8,シアンの術式

 ザビの家の家畜小屋に着くと、彼の言うように豚が倒れていた。大きなメスだった。


「昨日からこの調子さ、病気だと思うんだけれど、他の豚は大丈夫だし……。」


「……ほう」


 バン爺はさくの中に入ると、動けなくなっている豚の容態ようだいを確認する。体の病気の兆候ちょうこうが出る所には何もなかった。


疫病えきびょうというわけでもなさそうじゃし……。」


 すると、シアンが柵の中に入ってきた。


「おや、シアンどうしたね?」


 シアンは豚のおでこに手を当てた。そして目を閉じ、静かな声で豚に語りかけた。苦しそうにあえでいた豚が穏やかな目でシアンを見る。


 シアンが目を開けて言う。

「……この子、たぶん妊娠してる」


「ほぉ」


「そんな。だってウチは繁殖はんしょくのとき以外、雄と雌をしっかり分けて飼育してるんだぜ? 妊娠するなんてありえないよっ」

 ザビはおどろいて言った。


「……確かかね、シアン?」


「……うん」


「しかし、いったいどうして……。」

 ザビは困惑する。


 バン爺は立ち上がった。そして豚小屋を出ると農場の囲いに目をやった。そこには補修された跡があった。


「……そういえば最近、村で害獣がいじゅう被害が出とったのう。ありゃ、イノシシだったかね?」


「ああ、バカでかいイノシシさ。農作物を食い荒らすわで大変だったよ」


「お前さんとこも被害を?」


「まぁね、ウチの農場の柵を破って保存してた食料を食い荒らしやがった」


「もしかして、豚小屋にも入ったんじゃないか?」


「ああ、そういえば……。」


「……あの豚のお相手は、そのならず者かもしれんのう」


「え? イノシシが?」


「そうじゃ。イノシシと豚なら普通に交雑こうざつしよる。逃げ出したり捨てられたりした豚が、イノシシとの間に子供を作るっちゅうことはままあるぞ。イノブタ言うてな」


 ザビは苦々しい表情で頭をかいた。

「くっそぉ、ウチの豚に手ぇ出しやがって!」


「まぁ、ええじゃないか。イノブタはけっこうな珍味なんじゃぞ。売ればそこそこ高い値がつく」


「……ふぅ。ま、過ぎたことを嘆いても仕方ないか。……ありがとよバン爺。あやうく無駄に町から獣医を呼び寄せるところだった」


「ほっほ、礼ならこの子に言うんじゃな。ワシは土と植物の術式しか知らん」


「おう、ありがとよ坊や。坊やも魔術師なのかい?」


 シアンは目をそらしてうなずいた。


「そうかいそうかい、たいしたもんだ」


 ザビはシアンの頭をなでた。シアンの内気さは不快さを与えない。むしろ人は純粋さを覚えるのだった。


「お前さん、テイマーの術式を使えるんかね?」

 バン爺は言った。


「……うん」


「ええじゃないか。魔術師っちゅうのは、ええとこの家の人間ばかりじゃから、家畜なんぞ触りたがらん。おかげで、魔術師で獣医をやれるもんは数えるくらいしかおらんからのう。きっと多くの人々の助けになるぞ」


