第6話 執事スロキア

 私は図書室で一人机に向かって、ニーナを救う方法を考えていた。

 慣れ親しんだ本の香りは、嫌なことも思い出させるが、同時に私の浮ついた気持ちを引き締めてくれる。


 ニーナを救うには、父を納得させる証拠が不可欠――。

 そうだ、ニーナにアリバイがあればいい。


 だが、証人が私だけでは……弱いな。

 ヴィノクール以外の第三者で、母や兄が簡単に口を封じられないような人間……。

 となると貴族か……私の主催でパーティーを開くのもいいかも。


 事件の当日にパーティーを開いて、そこでニーナに仕事をしてもらえば招待客が証人となる。

 幸い、事件が起きる日は覚えている。

 来年の冬至の日、そこでカイルは宝石を持ち出す。


 あとは……ニーナ以外の使用人に矛先が向かわないとも限らない。

 同じ事が起きないようにするには、どうしたらいいのかしら。


 口元に指の背を当て、記憶を辿る。

 確か……カイルは宝石の行方について、結局何も話さなかったはず。

 父もかなり問い詰めたと思うが……やはり、売ってしまったのだろうか?

 父が亡くなった後も、宝石の話が出ることはなかったし……。


 となると、宝石の流れ先を押さえるのはいいかも知れない。

 ヴィノクールの宝石を買うと痛い目に遭うと知れば、誰もカイルから受け取らなくなるかも。

 いや、これは駄目ね……今後の事を考えると、商人を敵に回したくはない。


 なら、ヴィノクールの宝石を買い取った商人に『利』をもたらす取引相手を作ってしまうのはどうだろう? そうすれば、カイルがいくら宝石を持ち出したとしても、勝手に向こうから戻ってくるようになる――。


 コンコンと図書室の扉を誰かがノックした。

 誰かしら? ここには父くらいしか来ないはずだけど……。


「――スロキアです。お嬢様、いらっしゃいますか?」


 執事のスロキアだった。

 驚いた……父以外の人間に自ら話しかけてくるとは。

 とても寡黙な執事だったのは覚えている。

 確か、グレイリノ皇国学院を次席で卒業した息子がいたはず……。


「いるわ、どうぞ」


 静かに扉が開く。

 スロキアは足を揃えて、私に会釈をした。


「どうしたの?」

「はい、ご主人様からこちらを渡すようにと」


 封蝋が押された白い封筒を私の前に差し出す。


「誰かしら?」

「……アンダーウッド家かと」


 封を開けて中を見る。

 手紙の主はノーマン卿だった。

 近いうちに家に遊びに来て欲しいと書いてある。

 ああ、なるほど……イネッサの相手をさせたいのか。


「……」


 これは使えるかも知れない――。

 イネッサなら伯爵令嬢、パーティーに招待する相手としては申し分ない。

 家格が上の人間は邪魔になるから、私とイネッサが中心となって、小さな茶会を開く仲間を集めてもいいかも。


 それなりの家の令嬢相手なら、母も兄も大それた真似はしないはず……。

 そうね、まずはイネッサと親交を深めることから始めようかしら。


「驚きました」

「……どういう意味かしら?」


 スロキアはまるで彫刻のように姿勢を保ったまま、静かに口を開いた。


「旦那様以外で、同格の他家から個人的なご招待を受けた方は、アナスタシア様が初めてです」

「そ、そんなわけないでしょう? お母様やお兄様も……」

「いいえ、お二人が誘われているのは、いずれも格下、ヴィノクールの名と金に群がる餓鬼グールどもです」


 顔色一つ変えずに言ってのける。

 はぁ……こんなにも率直な物言いをする人だったとは。

 なるほど、前世の私は、こういう話をするに値しないと判断されていたってわけね。


「スロキア、貴方とこうやって話すのは初めてですね。褒めてくれるのは光栄に思いますが、母や兄も悪気があるわけじゃないと思うわ」


 これは本当だ。

 悪気はない、だからこそタチが悪いのだが。


「これは出過ぎた真似をしました、どうかお許しを。てっきり、アナスタシア様はわかっておられる方なのかと」


 スロキアは私の出方を見極めているようだった。

 敢えて過激な言葉を選んでいるようにも感じる。


 私は小さくため息をついた。

 言葉遊びに付き合う気はない。

 だが、スロキアは味方につけておきたい……どう答えたものか。


「私は聖女じゃないのよ? 言葉にしてもらわないと貴方の考えていることはわからないわ」

「では、恐れながら申し上げます。私はヴィノクール家に忠誠を誓っております、ただ……その家格にふさわしい方にのみ、お仕えしたいと考えております」

「なるほど、言いたいことはわかったわ」と、私は微笑みを浮かべる。

「それは何よりです」


 頭を下げようとするスロキアに、私は言った。


「でも、家格にふさわしいかどうかを決めるのは……スロキア、貴方ではないでしょう? ヴィノクールは、そのような歪んだ忠誠を必要としない。貴方の言葉通りに受け取るなら、どうぞ勝手に主人を選んで、勝手に忠誠を誓っていればいいと思うわ。お父様はともかく、私は貴方が家を去るのを止めるつもりはありません」


 スロキアの目が開かれる。

 一か八かの賭けだった。

 上手くいく自信はなかったが、彼のような人は貴族的な考えを重んじるはず。

 ならば、一介の使用人の言葉に右往左往するような主など認めないだろう。


「……ご無礼を致しました。旦那様の仰るとおり、お嬢様は聡明な御方ですね」

「もう、二度と私を試さないで」

「本当に申し訳ございません、嬉しさのあまりつい調子に乗ってしまいました」

「大袈裟なんだから……」


 顔を上げたスロキアの目は、今までみたことのないくらい穏やかで優しい光を纏っていた。

 ふぅ……何とか合格したみたいね。


「あ、スロキア、アンダーウッド家に一週間後に伺うと返事を出しておいてくれる?」

「かしこまりました、贈り物などの手配も済ませてありますのでご安心ください」

「まぁ、ありがとう! 助かるわ」

「いえいえ、勝手に忠誠を誓わせていただいている身ですので」


 冗談っぽく笑みを浮かべたスロキアは、

「それでは」と、私に頭を下げ、部屋を後にした。


「はぁ……疲れた」


 一人になった私は、机にうつ伏せになった。

 頬を机に付け、そのまま目を閉じる。


 イネッサか……。

 記憶の中のイネッサを思い浮かべる。


 うーん、目立たず垢抜けない。

 パーティーでも誰とも喋ろうとしない。

 そんな印象しかなかった。


 となると……よしっ、ここはニーナの出番ね。

 私は体を起こし、図書室を出てニーナの元へ向かった。

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