第5話 来客

 庭先で待っていた父のところに着く。

 すると、父はニーナに言った。


「ニーナ、ありがとう。悪いが少し外してもらえるかな?」

「はい、旦那様、では失礼いたします」


 ニーナは深くお辞儀をして、いそいそと屋敷の中へ戻っていった。


「何か……御用でしょうか?」

「邪魔をして悪いな、お前に紹介しておきたい客人が来ているんだ、挨拶をしておきなさい」

「はい、わかりました」


 伯爵家には多くの客が来る。

 カイルが当主になってからは、殆ど誰も寄りつかなくなっていたが、父の存命中は記憶を辿たどってみると旧貴族派の中でも、かなり力を持った貴族達が訪れていたのを覚えている。


 ああ、そうか、父は旧貴族派の流れが続くと読んでいたのか……。

 だから積極的に旧貴族派と親交を結んでいたのだ。

 父自体、保守的なところもあったし、この時はまだ新興貴族達も台頭していなかったから無理もないだろう。


 私は大鏡の前で洋服をチェックした後、父と応接室に向かった。

 部屋に入ると、ソファに座っていた恰幅の良い男が席を立つ。


 あれは……アンダーウッド伯爵。

 同じ伯爵位を持ち、旧貴族派の中でも発言力は高い。

 だが立場的には歴史の深いヴィノクール家の方が上と見なされる。


「ノーマン卿、娘のアナスタシアだ」

「初めましてノーマン・アンダーウッド伯爵、お目に掛かれて光栄に存じます、どうぞ、アナスタシアとお呼び下さい」


 ノーマンは私を見て、機嫌良さそうな笑みを浮かべて頷く。

 まだ若い……この倍は太るかと思うと同情してしまうわね。


「私のことはノーマンで結構、いやぁ、ヴィノクール卿の面影もありますが、イメルダ様の美も受け継がれておりますな」

「アナスタシアには、いずれ当家の仕切りを任せようかと思っているところです」

「ほぉ……それは大したものだ」


 と、その時、応接室に母と兄が入ってきた。

 ああ……二人の顔、懐かしく感じる。

 母はほとんど変わらない。

 容姿に関しては、この頃から完成されていると言ってもいいだろう。

 一方、カイルの方は性根の悪さがにじみ出ている。


「ごきげんよう、こちらにいらしていたのですね、ノーマン卿」

 

 母は張りのある声で言い、横目で父を見た。

 自分とカイルが呼ばれなかったことを暗に責めているのだろう。


「これはこれは、いつにも増してお美しい、ああ、ちょうど今、アナスタシア様がイメルダ様の美を受け継いで――」

「ノーマン卿、息子のカイルです。カイル、ご挨拶を」


 私は思わず失笑が漏れそうになるのを堪えた。

 母のこういうところを、カイルは受け継いだのかも知れない。


「良くぞいらしてくださいましたノーマン卿、カイルです、どうぞよろしく」


 まるで自分が招いたかのような口ぶりだ。

 しかも、初対面でのファーストネーム呼びには、全員が言葉を失った。

 恐らく母の呼び方を真似たのだろうが……、これには、さすがに母も顔が強ばっていた。


 カイルは私の5才上……。

 18才にもなって満足に挨拶もできないとは、さすがヴィノクールを潰した男ね。

 呆れて物も言えないわ。


「どうかされましたか?」


 不安げに父とノーマンの顔を見るカイル。

 だが、その顔には僅かに苛立ちも見える……。


「いえいえ、カイル様が立派になられたと感心していたところです」

「……イメルダ、君に買っておいた紅茶がある、カイルと楽しんできなさい」

「え、ええ……そうですわね、ではノーマン卿、ごゆっくり」

「そのような紅茶があるのなら、皆で楽しみませんか? お茶は大勢の方が楽しいですよ?」


 カイルの言葉に、父はあからさまな侮蔑の色を浮かべた。


「――イメルダ」


 父の声に、静かな怒りを感じる。

 慌てて母がカイルの手を引いた。


「さ、行きましょう、カイル」

「え? 母上……?」


 最後まで状況を理解せず、カイルは母に連れられ部屋を出て行った。


「……やれやれ、恥ずかしい物を見せてしまった」

「とんでもございません、カイル様はまだお若いですからな、ははは」


 父を憐れむような目……。

 そうか、この時、既にノーマンもヴィノクールに先は無いと見切ったのかも知れない。でなければ、あのように手の平を返すわけがないか。


 父の死後、ノーマンはヴィノクールと交流を絶った。

 私も援助を求めに何度か家を訪ねたが、結局ノーマンが出てくることはなかった。

 当然の判断だろう……沈むとわかっている船に乗る馬鹿はいない。


「近頃、お兄様は喜劇にご執心のようです、きっと、皆を楽しませようとしたのではないでしょうか」

「はっはっは、これは手厳しい……アナスタシア様がいればヴィノクールは安泰ですな」

「ふふ、そのようだ。さ、ノーマン卿、とても珍しいワインが手に入った、ぜひ、味見を手伝ってもらえないかな?」


 父が使用人に運ばせたのは、カイルの成人祝いのために用意していたワインだった。

 カイルに祝酒がなかったのは……そういうことだったのか。


 ヴィノクール家では子供と同じ年のワインを、成人の祝酒として共に飲むというしきたりがある。それはノーマンも知っている。ということは、カイルに祝酒は与えないと暗にノーマンに示しているのだろう。


 注がれたワインを感慨深げに眺めると、ノーマンはグラスを回す。


「なるほど、これは素晴らしいワインですなぁ……ヴィノクール卿、次はぜひ我が家にも来ていただきたい。私もとっておきのワインを抜かせてもらいます」

「おぉ、それは楽しみだ。そういえば、もはや我々の間に敬称は不要では?」


 父が笑みを浮かべ同意を求めると、ノーマンは満足げに頷いた。


「ではアキム、その時はぜひ、アナスタシア様もご一緒に。ウチの娘を紹介したい」

「まぁ、私のことはアナスタシアと呼んでくださらないのですか?」

「ははは、これは一本取られましたな。なるほど、アキムが気に入るのも無理はない」

「ふふ、ありがとうございます。それに、イネッサ様を紹介していただけるなんて光栄ですわ」

「おや、娘をご存じで……?」


 父も不思議そうに私を見ている。

 あ、そうか……、この時はまだイネッサのことは知らないはずだった。

 ちょっと調子に乗りすぎてしまった……上手く誤魔化さないと。

 

「あの美貌ですもの、イネッサ様は令嬢の間でもファンが多いんです、私も一度お会いしてみたいと思っていましたから……」

「何と⁉ そうでしたか……いやぁ、まさか娘がそのように評価されているとは、ははは、何だかむず痒いですな」

「ノーマンの娘なら当然だろう」


 父もノーマンを持ち上げる。

 すっかり上機嫌になったノーマンを見て、父は私に優しい目を向ける。

 良かった……合格みたいね。


「では、その時はアナスタシアも同席させよう」

「ええ、それでは」


「我らの友情と聡明なレディに――」


 ノーマンが私を見てウインクをした。

 私は微笑みを返し、二人がグラスを合わせるのを見つめた。

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