32,息子、帰る

 最後の山をこえ、アイリス伯領が一望いちぼうできる場所に到着すると、バン爺は驚愕きょうがくした。

「……何という事じゃ」


 荒廃した大地、死にかけた山々、枯れた川、そこはおおよそ人が住めるような土地ではなかった。


「……シアンや、ここはいつからこんなありさま・・・・じゃったんじゃ?」


 過去に、バン爺はこのアイリス伯領に足を運んだことがあった。アイリス伯を処分するために選ばれたこの土地を、他の魔術師たちと調査するために訪れたのだ。しかしバン爺の記憶する限り、ここは未開の土地ではあったが、その反面、緑は豊かなはずだった。


「……昔はもっと綺麗だったんだ」


 そう言ったシアンにさらにバン爺はおどろく。

「ということは、こうなったのはここ最近という事か?」


 シアンはうなずいた。


 バン爺はくつを脱いで、さらに地面に手を当てる。大地のマナがとても弱かった。

「……まいったのう」


 大地の術式を使用するには不利。時も地も活かせそうにない。さらにあれから30年、禁呪法の研究をつづけたアイリス伯が、どんな術式を使用するのか見当がつかなかった。

 そして、そんなバン爺の心配をシアンは感じ取っていた。


「……さて、どうしたものか」


「……バン爺さん」


「なんじゃ?」


「正面から行けばいいんじゃないかな?」


「なに?」


「父さんは、ぼくが帰ればマゼンタさんを解放するって言ってるから……。」


「……それを、信じるのかね? その後はどうする?」


「その後は、ぼくが自分で父さんに伝える。別々に暮らそうって……。」


「……しかし」


「もし、父さんがダメだって言ってきたら、その時はバン爺さんたちが協力してくれればいいから」


「……う、うむ」


 ふたりはアイリス伯の城へと、まっすぐに向かって行った。



 地下室にいるアイリス伯の下へ、執事のゼニスが訪れた。


「……旦那様、シアン様がお戻りになられました」


 アイリス伯がふり返る。

「ああ、そうか……。」


 マゼンタが歯噛みする。そんなマゼンタをアイリス伯があざ笑う。


「当り前だろう。子は父のもとに帰るのが当然だ。父あっての子なのだからな」



 大広間に通されたシアンとバン爺はアイリス伯を待っていた。

 汚い屋敷だった。使用人もろくにおらず、手入れをする人間がいないのだろう。


「お~シアンく~ん。久しぶりっちゅうか、そこまで前でもないかぁ」

 しかし、廊下の向こうから現れたのはアイリス伯ではなくアッシュだった。


「……お主は」


「その節はずいぶん世話になりましたなぁ。何やおじいちゃん、元1級やったんやて? そりゃ、俺もかないませんわぁ」


 一度は命のやり取りをした相手だというのに、アッシュはずいぶんと親し気に話しかけてくる。


「まま、俺ももう今回の件からは手を引いとりますけぇ、安心しとってください」


「……じゃったら、何の用じゃね?」


「いやねぇ、もっかいくらい、俺が手も足も出ぇへんかった相手と会っときたかったってのと、久しぶりに甥っ子ちゃんとお話しようと思いましてねぇ」


「お前さんが思うほど、ワシらには差はないよ。たまたまワシが有利につけただけじゃ」


「やめてくださいよぉ、勝ったもんに謙遜けんそんされても惨めになるだけやないですかぁ」

 アッシュはシアンの方を向いた。

「シアンく~ん、何でお父ちゃんの所から逃げ出したん?」


 シアンはうつむく。


「……お前さんは、この子が父親にどういう仕打ちを受けていたか知ってたのかね?」


「俺はよその家庭の事には口を出さんタチですから」


「甥っ子じゃろう?」


「せやから、逃げたら追いかけるんと違います? ねえシアンくん、お父ちゃんのいう事をちゃあんと聞いとかんと、死んだねぃちゃんも悲しむでぇ」


「死者は泣きもせんし、笑いもせんよ」


「……そりゃそうですがね」


「そういえば、シアンの母君はどうして亡くなったんじゃ? ご病気かね?」


「おじいちゃん、意外とデリカシーあらしまへんなぁ、シアンくんの前でっせ」


「先に母親の話を持ち出してシアンに説教入れようとしたのは、お前さんじゃ」


「……やりづいらいですなぁ。なんか俺、おじいちゃんのこと苦手ですわ。教えてもええですけど、それやったら、俺にも何か面白いことひとつ教えてくれへん? 例えば……どうしておじいちゃん、1級魔術師やめなはったんですか?」


「高齢なうえに家族に不幸があってな、精神的に持たんかった」


 アッシュが意外そうな表情で眼を見開く。

「あら、適当に流されるんかと思ったら、けっこう真実味があるお話やな。ええでしょ、それやったら俺もきちんと答えんといかんね。まぁ、俺の知っとる限りですけど、術式の研究中に事故に巻き込まれたらしいですわ」


「術式の……。」


「そ。あんたら勘違いしとるかもしれませんけど、ねぃちゃんが事故った時はおっちゃんもえらい悲嘆ひたんにくれてましてねぇ、そん時思いましたわ、“ああ、この人はこの人なりにねぃちゃんのことを愛しとったんやなぁ”って。で、それからおっちゃんは一層研究に没頭ぼっとうするようになったんですわ。シアンくんの訓練も、そりゃあ行き過ぎかと思いましたけど、あの人なりにねぃちゃんにむくいたいところがあるんやろな。何だかんだ言って、俺は身内やから、そりゃあ協力はしますわな」


「……お前さんは、それが姉君の望みと思うとるのかね」


「俺は好きやないけど、あのおっちゃんはねぃちゃんが選んだ人やからね」


 バン爺はシアンの顔を見る。そこに迷いの色があった。母親の話にのったのは悪手あくしゅではなかったかとバン爺は思った。シアンを縛っていたのは父だけではなかったいう事実、シアンにからむ鎖は、思いのほか深く心に食い込んでいそうだった。

 そこへ、アイリス伯がやってきた。

 バン爺とアイリス伯はしばらく無言で見つめ合っていた。中年の男と老人の無言は雄弁だった。男たちのたどってきた人生の確執、まるで視線と呼吸が衝突しているようだった。

 薄笑いを浮かべていたアッシュだったが、思わずストールに手をかけそれをゆるめた。

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