし、あなたが、這い上がる努力を諦めていないと言うのなら、それを元手に職を見つけるなり、商売を始めるなりすればいい。今の時期なら行商でもいいと思うわ、ヴィノクールとアンダーウッドを往復するだけで、それなりに稼げるはずよ」
「へっ……偉そうに、こんなもん1ヶ月でなくなる金だぜ」
「最後に言っておくわ。その銀貨が無くなった時、あなたがまだこの路地にいるのなら……あなたは一生、ここから出ることはない。でも、あなたが諦めなければ、その銀貨でここを出ることができる」
「くっ……」
「もう、十分に休んだでしょ? あとは、あなたが自分の生き方を選ぶだけよ――」
男は俯いたまま銀貨を握り絞めている。
「行くわよ、ニーナ」
「は、はい……」
ニーナが嬉しそうに私の腕に手を絡ませてくる。
「驚きました、いつの間にかレディになられていたんですね」
「そ、そんなことないわよ」
「はぁ……格好よかったですぅ……」
歩きながら体を寄せてくるニーナ。
「ちょ、歩きにくいってば……」
「へへへ~、アナスタシア様ぁ~」
ニーナが猫のように纏わり付いてくる。
好かれるのは嬉しいけど、何だかむず痒いわね。
その時、後ろからよく通る声が響いた。
「レディ・アナスタシア!」
振り返るとそこには、先ほどの浮浪者が立っていた。
そしてその顔は、さっきとは別人のように凜々しかった。
「あ、あなたは……」
「俺がオルガだ――さあ、話をしようじゃないか?」
オルガが付けひげを取り、不適な笑みを浮かべた。
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