 バン爺にめられて、シアンは顔をそむける。そして、シアンは表情を見られないようにしてザビの下へ行った。


「ほ?」


 シアンは左の足首を見る。

「おじさん、足をケガしてるの?」


「……あ、ああ。屋根の修理中に落ちてひねっちまってな。養生ようじょうしたかったんだが、仕事が忙しくてなかなか治らないんだ」


 シアンは「座って」と言う。


「え? ああ、かまわないが……。」


 ザビが座ると、シアンも座って左の足首に手を当てた。目をつぶり呼吸を整えると、シアンは患部かんぶいたわるように優しくなでさする。


「……坊や、いったい何をしてるん……お?」


 シアンがなでていると、ザビは痛めている足が暖かくなり始めているのに気づいた。


「バン爺、あの子、何やってるの?」


 マゼンタに訊ねられたものの、バン爺は顎に手を当て「むぅ」うめくだけだった。


 しばらく足をなでた後、シアンは顔をあげてザビを見た。

「もう大丈夫」


「大丈夫……て?」


「立って歩いてみて」


 ザビは立ち上がった。そして恐る恐る左足を地面につける。

「……お?」


 ザビは最初はよろよろとしていたが、数歩あるくと、ケガなどがまるでなかったかのように、まっすぐに進み出した。


「お、おい、嘘だろ? 足が、足が治ったぞ? あ、ありがとう坊や!」

 ザビはシアンに駆け寄って手を握った。

「もしかしたら、もうダメかもしれないって思ってたんだ! それを……。」


「そ、そんなにひどいケガじゃなかったよ……。」


「いやいや、酷いケガじゃないっても、こんなすぐに治せるもんかいっ」


「……うっそ」

 後ろで見ていたマゼンタも驚いていた。


「なんと……。」

 しかし、バン爺はどこか難しい顔をしてその光景を見ていた。


「カミさんに見せてくるよ!」

 そう言って、ザビは走り出して豚小屋から出ていった。


「すごいじゃんシアンくん!」

 マゼンタはシアンに抱きついた。


「え? え?」


「もう、こんなに可愛くて動物と話せてケガまで治せるなんて、シアンくんマジ天使!」


「あ、いや……。」


 シアンは顔を真っ赤にして、マゼンタの胸の圧迫から顔を解放しようとした。


「……治癒術ヒーリングかね」

 バン爺が言った。


「あ……はい」


「ふぅむ、ヒーリングはそもそも術式の適性を持つ者が少ない。その上、お主はテイマーまで……。」


「つまり、シアンくんが大天才ってことなんでしょ?」


「いや、まぁ、そういうことになるが……。」

 バン爺が言いたかったのはそれだけではないようだった。


 そこへザビが戻ってきた。

「おおい! なぁ、坊や来てくれないか!」


「なんじゃい?」


 シアンたちが外に出ると、そこには村の人間が集まってきていた。


「坊やの事を話したんだよ! そしたら、みんな居ても立っても居られなくなっちゃってさ!」


「なんと……。」


 村の住民たちは目を輝かせてシアンを見ていた。


「アタシは腰が悪いんだっ」


「胸の調子がおかしくて……。」


「ウチの牛の様子をみとくれよ!」


 村の住人たちは口々に体の悪い場所や、家畜の不調をシアンに告げ始めた。村人は、ざっとみただけでも20人以上はいた。


「ちょ、ちょっと待っとくれ」

 口をはさんだのはバン爺だった。


「何だいバン爺?」

 ザビが言った。


「ええか? 魔術を使うのはかなりの体力を消耗しょうもうするんじゃ。特に、ヒーリングやテイマーみたいな術式は、外気マナを使えんから他の魔術よりも術者の内気オドを多く必要とする。こんな数の人間に対して魔術を使うたら、坊やがぶっ倒れてしまうぞ」


「え……そうなのかい?」

 住人たちは顔を見合わせる。


「申し訳ないが、一日で診てやれる数はせいぜい……。」


「大丈夫だよ」

 シアンが言った。


「……シアン」


「大丈夫、このくらいの数なら……。」


「シアン、無理はいかんぞ。ちょと寝たら回復するなんて生やさしいもんじゃないんじゃ。下手をしたら、後遺症を抱えることだってあるんじゃぞ」


「大丈夫、まかせて」


 シアンは村人の方へ行った。表情にとぼしい少年は、やせ我慢をしているのか本当に平気であるのか読みづらかった。

 シアンは村人のケガや病気を治し、さらに家畜の容態も診察しんさつし続けた。シアンが治療をしている間にも人は増えたが、それでもシアンはその全ての村人の相談を解決していた。シアンが治療を終える頃には、陽は傾きかけていた。


「……本当に平気かね?」

 バン爺はシアンを気づかって言った。


「うん」


 その言葉に偽りはなかった。シアンには疲労の色はなかった。


「マゼンタさんとバン爺さんにはどこか悪いところは無いの?」


「老いは病気じゃないしねぇ」


「口の悪さばかりはどうにもならん」


 マゼンタとバン爺はほんの一瞬だけ沈黙した。


「え、バン爺、口が悪いと思ってんの?」


「お前さんこそ、その歳でもう若返りたいんか?」


 ふたりは冷ややかににらみ合った。

 シアンはどういう顔をして良いか分からずに、その場に立っていた。

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